ガイエスブルク城物語  U

 

森の国“緑”

ガイエスブルクはその首都にある国王の居城。

山の裾近く、半ば木々に埋もれるようなその城の白く優美な様はこの国の人々の自慢であった。

 

「蒼月さん、お口にはあって? このシフォンケーキ」

「はい、とても美味しゅうございます。アンネローゼ様。このお茶とも良くあっておりますし」

「よかった。それよりも、城にはもう慣れたかしら?」

「皆様本当に親切で、妾という身にありながらとても優しくして頂いております」

ガイエスブルク城の庭園の一角で陽光の下、心から楽しそうに蒼月とティータイムをしているのは、キルヒアイス宰相夫人アンネローゼである。

彼女はラインハルトの実姉で父王の死後幼いラインハルトのため摂政の位に就き、小娘と侮った隣国の王たちを押さえ込んだ、顔に似合わずの女傑である。

ラインハルトの16の誕生日に摂政の位から引き、今は夫と城外に居を構えている・・・が、ほとんど毎日のようにこの弟の愛妾に会いに来ていた。

対する蒼月は人形のように優しげな微笑を浮かべている。

「ラインハルトが無茶を言ってはいないかしら? 困ったことがあれば遠慮なくね」

「ありがとうございます」と答えた蒼月のティーカップを持つ手が刹那微かに震えたことをアンネローゼは気付かなかっただろう。

内心の動揺を押し隠し、蒼月は振り返りたい衝動を必死で堪えていた。

城内からの視線に。

静かで、ひたむきな眼差しを。

その眼差しが誰からのものであるか、蒼月ははっきりと気付いていた。

 

「あの方が、愛妾殿か」

まさしく、三色の瞳がほの暗い城の廊下から庭の様子を見つめていた。

そのうちの二色がそういって興味なさげに視線をはずした。

「そうだ。昨日云った通りの方だろう?」

もう一色の瞳の持ち主は、まだ視線を外に向けたまま何故かやや自慢げに答える。

いうまでもないが、ロイエンタールとミッターマイヤーである。

「あの衣装は紫の国のものか? 遠目でよく見えなかったが、紫の国の方ならばあの見事な黒髪も当然だな」

「ああ、そうらしいな。というのも、どうやら陛下も素性をよく知らんらしい」

紫の国というのは、緑の国の遥か遥か彼方にある大国の名前だ。

「なんと言ったかな・・・この間紫の国の楽器で・・・えーと、ティ、ティ・・・」

「ティアナ」

「そう、それだ! を一度だけ弾いてらっしゃるのを拝見させていただいた。素晴らしい音色だったぞ。ってお前あんな遠国のことをよく知っているな」

「ああ、商人だった叔父があの国の人間でな。ティアナもよく弾いていた」

「へぇ〜〜、初耳だな。おい、何処行くんだ?ロイエンタール」

「陛下の愛妾殿ならもう見た。仕事に戻る」

「おっまえなぁ〜、もっとなにかあるだろうが、もっとなにか!」

「お前こそ、夕べなんだかんだと云っていた割には呑気そうじゃないか」

「は・・・」

そう、なんだかんだといった割には蒼月を見てしっかり和んでいたミッターマイヤーは暫し返答を無くす。

背を向けて赤い絨毯の廊下を戻りかけた友人にミッターマイヤーは少し慌てて声をかける。

「お前、人嫌いもたいがいにしておけよ!」

「お前は嫌いじゃないぞ。ミッターマイヤー」

「ロイエンタール!」

 

と、ミッターマイヤー相手に軽口を叩いてみたものの、ロイエンタールの心は明るかろうはずが無かった。

深く重いため息を吐いたのは自分の執務机の椅子に埋もれてからだ。

(元気そうだったな。体は)

少なくとも身体に傷病はなさそうだった。

最後に別れた時より当然のことだが、背は伸び、髪も伸び、面差しも変わっている。

しかし、それはやっぱりどこからどう見ても彼の従兄だった。

「どうかなさいましたか? ロイエンタール閣下」

北軍副長のハンス・エドアルド・ベルゲングリューンがやや心配げに上司を伺う。

「いや、別に」

とそっけなく答えて書類でも片付けようかとしたところで、ロイエンタールとベルゲングリューンが同時に気付く。

「ばっ! な、何してらっしゃるんですか、患部は心臓より上!」

同じく執務室にいた従卒のハインリヒが慌てて傷箱を持ってくる。

今の今まで気が付かなかったロイエンタールは少し驚いたイキオイで素直に副長の言葉に従っていた。

血が出ている。はじめは滲んでいただけだったが、どうやら止まる気配が無い。

しかも両手。

「一体何をなさったんです!」

「爪が手のひらに食い込んだんだろう。きっと」

「きっとも何もほかに何があります! そうなった原因をお聞きしているんです!」

「すまん。気付かなかった」

大人しく手の治療をさせながら、ロイエンタールが謝る。

素直に謝りながらも原因を言う気がさらさらないらしい上司にベルゲングリューンは諦めたように肩を落とした。

 

