エヴィル・スピリッツの子守唄  2

 

初恋だった。

それは間違いなく初恋だった。

ふと振り向いたその笑顔が、それがまぎれも無く初恋だということを教えてくれた。

 

一生に一度あるかないかの恋だと思ったのだ。だから、だから「ソレ」はきっと、いや絶対に「一世一代の告白」だったハズなのだ。そう、ハズなのだ。

なのになんでその答えが、

「ん? どうぞ?」

なんだ!?

けれど悲しいものでにっこり笑って両手を広げられたらもう他に考えられることもなくて。

ただ当たり前の成り行きとして抱きしめた。

肌を合わせた時、彼の体が男に慣れていることがわかった。

同性とは初めての行為だったが、想像よりも無理がなかった。

まるで少女のようにきめ細かく甘い肌、柔らかい微笑み、穏やかに伸ばされる腕。なにもかもが緩やかで、暖かで、激しさとは無縁の。

それでも絶頂から逃れることは出来ず、彼の体の奥からほぅと漏れた吐息と

「ミュラー、お前は、あたたかいね」

同性同士の交合の苦痛など知らぬげな微笑。

熱く猛る体が不意に春風にさらわれる。そして突き刺さる鋭い痛み。

何かがとても哀しくて、つながった体のまま泣いた。

胸をふさぐ想いに声も無く涙をこぼしながら、やわらかい指が髪を撫でているのを感じていた。

それはとても優しくて、とてもとても優しくて、とても苦しかった。

 

それ以来抱くたびごとに後悔して、抱くたびごとに優しくあやされ、もう二度と求めるまいと思いながら気がつくとまたフラットのドアをノックしている。

彼はいつも柔らかく迎え入れてくれた。

その肌はとてもとても気持ちよくて、抱きしめてくれる腕は温かくて、頭を撫でてくれる指は穏やかで。

その微笑が優しくて。

真綿でくるまれたような、その仮初めの幸福のために気が狂いそうだった。

今度こそ、終わりに出来るのだろうか?

 

「ヤン先輩、大丈夫ですか?」

そのヤン先輩は扉を閉めたとたん、ズルズルと崩れ落ちていた。

「っあーーーーー、緊張したぁ・・・」

「あの、先輩、さっきのアレはいったい?」

「さぁねぇ、いったいなんだったんだろうねぇ・・・」

とぼけているというより、どこか投げやりで。

「ロイエンタール提督とお知り合い、だったんですよね?」

「そう、知ってる、よく知ってる。けれど何も知らない。そんな、ね」

「聞いても、いいですか?」

眉を下げ、ヤンがミュラーを見上げる。か細く微笑んだ。

「ぜんぶ、聞いてくれるかい?」

 

「オスカー・フォン・ロイエンタールの母親のことは知っているかい?」

「ただの、うわさ、なら。・・・・・・・・発狂して飛び降り自殺だったとか」

「うん、私もそう聞いた。祖母から、彼女の母親からね」

「え?」

ヤンは片膝を抱えて天井を仰ぐ。

「私の父が彼女の弟でね、四人姉弟の末っ子で、あの男の母親は私の伯母上なんだ」

それはつまり・・・、ミュラーが呆然とつぶやく。

「従兄弟・・・」

「ん、一応ね。私は庶子で母の姓を名乗ってるんだけどね」

黒い瞳が揺れて、何気なくマグカップに手を伸ばす。

「マールバッハ伯爵家、社交界じゃ有名だったそうだよ、「呪われた伯爵家」ってさ」

膝を抱えながら普段なら絶対手を出さないほど糖度を上げたホットココアを両手で掴む。

「えっと、本気で云ってます?」

「さぁ? けれど精神を病みやすい家系でねぇ、30過ぎて正気なら奇跡だよ。レオノラ伯母上が珍しいわけじゃないんだ」

「先輩、それは、病みやすいという限度を超えてるんじゃ・・・」

「どうだろうねぇ、マールバッハにしてみればそれが当たり前だったんだよ」

ヤンの瞳が一瞬極限まで冷める。

「「ムシ」に食われるから」

いわれの無い悪寒がミュラーの背を滑り落ちた、けれどすぐになぜそんな悪寒を覚えたのかわからず首をかしげた。

「それは・・・?」

「マールバッハにとっての呪いの原因さ。実態があるわけじゃない、別に何がどうってわけでもないんだけど、それはとにかくマールバッハの人間には明らかな恐怖なんだよ。怖くて、恐くてたまらない。理由なんかない、声も出せないくらいの恐怖・・・言葉にすると陳腐だね。もっと早く喋ればよかった」

けれどヤンは思う、白く、霧のごとく、さざなみのごとく押し寄せる、靄。けれど一つ一つは細かい虫のようにうごめき、足元に、腕に、喉に這い上がってくる、執拗に繰り返される波に精神を疲弊させられ、魂を蝕むムシ。あれは誰にも伝えられない、伝えたくない。

あの化け物のせいで人の情に薄いマールバッハたちはマールバッハという一つのくくりで繋がれていた。

「それで・・・先輩たちは?」

「ああ、私もあいつもマールバッハ家で育ったんだよ、私の母は物心つく前に亡くなっていたし、あれがなぜマールバッハに居たかは、そーいえば知らないけど、きっとロイエンタールの伯父上が持て余したんだろう。父の二番目の姉も従姉と一緒に戻ってきてたし、そーゆーもんなんじゃないかな? ウチの親戚はっきりいって一緒に居ると神経磨り減るし。30越えて正気で奇跡なのはマールバッハの伴侶も同じだから」

