エヴィル・スピリッツの子守唄 3

 

 

「ごめんくださーーい、こんにちはーー」

午前の空気が温まりはじめたころ、その声がロイエンタール邸に響いた。

 

扉が開いたのに気づいてロイエンタールが顔を上げる。とりだしかけていた古めかしい装丁の「墨子」を本棚に戻しながら目を細めた。

「来たな」

「ああ、来たよ」

ソファを示されて素直に座ったヤンだったが、ぐるりと部屋をみまわす。

「どうかしたか?」

「ああ。君の私室にくるのも久しぶりだけど、あんまり変わってないなぁって」

「そう、みたいだな」

さらっといったロイエンタールにヤンが眉をさげる。

「・・・・・、いいじゃないか、どういう事情があれここは君の屋敷なんだよ?」

「それぐらい知ってる」

言外に含まれた拒絶を感じ、ヤンは苦笑するしかない。本棚からとことことソファによってきたロイエンタールだったが、ふと足を止めてヤンを含めた簡易応接セットの空間を見る。

「どうかした?」

「いや、対面に座ったらテーブルが邪魔だなと不意に思った。けれど隣に座ったら、昔の二の舞になりそうで嫌だ。お前の顔を見て話したくもあるし、今考えている」

はっきりいって、間抜けの一言に尽きるセリフだが、ヤンはこれが大真面目であることを感覚的にしっていた。こんなどーでもいいことに限って思考をめぐらすのがロイエンタールなのだ。これが逆に作戦指揮だと瞬時に最善を脳がはじき出すに違いない。

ヤンは直接その指揮をしらないが、きっとそうだろう。

「そんなことをいわれたら私のほうが落ち着かないよ。まぁ、なんだ。初対面みたいなものなんだから、前に座ってくれないか?」

素直に対面に足を組んですわったロイエンタールだが、首をかしげている。しっくりこないらしい。

と、そこに執事が茶を運んできた。場のぎくしゃくした空気に苦笑し、ヤンに「あと一時間もすれば昼食ですからね」とにっこりと笑ってさがる。

ヤンがハタとロイエンタールに話しかけた。

「あ、そういえば何も考えずにきたけど、お昼は・・・」

「いい。昼はオムライスだそうだ」

「え、あっ・・・・・・ハハ、ありがとう」

くしゃりと前髪をかき混ぜると、改めてロイエンタールを見て笑いかける。

「ところで、話があるってどんな?」

「ん? ただ単にお前と話したかっただけだ」

椅子によりかかってなんでもないことのように語るロイエンタール。この男の生来の特権で何をしても優雅に見えるから仕方がない。

「っ」

んでヤンはソファに額をぶつけた。ちょうど木のところで、・・・・痛い。

「ええと・・・・、そうだな、いろいろあるだろう。ここ10何年のこととか・・・」

本っ当に何も考えていなかったらしいロイエンタール。

「ええと、ばーさまが亡くなったことは知ってるよね。マールバッハの屋敷、壊したよ。別にいらないだろう?   あれ?」

「どうかしたか・・・?     ああ、なるほど」

「わたし・・・、なんて呼べばいいのかな?」

しばし途方にくれた顔でお互いの顔を見あう。

呆れたことにこの二人、今までお互いのことを名前で呼んだ覚えがなかった。他人に語るときはフルネームかアレとかあいつとか・・・困った。

「せっかくばーさんが、マールバッハから逃がしてくれたんだから、姓で呼ぶか・・・?」

ロイエンタールはともかく、ヤンが嫡子の息子であるにも関わらずヤンを名乗っているのは、彼らの祖母がマールバッハの名を与えるのを拒んだためだ。いや、その名が与える呪いを。

別にマールバッハの名がそもそも呪術的な何かだったわけではない。この400年のうちにいつの間にか、呪いが名前にまで移ったのだ。マールバッハを名乗らなければ平気というわけでもないのだが、この二人が30を超えていまだ正気でいられるのはそれぞれがロイエンタールとヤンを名乗っているため、というのがなくもない。

