エヴィル・スピリッツの子守唄――エピローグ
『どう?』
一度だけ、ただ一度だけ、彼女が晴れ着を見せにきた。
彼女の実の父親の伯爵だか公爵だかから、贈られてきたといううわさのソレは華やかな青で、一張羅として十分な豪華さで、仕立てもすばらしいものだった。
けれどそれを着る彼女の目つきはいつもどおり険が強く、高飛車で傲慢でヒステリックな雰囲気は、お世辞にも綺麗とも可愛いとも思えず、彼女が酷く惨めに見えて悲しかった。
女は顔じゃない、性格だ。と太古からいわれたりいわれなかったりするが、確かに性格が悪ければ美人も美人とは見えないのだな、とむなしく納得したことを覚えている。
あの時、自分はなんと答えただろうか? いや、なにか答えを返しただろうか?
去っていく彼女の後姿は思い出せるのに、どうしても思い出せない。
可愛くも、綺麗でもなかった。
けれど、それでも、私にとってあの秋の西日の廊下の彼女は・・・あの瞬間だけは・・・
「っ・・・・・・・」
↑頭突き痛かった。
「ところでウェンリーが私の屋敷に来るとかいったな」
↑オベもちょっと痛かった。
「だってあの至近距離から頭突きが来るとは思わんだろうが・・・」
「話を聞いているか? オスカー」
再び名前を呼ばれてロイエンタールに虫唾がはしる。ここでだんまりを通すと絶対に名前を連呼されるので、仕方なしに顔をあげる。
「前から一度、お前に聞いておきたいことがあった、できればウェンリーのいないところで」
「何だ」
「お前、自分の実の父親のことを知っているんじゃないのか?」
一瞬、ヘテロクロミアから一切の表情が消える。次の瞬間、ロイエンタールの顔からオーベルシュタインへの反発がなくなっていた。
「なんで・・・俺が知っていることがある?」
「でなければ、なぜそんなにロイエンタール家を避ける?」
「俺が生まれる前のハナシだぞ。ロイエンタールの使用人たちですら愛人がいた「らしい」としかしらなかった相手だ。母が十月十日おとなしく妊娠していたのだから、いなかったのかもしれない。どっちにしろ俺の知ったことじゃない。俺は俺でしかない」
「そうか・・・」
「それともあんた知ってるのか?」
「いいや、知らん。が、思うところはある。それを確かめたかった」
「確かめられたか?」
「ああ、「大体アタリ」ぐらいだということはな」
「そうか、それはよかった」
少し間があって、またロイエンタールが口を開いた。
「マールバッハに自分の子供は殺せない。自分の呪いに手一杯で子供に向ける愛情がないから。子供の呪いは子供が自分でどうにかしろということだ。母には俺がムシに見えたのか・・・それとも。どのみち、母はあの瞬間、マールバッハに勝ったんだ。仕損じたけどな。おれがロイエンタールを避けるのはたとえ一瞬にせよ自力で悪夢を破った母に敬意を表してのことだ・・・・・・ウェンリーと一緒に顔を出すだけはしてやる」
最後にこっそりと約束をつぶやいて。
「呪われたマールバッハ・・・か」
「は?」
上官のつぶやきにフェルナーが顔をあげる。
「半世紀ほど前まで、社交界で時候の挨拶なみに影で噂された伯爵家のことだ。あれでは呪いといわれてもしかたがないな」
「・・・・・、呪いなんて非科学的なことがおこるものですか?」
「どうだろうな。私の目にはかの家が狂気に蝕まれていることしかわからない。ただ、あの狂気に名前をつけるならやはり呪いということになるだろう」
オーベルシュタインは顔の前で手を組んで、瞳を閉じる。義眼が見えないと急に普通の顔に見えるのだ。
「あの家の人間は誰もみないびつに歪んでいて個性的だった。まるで抽象画のように」
「抽象画と狂気は違うでしょう・・・?」
「違う、けれど共通点もある。理解はできないが、それでも目が離せない」
静かな森のようにつぶやくオーベルシュタイン。きっと彼の中の景色はどこまでもどこまでも澄んでいるのだろう。
「ああ、あのころはあの二人も私に優しかったのにな」
思い出に浸っていたオーベルシュタインがつぶやく。
「一体どれだけ前ですか・・・」
「あのウェンリーとオスカーの従姉が亡くなる前だな。彼女は私の幼馴染で、いつも喧嘩ばかりしていた。年下の彼女相手に平気で本気で怒鳴っていたものだ、もちろんやり返されたが・・・しかしあの二人はなぜあのころの私には好意的だったのだろうか・・・?」
当時の自分は若く、大人気なかった。今思い出しても馬鹿だと思うが、それでもあの二人のほうから自分に話しかけていた。あれはいったいどういうことだったのだろう・・・?
