懐かしい出会いと、これからの思い出  かこへん
みーーぃぁ みーーゃぁぁ
満座の会場の、鬼のような沈黙の中で、幼子の猫のような泣き声は人々の耳を痛いほどにたたいた。
「トーマ、トーマ。いい子だからもう泣かないで」
式がはじまる前から、ずぅっと泣き続けている赤ん坊を、辛抱強く静かにあやしていた女性が、ほぅとため息をついて黄金の獅子に話しかけた。
「陛下、少し席をはずしてよろしいでしょうか?」
こう話しかけるのは、・・・三度目だろうか? 皇帝の返答は前二つと同じだった。
「いや、いくな。いかないでくれフラウ・ファーレンハイト。貴方に席をはずさせるくらいなら、他の全員が退席したほうがまだマシだっ」
押し殺した声で。困っているエマイユの眼差しから逃げるように目を逸らし、ラインハルトは彼女の手首を強く掴んで懇願する。
「今日はファーレンハイトの・・・、貴方のご主人の、葬儀なのだから」
 
「とは申しましても陛下。夫が過分な地位を得ましてこうして国葬を設えていただきました。トーマがなき続けでは申し訳ございません。それに・・・グレーチェンさんや、シルヴァーベルヒさんのご家族方もおいでなのですから・・・」
「それでも・・・・、頼む」
うつむく皇帝を静かな眼差しで見つめたエマだったが、優しく首を振る。
「いいえ、陛下。やはりおいとまさせていただきます」
おっとりと笑む。泣き崩れられても困るが、いっそその方がマシだったろう。
その位彼女の笑みは、空疎で、その翳りは生々しく人々を傷つけた。
「陛下、ちょっとこの子を抱いていてくださいませ」
ポン。
「うっ、うわあぁあああ。った、ああああわわあわ」
↑心臓とまりかけ。
必死の皇帝を背に、ふわふわと雛壇に近づく。かざってある肖像をついと見上げてから棺をおしあけた。
カコン
軽い音がして開かれた棺には白い花で埋められ、中央に一本の元帥杖。
エマイユはそっと呟いた。
「ねえあなた? これは位人身を極めた証ね。けれどこれだけでは寂しいでしょう?」
エマイユの手に片手に隠れそうな小刀がきらめいたのが見えて、人々が色をなしたが、彼女は躊躇いなく、それを自分の髪に当てる。
「うっ・・・」
美しい黒髪がぷっつりと半ばから断ち切られている姿を見て、ラインハルトは蒼白になる。
「ううう」
「あなたの従卒が確かに届けてくれたわ、あなたの結婚指輪。さっき受け取ったのよ。可哀想に泣かさないでよ。けれど彼は元気そうだったわ。安心した?」
云いながら切った黒髪を2つに折って指輪にねじ込む。
「さぁできた。おやすみなさい。そのうち私も行くから待っていて。それを目印に追っていくわ」
ポイっと棺に放り込んで、空のそれのふたをゆっくりとしめる。
「愛しているわ、アーダルベルト」
 
ほてほてと戻ってくると、エマイユはさっぱりした顔で皇帝を見る。
トーマを抱いたまま、もう死にそうな顔色だ。
この赤ん坊は泣きっぱなしで死んだりしないんだろうか?
「赤ん坊を抱くのははじめてだったんですか?」
息子を返してもらいながら微笑んだ。
「これが、人一人の重さですね」
はじめから言い訳など出来ないとわかっていたのに、ラインハルトは言葉がなかった。
にっこりと笑ったエマイユは、子供を抱きながら、優雅に膝を曲げた。貴婦人のとる礼。
「ご機嫌よう、皇帝陛下。もう二度とお目にかかることもないでしょう。どうぞお健やかに」
するすると退出したエマの背を、ビッテンフェルトが全力疾走で追っていった。
 
バタバタバタバタ
後ろにあわただしい足音が聞こえていたが、エマイユは気にせず空を仰いだ。
家までは少し遠いが、散歩に相応しい良い天気だ。
「まって、待ってくれ、フラウ・ファーレンハイト!!」
「はい?」
呼び止められてエマイユが振り向く。見知ったオレンジの髪の提督がいた。
「フラウ、あの、その・・・」
悲しげな瞳でエマイユが見上げていると、オイゲンやミュラー、ミッターマイヤー、メックリンガーたちも追いついてきた。みんなサボリ!!
「つまり、あの、つまり・・・・つまりだなぁあ!」
声だけ大きくて続きはないようだ。困っていたエマイユがくすりと笑う。
「新居を引き払うつもりで片付けているんです。もしよろしかったら、今から手伝っていただけませんか?」
その一言にビッテンフェルトの瞳が輝く。
「もちろんだ!」
 
