エヴィル・スピリッツの子守唄 1
「・・・・・・・・・・」
無機質なまなざしでベッドの上に座り込んでいる少年がいる。
そのおとがいを無造作に掴み、もう一人の少年が唇をかさねる。
「・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・」
観音開きの大きな窓から秋の陽がさし込んでくる、何も言葉のない空間だった。
「ヤン先輩!」
廊下で見覚えのある影をかいま見た気がして思わず振り返ったミッターマイヤーが、懐かしい人に再会し歓声をあげる。その懐かしい人は記憶と寸分たがわぬ笑顔で応えてくれた。
「久しぶりだね、ミッターマイヤー。いや、今は閣下だったか。申し訳ありません、ミッターマイヤー閣下」
久しぶりの再会だというのに面白いことをいってくれる先輩を、真夏の太陽と同じ笑顔で笑い飛ばす。
「よしてくださいヤン先輩。部下でもない先輩に閣下だなんていわれたら痒くってしょうがないじゃないですか。どうか昔のようにミッターマイヤーって呼んでください。って、俺の艦隊じゃないですよね・・・? 先輩」
「私は資料庫で書類に埋もれてるのが仕事ですからね。お言葉に甘えてプライベートな時はそう呼ばせてもらいます、ミッターマイヤー閣下」
「勘弁してください先輩―――、まぁお互い軍人じゃしょうがないですね。我慢します」
俊敏な動作で落胆を示しながら、一緒にいたビューローとバイエルラインに士官学校で大変世話になった先輩だと話す。
「きっとヤン先輩がいなかったら俺は今頃疾風ウォルフなどというご大層なあだ名とは無縁だったろうな」
名だたるビューロー、バイエルライン両提督の前で持ち上げられたヤンは額を押さえて恥ずかしそうだ。そんなことない、といいたいのだが、昔の関係と今の階級差を考えあわせるとなんといえばいいか迷う。迷っているうちになんだか二人から感謝のまなざしが注がれる。こっちこそ勘弁してほしいものだ。
「そうだ先輩! 今日お暇ですか? 飲みに行きませんか? おごりますよ俺!!」
「天下のミッターマイヤー閣下のお誘いとあれば断るわけにはいきませんね」
ヤンがクスクス笑っているので冗句だとわかったミッターマイヤーが笑顔で首肯し、細かく予定を決めていく。
「じゃ、先輩、できれば酒の席ではその敬語やめてくださいね。お願いします!」
「ああ、今日は用事があって少し遅くなるかもしれないが、必ず行くから。ミッターマイヤー」
昔と同じ動作でくしゃりと頭を撫でられたミッターマイヤーは一瞬目を丸くしたが、少年の笑顔で「楽しみにしてます!」と弾むような足取りで去っていった。
「士官学校の時とまったく変わってないな・・・ミッターマイヤー」
クククと笑っていたがその笑いがふと止まる、しばらく床をなんとはなく見ていたが不意に首をふってヤンも仕事にもどっていった。
「ヤン先輩ってのは本っとーにすごいんだ、戦術センスってのかな? 何度か授業のアドバイスしてもらったんだけどその一言でもうガラっとかわるんだぜ。シュミレーションも相手してくれたけど先輩が卒業するまで結局一度も勝てずじまいだった」
ヤンを待ちながらウキウキと話すミッターマイヤーの言葉を聴かされていたのは、あまり代わり映えのしないいつものメンツであるミュラーとビッテンフェルトとワーレンとロイエンタールだった。
「ってーかなんでヤンだけ先輩扱いなんだーー! お前俺ら全部タメ口だろ!!」
吼えたのはビッテンフェルトだ。
「え??」
止まるミッターマイヤー。視線を泳がせて反芻し、ビッテンフェルトとワーレンとロイエンタールを当分に見て胡散臭げに問う。
「お前らもしかして先輩とタメ年?」
