懐かしい出会いと、これからの思い出  そのに
 
 
少年は一人、まだ清清しい朝の気配が残る中、豪奢な宮殿の廊下を歩いていた。
「へーーっ。こっこがルーヴェンブリュンかぁ〜。へーー、そいつはすげーやー。いや、冗談ナシにここすげーよ。広大、幽邃、人力、蒼古、水泉、眺望を兼ね備えちゃってますよ! イヤ、マジで・・・・・・・・・・・・・・」
独り言である。
「・・・・・。迷った」
さっさと認めなさい。
「大体ココどこだよ! 俺がちょっと天井の飾りに気をとられてるスキに観光エリア外れてないか? オイ、ルーヴェンブリュンったら皇帝の居城だろう? 警備ヌルいぞ。けど、さっきの憲兵さんスルーだったしなぁ」
ガイドマップを首っ引きでみるが、イマイチよろしくない。
「はーぁあ、くっだらねーー。ごめーーん母ちゃん。迂闊な息子で。・・・・人に聞こ」
あんたは賢いよ。
都合よく前からやってきた軍人さん二人に声をかける。
どっかで見た顔だが、こっちは何しろ民間人だ。疚しいところはないし、遠慮もしない。
「すみません。ここはどこでしょうか?」
「お、なんだぁフェリックス。迷子か? 何年ここに居るんだよ」
さっききたばかりです。
「そーゆービッテンフェルト提督も、昔はよく迷ってましたよね」
「うっ、うるさい」
「だからフェリックスも気にしなくていいよ。どこに行きたいんだい? お父さんの所なら今から行くから、一緒にくるかい?」
「父は故人ですが」
混乱しながらも、いぶかしげに答える。
「あ? そりゃ実の父親は故人だろうが」
「フェリックス? あれ? その瞳どうしたの? カラコン?」
「は? め?」
少年の瞳は両方とも黒だ。さっきから彼らが云っているフェリックスの瞳は青なのだが、そんなこと少年に知る由もない。
「???」×3
「フェリックスって誰ですか?」
「「!!」」
「えーと、七元帥のビッテンフェルト提督とミュラー提督ですよね? お話に若干の誤解があるように思うのですが」
「ミュラー、お前ここにいろ。俺ミッターマイヤー呼んでくる!」
ビッテンフェルトは得体の知れない事態には弱い年下の僚友に押し付けて一目散にダッシュした。
さっさと逃げ出した同僚に頭をかかえながらも、ミュラーは少年に話しかける。
「えええと、君? 君はフェリックスではないの?」
「はい。人違いです」
「ここは官区なんだけど、どうやって入ったの?」
「道に迷いました」
「ここははじめて?」
「はい。首都にきたのも今日がはじめてです」
「じゃあ、どこからきたの?」
「レギンレイヴからです」
「えっ?」
ここで初めてミュラーの表情が変わった。
「フロイデンの近くです。首都の人にはそっちの方がわかりやすいでしょう?」
「そ、そう・・・」
「気にしないでください。人よりも家畜のほうが賑やかな田舎ですから」
「へ、へえ」
実はミュラーは今までフェリックスが頭でも打ったのだと思っていたのだが、どうもこの少年の言葉には真実味がある。いや待て、少年?
「君、いくつ?」
「15です」
フェリックスと同い年。
「込み入ったことだけど、君の誕生日は?」
「4月の1日ですが・・・?」
この提督はなんでこんなことを聞くのだろう?
