LA VIE EN ROSE   3
         ありったけの花をキミに
 
〜其は永遠にも似た光の色
本が好きだった。本だけがずっと好きだった。
他には何もいらないと思った。いつの間にか壁が出来て、誰にも邪魔されなくなってた。
本と酒と紅茶と昼寝だけの世界はとても素敵だった。
けれどある日突然、その壁の向こう側から真っ赤な薔薇が花束で降ってきて、
本当に驚いた。
――あの薔薇は手放したと思っていたのに。
 
遠い昔、私が子供だったころ、この壁の中にはもう一人男の子がいた。
青と黒の双眸で、難なく壁を突き破ってきた少年。
棘のある薔薇のように綺麗な彼は、「こんにちは」も言わずに入ってきてそのまま居座ってしまった。
私はその子が大好きで大好きで、本と彼が居れば他になにもいらなかった。
けど、いつの頃からか思っていた。
私はこの男をかくまいすぎた。
私と一緒では、子供のまま成長することもできない。
私にできるのは、人を追いつめ、陥れて、奈落へ突き落とすことだけ。
このまま一緒に居ても、ゆるゆると首を絞めていくことしか出来ない。
それに、私がべったりひっついてたら、この男は他に何も出来ないじゃないか。
今思えば健気かもしれない。
そんなことを考えて、このゆるゆると居心地のいい場所から叩き出したのだった。
上の学校に進む時期だったし、ちょうどよかった。
彼を追い出すのに壊した壁を丁寧に塗り込めて、代わりに窓を作っておいた。
朝日と、月と、そして時たま彼が見えた。
いなくなってガッツリ落ち込むかと思ったら、たいして堪えなかったので、そっちに軽く落ち込んだ。淡白にもホドがある。
けれど実際は、まだ読んでいない本は海のように多く、
相変わらず本さえ読んでいればご機嫌だった。
フィクション、ノン・フィクション、画集に、詩篇。
時を越えてきた書物は特に面白い。
2000年前の人間と、今の自分が同じものを読んでいるのかと思うと、書き手はどんな立場で書いたのか、昔の人間はどんな気持ちで読んだのか。
毎日そんなことを考えていたら、面白くないわけがない。
本は、彼よりも古い友人だった。
それでも、いや、だから?
いきなり薔薇の花が降ってきた時には驚いた。
旧き友人の過去からの訪れか。
時を越えてくるのは、書物だけではないと知った。
 
薔薇は好きだ。
白い薔薇は彼の気高さを、紫の薔薇は彼の神秘さを、
ピンクの薔薇は彼の悪戯心を、青い薔薇は彼の美しさを、
黒い薔薇は彼の微笑みを、オレンジの薔薇は彼の不機嫌な横顔を、
赤い薔薇は、彼の躊躇いのないナイフさばきを思い出したから。
薔薇は彼の花だった。棘と緑の葉が美しい薔薇。
あの日降ってきた真紅の薔薇は、一番彼を思い出させる色だった。
けど、あと一色。
思い出した色に視界が染まる。
ああ、あれ? なんだっけ?
もしかして、私は寝ていたのかな?
何か聞こえるような気もするし・・・。
とりあえず、起きなきゃ。起き・・・
 