左手の治療が済んだところで、ハインリヒが紅茶を淹れてきた。

「あの、お疲れの時にはコーヒーより紅茶の方が体にいいと親に習いました。お飲みにならないのは知っていますが、薬だと思って飲んでください・・・」

「俺はそんなに疲れているように見えるか?」

ロイエンタールはただ聞いただけだったのだが、従卒はただ慌てただけだった。

「も、申し訳ございません!」

「いや、ありがとう」

ありがたくもなさそうに云ってカップを取ったロイエンタールだったが、不意に首を傾げ、ゆっくりと紅茶を飲んだ。

「これはお前が淹れたのか? ハインリヒ」

「は、はい! ロイエンタール将軍」

「そうか。では、これからも紅茶をいれてくれ」

「あの、お嫌いではなかったのですか?」

「いや、不味い紅茶と不味いコーヒーでは、不味い紅茶の方が堪えられんだけだ」

どうということのほどでもない。といっておかわりを少年に要求した。

「あ、あまりきつく巻くなよ、ベルゲングリューン。ペンがもてなくなる」

右手に包帯を巻いていたベルゲングリューンはかなり不満だったが、ロイエンタールの言葉に沿ってずれないようにかるく結ぶだけにする。

「しかし、今日はもうお帰りになってもよろしいのではありませんか? 急ぎの仕事も無いことですし」

「・・・、いや・・・・。片付けたいんだ」

何処となく歯切れの悪い口調が気になったベルゲングリューンだったが、内心の怒りを打ち消すほどではなかった。

「そう思われるのでしたら、怪我などなさらないでください!」

「そう怒鳴るな。だから、悪かったと云っている。俺は昔から痛覚が弱いんだ。だからといって感覚が鋭くなるわけでもない・・・」

 

『オスカー、覚えておけ。痛みはまっすぐに受け入れて、受け止めて、乗り越えるべきものだということを。避けたり、無視しても何も変わらない、進まない。そうして何時の間にか動けなくなっている。それが嫌なら、痛みを進化させろ。それに・・・、拒否してしまったら痛みが可哀想だろう?』

俺はまだあの言いつけを聞けていないな。この年にもなって・・・。

 

「「閣下?」」

そういって心配げな眼差しを向けるベルゲングリューンとハインリヒが目に映らなかったわけではなかったのに、ロイエンタールの意識はすでに坩堝の中にある過去へ沈んでいった。

 

『オスカー、無視しないでよ。このままお別れなんて、やだよ』

『もう、二度と俺に会わないつもりか?』

『別に、僕を売り飛ばした伯父さんを恨んでるわけじゃないよ? ましてや、お前を』

『あんな男、お前に恨まれる価値も哀れまれる価値も無い!』

『わかった。じゃあもう哀れまない。でさ・・・』

『聞き・・・たくない』

『だってさ、嫌だよ? オスカー』

『・・・・・・・・・・・・・・・・・・』

『お願いだから、「ヤン・ウェンリー」のままで終わらせてよ』

『・・・・・・・・・・・・・・・・・・』

『オスカー・・・』

『それが、お前の望みなら』

 

「約束したからな・・・」

(俺に出来ることは・・・それしか、無いのか?)

 

「陛下、西軍大将ウォルフガンク・ミッターマイヤー、参りました」

「ああ、入ってくれ」

ミッターマイヤーが入室すると、国王は向かっていた書類から顔を上げ、単刀直入に切り出した。

「最近ロイエンタールの様子がおかしいことについて理由を知っているか?」

「陛下も、お気づきでございましたか」

「4人だ。キルヒアイス、メルカッツ、オーベルシュタイン、ベルゲングリューン。4人が4人とも「最近ロイエンタールの様子がおかしい」と報告してきた。これだけくれば予だとて気になる。報告を聞くまでもなく最近ロイエンタールの無表情無反応無言が悪化しているのは目に見えて明らかだったが」

「私も本人に問いただしてみたのですが、「何時も通りだが?」「別になんでもない」と繰り返すばかりで。いえ、返事が返ってくるほうが近頃では稀で、そのくせ仕事の手は休めないそうなんです」

「・・・・・・・、ロイエンタールが話があるといってきた。何の話だと思う?」

「いえ、皆目・・・」

「そうか・・・」

苦い顔をしてラインハルトが窓の外を眺める。

木々の間に覗く空は奇妙に明るく澄んで見えた。

「嫌な予感がする・・・」

 

 

                             続く

 

 

なんで、ロイエンタールは遠征から帰ってきてその報告入れた次の日に既に仕事してるんだ?とかいう突っ込みはナシよw

きっと遠征から帰ってきて休暇をとってから報告だったのよ。(オイ)

うん、そう、きっと急を要する報告もなかったから・・・(そんなことあるわけねーと思いつつ誤魔化す)





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