ふっと笑ってぺたりと開いた右手を見る。

「手をね、つないでたんだよ。ずっと、ずぅっとね。一緒に。同じものを見て、同じものを聞いて、・・・同じことを考えて。あの頃のことはあんまりはっきり思い出せないんだけど、別々に居たことなんてなかったんじゃないかな? 誰も私たちを区別なんてしなかったし、私たちも自分と相手の境なんて気にしなかったし、隣のお兄さんは「四つ目の子鬼」って呼んでたな。きっと正解だよ」

ぷるぷると頭をふる。

「あのころね、ホントまずかったよ。半分くらい人じゃなかったし。一緒に居ても一緒にいる感覚ないんだよ。あいつのことなんか考えたことないし、物理的に手ぇつないでてだよ? 感触も人肌も感じないって、そりゃあありえないだろう、普通!」

ハァと息をつく。が、深刻な話なはずなのに、あんまり深刻そうじゃない。

「現実味無いんだよね、あのころって絶対ムシに喰われてたんだろうなぁ。向こうも私を抱いてもなにも感情とかなかったはずだよ、毎晩「夜寝る前には歯を磨きましょう」的にフツーのことだったし。私もそんな感じだったし。アレなんだったのかなぁ、ウチやたら血族婚多いからソレだったのかも。じーさまとばーさまもイトコ同士だし」

「それは・・・っ」

ミュラーが一番気になっていたことのはずだったが、あっさりと普通に話された。

むしろそっちにショック。

「け、けど、さっき云ってましたよね? 「あたたかい」って」

「そう、吃驚したよ。だから、うれしかったなぁ・・・」

ふとヤンが笑った。ミュラーが一度も見たことの無い笑みで。

「ロイエンタール提督と、ヨリを戻されるんですか?」

「ヨリ・・・戻すってゆーのかなぁ、元の鞘には戻りそうだけど、前の二の舞はヤだなぁ。あれだけは本気でいやだよ。だけど、・・・だけど、ね、あいつの顔、今日初めてみたんだよね。意外と、意外と・・・」

ミュラーをまっすぐに見て破顔する。

「惚れたかも」

云うだけ云ってからハっと気づいて照れた笑みだ。

「ってーか、アハハ、君の前で云う台詞じゃなかったね」

「ハァ、って先輩・・・、つまるところノロケですか?」

「だから、ごめんって」

笑いながら謝罪する言葉に、なんだかんだ云ってミュラーも笑みになる。

「しょうがないですね、といいたいところですが、貴方のそんな笑顔は初めて見ましたから、むしろ役得としましょう」

ヤンは苦笑をごまかすためにココアを一口飲んだが、「甘かった・・・」と舌を出す。今までは甘さも感じないほど張り詰めていたのだろう。

「さぁて、これからどうなるのかな。あいつは私のことなんか嫌いかもしれないのにね」

「そのときはどうします?」

冗談めかしてミュラーが問う。

「気長に口説くさ」

そしてまた笑顔だ。・・・本当に、よかった・・・。

「先輩、これからも、遊びにきていいですか?」

「うん、どうぞ」

「ってまた「どうぞ」ですね。・・・・・・・・・、イッコ、聞いてもいいですか?」

「うん?」

「私のこと、ほんの少しでも好きでしたか?」

うつむき加減にいうミュラーに、ヤンは目を瞠ったが、目を閉じて、当たり前のように云う。

「大好きだよ」

「・・・・・・・・はい」

結局最後まで、この人には泣かされるんだ・・・・

 

 

「お帰りなさいませ、旦那さま」

執事が深く礼をとる。

「・・・・」

「オスカー様、ここは貴方様のお屋敷なのですから、予告なくいつでも帰ってきてくださってかまわないのですよ」

事前に「今から帰る」と連絡を受けた執事が言う。ここんちの執事はあんまり当主に遠慮しない。

「・・・・・・・・・・・・・、じじい、明日客が来る」

「お客様、でございますか。それはお珍しい」

生まれる前から知っているロイエンタールだが、客を連れてきたことは今まで一度もない。そもそも本人がこの屋敷を忌避していた。

「何時に来るか聞かなかったが、多分昼前にはくると思う。食事の支度を頼んでもいいか?」

言わずもがななことを云う当主に、執事は頷いて答える。

「あと、紅茶」

「かしこまりました。・・・・・どのようなお客様かお聞きしても?」

くるり、とロイエンタールが振り向いた。少しふてくされたような顔で。

「・・・・・・・・ヤン・ウェンリー」

「ウェンリー様が!? お客様として! 当家に!! ああ、なんと素晴らしいことでしょう。お赤飯を炊かなくては・・・。ああ、長年この家にお仕えしていたかいがありました。オスカー様がご立派に成長なされて・・・」

立て板に水のごとく一人感動の渦に浸って、とうとうとまくし立てる執事を、厭そうに見る。

「ああ、きっと今頃はウェンリー様もさぞや大きくおなりになられて、今でもオムライスはお好きでいらっしゃるでしょうか? お出ししてもお怒りになど・・・いえいえ、あのお優しいウェンリー様ならきっとわたくしの気持ちを汲んでくださって・・・」

「ジジイ、お前俺のことキライだろう?」

ロイエンタールはあんましオムライスが好きくない。

「なんということでございましょう、この爺、敬愛の限りを尽くしまして旦那さまにお仕えいたしておりますのに」

「朝メシいらない」

自分の世界に首までつかって恍惚としている執事を置き去りに、ロイエンタールはさっさと主寝室の重厚な扉を無常に閉める。

ベットの隅においてある寝巻きを見つけて、ひとつため息をついた。


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