「ったりめーーーじゃあーーーボケーーーー!」
「しっかしヤンがミッターマイヤーと知りあいだったとは、聞いてなかったな」
「へん、あのボケのこった。どーせ言い忘れたことを忘れてたんだろうよ」
「ビッテンフェルト、お前それ酷いから。しかし許せ、フォローできんぞヤン・・・」
今日も無駄吠え注意なビッテンフェルトと違い、ワーレンはしみじみという。ミッタマーイヤーも驚いた。
「親しいのか? ワーレン、ビッテンフェルト」
「ん、ああ、まぁな」
「士官学校時代はたいてい3人でツルんでたからな」
「けどシュミレーションでミッターマイヤーに勝ったって・・・ヤンのやつそんなに成績よくなかったよなぁ・・・?」
「ああ、確か俺らと似たりよったりの中の中ぐらいで」
「だから、つまり、それ以外の科目が全滅だったんだろう」
「「あっ、なるほど」」
同時にポンと手を打ったワーレンとビッテンフェルトだ。
「確かに奴さん実技ほとんど留年しそうなくらい駄目だったもんなぁ」
「あれで俺らと似たりよったりって、もしかして凄くすげぇ? ってあれ?」
「「ロイエンタール??」」
ロックグラス片手に突っ込みを入れたロイエンタールに同級生二人が首をかしげる。
「ん、どうかしたか?」
「お前、士官学校時代に俺らと話したこと、なかったよな?」
「・・・、そうだな、士官学校のときはなかったな」
「お前、ヤンのことしってんのか?」
「・・・・・・・・、だから、同級生なんだろう?」
「ああ、同級生、なんだが・・・」
「学年主席だった俺に戦術シュミレーションで勝ったやつは、一人しかいない」
「はああああああああ!? ヤンがか!?」
「つか、そーーーゆーーーことは話せよヤン!!」
「って、帝国軍の双璧にシュミレーションで勝つなんて・・・ヤン、今にして思えば凄い偉業を達してたんだな・・・」
「そうですか? 私なんていまだにシュミレーションで負けますが。・・・というか勝った覚えがありません」
その発言は・・・・・・ミュラーだった。
「はああ!? お前らみんな先輩と知り合いかよ!! うわショック。知る人ぞ知る穴場レストラン紹介したら相手が常連だった並にショック」
「それ、たとえになってないぞ、ミッターマイヤー」
どこまでも冷静にロイエンタールが突っ込む。
とそこに柔らかな声が割り込んだ。
「ごめん、ミッターマイヤー遅くなった・・・・あれ? ビッテンフェルトにワーレン。久しぶり」
「ってナニが「久しぶり〜」だよヤン! ワーレンの結婚式以来じゃねーーーか!!!」
「そーだそーだ、たまには連絡ぐらいしろ。ったく、友達甲斐のないやつめ」
「いや、すまないね、目の前にいないと忘れるタチで」
「「鬼かーーーー!!!」」
「というのは勿論冗談で、お前たちのうわさはよく聞くもんだから、会ってないなんてついつい忘れがちで」
「はっ、どーせお前みたいなものぐさ友達にもった俺らが悪いんだろーよ」
「言うなビッテンフェルト。人生がむなしくなる」
と、同期の桜のあからさまな当てこすりなどどこ吹く風、にこやかにミュラーに話しかけていた。
「やぁミュラー、こないだはただの風邪なのにメロンなんてもらって悪かったね」
「いいえ、先輩。良くなってよかったです」
「自慢した俺がただのアホじゃないか。ミュラーはどこで先輩と?」
「ええ、私の初めての配属が先輩の部署で、なれない私にずいぶんよくしていただきました」
当時のことを思い出したのか、いつもより笑顔が優しい。
「確かにちょっとばかり世話をしたのは事実だが、その後わたしのこの性格のせいで心配をかけまくって今でもちょくちょく連絡をくれるんだよ」
