懐かしい出会いと、これからの思い出  そのよん
 
 
愕然として、エマイユは立ち尽くしたが、ややあって声を絞り出した。
「・・・、ちーさまが、帰る時は腹くくれ。なんて云うはずだわ」
ハインリヒの希望に輝く明るい瞳を正視してから、額を押さえてうなった。
「久しぶりです、フラウ・ファーレンハイトの「ちーさま」」
「私も久しぶりだわ」
「ロイエンタール提督にカンカンに怒ったエマイユさんが「ちーさま!」って怒鳴ったあと、まだちっちゃいトーマくんに「あんな人にだけはなっちゃいけませんよ」って、真剣に」
どんなハイネセン生活だったんだ・・・。
「それはいいの、ハインリヒ。それで、あなた、正確にはなんてそそのかされたの?」
「教唆ではなく、素敵なアドバイスです。えーと。当時は旦那さんの死にまだ動揺してるから云っても無駄。落ち着いたら戻ってくるからそれまで待て。待てないなら諦めろ」
指を折りながら数えていく。
「先手必勝。好きだって思い込みだけでエマが落ちるか馬鹿。自分の気持ちと真剣に向き合わない限り勝機はない。それでもなくともエマはガードが固い。てか、諦めたほうがはやいぞ? 一気に押しても無駄。ファーレンハイトの代わりなんて考えてたら死んでも無理だぞ。あと、ロイエンタール閣下個人の意見として、軍人却下。体力と調理と医術はどこ行っても便利。おまえの頭は飾りか? イゼルローンより難攻不落な女なんているか。てゆーか、ファーレンハイトの食い下がりっぷりは見てて感心するほどだったぞ」
にっこり
「だそうです」
「半分以上罵倒じゃないの・・・」
「たいへん為になりましたv」
「それは全部クリアしたの?」
「あとは、死ぬ気で食い下がれ☆ だそうです」
「なんであの人に私の結婚の許可を出されなきゃいけないのーー!」
「あはは、面白いから許す☆ だそうです」
「ほんとに、なんなの、なんのイヤガラセなのアノ人はーーー!」
「トーマが行ってしまって、フェリックスが来たあとでしたかねえ」
「死に掛けながら何やってるの、あの人は!!!」
「顔色真っ白で、汗ダラダラかいてるんですけど、「そん時のエマのアホ面考えるだけで笑える」って云ってましたよ」
「ああ、まさに今。ね。あの、愉・快・犯!」
普段おっとりした母の罵倒の嵐に、やや目を見張っていたトーマだが、ことここに至って不思議そうに眉を下げた。
「なー、母ちゃん。今ダレの話してるの?」
「だから、この人よ。コレコレ。オスカー・フォン・ロイエンタール!」
「えーー。だって今の・・・」
反論したそうなトーマだったが、晴れ晴れした顔のハインリヒとフェリックス兄弟の言葉に気をとられた。
 
「あーよかった。やっといえた。皆さんが来る前で本当によかった」
「兄さん・・・、ロイエンタール元帥府の人たちとは連絡とってないっていったじゃない・・・」
フェリックスは義兄の(プロポーズでない方の)発言に、表情を亡くしていた。
「連絡は・・・とってない。それは本当だ。やっぱり僕たちは一度帝国に楯突いた人間だからね。元帥府を解体するときに、連絡を取らないと決めたんだ。僕たちが帝国に残ったのは、もう一度反逆するためじゃないから。・・・けど、連絡先は知ってた。全員が、全員の分をね。僕も、その数に入れてもらえたんだ。嬉しかったよ」
兄が、ロイエンタール元帥府を僕たちと呼んだ・・・。
それだけのことだが、しばしフェリックスは呆然としてしまった。反逆事件の時、兄は今の自分と同じ年頃の子どもだった。元帥付きの従卒で、反逆事件に逆らうすべもなかった。いままでそう思っていた。
ハインリヒは、小さく優しい笑みを浮かべてエマイユに向けた。
「エマイユさん、あなたは、あの時、最後に僕たちに二つの言葉をくださいました。「生きて」これはずっと云っていましたね。反逆事件のはじめから。それと、「必ず戻ってくるから」と。だから、僕たちはずっと待ってました。誰も、何も、云いませんでした。ロイエンタール閣下のことも。あのハイネセン生活のことも」
とても優しい笑みだった。
「あなたが、戻ってきてくださると思ったから。永遠に沈黙を守ることは誰にもできません。けれど、あなたが戻ってくるまでは。と、みなさん、今日の日を楽しみにしていました」
「ありがとう。信じてくれて。説明もしないままゆくえをくらまして、ごめんなさいね」
 
「いえ、いいえっ! ご無事で・・・もどってきてくださった、だけで・・・・っ」
それ以上言葉にならず、息せき切って駆けてきた資料室の主、ハンス・エドアルド・ベルゲングリューン中将は、英雄の間の入り口で泣き崩れた。
 
