LA VIE EN ROSE   2
         ありったけの花をキミに
 
〜其は純白の宣戦布告
コポコポコポ
お気に入りのカップに、丁寧に黄金色の液体を注げば、ふんわりと美しい香りが流れ出す。
よし、成功した。
ヤンはうなずく。
いつもの手抜きのミルクティーではない、機嫌の良い日やへこんだ日用の、ちょっと贅沢な金平糖入りの木苺のフレーバードティーだ。
紅茶は成功したし、
今日は寝坊もしなかったし、
朝日は鮮烈に眩しい。
文句のつけようがない素晴らしい朝だ。
普段寝床でグダグダしているはずの時間に、ヤンはすっきりと目覚めていた。
それだけで、今日一日の成功は約束されたようなものだ。
カップを見つめていたヤンが、チラと昨日の赤薔薇を横目で見る。心なしか、朝日を浴びて己の美しさを誇るかのように。
(覚悟しろよ、オスカー・フォン・ロイエンタール)
ヤンは一口、口をつける。うん、やっぱり成功した。かなり旨い。
今日のヤンは向かうところ敵ナシである。
 
フーー
やっと一区切りついたので、俺は一息ついて眉間をぐりぐりと押した。デスクワークは目が疲れる。キリがないのでいい加減、昼食をとろう。丁度同じように顔をあげた同僚のヤンと、目顔で頷いて士官食堂に行こうと席をたつ。
「ついでに今日飲みに行かないか? 昨日の祝いにおごるぞ?」
「悪くないね、遠慮なく奢られよう」
仲の良い同僚だが、誕生日までは知らなかった。あと、昨日の「百万本の薔薇事件」の話も聞きたい。(朝きたら命名されていた。大体百万本ってどこからきたんだ? 百本も無かったのに)
部屋を出ようとしたら誰かがきた。
「ヤン少佐、お届けものです」
えっ、今日もか!?
 
「グーテンターク?」
(え?)
ミッターマイヤーはその人物がいつの間に目の前に立ったか、さっぱりわからなかった。
体重が無いもののように、かかとをそろえて気楽な姿で立っている。
(ああコイツ・・・「地獄の取立て屋」・・・じゃなくって、本名なんだっけ? えーっと、ちょっと変わった・・・)
帝国軍の頭脳派が集っている部署に、一人やたら昼行灯がいるという。
無能というわけではないが、他の5倍のスピードでコトが進む部署なため、人並みな彼が浮いて見えるらしい。そのくせ「地獄の取立て屋」などとややブッキーなあだ名で呼ばれるにはわけがある。半年に一度ほど、他の人間が1年かけても終わらないような案件をポンと片付けてくるのだそうだ。それゆえ人は、畏敬の念を込めて彼を「地獄の取立て屋」と呼ぶ。・・・という噂だ。
その「地獄の取立て屋」様が何の用だ?
 
「グーテンターク」
そういってヤンはへらりと笑った。
そのヘテロクロミアがゆらりと揺れ、微笑んだのを見て、ヤンは益々笑みを深める。
「グーテンターク、ヤン・ウェンリー」
綺麗になった。
男ぶりがあがったとか、かっこよくなったよりは、真っ先にそう思う。
とりまく空気が違う。以前の、刃の壁のような空気とは。
相変わらず人を受け入れることの無い壁だが、硬質さの中に穏やかさが加わった。
その眼差しが深くなった。
すらりと伸びた腕に、まさしく相応しく、しっかりとした筋肉がついてる。
あぁ、綺麗になった。
なにより、20年前のロイエンタールなら、自分を見ただけでまなざしは揺らがなかった。
すべてを切り捨てるナイフの様な目をした彼の腕の中も、好きだったのだが。
「届いたらしいな。昨日の薔薇は」
「ああ、届いたよ。私の心までね」
「っ」
にっこり笑って云ってやれば、案の定、相手は困ったような顔で小首をかしげた。
「ふざけ過ぎたか?」
「いいや、嬉しかったよ。皮肉じゃなくてね。・・・だから」
バサッ
「お返しv」
後ろ手に持っていた花束を差し出す。真っ白な。目に眩しいほどの白薔薇。
「あ〜・・・。また、イヤミなほど純白な」
「理解してくれてありがとう」
にこにこにこにこ
「・・・これって黒薔薇とどう違うんだ」
「ああ、そうだね。意味は同じだね」
普通に返そうとしたのに、なぜかとっても皮肉げに響いた。わざとじゃないよ? うん。
「その作り笑いやめろ。気色悪い」
「う〜ん? 確かに作り笑いだけど・・・それでもお前の前では笑顔でいたいんだよ。変かな?」
「いつも通り、変だ」
ロイエンタールがげんなりと首をふる。イロイロと諦めたのだろう。
「それはよかった」
にこっ
「うけとってくれるかい?」
「売られた喧嘩だ、買ってやるさ」
「謝々」
 