「・・・・・・・・・・・・・・・・・君・・・・・」
何かを思い出す。この少年はミュラーの記憶の底を妙に引っかくのだ。何か、思い出したくない記憶を。
もう少し、もう少し待ってくれ。もう少しで思い出すのに・・・。
「ミュラー!? ミッターマイヤーつれてきたぞ!」
「フェリックス、どうしたんだ?」
「え、エエト、ハジメマシテ。ミッターマイヤー閣下」
ヤバイ。マズイ。何か厄介事に巻き込まれたとトーマも気づいた。
七元帥首座がでてくるあたりで、なんか、もう、駄目だ。
「フェリックス!?」
(いい年して)目に入れても痛くない息子の奇妙な態度に、国務尚書は絶句する。
「待ってくださいミッターマイヤー元帥! この子は本当にフェリックスではありません」
「じゃあ誰だと!?」
「もう少し、もう少しで思い出せるんです」
「何をだよ」
などと元帥三人がやってるスキに。
(あああ、母ちゃんに怒られる〜〜。ま、いいや、ひとまず・・・逃げちまえ!)
そろーーりと後じさり、くるっときびすを返すと後ろも見ずにダッシュした。
「フェリックス!!」
だから違うって。
(やべーな、マジやっべえ。騒ぎおこしたまま戻ると母ちゃんに怒られるぅ〜。え〜〜〜? どないしょーー。逃げっぱなしはレギンレイヴではちょっとならした俺の名が廃るしぃーー。大体フェリックスってナニ?ダレ? 父ちゃんか母ちゃんの親戚じゃないの? けど親戚ってきーたことねーなぁ。で、フェリックスって何よ? まさか俺のドッペルゲンガー? むしろ俺がドッペルゲンガー? あ〜〜段々ウザくなってきた。このまま家出しちまおーかなーー。ん?ちょっと待て? アーヤってどっかこの辺に住んでるんじゃなかったっけ? いっそころがりこむか・・・)
などと走りながら現実逃避に勤しむ少年はいつの間にか観光ルートに戻ってきていた。
庭園を走り抜ける。
「あら・・・?」
ここはフラウ・ミッターマイヤーのお散歩ルートでもあった。その前を疾風のごとき速度で突っ走って行った。
「ああエヴァ! 今フェリックスが来ただろう!?」
「あらあら、イヤだわウォルフ。今のはウチのフェリックスじゃありませんわよ?」
「へ?」
「それにうちの子、あんなお洋服は持ってないわ。フェルの趣味じゃないもの」
「!?」
父親と母親の差は概してこんなもんである。
 
しかし地の利は少年には無い。廊下を走るのにも飽きたので、その辺の部屋に飛び込んでみる。
そこは肖像の広間だった。観光ルートの一室で、俗に英雄の間と呼ばれている。
「あ。父ちゃん」
 
あ、と見上げたら。厄介な人たちに見つかってしまったようだ。しまった。扉閉めなかったっけ?
「えーっとですね、俺はフェリックスじゃないし、ここにくるのも今日がはじめてで、とにかくめっちゃ誤解だと思ワレルワケですよ。あれ? ミュラー提督?」
ミュラーはまだ記憶を手繰っていた。
「ミッターマイヤー閣下、思い出せませんか。15年前フェリックスが生まれた年。ロイエンタール閣下の亡くなった年です。4月1日、4月1日に何かあったはずなんです」
「ま、待ってくれミュラー」
フェリックスが生まれたのは5月2日。ロイエンタールの命日は年の暮れだ。その時から後というのは思い出しやすいが、人間、それよりも前のことは思い出しにくいものだ。
「15年前・・・、何があったんでしたか・・・」
そもそもミュラーは何をムキになっているのか。普段はこんなヤツではないのに。
目の前の少年のことなら、少年自身に聞けばいいじゃないか。
「俺が生まれたのは、回廊の戦いの少し前だったと聞いています」
「かいろうの、たたかい」
その言葉に一番記憶を刺激されたのが、ビッテンフェルトだった。
ぼんやりと成り行きを見守っていた彼の、記憶の底から笑い声が響く。
「『まさかエイプリルフールに生まれてくるなんてな! 愉快な息子だ。俺に似てバカになったらどうするかな』」
ほがらかな友人の声。これでもかと眦を下げていた。ビッテンフェルトは本当に馬鹿だと思った。
「そう、それですビッテンフェルト提督!」
『息子を抱くまでは死ねんさ』最後の通信でそう笑った男。そのくせしんがりをつとめて、帰ってこなかった。あの回廊。イゼルローン回廊から。
「ああ。そうだ。なんて名前にしたんだった?」
英雄の間に飾られている肖像は故人のもののみだ。