それがオーベルシュタインの尽きせぬ謎だった。
「と、いうわけでパウル、お土産です」
不機嫌そうなロイエンタールを連れ、オーベルシュタイン邸にやってきたヤンが屋敷の主に手土産を渡し、にっこり笑う。
「よくきてくれた、ウェンリー。・・・オスカーも」
上機嫌で(しかしほとんど無表情で)オーベルシュタインが応えるが、やっぱりロイエンタールには睨まれただけだった。さっさと帰りたいオーラを全身から陽炎のように立ち上らせて紅茶を飲んでいる。
「パウルには、長らくご心配をおかけして、申し訳ございませんでした。これからは二人、死出の門をくぐるまで仲良くやっていくつもりでおりますので」
「いや、何も力になれずにすまなかった」
「イチオウ、あんたの言葉が役に立ったから、礼をいいにきてやった」
突然ロイエンタールが、ドスのきいた(けれど当然オベには微風にも感じない)声で言う。
「私が? 何をいった?」
「失ってから気づいても云々とかいっただろう」
「・・・・・・・・・・、相当前だな・・・」
二人の従姉のトルーデが死んですぐのあたりだったはずだ。まだ少年だった二人にもっとお互いを大事にしてほしくてそんなことをいった気がする。自分のような思いはしてほしくなかった。いつもどおり四つ目の子鬼は森の木でもみるような顔でオーベルシュタインを一瞥しただけだったが・・・。
「姉さんの生前からあんたはあの人を特別視はしていたが、大事にはしていなかっただろう。失ってみてはじめてそれが大切なものだったと気づいた・・・とかゆうのもよく聞くはなしだ。けれど、それも失う前に対象を特に想っていた様子はないから、失うことで価値が発生するのかもしれないと思った」
淡々と話すロイエンタールを、オーベルシュタインが信じられないものを見る目で見ている。
そんな話をきいてだれが「それじゃあなくしてみるか」とか思うのだ。けれどこいつは間違いなくそれが理由でマールバッハを出たのだ。あの時の私の苦しみをしってなおソレをいうのか、とトルーデへの想いを否定していることを忘れて思わず怒鳴りたくなったが、失う苦しみですら味わいたいほどこの二人には何もなかったのだと思い知る。
「これを大事に思うかと聞かれれば、今でも返答に困るが、けれども昔と違ってウェンリーが俺ではないことはわかるし、思考が同調することもない。たまに共鳴して同調に近づくが、まぁ、どうにかできる程度だ。最近は・・・こいつといると楽しくもあるし。お前の一言のおかげだと思えば感謝のもしてやらんでもない・・・」
イマイチ愛のないセリフだが、ヤンは照れ隠しに紅茶をすする。相当うれしそうだ。
「なんとなく感謝の意が伝わらんセリフだが・・・ウェンリー、本当にこいつでいいのか?」
「え、あ、ああ。まぁ、幸せにしてもらってますし。日々・・・」
「いっぱいしゃべって疲れたから、もう喋らない」
と足を伸ばしてソファに沈む。
「・・・・・・・・・ウェンリー、本当にこいつは大丈夫なのか」
「大丈夫デスヨ」
にょほほん、と美味しそうに紅茶を飲んでいる。本当にこいつらは大丈夫なのか・・・。
「それにオスカーが拗ねてみせるのは、気を許した相手だけへの甘えですから」
拗ねる、だの甘える、だのをロイエンタールに使えるのは、ヤンぐらいなものである。そのせりふによる反応を確かめたいと思ったが、昼寝前の猫のようなロイエンタールの一瞥にはどんな感情も伺えず、ロイエンタールは首をすくめてヘテロクロミアを閉じてしまう。
「って、ありゃ? 本当に寝たかな・・・。すみません、パウル。コレなりに譲歩したんですよ」
「・・・、まぁ、気位の高い猫が気を許して寝姿を見せてくれると思えば腹もたたんか」
「昔からパウルはこの男のお気に入りですから」
「・・・・?」