「な ん だ っ た ん だ ! 昼間のアレは!!」
何が何でも昼間の「怪奇・薔薇伝説」を問い詰めなくてはいけない!
(さりげなく事件から伝説に変わっている。明日にはナンになってるんだ? 神話か?)
勿論ローエングラム公の元帥府の上から下まで大騒ぎだったが、ヤンがなんとも気の抜ける笑顔で「ん〜〜、べっつにぃ」とのほほんと笑っていたので、皆うまく追究をかわされてしまうのだ。
ウチの上司だけは流石に薄ら寒そうな顔でヤンを見て、首をすくめていたが。
君子危うきに近寄らず。だろう。
素晴らしい態度だと思うが、こっちはそこまで悟れないので、遠慮なく追究する!
が、昼食時は諦めた。全力で追究しようとしたその鼻先を「いいけどぉ、メシが不味くなるよん?」と、穏やかな笑顔で諭された。
・・・あくまでビビったわけではない。午後の仕事に使う分のエネルギーが根こそぎ奪われそうだったから、逃げただけだ。・・・うんごめんなさい。逃げました。
けど俺はどんなときも仕事はおろそかにしないと上司と自分に誓っていた。
ヤンはいいのかとたまに言われるが、ヤンは・・・不真面目なだけで仕事を疎かにしているわけではない。
と、いう長い前フリの結果、士官クラブではなく、個室っぽくなっている、行きつけのバーで席に着いた途端、上記のセリフを怒鳴ってしまったわけだ。
ちなみに、個室は防音ではない。
 