まっすぐこちらを見返してくる少年は、その「答え」の前に立っていたのに。
「なあミュラー。ヤツは息子の名前を考えていたんだった。先帝陛下の幕僚全員ひっくり返して。これから作戦だってのに。オーベルシュタインにまで」
少年はふり返って、その肖像画のプレートの生没年月日を見た。
「4月30日。俺の誕生日から一月もたってない・・・」
ああ、そうだ。彼だった。貴族的な風貌の割には喧嘩っぱやくて、守勢よりも攻勢を得意とした頼もしい同僚。
「すったもんだの末きめた後、笑ったんだ『これでお前ら全員名付け親だからな!』って。なあ。なんて名前にしたんだった?」
忘れちまったじゃねーか。名付け親なのに。
それは、長いこと、思い出したくなかったから。
あんまり哀しい記憶だったから。
回廊の戦いと、それに続く戦い。そしてイゼルローンの魔女の死のあと、
フェザーンに戻ったビッテンフェルトを宙港で迎えたのは、
生後三ヶ月にもならない赤ん坊を、しっかりと抱いて宙港に現れた彼女だった。
美しく、聡明だったが、まだ、二十歳にもならない少女だった。
目に深い悲しみを宿し、自分とその部下ら、生き残った「彼」の部下たちに深々と頭を下げた。『ありがとうございます。帰ってきてくださって』
涙声で、けれどはっきりと。高級将官の妻に相応しい、誇り高い態度だった。
あの時ほど、恥も外聞もなく、逃げ出したかった時はない。
薄い肩が、震えていたのが目に焼きついている。
自分が、挑発にのって軽率なマネさえしなければ、多分、「彼」は帰ってこられた。
美しい妻と、可愛い息子に、再会できていたはずだった。
彼女は、恨み言の一つも無く。無事に帰ってきた感謝だけを述べると、にこりと硬い笑みを浮かべて、こちらが弁解をするまもなく毅然とした後姿で去っていった。
それでよかった。言い訳などできるはずがなかったのだから。
なら、この少年が、あの時の赤ん坊だというのか?
葬儀のあと、ふらふわと空に消えそうな小さい背中を追ったときに、腕に抱いていた赤ん坊だと?
「トーマ・・・? だったか?」
呼ばれた名前に少年が顔をあげる。そうだ、この少年は、フェリックスよりも少し髪が長い。気づけよ、ミッターマイヤー。
もう一人の人物が通りがかったのはそんなとき。
「おや? 何やってるんですか元帥がた。・・・・お義母さんも?」
「まあ、ハインリヒ。それが私にもよくわからなくて。とにかくこの男の子が・・・」
エヴァンジェリンに云われて、かつてフェリックスとともにハイネセンからフェザーンへやってきたハインリヒ・ランベルツはその少年を見た。
「フェル? いや違う。でも、その顔は・・・いや、その瞳は、ロイエンタール元帥の右目・・・」
ふつふつと湧き上がってくる歓喜に、ハインリヒの顔がほころんでいく。
「ああ、君。まさか、・・・」
泣き笑いのまま、喜びの突き動かすままに少年を抱きしめた。
「トーマ! トーマ・フォン・ファーレンハイト! お帰り!よく帰ってきたね!」
「俺を、ご存知?」
「なんて大きくなって!立派になって! まってろ、今レッケンドルフ中佐とベルゲングリューン中将を・・・いや、ロイエンタール元帥府の人たちみんな呼んでくるから・・」
「へ?え?は?」
まくし立てられてついていけない。
「トーマ、君一人できたのかい? お母さん・・・、エマイユさんは?」
「母なら、さっき用事があるって別れましたけど」
「フラウ・ファーレンハイトが来てるのか!?」
「ってか、すいませんおにーさん。ロイエンタール元帥がどうのってなんですか?」
「ああ、君は赤ん坊のころ元帥府のアイドルだったんだよ」
「げんすいふのあいどるぅーーー? ナニソレ??」
「うん、覚えてないよね〜」
などと打ち解けた雰囲気で談笑するふたりと、エヴァンジェリンが「まあ、フラウ・ファーレンハイト。懐かしい人ねえ」などといってるのを他所に、元帥三人はうっと詰まる。
「フラウ・ファーレンハイト」
「ええ、そうでした。ファーレンハイト提督でしたよね」
「けどなぜ、トーマは」
ロイエンタールの息子のフェリックスと同じ顔なのか。
確かにフラウ・ファーレンハイトが夫の死後ハイネセンでロイエンタールと暮らしていたのは知っている。
愛人とかなんとか言われていたことも。
けれど、本当に? トーマはロイエンタールの息子なのか?
