懐かしい出会いと、これからの思い出  そのさん
 
 
「はじめまして、ヘル・ミッターマイヤー」
待ち合わせのカフェの前で、彼女は柔らかく立っていた。
ヘル・ミッターマイヤー。そう呼ばれたのは初めてだ。動揺が顔に出ていないといい。
「フェリックス・ミッターマイヤーです。はじめまして。フェリックスと呼んでください」
「では、私もエマイユと呼んでください。フェリックス」
不思議な人だと思った。声を聞くだけで光を感じる。甘くさわやかな香りを感じる。
生まれつき、美人にかこまれて暮らしていた。多少の美貌に動かされる心ではないつもりだったのに。
思っていたより若く、
思っていたほど美人でもなく、
思っていたより、はるかに綺麗だった。概ね予想外だ。
なぜか、初めて彼女の笑顔を見たとき、泣きたい気持ちになった。
嬉しくて?哀しくて? わからなくて、もどかしい。胸の奥深くから湧き上がってきた不思議な感覚。
心が満たされていく。不快でないのに息苦しい。
自分がもっと大人だったら・・・? 負け惜しみのようにそう思った。
「それではエマイユさん、中でご用件をうかがってもよろしいですか?」
死んだ父の愛人は、もっと嫌な人がよかった。
 
にこっ
自分の目を見て微笑んだ彼女の瞳があまりに優しくて、戸惑う。
「あ、あの、フラウ・ファーレンハイト?」
正面に座り、幸せそうに自分の顔を見つめる夫人にとまどう。
「あら、ごめんなさい」
彼女ははにかんだように微笑んだ。
「私、あなたに会うのは、本当にはじめてなんですよ。なんて立派になったのかしらと思えば、最後に会ったのは、よく考えたらまだあなたはお腹の中でしたものね」
「あの・・・、あなたは、母を、エルフリーデ・フォン・コールラウシュを・・・」
「ええ、知っていました。私も同じときにお腹に息子がいたものですから、ロイエンタール邸にちょくちょく顔を出していたんですよ」
「息子さん」
「ええ。あなたと同い年なの。うちの息子が四月一日生まれですから、一月ほど違いますね。その一月、バタバタしていて、あなたの出産にも立ち会えなくて。それでもやっとお見舞いに行こうと思ったら、エルフはいなくなってしまうし。以来あなたと会えずじまいでしたのよ」
「兄の話では、ハイネセンにもいらしたとか」
「あに・・・? まぁ、ハインリヒね! お元気にしているかしら?」
「え、ええ、とても元気です。あの・・・、あなたに、とても会いたがっていました」
「私も会いたいわ。ええ、ハイネセンにいる時は、彼にとてもよくしてもらったんですの」
「兄も同じことを云っていました、貴方にお世話になったと。あとで顔を見せてあげてください。喜びます」
「ええ、もちろん! ・・・ええと、どこまで話したんでしたっけ?」
その甘く美しい瞳を、気負い無く見返せたのが、不思議だった。
誰かと共にいて、これほどオスカー・フォン・ロイエンタールを意識しないのははじめてだった。
多分、彼女が、自分を一人の人間として見てくれたから。
素直に嬉しかった。
亡父の存在を忘れたわけでもなく、自分そのものを認めてくれた。そう感じられた。
今までそんな人は、とても、少なかったから。
すこしだけ、すこしだけ期待しても、いいだろうか?