などと微笑ましそうでいて、じつは大分情けない話をしながらロイエンタールの右隣に腰をおろそうとして、初めて気づいたようにロイエンタールのほうをむく。いや、気づかなかったことに目を丸くしているようですらあった。
このそこにいるだけで目立つロイエンタールを、である。
「・・・・、はじめまして、ロイエンタール提督。ヤンといいます」
「・・・・・ロイエンタールです」
何事かをためらったようにヤンは瞳をそらし、ロイエンタールも無表情にグラスを見続けていた。
「ヤン先輩?」
「先輩! 顔が青いですよ! まだ風邪が完治していないんじゃないでしょうね?」
ミュラーが珍しく声を荒げる。
「え? 顔が青い? ・・・・、いや、そういえばなんだか寒気がするような・・・」
「え? 先輩、誘っておいてナンですけど、無理しないでください! 風邪は万病のもとですから!」
「いや、でも本当に風邪は治ったはずなんだけど・・・」
「信用できません! 先輩ボケなんだから!!」
「・・・、今のせりふ覚えたよミッターマイヤー」
「けど、ヤン先輩、ほんとに無理しないでください・・・熱は・・・ないですね・・」
ミュラーがヤンの額に手をそえる。
「ああ、ミュラーの手は今日も暖かいね・・・」
のほほんと云うヤンに、ミュラーは即断する。
「帰りましょう先輩。送りますから」
ワーレンとビッテンフェルトもうんうんと頷く。
「さっきのミッターマイヤーの台詞じゃねーけど、ヤンってボケてるからな」
「帰れ帰れ。連絡先はあとでミュラーに教えてもらうことにするから」
「また、遊んでくださいね、先輩」
「・・・・・・・・・・わたしってほんっと信用ないねー・・」
げんなりといわれた一言に、四人一様に沈黙した。
代表でミュラーが口を開く。
「あると思ってる方がどうかしてます」
「・・・・・・、まぁそうだね。私自身があんまり自分を信用してないし・・・今日は帰るよ」
立ち上がる予備動作で心持ち重心を前に預ける。その目にロックグラスが映った。
「あれ? 氷・・・」
氷が無かった。氷が無いロックグラスは何かおかしい気がする。立ち上がりながら思い返してみると、さっきまでは氷があったような・・・。とけた? けど氷ってそんなはやくとけるものだったか? まぁいいや。かえろう・・・
「・・・・・・・・・・・、待て」
かすれた声だった。咽喉の奥から搾り出したような声だった。
気力を尽くして声を出した、ロイエンタールがそこにいた。
真剣な顔でロイエンタールがヤンを見上げている。
はたから見て、それもクラブの照明でもそれとわかるほど一気にヤンの顔から血の気が失せた。
「話が、ある」
いつも冷めた瞳をしたロイエンタールに似合わず、力のある眼差しで。
「お前と、話がしたい。明日は暇があるか?」
水銀に波紋が広がるように、ヤンの瞳がゆっくりと真円に広がっていく。
極限に広がったかと思うと、獣のような唐突さでヤンはロイエンタールの鼻先に顔を寄せた。この距離では焦点は結べない。気にせずヤンは言葉を流れ出させた。
「はなし? お前がか? わたしと? どうやって? どのように? ほかの人とするようにか?」
その奔流に一瞬食われそうになりながら、ロイエンタールは腹に力をこめてこらえる。
「『ヤン・・・ウェンリー』」
虚無に近いほどのヤンの瞳を見つめ、呪文のように、請うように、祈りのように呼びかけた。
ふらりとヤンの体から力が抜ける。ペタリとへたり込み、泣きそうな顔になって今度はヤンがロイエンタールを見上げた。
「・・・・・・、はじめて・・・」
ヤンからちゃんとした返事が返ってきたことに、ロイエンタールはかすかに緊張をといて頷いた。
「ああ、はじめてだな」