 
ああ、綺麗だなぁ。
「ねぇ、私お前にだいすきってゆったことあったっけ?」
「いいや、初耳だ。愛してる。なら聞いた」
あれ?
「オハヨウございます? オスカーさん」
カウチの肘に座っていた男に問うた。そこで何してるの?
部屋中が西日に染まっていた。・・・どれくらい寝てたんだろ。昼は食べたよ?
「おはよう。そろそろ夕食だぞ」
「そりゃ・・・悪いね」
「カウチで寝ると風邪引くぞ?」
「最近あったかくなったからねぇ。今日から6月だよ?」
「夏風邪は・・・」
「わかったから!」
「なんかヤな夢でもみたのか?」
心配げに問われた。なんですって?
「しょげてる風に見えたから」
この男は真顔でこんなとこ聞いてくるから嫌いだ。ああーーーー恥ずかしい。
けどにくったらしいことに、美人は何をしてても美人に見える。
って、起き抜けにこんないっぱい考えさせないでくれないか? ったく、ああ、もう!
「えーー、えっと・・・ねぇ?」
ああ、もう忘れちゃったじゃないか。
「薔薇の出てくる夢をみてたよ?」
うん、なんだかやたらいっぱい薔薇が出てくる夢だった。
「シーボルトの「江戸旅行記」読みながらか?」
いや、これは多分違うって。
「へぇ、夢まで届いたか?」
「20年分の時を越えても届いたんだ。夢と現実の狭間くらいなんでも」
赤い薔薇のことだと思って答えた。
「違う。コレ」
スッとテーブルの上を指す。
「わぁ」
西日と同じ色だったから、気づかなかった。薔薇の花束が置いてあった。
「ああ、うん。コレだったよ。最後に見えた薔薇」
凄いな、夢まで届くんだ。
なんとなく幸せな気分になってロイエンタールを見ると彼は小さく笑っていた。
そんな顔で笑えるようになったんだな。よかった。
「いつもそんな顔してればいいのに」
「え? なんだってオスカー」
心の声とまったく同じこといわれなかったか?
「いつも、作り笑いじゃなくて笑ってればいいのに。って云った」
「へぇ、私笑ってた?」
「いつもの、天使をギロチンにかける小役人みたいな顔じゃなくて。だぞ」
「どんな顔だよ、そりゃあ」
「自覚しろ。そして改善しろ」
「それは、お前さんが私を笑わせてりゃあいいんだよ」
「めんどっ」
「ヲイっ」
こんなくだらない会話なら一生続けたっていい。
「で? この薔薇・・・は?」
なんでショ?
「お前に」
「くれるの? 珍しい」
「飾るだけなら花束にはしてないだろ」
「黄色い薔薇は贈り物には珍しいだろう・・・」
午後の光のように黄色い薔薇。
薔薇の中でもひときわ目を引く、華やかで可憐な花。
「いつも、もっと早く咲くんだがな。今年冷夏だから」
その表情から見れば、ずっと咲くのを心待ちにしていたんだとわかる。
「これ、くれるの? 私に?」
黄薔薇の花言葉         : 薄らぐ愛、嫉妬、誠意がない、等
からヤンが受け取ったメッセージ :
「プロポーズ!?」
「・・・捻りすぎだろ」
ガクっ
「違うの? お前の相方が黄色い薔薇もって奥方に結婚申し込んだ話、結構有名だよ?」
「漫才コンビじゃねぇ・・・」
「プロポーズ否定しないんだ?」
「そういう意味じゃなくて」
「プロポーズじゃなくて、何? ちゃんと云ってくれなきゃわかんないよ?」
あ、困ってる困ってる。珍しいな〜。けど、たまにはいいよね。
だいたい、わかるんだけどね。
「・・・、花って便利だよね、オスカー」
「うん?」
「お前を追い出してからね、お前は随分遠い存在になってしまったと思ってたんだよ」
実際手の届かない存在だった。だったはずだ。
「だから、お前から誕生日に薔薇をもらったときは、そりゃあ驚いてね。ああ、こんなに近くにいたんだ。って。20年ではなれた距離はたかだか花束一つぶんだった」
「たった50センチかそこらか」
「直接会ったのでもなければ、手紙でもなかった。一文字の言葉もなかったけど・・・それでも、「何か」は伝わったよね? 私はお前が大好きだってことを思い出したよ」
「別に、俺もこの20年ウェンリーを忘れたわけじゃなかった。ただ、言葉がなかっただけだ」
「花は、言葉未満のことを伝えるのに、役に立つんだね」
「言葉、未満。な」
ふと、ロイエンタールは腕を組んで考えはじめた。睫毛長いのは相変わらずだな。一重だから目立たないけど。
腕を解いて、指を折り数える。
「感謝と、敬意と、愛情。だな」
「えええ」
ある意味ストレートすぎる、そんなぶった切られるとは思わなかったよ!!
「再会してから、なんとなくダラダラとヨリ戻したから、機会がなかった。お前がいて良かったと思った。思ってる。お前の存在に感謝してる」
「私、お前が大好きだよ」
「知ってる。あとついでに、お前、昔から何を困ってるのか知らないが、この先ずっと一生傍にいてくれ」
「・・・それってプロポーズとどう違うの?」
いい加減疲れたのか、ロイエンタールが肩によろけかかってくる。
「連呼されたら、プロポーズでいいような気になってきた」
「これぞ、サブリミナル効果。さすが私」
「てか、プロポーズじゃ俺の言葉未満の気持ちが伝わらないだろうが」
花束だけ受け取っとけよ・・・。
「はいはい、悪かった悪かった」
あ、忘れるとこだった。困ってること。
「お前、私に殺されてもいいの?」
「え? ああ」
アッサリ肯定された!!(ガーーン)
「お前から離れて、大分俺らしくなったからな。ああ、お前はそういう奴だよ」
再会してからこっち、首に指の感触が離れない。と断言されて、そこまでは・・・と反論したいが、鼻で笑われた。(ガーーン)
「んじゃ一緒に、半世紀くらいかけてのんびり死のうか」
「悠長な心中だな」
「理想だね」
「仕方ないな。理想に、本と酒と紅茶と昼寝と柿ピーがおまけでついてきても我慢する」
「や、柿ピーは・・・」
「お前の主食だろ。もっと喰え。肉とか、野菜とか」
「本に熱中してると、つい・・・。あと常備食であって、主食じゃないよっ」
「年の半分、本にひっつきべったりだろうが、お 前 はっ!」
「食べます。ハイ、すみません」
「絶対ビタミンと脂肪足りてないぞ、お前・・・」
うっ、しまった。いつもの愚痴説教が・・・。
と、夕風がふわりと薔薇の香をとばした。
「けど、なんで「黄色の薔薇」だったの?」
ああ、とロイエンタールは前髪をかきあげて、平然と答えた。
「お前が一番好きな花だから」
「な、なんで知ってるの!?」
「幼なじみだから?」
ロイエンタールはサラリと答えたが・・・・うわぁー、かなり恥ずかしい。
「なんで知ってるのっ!」
「見てたから」
頼むからもう喋るな!!
 
 溢れる薔薇の花の香りよ 君がみ名の愛しさよ
 斯く薔薇色の人生
 花は枯れども 香り永久に消えじ

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