「それで、エマイユさん。ご用件は・・・」
湖のように澄んだエマイユの瞳に見つめられて、フェリックスの瞳も淡く緩んだが、次の瞬間、再び氷に閉ざされた。
「今日会いにきたのは、オスカー・フォン・ロイエンタールの遺産のことで、あなたとお話しがしたいと思ったからなんです」
穏やかな雰囲気のまま、過去の女性の半分と同じ事を言い出した。
ああ、なんだ。
逆にほっとした。
彼女も同じなんだ。なら自分も気負わなくていい。今までと同じように答えればいいだけだ。
フェリックスは泣きそうになりながら、自分の失望を意地でも認めなかった。
「いいえ、そんなものはないんです。エマイユさん。資産家だった彼の財産は、反逆事件の時にすべて没収となり国庫に収められています。そんなもの、もう、存在しないんです」
よかった。穏やかに、大人っぽく物慣れた口調で説明できた。
が、エマイユもにこやかに、ふっつーに答えた。
「あら、そういうことになっていたんですか? 道理でどこからも問い合わせが無かったはずだわ。やっぱり・・・その細工を施したのは、閣下なのかしら・・・」
かすかに語尾が翳った。
「私が全部預っていますのよ。とりあえずは安心してください。隠し財産とかではなく、すべて合法なものですから。私がオスカー・フォン・ロイエンタールから財産を預ったのは、反逆事件より前のことです。ただ、私がそれを知ったのはあの人の死後でした」
「実在・・・したんですか?」
まぬけな声がでた。
今の今まで無いと思っていたものがあるのだ。けっこうなカルチャーショックだ。
「細かい数字は意味がないかもしれませんね。星一つ買えるような、莫大な財産ですから、処分するにしても、相続するにしても少し面倒です。ご家族とも相談してください。結論は急ぎませんから」
「ご、ごしんせつに・・・どうも」
まだ会話が理解できず、胡乱な答えをするフェリックスに、エマイユは、寂しそうに笑い、口調をあらためてフェリックスに云った。
「あなた、一人に。辛い目を押し付けてしまいましたね」
「エマイユ・・・さん?」
「戻ってくるのが遅くなってごめんなさい、フェリックス」
「何をいって・・・」
こめかみに指を当て、彼女は暫し沈黙していたが、困ったように笑った。
「私がここにきた目的は、貴方に会うこと。貴方にロイエンタールの財産の話をすること。そして、息子と貴方に、本当のことを話そうと思って」
エマイユは、晴れやかな顔でにっこりと笑った。
「息子を紹介しますわ。会ってくれますか?」
 
「反逆者ロイエンタール・・・だよなぁ?」
近代史の時間にならったから間違いない。
「けど、その反逆者まで英雄の間に飾るってすげぇよなー」
しっくり馴染んでいて、違和感をおこさせないのがさらにすごい。
フェリックスとともに、エマイユがトーマとの待ち合わせ場所である英雄の間にやってきたのは、そんなときだった。
「あらあら。豪勢なお連れ様ねトーマ。ミッターマイヤー元帥にミュラー元帥にビッテンフェルト元帥だなんて。しかもハインリヒくんまで。どこで知り合ったの? お久しぶりです、フラウ・ミッターマイヤー」
「フラウ・ファーレンハイト! お元気そうで何よりだわ」
エマとエヴァは嬉しそうにニコニコ。
 
「・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・」
さて、穏やかでいられないのがこの二人。トーマとフェリックスだ。突然現れた同じ顔。親しみを抱くより反発するのが当然だ。
しばし二人の間に静電気が飛び散った。
「トーマ、紹介するわ。こちらフェリックス・ミッターマイヤーくん。ミッターマイヤー閣下のご子息で、実の父親はオスカー・フォン・ロイエンタール帝国元帥。フェリックス。私の息子のトーマ・フォン・ファーレンハイトです。二人とも、15で歳は同じはずだわ」
んが、生まれ育った環境ゆえか、トーマの方が少ししぶとかった。
「確かに。間違われても文句は云えないかも」
呆然としながらも、フェリックスよりもやや長い前髪をかきあげる。襟足もトーマの方がちょっと長い。
「よろしく。フェリックスだろ? 俺はトーマ・フォン・ファーレンハイト」
するりと懐に入り込むように差し出された右手と、笑顔。大人に対しては鉄壁の外面を誇るフェルは、思わずギクリと身を強張らせた。常々人に壁を作る性格と環境なものだから、どローカルなボーダレス環境で育ったトーマのような人懐こさ・・・フェルにとっては馴れ馴れしさは苦手の範疇だった。が、フェルも意地っ張りの負けず嫌いなので、差し出された手をとって、シェイクハンドしつつ、一応挨拶をした。
「フェリックス・ミッターマイヤーだ。よろしくトーマ」
自然体な立ち姿。まっすぐな眼差し。自信に満ちた態度。その全部がコンプレックスの塊のフェリックスには憎たらしい限りだった。が、上記の通り負けず嫌いなので、なんとか虚勢を張った。
が、トーマにはもっと大事な用があったようだ。気になっていたことを母に質した。
「母ちゃん、これ、父ちゃんだよね?」