「あ。け、けど・・・・あの・・・・な、名前で呼んでくれないかな・・・

ヤンが顔を真っ赤にしてうつむいて云う。言葉の後半は吹けば飛びそうなか細さだ。

「?」

「あ、えーー、えっと、ばーさまが亡くなってから私の名前を使う人もいなくなったし、その・・・」

言い訳がましく、ヤンがしどろもどろで答える。実際言い訳だ。ヤンはただ単にロイエンタールに名前で呼んでほしいだけなのだから。

「・・・・・・・・ウェンリー」

ロイエンタールが低い声で、その響きを試すように口の中でつぶやいてみる。それだけでヤンの頭はのぼせそうだった。

「ウェンリー・・・・、わかった。その代わりお前もだぞ、ウェンリー」

「あ、わ、わかった・・・・」

「ウェンリー? 具合でも・・・」

首の後ろが痺れるから頼むからそう連呼しないでくれとヤンが思っていると、ロイエンタールがその額に手を伸ばす。

思わず身をすくませたヤンだったが、額にふれロイエンタールの瞳が微かに緩んだのに気づいた。

「オスカー、どうかした?」

ロイエンタールは今度こそ笑う。

「いや、おれはただ単にお前に触れたかっただけらしい」

「は・・・」

ヤンを引き寄せ、肩を震わせてロイエンタールが笑う。やっぱりテーブルは邪魔だった。

テーブルの上から抱えあげて抱き寄せる。

「お前、俺とこーするの、イヤか?」

「ええ?」

「昔は何も考えずにやってたからな。考えてみると、あまり世間的じゃないだろう?」

「イ、イイイイイイイイイイイイイ」

「厭そうだな?」

ロイエンタールが首をあげる。

「イヤじゃない!」

茹蛸になりながらヤンが叫ぶ。そうだ。どこのだれが惚れた相手に抱きしめられるのがイヤなものか。

「イヤじゃない、イヤじゃないけど・・・・けど、頭がクラクラして困る・・・・」

ただ触れられるというだけの行為で体がほてり、目が熱に潤む。今まで誰にだってこんな思いはしたことがなかった。恋い恋う。というのはこれほどのことなのかと改めて思い知る。

「うれしすぎるというか、しあわせすぎるというか・・・心臓が止まりそうというか・・・」

「止めとけ。離したくない」

諾の意にうっすらとロイエンタールが笑みを刷く。

ヤンは相手が吸い付きやすいように首を傾けうっとりと目をさまよわせながら、遊んでいる手でロイエンタールの髪を梳く。

「オスカー・・・・、わたしは、はじめて、生まれてよかったと、幸せだと思えるよ・・・」

吐息に混ぜていわれるセリフに、ロイエンタールも口角を上げて答える。

「俺もだ。しかし、どうでもいいんだが、お前そんなカタイ喋り方だったのか?」

「え? あ、フフフ、久しぶりだし、初対面みたいもんだったから、緊張してたのかな?」

「お前が? 俺に? 数少ない血の繋がった身内にそんな・・・・・・・・・・・・・・・・あ」

淫靡な空気に酔って、甘くいちゃいちゃしていた二人の瞳が、同時にぱっちりと開く。

「あーーーーーーーーーーーーーーー!」

ちなみに、叫んだのはヤンだ。

「そういえば、そうなのか・・・」

「もしかして、わたしの身内って、もうお前しかいない?」

「ということは、俺もお前だけで・・・・」

「つまり・・・・・」

二人が勢いよく立ち上がる。

「お祝いだね」

「一族の悲願が成就したんだ、当然だ」

「いや、でも本当におめでたいねぇ」

「清清しく晴れがましい気持ちでいっぱいだ・・・世界が輝いて見えるな」

一族、マールバッハ一族の、それは確かに悲願だった。

この呪いを終わらせること。マールバッハの血が絶えること。

「ムシ」はそれすらも許さなかった。

精神の均衡がどれほど壊れようと、またその風評がどれだけ知れ渡ろうともマールバッハに魅了された貴族たちは伴侶にと望んだし、本人の意思とは関わりなくその能力は高かった。