「昼間のアレ? 愛の告白のつもりだったんだけど、そう見えなかった?」
にこーーーっと返された。もしかしてとは思っていたが、昼間中知り合いに追求されてもニコニコしていたのは、決して誤魔化していたわけじゃなくて・・・
とんでもなく上機嫌なんだ、コイツ。
「ん〜〜、今日もいい日だったよねぇ。乾杯でもする?」
普段酔ってもこんなこといわねぇ・・・。
てか、酔ったとき見たことねぇ。
「って、なんでロイエンタール提督とっ!」
「ああ、その話まだ続いてたんだ」
続けるっつの!
「実は昔付き合ってたけど、別れてね」
「誰と!?」
「今の話上オスカー・フォン・ロイエンタールだろう?」
「そんな馬鹿な!」
「一々煩いよ。まぁ、元々が幼なじみだったんだよ。んで、途中から、幼なじみ以上のこともするようになって・・・士官学校入る前に別れた?」
なんで疑問系!と続けようとして、危うく思いとどまった。一々煩いとか言われたくないし。ああ、落ち着こう。とりあえず酒でも飲んで。
「なんで別れたんだ?」
「・・・私、あの男のこと好きだったんだよねぇ」
「? だから付き合ってたんだろう?」
「だから別れたんだよ」
ヤンの濡れた黒曜石の瞳がニンと細められる。
「あいつはちっちゃい頃から、そりゃあ綺麗でねぇ。性格は今より殺伐としてたけど、あのけったいなヘテロクロミアを除いても、名匠の鍛えた美しい刀身のように綺麗な子だったんだよ」
おっかないような、見てみたいような・・・。
「私は昔っから、そんなあいつが好きで好きで恋焦がれてたってのに、あのヤロォ人の気も知らないで惰性でキスしてくるから、フってやったんだよ。私のこと愛しもしない男に抱かれてやる義理は無いね」
私は好きだったから。
「ずっと一緒だったからね。どんな相手でも情くらい湧くさ。共有した時間はそれだけでかけがえのないものだった。ある「愛」といってなんら差し支えないさ。けどねぇ」
えっ、ちょっとヤンさん、さり気に何飲んでるの? それいつも飲んでる奴より度数高いよね? てか、それ火ぃつくよね? てか、カクテルで割るやつだよねそれって!
「私はそんな「愛」欲しくなかった」
簡単でしょ? ってほろ酔い加減でゆってるけど、全然軽くないよその酒! アルコール原液とあんまかわらないよ!
「だからもうSEXはしない。って意味のつもりだったんだけど、それ以来、行き来しなくなってねぇ」
そりゃあな。
「士官学校上がる頃には、すっかり疎遠になって。同じクラスになっても目もあわなかったなぁ。学年主席殿は優等生グループにまとわりつかれてたし。ああ、いるな。ってくらいで」
え、ちょっとまって、お前らそれはおかしいよ。
「おかしくないよ。いくら好きでも自分に関心ない相手なんて意味ないもの。私はあいつ以外興味はなかったけど、不毛な関係ダラダラ続けるよりは、あいつは誰かいい相手が見つかるかもしれないし。だから別れて あ げ た んだよ」
うわ、寒っ。
「けどまぁ。アイツから何か云ってくるなら遠慮はしないさ。今度こそ・・・」
小さく何を言ったかは聞こえなかった。問いただす前にヤンの顔がふにょ、と崩れたからだ。
「それにしても、綺麗になってぇ・・・。昔のあいつも好きだったけど、今もかっこ良いなあ。あいつは昔から曇りがないから綺麗だ」
血に穢れない純粋な凶器のようで・・・って聞こえた気がするけど幻聴だ。そうに違いない。
「地位がポンポンあがるくせに、あいつは曇らないなぁ。ほんっと綺麗だよ。相変わらず性格は破綻してるけどね。そんなとこも好きだよ。もういっそ大好きだよ〜!」
ゆってることがただの馬鹿だが幸せそうなので見逃そう。
「ねぇ、聞いてくれる?」
ヤンが不敵ににっこりと笑う。
「あいつは美人だし、頭も切れるし、出世しまくってるし、金持ちだ。性格以外は非の打ち所が無い男だけど、それでもね」
スゥっと気温が下がった。・・・気がした。
「わたしは自分があいつにふさわしくないなんて、ただ一度も思っちゃいないんだよ」
 
 
カラン・・・
昨日のヤンのように、ロイエンタールは一人部屋の明かりをけして、琥珀色の酒を飲んでいた。
昨日と違うことは、薔薇よりも酒の芳醇な香りが感じられたことと、長く切ったフランス窓から月明かりが入ってくることだろうか。
月明かりで白薔薇が青く見えた。
「青い薔薇の花言葉は・・・神の恩寵、だったか」
そんなありがたいものはこれっぽっちも感じなかったが。ニコニコ笑ったヤンの顔を思い浮かべる。子供の頃とちっともかわってない。相変わらず性悪だ。
只管そばにいた相手だった。理由もなくそばにいた。
それがどれほど特異な存在だったか、成人してから気づいた。
理由もなく共にいる。そばにあることに負担を感じない。そんな人間は存在しないということに。
「俺も、愛してるつもりだったんだけどな」
人形のように眠る姿を、確かに愛していた。
けどあの時の自分たちにはそれだけでは無理だったのだ。
自分は目を覚ましたときの、曇りにも似たあの瞳の憂いを晴らすことが出来なかった。
アレが何を気に病んでいたかはわからない。
現在のロイエンタールは自分がヤンを愛していることと、ヤンが本より自分を愛していることがわかっただけで充分だった。
「どの道、あいつの性格元々腐ってる上に病んでるからな、別に大した問題じゃないだろ」
ふわりとカーテンが揺れて月が陰った。
薔薇はもう見えなかった。
「黒い薔薇の花言葉は・・・」
 
黒い薔薇の花言葉は「貴方はあくまで私のもの」
「まぁ、俺がお前のものなかぎり、お前は俺のものなんだがな」

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