「話を始める前に、一つだけ・・・」
あのあと、ロイエンタール元帥府の人たちが次々に駆け込んできて、みなエマイユとトーマの姿に泣きながら喜び、ミッターマイヤー夫人が帰りしな(この状況で帰ろうとするのがすごい)「ぜひお夕食にいらしてね」と笑顔でエマイユを誘ったのだが、エマイユから離れがたそうなロイエンタール元帥府が泣きそうになったので、今晩はミッターマイヤーんちで宴会ということに(国務尚書の許可を取らずに)決まった。
エヴァは「さーー、お買い物! 腕がなるわぁ〜!」とルンルンで帰っていった。国務尚書夫人スゲー。
さて、ここからシリアスで。
「ミッターマイヤー閣下」
青く美しい瞳にまっすぐに見つめられ、ミッターマイヤーは怯んだ。なぜか彼は初対面から、ファーレンハイトの恋人が苦手だったことを思い出した。
「はじめてお会いした日を覚えてらっしゃいますか?」
同じことを思っていたのかと、やや呆けながら答える。
「ああ、確か、ファーレンハイトとゼーアドラーで」
ほんの少女だった。17の年の差と聞いた時は驚いたが、そのまま結婚した時はもっと驚いた。
「あの時と同じ質問を、もう一度だけさせてください。「あなたは、オスカー・フォン・ロイエンタールの好きな女性のタイプをご存知ですか? 容姿でも、性格でも、何か少しでも聞いてはいませんか?」」
ああ、そうだ。だから彼女が嫌だったのだ。恋人と来たのに不躾に聞く彼女が。けれど、それ以上に自分がその答えを知らないことがショックだった。自他共に認める親友という言葉に甘えて、自分がその親友を何ほどもしらないことが。
けれど、どれほど懇願されようとも、どんなに辛くとも、答えは以前と同じだった。
あの時だってそうだ、決して意地悪での答えではなかった。
いや、違う! なぜか愛しかった。まるでいとけない妹のように。ふいに庇護欲が湧き出して、
それらすべてを処理するために、選んだ答えが拒絶だったとしても。
「いいや、知らない。一度も、きいたことはない」
あの時と同じ、なぜか必死な彼女。そして、痛みをこらえるような姿が、本当につらかった。
「ありがとうございます。本当に。何度も失礼な質問をいたしました」
ふるえる唇に、彼女が耐えている痛みを思う。なぜ? なぜロイエンタールがあなたをそこまで追い詰める?
「んで、かーちゃん。俺の質問途中よ。この人ダレ? 俺のナニ」
その鋭くて端的な切り口、しなやかでしたたかな口調に人々は誰かを思い出しかけた。ロイエンタールではない誰かを。
親指で乱雑にロイエンタールの肖像画を指す息子にエマイユは苦笑する。
「わかるはずよ、トーマ。母さん何度もこの人の話をあなたにしたもの。そうでしょう?」
「何度もって・・母ちゃんが話したのは、いつだって父ちゃんと・・・・・・・・・・俺の・・・はあっ!?」
「そうよ」
母ののんびりした肯定に目を極限まで開いて「そんな馬鹿な」を顔中で表す。
「って、マジ!? この人なの? てかコレ!? コレェエエエ!!??」
「トーマ、コレって云わない」
「ウソ! てか、なんか違うぞオイ! イ、イメージが・・・てか、わっかい!」
「本、人、です」
母が無情にのたまう。
「てか、なんで俺、この人の顔知らんの!?」
「あらやだ、今まで気づいてなかったのね。うちに写真ないのよ。ビデオはいっぱい隠してあるから、あとで見せてあげるわね」
「ありがとう。てか、父ちゃんの写真も、結婚式に母ちゃんと映ってるの一枚きりじゃん」
「一番お気に入りの一枚以外、ウチにないのよ。牧場にはまだあると思うんだけど」
「なんでだーー! てか、アレ? これヘンじゃね?」
父とロイエンタールの生没年のプレートを見て、トーマが首を傾げる。
「いいえ、変じゃないわ。あなたのお父さんのほうが士官学校で2学年上よ」
「いや、母ちゃんと年の差婚だとは聞いたけど・・・、つーか、非常識にもホドがあるだろ!!! 父ちゃん!?」
「どっちかっていうと、オスカー・フォン・ロイエンタールのほうでしょう?」
「いや、それもあるけど、プロポーズする父ちゃんもだし、受ける母ちゃんもだし!! なんか色々全部!!」
脳味噌の限界を超えたトーマが頭をかきむしる。この様子だと、あともう少し混乱させれば反動で落ち着くだろう。
「いや、母ちゃん今いくつだった!? 33? じゃあ・・・同い年!」
「え? あら」
息子が意外な方向にズレた。けれど、それはエマイユも思っていた。
「ちょ、アンタ俺と同い年っていったよな・・・」
真剣な顔でフェリックスの両腕を掴み、その顔を凝視する。
同じ顔が眼の前にあるのは、非常に居心地が悪い。
「15かよ・・・」
なぜトーマがそんなにも絶望しているのかが、フェリックスにはわからない。
「つーか、コレ、あんたの父親? 親子?」
「一応、実の父親・・・らしい」
「どんだけ非常識なんだ・・・・」
エマイユは眼をそらして誤魔化すしかできない。そりゃ可能な限りありとあらゆる非常識を駆使した結果だ。
しばし薄ら寒そうに父親とロイエンタールの超かっこいい肖像画を見上げていたトーマが、参ったように顔を覆う。
わかった。自分が今、なぜここにいるかが、はっきりとわかった。
そしていきなりクルリと回って晴れ晴れと宣言した。
「俺、今日から父ちゃんのことめっちゃ尊敬することに決めたわ」
「そんなことで尊敬されても、お父さんも困るでしょうに」
「だって、父ちゃんに勇気と根性がなかったら、俺、今、存在してないじゃん・・・」
「まあ、そう、ね」
母親とは違う黒い瞳に、決意をにじませて、トーマは笑った。実の父親そっくりの華やかな笑顔で。エマイユはそれを見て嘆く。
「なんであなたは、そんな父親そっくりなのかしら。私が育てたのに。あのひと育児には一歩も携わってないのにっ」
「いや、しゃーないじゃん。死んじゃったんだし」
あらためて母親に宣言する。
「ごめん、話の続きしてよ、母ちゃん。俺もちゃんと聞くから。フェリックスと一緒に」
父親そっくりの、明るい笑顔だった。
「わかったわ。続けるわね」
 
