ガイエスブルク城物語 V
「陛下、北軍大将・オスカー・フォン・ロイエンタール、参りました」
「ああ、来たな。座ってくれ。拒否は許さんぞ? 予は今からティータイムだ。卿も付き合うように」
ロイエンタールも、自分から時間を取らせたことは解っているので、大人しくテーブルにつく。
「陛下、このたびの陛下にお時間を取らせてまでお話したいことというのは・・・」
「卿は砂糖は入れないのであったな、ミルクはどうする? 姉上のフロマージュは食べられるのか?」
「陛下・・・・・」
口を挟ませない皇帝の態度にロイエンタールが閉口する。
かと思うと、カップを手にした皇帝は、先ほどまでの機嫌の良い態度を裏返したかのごとき冷たい声で云う。
「辞職願なら受理しないぞ」
「陛下・・・・・、まだ何も申し上げてはおりませんが・・・」
「違う用件なのか?」
窓の外の濃い緑は白々しいほど明るい陽光に満ちている。
「お許しください、陛下」
「ロイエンタール、遠征時に何かあったか? それとも、娼婦上がりの愛妾が嫌か?」
「その、どちらととって頂いてもかまいません。ですから、どうぞ、お許しを」
「両方違うのだな」
「極めて、私的な事情でございます」
「そうか、「一身上の都合により」というヤツだな。で、退くとあっても北軍大将。そう簡単にもできんだろう。事務上の引継ぎだけでもかなりの時間がかかるはずだが、その辺は如何様に考えておる?」
「春の、四軍合同演習を見届けてから・・・と思っておりますが」
「そうか、では我が国は夏を待たずして滅びるな」
「陛下!」
「戯れておるのではない。予は本気だ。いかな大国といえど、頭が頭たるに値せねば脆い」
「何をおっしゃいます、陛下は歴代の国王の中でも・・・」
「ロイエンタール。卿が居らねば予は狂う」
「ご冗談を」
「先から云っておる。本気だ」
「わたくし一人などが居らずとも・・・」
「では、説明しよう。蒼月だ」
「愛妾殿がどうなされました」
「予の目だとてふし穴ではない。あの蒼月は身食いだ。己の魂を喰らって生きている。予とは相容れぬ性質。側にいれば確実に病む」
「でしたら、話は簡単でございましょう? 蒼月殿を城から出せばよろしい」
「無理だから云っている。予は、いや、俺はもうそこまで病んでいる。だからこそお前が必要なんだ、ロイエンタール」
「へい・・・」
「逃げるな! ロイエンタール!」
ロイエンタールの手首をラインハルトがきつく掴む。
「陛下、もう王子時代とは違います。「俺」も「お前」も、陛下のご身分にそぐいません」
しかしラインハルトはその当然の嗜めを聞いてはいなかった。
若き国王の瞳に柔らかな狂気が灯る。
「お前を愛している。ロイエンタール」
腕を無理矢理ひいて、耳元で低く囁く。甘やかな、優しい声音だった。
「陛下・・・」
「何度も云わせるな、本気だ。俺はお前を愛している。お前だけだ。お前だけが蒼月の狂気を中和する」
「幻覚です」
「幻覚だろうがなんだろうが、それだけが俺の救いだ」
「陛下・・・・真に蒼月殿が身食いであれば、その幻覚は時間稼ぎにもならないのですよ?」
「それでもだ。苦しまずにいけるのであれば・・・」
「戯れにお尋ねいたします。わたくしを愛していると仰せならば、蒼月殿のことは如何様に思っておられます?」
「蒼月のことは・・・・・、蒼月には恋をしている」
次の瞬間のロイエンタールの変動こそ異常だった。
(何だと!?)
恐らく、ラインハルトが手首を掴んでさえいなければ、気付かないままだっただろう。
体温がみるみる下がっていくのに、脈動は上がっているのだ。
(そんな馬鹿な・・・)
そのくせ、顔には一切の変化が見られない。
「ロイ・・・エンタール・・・? いったい・・・」
答えはなく、ロイエンタールの唇だけが微かに動いた。
「?」
ラインハルトは、執務室の窓から外の緑を眺めていた。
元が山の中に建っている城なので、窓から見えるのは、針葉樹林の先端ほどだったが。
「失礼します。・・・・・・・ラインハルト・・・様?」
入室してきたのは、宰相のキルヒアイスだった。
「ああ、キルヒアイスか、いい天気だな」
「ええ、確かに良い天気でございますが・・・・如何かなされましたか?」
確かにいい天気だ。ポカポカとして、雲も流れ、鳥も鳴いている。気持ちのいい日だった。
「いや、別に」
とか、いいつつも、国王は右手を握っては開いて、開いては握ってを繰り返し続けている。
決して
(手首細かったぁ!)