だたひたすらムシに生かされるだけの生。それはDNAに深く刻まれ、ロイエンタールとヤンにそっくり受け継がれていた。

二人とも、先祖がどれだけ苦しみ苦しんで生をつなげてきたか、イヤというほどよくわかっている。

それは幾重にも積み重なり己にのしかかってきているのだから。

何代ものマールバッハたちは常に、常に解放を望んでいた。救いを。出口を。何よりも、死を。

それこそが、ムシと相対し続ける人生のなかで、唯一の光り輝く希望だったから。

それがわかるからこそ、たとえ何と名乗ろうともロイエンタールもヤンも「マールバッハ」だった。

そして、お互いがお互いの狂気の安全装置となることで、最後のマールバッハになるのだ。

「ばーさまがおっしゃってたのはこのことだったのかな」

「ん?」

「最期のお言葉が「オスカーと仲良くしなさい」だったんだよ」

「フゥン」

ロイエンタールは15の年にマールバッハから離れているので話しかしらないが、祖母はおととし72で亡くなったと聞く。30過ぎて正気で奇跡、決して50は越えられないマールバッハで、彼女はすでに生き神も同然だった。老いた身にありながら、いつまでも少女のようにやわらかく微笑む人だった。祖父母、最後のマールバッハ伯爵夫妻は、寝ても覚めても白い悪夢に蝕まれるマールバッハにあって、はじめて夢から覚めていられた人だった。はじめてマールバッハを絶やすために動くことのできた人たちだった。

その二人にしても、ムシの範囲を狭め、好奇の視線を遠ざけることはできても、血を絶やすことはできなかった。その孫の自分たちで、やっと終わらせることができる。

きっと祖母はその予感をみることができたんだろう。彼女が笑って死んだだろうことを思ってロイエンタールは安堵した。

親近感や連帯感はあっても好意はめったにおこらないマールバッハの中で、祖父母は特別な人たちだったからロイエンタールも少しばかり好意をもっていた。あいにく祖父は51の時に二番目の伯母と亡くなっているから、祖父の時にはまだ確信にはいたらなかったはずだ。

祖父母がいなかったら、おそらく自分たちでもムシに勝つことはできなかっただろうから。

「まぁともかく、祝いだ」

「宴会だね」

「オムライスでか?」

「オムライスでだよ」

顔を見合わせて悪戯のように楽しそうに笑う。

「けど酒もほしいよな。こーゆーときに「とっときの酒」を用意しとくべきだったか」

ロイエンタールは割と骨の髄までマールバッハの子なので、いい酒は手に入ると飲んでしまう。

「あ、あるある。官舎に一本美味しいウィスキーが」

「じゃぁ午後は引越しのついでに酒もって、途中の酒屋で酒買って、俺の官舎くるか?」

「いーよ別に、今すぐ官舎引き払わなきゃいけない理由もないんだし、引越しなんて追いおいやってきゃいいだろう・・・・・・って、違う、違うだろうオスカー、その前にいうことあるだろう」

「え? あ・・・・」

「「一緒に暮らそう」」

なんとなくしっくりこないセリフではあるが、ほかにいいようがないので仕方ない。

「悪い、今思い切り決定事項だと思ってた」

「わたしも思ってた・・・・」

「まだ子鬼が残ってるか・・・?」

「かもね。まぁ別にいいよムシじゃないし」

ロイエンタールは頭をふって思考を切り替える。

「まぁいい。それよりもオムライスだな」

「ってお前さんさっきからえらいオムライス強調するけど、何か恨みでもあるのかい?」

二人はわりと機嫌のいい足取りで部屋をでて食堂にむかった。

ところでお二人さん、さっきの続きは?

「後回しだ」

「だね」

地の文に返事ありがとう。

 

ちなみにお昼は執事さん特製の黄身がふわっふわのとろっとろで、豊潤なホワイトソース、後味がなんともいえずさわやかな、めっちゃくちゃにうまいオムライスでした。

 

そしてプロローグに続く。

 

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