LA VIE EN ROSE   1
         ありったけの花をキミに
 
〜其は懐かしき情熱の赤
「ん〜〜」
「どした? ロイエンタール」
「みごとだな。この時期に満開の薔薇・・・奥方の趣味か?」
真っ昼間からお茶にさそわれて、やってきたミッターマイヤーの「家庭」という言葉がしみて来るような家の庭に出されたテーブルでさわやかに・・・さわやかな雰囲気になじめずにロイエンタールは表面上は優雅にローズティーをかっくらっていた。
「ああ、エヴァの庭はすごいぞー。今から秋までずーっと薔薇だ」
「そりゃ凄い」
薔薇の海のような庭を、ミッターマイヤーは呑気に綺麗だといっているが、実際それがどの程度「凄い」ことなのか、ロイエンタールにはなんとなくわかった。
彼の屋敷にもそれは見事な庭園があった。
「そういや最近屋敷に帰ってないな」
ふと思い出した。もしかしたら尋常じゃないくらい帰ってない、のか?
「ん? どーした、ロイエンタール?」
「いや、なんでも・・・」
ブワッ
突如とした春の風に舞い上がった薔薇の香が、容赦なくロイエンタールに押し寄せ、彼のうなじを通りすぎていった。
「・・・・・・」
香り、それは五感のどこで繋がるのか。
それは常に過去をつれてくる。
明確な何かではなく。ただ、懐かしいな。と。
いつ、どこでかは思い出せない。
けれど思い出した「だれと」。
「ふーーン」
頬杖をついたまま、つまらなそうに呟いた。
「まだ、覚えてたか・・・」
疾うに忘れたと思っていたのに。と。
「どうしたか? ミッターマイヤー」
双璧の片割れがロイエンタールを凝視したまま、凄まじく間抜けな顔で固まっていた。
カップを取り、中の紅茶を飲み干してからロイエンタールが見なおしても、まだ同じ顔をしていた。
「本当にどうかしたのか?」
「ロイエンタールが笑った・・・」
「それが、固まるほど珍しいのか?」
流石に心外だとロイエンタールは思った。
「だってお前、今・・・」
ミッターマイヤーは何かを言募ろうとして、言葉に詰まった。
戸惑いが勝った顔だ。
何度か迷い、笑って誤魔化そうとして失敗してから、観念して口に出した。
「すげー幸せそうな顔してたぞ」
「ほう?」
ロイエンタールは皮肉げに喉の奥で笑った。
正直に言えば彼は不愉快だったのだ。
今日の薔薇も、その香りも、そしてそれが呼んできた古い記憶も。
そして今の言葉も。すべて薔薇のトゲのように不快だった。
 
そうか、おれのしあわせは、「不快」なのか。
「不快」がおれのしあわせなのか。
ならしかたない。
しかたがないな。
 
「なぁ、思い出したんだが、今日、四月四日だな?」
「だから、約束しただろうが。二人とも休みが重なったから」
忘れたのか? とミッターマイヤーの声が少し大きくなった。
「いや、忘れてたと思ったんだが、未だに覚えていたらしいな」
「は?」
「フラウ・ミッターマイヤー。薔薇を何本か、頂いてもよろしいですか?」
軽食を持って庭に出てきたエヴァに、ロイエンタールが振り向いた。
それは、なにかの拍子だったのだろう。
偶然の、産物なのかもしれない。
けれど、エヴァも、目で追ったミッターマイヤーも見た。
吐息交じりの一瞬の微笑みは、確かに「やさしい」といわれる種類だった。
親交の長いミッターマイヤー夫妻は、初めて見る彼の人の穏やかな姿にしばし目を丸くしていた。
 
それが「おれのしあわせ」だというのなら。
オールドロズに思いを寄せて。
せめてもの敬意を表そうか・・・。なぁ?
 