などと考えているわけではない。そう決して!
あの後すぐに、ロイエンタールの体温も鼓動も元通りに戻り、何事もなかったように退室していったが、読唇したロイエンタールの言葉は不可解の一言に尽きた。
(「兄上」? ロイエンタールに兄弟はいなかったはずだが? 読み違えたわけではないよな? それにしても、大丈夫か? あいつ。まさか、この上病を患っているのではないだろうな?)
原因の半分以上は自分にあることは完全に高い高い高い棚の上にあげておいて、ラインハルトはそう述懐した。
ぴぁん
「・・・・」
独特の音をはじめの1音に、豊かな旋律が編みこまれ、城の廊下に満ちる。
ロイエンタールには、その楽器も、奏者も、曲名さえも、痛いほど、簡単にわかった。
はるか思い出の淵にある歌詞を無意識になぞる。
末の叔母が好きな歌だった。やさしい子守唄。
この曲を、20年以上前、一晩中聞き続けた夜があった。
今ではもうはるか昔の・・・。
「・・・か」
つぶやいた声音は低すぎて聞き取れず。
「ロイ・・・ル、ロイエンタール!」
「ん、ああ。ミッターマイヤーか」
ふと意識を戻すとミッターマイヤーが心配げな表情でロイエンタールを覗き込んでいる。
「どうかしたか?」
「いや、陛下とはなんのはなしだったんだ・・・?」
「ん、午後のお茶をごいっしょしただけだ。・・・はぐらかされた」
僅かに口角を上げ、皮肉げな微笑になる。その瞳はミッターマイヤーの追求を明確に拒んでいた。
「そ、そうか・・・」
「いい天気だな。ミッターマイヤー・・・」
窓の外へ視線を向ける。そう、明るく輝く、とても良い天気だ。
薄暗い廊下からその光の園を見つめるロイエンタールの顔は、いつもの皮肉な表情に見えたが、なぜかミッターマイヤーには彼が疲れきっている気がしてならなかった。
「少し、聞いてくれるか?」
「な、ナニをだ!?」
天上から垂らされる蜘蛛の糸をみた心地で、ミッターマイヤーが飛びつく。
「こんな、非の打ち所のない陽気には、昔のことを思い出す。俺の兄も、こんな非の打ち所のない人だった。ああ、いや、実の兄じゃない」
戸惑う顔になったミッターマイヤーに苦笑で否定する。
「けれど兄弟のない俺に実の兄のように接してくれた。なんでも出来る人だった。知識が豊富で頭の回転がはやくて、芸術のたしなみもあって、けれどひ弱なところもなくて、彼の剣は力強いのに舞をみるように綺麗だった。立ち居振る舞いが雅やかで、所作が美しくて、いつも指先まで自信に溢れて輝いていた。俺も子供ながら完璧という言葉はこの人のための言葉なのだと思っていた。少し、陛下に似ていたかもしれない。何をやるにしても文句のつけようがないほど完璧で、血がつながっているのが不思議なほど綺麗だった」
・・・・、あの国王に似るようでは人間を踏み外しかけた美人だ。
けれど、それは誰だ?