赤ん坊を抱いた喪服の女性が、軍人をぞろぞろ引き連れているのは、フェザーン人にはそりゃあ不気味な光景だ。
しかし彼らは気にせずかわるがわるトーマを覗き込む。赤ん坊は泣きつかれたのか、すーすーと悩みがなさそうに眠っていた。
「髪は貴方似で・・・瞳は?」
「私の母が黒い瞳だったと。夫にはちっとも似ませんでしたわ」
「あの、フラウ・ファーレンハイト・・・」
それまで後ろで押し黙ってついてきたビッテンフェルトが口を開く。
「ファーレンハイトは、ファーレンハイトのやつは子供が産まれたことをとても喜んでいた。出産の時にそばにいられなかったことを心配していた。帰って子供を抱くのをとても楽しみにしていた。貴方たちのメールを何度も何度も見返して、いつも懐にいれていた。子供の名前を、あーでもないこーでもないと」
楽しそうだった僚友の姿を思い出すだけで泣けてきた。奪ったのは、ほとんど自分だ。
不器用だがあたたかい言葉に、エマイユの頬にいつもの笑顔が戻った。
「みなさんで決めてくださったと聞きました。ありがとうございます」
「いいのか悪いのか、皆で名付け親になれたようで嬉しかったよ」
ミッターマイヤーも苦笑する。
「はい・・・」
おっとりした笑みに、ミュラーも訪ねた。
「立ち入ったことかもしれませんが、これからどうなさるおつもりで?」
「はぁ・・・、実はまだ。特には考えていないんです。私の実家が気を使ってくれて、しばらくのんびりしてはどうかと言われて。それに甘えるつもりです。正直、今は何も、考えたくはないもので・・・」
などと喋っている間に、こじんまりとしたファーレンハイトの新居へついた。
いかにも女性が好みそうな、瀟洒な家である。
「ずっと、フェザーンの親戚の家にいたもので、掃除も行き届いていませんが」
エマイユが恥ずかしそうに扉を開ければ、そこはもう、掃除云々の惨状ではなかった。
荒事に慣れているはずの軍人たちが息を呑む。
子供が産まれたばかりの若夫婦に相応しい可憐な内装が、家屋破砕弾でも撃ちこまれたようにズタズタにされていた。
ケスラー、ミッターマイヤーらがそれぞれに部屋にかけこんでいく中、玄関にはルッツ、ミュラー、そして赤ん坊を抱いたままのエマイユがぽつーーんと取り残された。
「あの、フラウ・ファーレンハイト・・・」
戸惑った声でルッツが問うた。
「これは、まさか・・・・・貴方が?」
「ええ、実は」
恐縮したように苦笑する、エマのその一言は、不思議なことに邸内の全員の耳にするりと飛び込んできた。
全員が一瞬にして大理石の彫像と化す。明日はわが身、である。
「我を忘れて思わずやってしまいました。・・・けれどあまりの惨状に手がつけられなくて」
「「「「「「「「「「手伝います!!!」」」」」」」」」」
歴戦の勇者たちは、とにかく無条件降伏した。
 
片付けは面白いほど飛ぶように終わっていった。
屈強な軍人たちが馬車馬のごとく働いたからだが、それプラス、エマイユ司令官の指示が、明確で的確だったからだ。
もっとも、ほとんどのものがゴミと化したが、思い出のあるものと、大きくなった時に息子に見せるためのものを、エマイユは丁寧に丁寧に梱包した。
お陰で日が暮れる前には片付けは終了し、エマイユは深く感謝して、笑顔で亡き夫の同僚を見送った。
「さて、と」
処分するものと、残すものにつけられたタグを確認し、纏めた自分とトーマの荷物を見た。
あとは明日、様子をみにくる実家の使用人がいいようにしてくれるだろう。
今なら、今日最終の船に間に合う。
今から、軌道エレベーターに向かえば。
 
今朝方届いた、彼方からの手紙。差出人は遠くハイネセンから。
『同病相哀れむというしな』
その言葉の意味は追求すまい。初めて見るほど、空疎な瞳だった。
昔から、退屈そうにはしていたけれど、あんな、あんな虚しい笑みは見たことがない。
呼ばれた。初めて。そして、多分最後。もう、長くない。そう感じさせる笑顔だった。
ならば今は行くしかない。
せめて今だけはほかの事をすべて忘れ。
それがせめてもの・・・・。
 
「さあトーマ。おじいちゃまのところへ行くわよ」
「だあぁぁ」
それがせめてもの、父への供養だ。
 
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