懐かしい出会いとこれからの思い出  かこへん そのさん
 
天使かもしれない。
そう思った。穏やかに笑って、優しく手を差し伸べてくれた人。
その人に会ったときは、息子を産んで、夫を亡くしたばかりで、とても心が弱っていたから、物事を深く考えることを拒んでいた。
ただ、毎日にこにこ笑って、ありとあらゆる不幸に背を向けさえすれば、私は、毎日とても幸せだった。
そんな時、たまたま知り合っただけなのだが、気を配ってくれた優しい人。
普通の人だった。悩みもしていた。
けれど、思い出す。エマイユを見てにっこり笑ってくれた人。
学者として将来を嘱望されているとも聞いた。軍人には向いていなさそうな人だったのに、どうして将校になったのだろう?
「実は、子どものころは騎士になりたかったんですよ」
ハハハと照れかくしに笑いながら、夢見る瞳で少年のように語っていた。
騎士よりは紳士だったかもしれない。礼儀正しく、女性にも子どもにも優しかった。
「騎士のお伽話が好きだったんです」
物凄く照れていたけれど、それでも質問に応えてくれた。真面目、実直、誠実、穏やかで真摯な人だった。
「お姫さまを守るような騎士ですか?」
わざわざ隠していたところをついてしまったらしい。顔が真っ赤になってしまった。
「そう、ですね。剣を捧げて、忠誠を誓って。強くなって大切な人を守れるようなになりたくて、軍人になりました・・・ね。我ながら、恥ずかしい理由ですが」
不意にその瞳が、とても優しくなったので、いけないとは思いつつ尋ねてしまった。
「今は? どうですか?」
兄弟のいない私には兄のような気分だった。答えはわかっていたのに、思わず悪戯ごころが出てしまった。
「今は、憧れる人がいます。高貴で美しい人ですが、なぜか、心配になってしまう・・・そうですね。守りたいと、思っています。必要がないほど強い人ですが」
ストレートな告白に、思わず聞いたほうが真っ赤になってしまった。
「そう、少しエマイユさんに似ています。だから、気にかかってしまうといえば、貴方に失礼ですね」
まっすぐ眼を見て微笑まれて、私はただただ赤面するしかなかった。私に少し似た、その憧れの人が誰かは、多分、ばれていないと思っていたのは本人だけだっただろう。
 
そしてもう一人、私に兄のように接してくれた人が居た。
いつもイライラしている、神経質な人だった。
文学青年のような細面に眉を顰めて、険が強く見えた。
会うたびに文句は云うし、攻撃的な口調が恐かった。けれど、一番その舌鋒が向いていたのが新領土の主だった。まるで自分でも内にくすぶる鋭さをもてあましているような人だった。
私は本当にこの人が恐かった。
ある日私とトーマが二人だけでハイネセンの家にいた時。
「眠れ」
「は?」
「15分でいい。横になって眼を閉じていろ」
文庫本を手にどかりと今のソファに座り込んでしまった。
「さっさとしろ。私だって暇じゃない」
「あの〜〜」
「安心しろ。赤ん坊の相手などできんから、泣けば遠慮なく起こす」
優しい面立ちな分、高圧的な口調が恐かった。
はいそうですか、なんてとてもいえなかったが、まだ云おうとすれば恐ろしい目でにらまれた。
「この部屋からは動かん」
上っ面があまりにも恐ろしすぎて、優しさをそうと受け止めるのは難しかった。
観察眼が鋭い人で、私が少しでも疲れてみえれば、ほかの誰より先に気づいた。
けれど、やっぱりこの人が恐かった。
「お前のご夫君も見ていることだしな」
笑うといつも、鼻で笑う皮肉な笑い。
「なぜ、あれを回しているんだ?」
文庫から顔をあげ、壁のやや見上げる位置に取り付けてあるレンズに目をむけた。
それは、私がハイネセンにくるなり居間にとりつけて、以来休むことなく動かし続けているビデオ。
疲れが溜まっていたのは事実だったので、彼が座ったのとは直角に置いたソファに身を横たえた。
礼儀正しくはないと思ったが、兄のように甘えが少しでていた。
帝国人にはハイネセンで安心して子守りも頼めなくて、一人で子どもの世話をし、夜は毎日元帥府の人たちの大量の食事を一人で作って、家事も全部していたので、元々ロイエンタール元帥府でなかったという二人が、何くれとなく助けてくれたのは、本当に嬉しかったのだ。
いや、一人では勿論無理だった。誰も彼も助けてくれた。この二人とハインリヒ少年が特に。皆優しくて、間違いなく幸せだった。
辛い気持ちは、すべてふたをして。
「それが回っていれば、笑えます」
眼をとじたまま、私は笑った。
「夫が亡くなったことはわかっています。けれど、それを動かしていると、遠征に出ている夫が帰ってきたら見せよう。なんて考えていられるんです」
「ワンクッション置くのを否定はしないが・・・」
驚いた。他の人はいい顔をしないのに。
「朝と、晩に、夫に挨拶をします。いつも守られていると信じていますけれど、私は、笑顔を向ける場所がほしかったんです。だから、それを付けました」
「それをなぜ記録している?」
「自分を律するためと、それと、毎日忙しくてタイヘンですけれど、毎日毎日、お祭り騒ぎでほんとうに楽しくてたまらないものですから、いつか、見返すために。トーマが大きくなったら時」
「赤ん坊が大きくなったら、毎日は、楽しくないのか?」
「ちー様・・・ロイエンタール提督は、ほんの少しだけ、モラトリアム期間をくれたんです。私は、そう思っています」
「・・・・・・・なぜあれを、ヴァルハラの窓と呼ぶ?」
「夫と・・・たぶん、もうひとり・・・」
涙が、一粒だけ落ちた気がした。
 
眼が覚めると、頭と身体はすっかり軽くなっていて、時計の針は30分進んでいた。
「まぁ・・・」
思わず呟けば、彼はまだそこにいて、
「本を、読みすぎた・・・」
憮然とした表情で、そそくさと元帥府に戻って行った・・・。
 
兄弟がほしかった私には、兄が二人と弟が一人できたみたいで。
誰も彼も優しくて、毎日お祭りみたい。
ほんとうに新領土での生活は、幸せだった。
今思い出しても。
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