「白に嫁いだ母の上の妹の子供だった、だから正確には従兄だな。誰にも優しく、誰からも愛されていて、俺の屋敷の人間はあの人がくるととても喜んだ。俺のこともいつもいつも喜ばせようとしていた。けれど俺は昔からこんなだからな、頭を撫でようとするあの人の手が煩いだけだった。そんな風にしか思えない自分に嫌気もさしたが、あの人は惜しみない愛情をそそいでくれた。あいにく受けるほうがザルだったからほとんど意味がなかった、いや実際ザルじゃなかったら底が抜けていたぐらいの途方もない愛情だったんだが、俺はあの人を好きだと思ったことも、愛してるわけでもないんだ・・・」
「けどロ・・・」
「今の言い方だと愛しているとしか思えないと? 憧れる以外のなにをする気だだと? そんなに認めるのがイヤかだと? そうだな、イヤなんだ。というか、俺ごときが愛する人じゃないと思ってるフシがある。俺は、完璧なあの人を見るのは好きだったし、能力の高さを尊敬もしていた。本当に夢をみているように完璧でな。あの人が俺に触れることで現実になるのがイヤだった・・・・」
話しながら窓際により、緑の外を見つめている。
「感謝は、してるんだ」
ぽそりと言い訳のように呟く。
「ザルはザルだったが、それでもあの人がそそいでくれた愛情は、あの人以外には不可能だったものだった。それに感謝はしてる。けれど俺はあの人に何一つ返さなかった」
くるしげに窓にそえていた手が握り締められる。
「後悔というのは、厭なものだよな。本当にな。こんな思いをするぐらいなら普通の子供のように笑顔であの人を慕っていたほうがどれだけよかったか。ウソでもいいから、一度でも「好きだ」とか「愛している」とか言うだけ言っておけばよかった。最近そう思う」
言いながら自分が気鬱に任せて何を口走っていたか気づいたらしい。自分の失態に眉間にしわがよる。
「だから、俺が陛下が気になるのはそういうワケだと思う。陛下はあの人に似ているが、あの人ほど器用でもない。何かしたくなるのは贖罪的なものかもしれないとかな、そう思う」
ズルズルと何か喋ってしまっているが、いい加減正気に戻ったのでどうにかしたい。そこでロイエンタールは無理やり話題をそらした。
「というわけで、陛下は心配ないと思う」
全然「というわけで」じゃない。
「え?」
「お前陛下が心配だとかそんなハナシをしていただろう。そんなことはないと思う。このことによって陛下が深く傷つくことはあるかもしれないが、陛下はそれを糧に成長なさるさ」
「で、でもー、傷つかなくてもいいではないか。臣下として俺はそう思う」
「ああ、それはそうだろうな。けれど、傷つくよりイヤなこともあるのではないかな」
「お前、さっきからイヤイヤイヤってなぁ、ガキかよ」
重い空気を振り払うようにミッターマイヤーが茶化す。
「イヤなものはイヤだ。人生ホカになにを判断基準にしろと? なるべく後悔したくない方を選んできたはずなんだが・・・上手くいかないな」
微かに笑んで言うロイエンタールに、ミッターマイヤーは激しい否定を感じた。
こんなのはロイエンタールじゃない。ロイエンタールはいつも冷たく切り捨ててきた。笑みで無理やり押し返そうとするほどロイエンタールがダメージを受けているのを見て、つまらない慰めでもいいから口にしたくなった。
大切な友達なのだ。
「あの、今更だけど、ロイエンタール、その従兄殿はきっと満足だと思う。お前のことはちゃんとわかっていたのではないかな。少し寂しいとは思っていたかもしれないが」
「・・・・、ああ、あの方は本当に秀でているというか、優れた方だったからな・・・」
「・・・・・・・・」
少しでも力になれただろうかと、安心しようとした、その瞬間。
物凄い悪寒が背中を突き抜けた。これは予感などではなくもっと明確な。
声を発することも出来ず振り向くと、廊下の角から蒼月がこちらを見ている。
いつの間にかティアナは鳴り止んでいる。
ミッターマイヤーが振り向いたことは気づいたろうに、ただロイエンタールを見ているのがわかった。
紫の国の造作はともすれば緑あたりの人間からみればのっぺりした物足りないものではあるが、また風情のちがった美しさではある。その美の真髄をみる思いだった。
普段の人形のような柔和さが取れた蒼月は、普段の温和さが信じられないほど冷たく、心臓が凍りつくほど冷たく、冷ややかな憤怒を込めた殺気でロイエンタールを見つめていた。
(なっ・・・・・!?)
あわててロイエンタールを振り仰ぐ。
人の気持ちを汲むことにはうといが、気配の読めないロイエンタールではないはずなのにその背中はすべてを黙殺していた。
「本当に、誰にでも優しくて、愛される方だったからな・・・・」
続く