大きく肋骨を開いて深呼吸してから、エマイユは少し微笑んで口を開いた。
「私は初めから知っていました。ええ、勿論知っていました。夫もです。でも、答えるわけにも、知られるわけにもいきませんでした。息子の父親が・・・・。アーダルベルト・フォン・ファーレンハイトだということを」
厳かな宣言に、人々はたっぷり20秒はとまった。
は?
今の聞き違い?
「え、トーマってロイエンタール元帥の子供じゃなかったんですか!?」
「それを信じてたのはウチの元帥府でお前ぐらいだ、レッケンドルフ」
パッコン←いい音
つっこみいれたベルゲングリューンは優しい笑顔で、「やっぱり」という顔をしている。
が、その後ろの幾人かは百年前から知ってましたよーー。みたいな顔をしていたので、どうやら信じていたのは、レッケンドルフだけではなかったようだが。
ハインリヒも、特に驚いてはいない。自分の推論はそう外れてもいなかったようだと。
「え、じゃあ、父のクローニングとかですか!?」←混乱した
明らかに話の流れに合わないセリフをフェリックスが吐く。
「人聞きの悪い事をいわないでください、フェリックス。私と夫の子どもです」
「なら、なぜ、なぜ逃げたんです? ファーレンハイト夫人。必要ないはずです。え、あなたとご主人の・・・?」
「私は知っていました。夫の死後ハイネセンに行ったことで、オスカー・フォン・ロイエンタールの愛人だと思われていたことを。そして噂を否定しないまま消えれば、オーベルシュタイン閣下は私たち親子を追わないだろうと思ったんです。あの方はなぜか、私の存在を公にしたくはないようでした」
「なぜ、あの軍務尚書閣下が?」
「わかりますか、フェリックス? 私が息子の父親が夫だと云った瞬間から、私は息子とオスカー・フォン・ロイエンタールの血縁を一切否定できなくなったんです。いいえ、血は繋がっています。勿論私は知っていましたわ。けれど、ええ。信じては、いませんでしたわね」
切ない笑みに、冷たく滑りながら誤解の歯車が奈落へと落ちて行った。
「血は繋がっている、あなたと、ファーレンハイト提督の。つまり」
「はい。そういうことです」
「一つだけ気づきました。あなたはオスカー・フォン・ロイエンタールを云うとき、必ずフルネームを使うんですね」
「ええ、フェリックス。あなたと同じように」
「俺に、会いに来てくださったんですね」
「そうです。あなたに会いたかったの、フェリックス。云ったでしょう? 生まれてから、一度も会えなかったの」
「エマイユさん、あなた、ご兄弟がいるんじゃありませんか? 兄か、弟か・・・多分、弟が」
「私に兄がいる可能性はほぼ無いと思います」
顔面蒼白になったフェリックスが、一つの名前を搾り出した。
「エマイユ・フォン・ロイエンタールさん・・・・」
ふんわりと優しい笑みを浮かべていたエマイユの顔がゆがみ、涙が一筋流れる。
「懐かしい。そう呼ばれるのは、夫にプロポーズされた時以来です」
 
「お姉さん・・・」
フェリックスに呼ばれ、エマイユはその場にしゃがみこんで泣き崩れた。

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