オーベルシュタインは何かの聞き間違いではないかと思った。昔からロイエンタールには蛇蝎のごとく嫌われている。
「忘れましたか? トルーデ姉様が亡くなるまで、あなたに話しかけていたのはオスカーだけでした」
「・・・・、そうだったか? 確かお前たちはずいぶんと大きくなるまでまったく喋らなかったから、ご近所からおしだと思われていたが」
「喋る必要を感じなかったんですよ、あのころは。周りのことに興味もなかったですし」
「思い出した。オスカーの表情が険しくなったのは、そういえばトルーデが死んでからだったな。やはりトルーデをこの世に引き止められなかった私を恨んで・・・」
「いたというよりも、トルーデ姉様の死で変わったあなたが気に食わなかったようですね。パウルはあれから急に私たちを心配するようになったでしょう?」
「トルーデが生きている間の私が子供すぎただけだ」
きっぱりと断言するオーベルシュタイン。自分が子供だった時の言動というのはいくつになっても許せるものではない。
「私もですけど、ギャンギャンとわめきあう姉様たち二人が好きでしたよ。楽しそう・・・というには無理がありましたけど、生き生きとしてて」
「トルーデは・・・・私の、天使だった」
オーベルシュタインが自嘲して顔をあげると、青と黒の瞳たちが胡乱そうにオーベルシュタインを凝視している。
「「そらまた偉く目つきの悪い天使で・・・」」
「お前たち、今私の義眼の性能を思いっきり疑っているだろう」
「・・・だって、なぁ、姉さん性格悪かったし・・・」
「ねぇ?」
「姉さんが天使なら、オフレッサーの化け物だってリヒテンラーデの妖怪だって天使になれるぞ・・・」
目配せで互いの意思を確認するヤンとロイエンタールだ。本当にマールバッハには親近感はあっても好意はない。
「笑いたければ笑え。確かにトルーデはヒステリーで、高飛車で、高慢で、元が美人なぶんギスギスした、張りのない肌が薄汚れて見えるような女だったが・・・可愛げなんて欠片もなかったが、それでも・・・私の天使だったんだ。一瞬だけの、錯覚かもしれないが・・・」
再び目を見交わしあった客二人だったが、ロイエンタールがまなざしだけでヤンに後を託す。
かすかにヤンは頷いてあらためてオーベルシュタインにひざをむける。
「パウル、それはマールバッハの血が見せたものではありませんか? あなたもご存知でしょう。あの家の人間は精神の薄弱さの代わりに、美貌ではなくて人を惹きつけましたし、オスカーのように能力の高いものもでましたから」
「それでも、私がそれを覚えているのだから何も変わらない」
「パウル、オスカーはあなたが姉様の死にショックを受けていたことが嫌だったのですよ。あなたにはマールバッハと関係ないところで幸せになってほしかったんだと思いますよ」
「それは仕方ないな、トルーデが死んだ以上すべてが余生だ」
きっぱりとしたオーベルシュタインのせりふに、わかっていたことだったがヤンから諦めのため息がもれた。
「けれど、オスカーがそんなに私を案じていたとは知らなかったな・・・」
口の端で小さく笑ってオーベルシュタインが腰を浮かせる。そして、ロイエンタールは突然降ってきた手のひらに警戒し、毛を逆立てていた。
オスカー・フォン・ロイエンタール、あんたは寝ているのか? それとも本当に猫なのか? 人間ならもっと他にやりようがあるだろうが、なんだ、そのわけがわかってない顔は!
「あの、パウル・・・イチオウいっておきますけど、オスカー、頭なでられるのは本当に嫌いですから・・・」
ヤンはアハハ・・・と力なく笑って見せた。
私が本編中、入れたくて入れたくてたまらなかったけど、書くとハナシが違うものになりそうだったから涙を呑んで諦めたおまけを見たい方は→ 主にオーベルシュタインが変