「・・・オスカー・フォン・ロイエンタール」
「そうだ。それが俺の名だ」
その生真面目な肯定に、ヤンがかすかに笑んでから、気を取り直すように、二度三度大きく深呼吸をした。
「すまない。唐突なので吃驚した。会話を?」
「したいと思っている」
「できるだろうか?」
「できないだろうか?」
四度、目をしばたかせた。
「出来るような気がする」
その返答にヘテロクロミアがやわらかくなった。へたり込んだままのヤンに手を差し伸べる。
「明日、暇は?」
「休みだ」
「俺もだ」
「お前はどこに?」
「官舎だが、屋敷で待っている」
「決まりだ」
ヤンは屈託の無い笑みを浮かべてロイエンタールの手をとって立ち上がる。
が、二人同時に首をかしげた。
つないだままの手を見てふしぎな顔をする。
「なんか変だな?」
「変だね」
二人ともあいての手を握ったり離したりしながら変な顔になる。
ヤンがミュラーを呼んだ。
「ちょっと手ぇ出してくれないかな?」
おもむろに空いている手でその手を握る。そんなヤンの態度に首をかしげながら、ミュラーの確認も取らず問答無用でロイエンタールも真似てみる。
「あたたかい?」
ロイエンタールがもらした一言にヤンの眉が跳ね上がる。
「えっえっ、うわ、さわらしてっ!」
興奮して両の手でロイエンタールの手を包み込む。
てか、かわいそうだから、目ぇ白黒させてるミュラーに何かいってやれよ。
「うわ感触がある、あったかい、うわーうわー」
そんなヤンにロイエンタールも目をしばたかせ、感動のない声で一言いった。
「うわー・・・」
「凄い、凄いね! しゃべれるね? 大丈夫だね!! ・・・・・って」
きらきらと目を輝かせロイエンタールを見上げるが、ハタとヤンがとまる。
まるで初めてロイエンタールの顔を見るように。
「ああ。大丈夫だな。・・・・・不思議だ」
首をかしげているロイエンタールだが、ヤンの顔が見る見る赤くなったので「ん?」と問うまなざしを向ける。
「なんでもない・・・」
うれしそうに、これまで誰も見たことが無いほど、いや、浮かべたことのないはにかんだ笑みでロイエンタールを見た。
「帰るよ」
「ああ」
ロイエンタールも機嫌がいい。
「ミュラー、ごめん。ほんとに送ってくれるかい? 冗談じゃなく頭に血が上って熱がでそうだよ」
「え、ええ、もちろんです先輩・・・?」
何が何やらなミュラーだが、ヤンの足がふらつくので、反射で支える。
ヤンがロイエンタールを振り返ってみる。
「また、あした」
「あっ、ああ、また明日」
「おやすみ」
「おやすみ・・・」
手を振って帰っていったヤンが扉から見えなくなってから、ロイエンタールが一気に息を吐く。
それにあわせて皆の金縛りも解けた。
「疲れた・・・・」
けれどその顔は大事をやり遂げた顔だ。
握り締めていたせいで氷がすべて解けて、すっかり薄くなってしまったグラスを、気にせずあおる。
「ろ、ロイ、ロイエンタール? 今のはいったいなんだったんだ・・・?」
ミッターマイヤーもワーレンもビッテンフェルトもまだ突然の椿事に呆然としながらロイエンタールを見る。
顔を覆った手指の間から、ロイエンタールがミッターマイヤーを見た。
青い瞳が細められる。
「生まれて初めて、あいつと喋った」
「ん?」
「同じ家で生まれて、一緒に育った。なのに名前を呼んだのは今日がはじめてだ・・・」
「はああああ? ちょっとまて、オイ! ロイ・・・もっと詳しく! ってああああ寝るなあああ!」
ほんとうにはじめてなんだ、ミッターマイヤー。あいつの目を見たのも、名前を呼ばれたのも。
「おやすみ」なんて他愛ないことばをかわしたのも。
つないだてのひらを、あたたかいとおもったのも・・・。