「あら・・・・・。大きいわね」
ヘル・ファーレンハイトの馬鹿かっこいい肖像画を見上げたフラウ・ファーレンハイトの感想第一声がコレだった。
「英雄の間に大きな肖像画があることはガイドブックで知ってたんだけど・・・・、それにしたって・・・大きいわね」
「大きいにもホドがあるよね、母ちゃん」
「うーーーん、大きいわねえ」
フラウ・ファーレンハイトは、よっぽどこの大きさがご不満らしい。
「まあ、家に飾るわけでもないものね。このくらいでいいかしら。それに、男前に描いてあるわ♪」
男前なのはおっけーらしい。
「んで、父ちゃんでかくてカッコイイんだけど、父ちゃんってそんなエライさんだったの? こんなバカでかい肖像画飾られるほど?」
「だから、私も軍人のお父さんは知らないのよ。あなたのおじいちゃんが云うには「まぁ、突撃して派手に玉砕するのは似合うかもな」らしいけど」
「じいちゃんの云うことなんてアテにならないよ!!」
「あら、してもいい時もあるのよ?」
「それって、しちゃダメ。よりもタチが悪いよ!」
「けど、アテにすると、ろくなメに遭わなかったり」
「それって、俺たちの時代の言葉に直すと「アテにしちゃダメ」って意味だからね」
「なんだかガラが悪くて、目つきが悪くて、服のセンスも悪い人たちとお近づきになるハメになったりするよね」
「それって、その時点ですでに何らかの犯罪に巻き込まれてるよね!!」
と、それまで息子と和やかに掛け合っていたエマイユが、ふと止まる。後ろをふりかえりもせず、つめたーーーい声で云った。
「ハインリーーッヒ?」
驚いて人々がハインリヒ・ランベルツを振り返れば、彼は声を殺しながら、肩を震わせて笑っていた。
「い、いえ、すみません。フラウ・ファーレンハイト。あんまり嬉しくって・・・」
目じりの涙をぬぐいながら、弁解するようにエマイユに笑ってみせる。本当に嬉しくてたまらないのだ。
「まるで夢のようですよ。トーマも立派に成長して。きっと・・・、今は、フェリックスのために帰ってきてくれたんですね」
「いいえ。自分のためにきたのよ。それに、あなたたちとも約束したしね。遅くなってごめんなさい」
そういって微笑んだエマイユを、ハインリヒは夢のように見つめ、少し考えて微笑み返した。
「ロイエンタール元帥府の人たちに一斉メールしました。冗談のような早さで返事がきてますよ。「すぐいく」「死ぬ気で引き止めろ」「お茶でもお出ししろ」。鬼気迫るものがありますね〜。みなさん仕事ほっぽりだして来る気まんまんですよ」
「お待たせしてしまったみたいね」
「あなたは最後に云ってくれましたね。「必ず戻ってくる」と。みんな、わくわくしながら待っていました。僕もです。もう一度会えたら、是非あなたに云いたいことがありました」
「あらあら、何かしら?」
「生前ロイエンタール閣下にも相談して、貴重なアドバイスも頂きました。とにかく、開口一番、出会いがしらに云え。だそうです。先手必勝と」
「残念ながら、あなたは相談する相手を間違えたとしかいえないわ。オスカー・フォン・ロイエンタールは、AとBの選択肢があるとき、間違いなく話がこじれてトラブルになるほうを選ぶ人よ」
嫌な予感にじりじりと逃げはじめたエマに、あくまで笑顔でハインリヒは追いかける。
「空気は読むなと云われました。話の流れは無視しろとも云われました。相手の都合も考えるなと云われました。」
「そのアドバイスは素直に聞いちゃダメでしょ・・・」
「その覚悟がないなら、云っても無駄だと云われました」
楽しくてたまらないといいたげなハインリヒの笑顔に、エマイユは後退を諦め、嫌そうに溜息をついた。
「あなたもロイエンタール元帥府ね」
「さいっこーの褒め言葉です。あんな素敵な大人に囲まれて、影響を受けないはずがないじゃありませんか。ミンツ閣下にとってイゼルローンが特別だったように、僕にはあの、何に反抗しているかもわからない、あのたった数ヶ月のハイネセンの馬鹿騒ぎが特別な時間でした」
「まったくもって、戦争はいけないわ。なんでも吸収する時期の青少年をあんな無責任な騒乱の中に放り込むなんて」
「ロイエンタール閣下をはじめとして、あの時、あの場にいたみなさんが大好きでした。あんな状況下にありながら、胸を張って自分のためだと言い切る強さに憧れました」
「ああ、しまったわ。私も今、云ったわね・・・」
「・・・、相変わらず、すてきな指輪ですね」
細く、美しく、長年つけ続けわずかな傷は増えても、変わらず凛とした美しさを秘めた・・・マリッジリング。亡き夫の棺に片割れを放り込んだときから、彼女はこれを生涯はめ続けることを選んだ。
少年の心にも、秘めた強さと映ったこの細くとも美しいリング。
「今なら、胸を張って心から云えます。好きです。結婚してください」
ハインリヒは、にっこり笑って付け加えた。
「ちなみに、このプロポーズは、自分のためですからねv」
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