 
「ヤン少佐、お届けものですよ〜」
ここは常に常に仕事に追われ続ける帝国軍内部のある部署。
もう、仕事がありすぎてありすぎて、やってられるか。という気分で段々人相が悪くなってくるが、こう暇を見てふざけているあたり、他所の部署が思っているよりもここは、はるかにひょうきんな部署だった。
「んー、はい。どうも〜」
書類の束の山のむこうから、その軽い空気のおもな発生源が飄々と云う。
この人物にかぎっては、そもそもいそぐ気がはじめからないのだ。
「ほぉ〜、ヤンに薔薇の花をもらう甲斐性があったとは」
「いや、心当たりはサッパリ。けれど、誕生日に花をもらえば嬉しいね」
書類の山から顔をのぞかせて、確認してから笑みを浮かべた。
「えー、少佐って今日が誕生日なんですか?」
「心当たりないって、どっかからの呪いじゃ!」
「うわー、やっぱり! 誰かに恨まれてそう!」
「やっぱりってなんだ、やっぱりって」
こんな善良な人間前にして。
立ち上がりながらブツブツと言えば、ノリのいい同僚全員がナイナイと首を振る。
「それにその場合、赤じゃなくて黒薔薇だろう。確か「死ぬまで恨みます」とかって花言葉だったから」
「うわっ、そんなブラックな花言葉アリなんですか?」
「どうしてネタだけは豊富なんだお前は」
「おい、ヤン。けど本当に大丈夫なのか、これ。トゲついたままだし。カードもないみたいだし・・・」
一番仲のいい、ふてぶてしいツラの同僚が心配げに問う。
「いや、花屋の薔薇じゃないね、コレ。こんな開ききった薔薇売らないよ。咲いてるのをそのまま摘んできたんだと思うんだが・・・」
デリバリーも花屋じゃなかったし。
カウンターに置かれたそれに、触れようと手を伸ばして。
まぁ、やたら器用に花束にされてはいるが。
「ん? カードついてないって・・・?」
触れる一瞬前で手が止まった。
「なんか変だよな。名前もメッセージも両方無いって」
だって、どっちも無かったら何の意味もなくないか?
同僚が問いかければ軽く目を瞠ったヤンと視線がぶつかった。
「?」
めずらしい、コイツが素で驚いてるなんて。
その顔のまま、まじまじと真紅の花束を見つめて。
そして、目が細められた。
「有朋。自遠方来、不亦楽乎」
今まで聞いたことのない、満たされたようなやさしい声だった。
「ヤン・・・、それなんの呪文?」
「・・・なんでもない。心当たりはあるって云ったんだ。カード無しで送りつけてくる傲慢な奴は一人しかいないね」
そう云ったヤンの顔は、いつもの昼行灯に戻っていた。
「うん、綺麗だよお利口さん。フラット帰ったら活けてあげるからねぇ。それまでいい子にしてな」
花束が犬か猫のように抱き上げられて、なでられる。
問題なさそうだな。と仕事に戻れば、唐突に「あッ」と小さく声がして慌てた。
「お、オイ?」
「ああ、なんでもない。ちょっとフラついただけだ。体調悪いかな?」
なんとも胡散臭い、いつもの昼行灯の笑顔でいわれた。
「やっぱり花束に毒が仕込まれてたんだ!」
「香りが毒!」
「だから、やっぱりってなんだ。やっぱりって」
あと、この部署は全体的にミステリかぶれが多い。
「・・・なら、その花束つれてさっさと帰ればいい」
それまで部下の自主休憩に沈黙を守っていた上司が突然口を開いた。
「卿のせいで仕事が滞る。誕生日なら帰ればいい」
「誕生日に家で独りも寂しいですよ?」
「それは自業自得だ」
「ごもっとも」
けんもホロロに切って捨てられて、一つ苦笑すると、洒落めかして深々とお辞儀した。
「では、お優しいご上司様のお陰をもちまして、今日は早々と帰らせていただきましょうやら」
「イヤミ云ってる暇があったらさっさと帰れ」
「そうですね、こんな体調の日に仕事してもすすみませんしね〜」
((いつも進まないクセに!!))
この部署のトップ2はうっかりペンをへし折りかけた。
この昼行灯が本気出せば、仕事が今の半分に減るはずだとこの二人は信じていた。
((ああ、さっさと帰りたい・・・))
確実に定時に終わりそうにはなかった。
 
 
クスクス
照明を落としたら、部屋中に充ちた薔薇の香りがぐっと濃くなった。
面倒な雑事も、食事より大事な本も、今日のところは全部明日だ。
いささか行儀悪くソファに寝っ転がる。
手にはいつものブランデーだが、今日は珍しく氷を用意した。
悪くない。誕生日にしては悪くない日だ。
それでも今日でいくつになったとかは考えたくないが。
「けど、誕生日覚えててもらったら、やっぱり嬉しかったよ」
薔薇の香りが全身をやさしくなでていく。
過去からやってきた友人に、ダンケと感謝を囁く。
クスクスクス
「っあいつ、明日までもちそうにないのばっか送ってきたなァ、芸が細かいのかなんなのか」
薄目を開けて、薄暗がりの中の薔薇のシルエットを見る。
細められたヤンの黒瞳に、妖しくも優しい艶が灯る。
昼間、薔薇を抱き上げたときの、不思議な官能を思い出した。
キリキリと薔薇から小さな鉤爪が伸びてきて、不意に心臓を鷲掴みにされたようだった。
息も出来ない、あの快感を。
「こーゆーの、焼けぼっくいに火がついた。ってゆーのかね」
へらりと笑おうとして失敗した。
昔のことを思い出したら、相手の直接的な愛撫まで思い出してしまって、暫し、自分で照れた。
こんなん考えてるの、自分だけだったらどうしよう?
・・・かなり寒い。
「けーど、真紅の薔薇だよ? 薔薇ってどーよ」
あの相手に限っては、何も考えずに送ってきている可能性がある。
・・・・・・さらに寒い。
「っかしーなー。飲んでるのにちっとも温まんないなーー」
やっぱりアレか? 相手が悪かったというやつか?
間違いなくその通りだ。
まぁ、でも、あれだ。
「これは是非とも「お返事」を送らなくちゃねぇ」
是だろうが否だろうが。
大分久しぶりだが、それでも火はついたのだ。
「その気がなかったら、その気にさせるだけの話だ」
ヘラリと恐いことを呟いて、
もう一度薔薇を置いたほうを見て、にっこり笑う。
「いいや、このまま寝ちまえ。・・・おやすみ」
薔薇の香りにつつまれて、好い夢を。

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