思い出すのはファーレンハイトの葬儀の後の、彼の家で見た、真っ二つに叩き割られたキャビネットとか、ズタズタになった壁紙とか、へしゃげたルームランプとか。
あれで、ファーレンハイトの子供じゃなかったというのか?
「それにしても、父ちゃんかっこいーー。でっかーい」
少年は父親の肖像画を見るのは初めてのようだ。
いや、確かにここの絵は死後描かれているし、肖像画というよりは絵画に近く、生き生きとした筆致は男前2割増だ。しかも等身大よりだいぶでかい。
「ってゆーか、なんで父ちゃんがここにいるの? てか、でかくない?」
あらためて、少年はプレートを見直した。
「アーダルベルト・フォン・ファーレンハイト元帥。うん、父ちゃんだよね。てか、元帥? 元帥って偉くない? 結構偉くない? 相当偉くない??」
困ったようにあごをこする。
「え〜〜〜?」
「てか、トーマ? エマイユさんに、お父さんの事なんて聞いてるの?」
ロイエンタールの死後、姿をくらましてしまった彼女だ。つまりファーレンハイトのことを息子に語れるのは彼女だけだ。
「好物のラザニアを10皿も食って腹壊したとか、家のグリーン片っ端から枯らして凹んでたとか、そーゆー・・・」
ヘタレな。とは流石に息子の分際で口には出せなかった。
「ファーレンハイトだ。間違いなくヤツだ」
「フラウ、云うにしたってそんなホントのこと言わなくても・・・」
うっかり若いころの口調になってしまったビッテンフェルトとミュラーが素で頭をかかえる。
「彼は、帝国軍でも指折りの優秀で有能な軍人だったんだよ。俺たちは君のお父さんと共に戦えることを誇りに思っていたよ」
国務尚書からそんなことを言われるなんて思いもしていなかったトーマは唖然とするが、ややあって、照れたのか、ぽりぽりと頬をかいた。
「俺、父親の仕事とか、あまり聞いてなくて」
生まれてから一度もあったことのない父親だ。遠い過去の人と、今権勢を誇っている帝国の重鎮が結びつかない。
「母は軍人が、失礼、戦争があまり好きじゃないらしくて、あまりそんなことは話してくれなくて。あと、軍人の父は自分の言葉では語れないからと。そう云ってました」
「エマイユさんらしいなぁ。家庭的な人だったから」
「お兄さんは、ウチの母とは?」
「君が、ロイエンタール元帥府のアイドルだったからだよ。君のお父さんの左にいるのが、ロイエンタール元帥だ」
ついと、視線を左にずらす。そこにいたのもこれまた男前な。帝国軍人って顔で選んでんじゃねーと。と心の底から叫びたくなるような。
けれど、確かに自分と同じ顔をした・・・
「誰?」
これは誰?
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