エヴィル・スピリッツの子守唄 ――プロローグ
なんか最近の帝国軍(主に上層部)は直下型の大地震だった。
主な理由はヘテロクロミアの帝国元帥が女タラシを廃業したことだろう。ごく身近な関係者にとって重要なポイントは実はそこではなかったが、まぁ表向きはそれでハナシが通っていた。
御前会議のあと、ロイエンタールは厭な奴に立ちふさがられていた。
「ロイエンタール元帥。卿に話がある」
「俺は無い」といってさっさと立ち去りたかったが、どうしても拒否できない相手から、この男への伝言を受けていた。
「ウェンリー・フォン・マールバッハと同棲をはじめたそうだな」
熱量のないつぶやきはロイエンタールの予想通りのものだったが、到底聞き流せるものではない単語も入っていた。その聞き流せない単語が退室しかけていたロイエンタールの友人たちの足を一斉に止める。
「だれがマールバッハだと・・・・?」
ロイエンタールは刹那殺気を立ち上らせた。ロイエンタールは怒るとどす黒くなるのではなく、怒れば怒るほど血の気がうせて人形のようだ。
「卿の従兄弟のことだと思ったが?」
その一言に周囲がざわめく。ロイエンタールの相手は知っていたがそれが従兄弟だとは初耳だ。
「ヤン・ウェンリーだ」
「そうか、ではヤン・ウェンリーと」
素直に従ったオーベルシュタインに殺気レベルが下がる。オーベルシュタインとしてはロイエンタールをこちらに向かせるためだけに云ったので、用が足りた挑発には意味がない。
「そのウェンリーからの伝言だが、近いうちに挨拶に行くと。話があるならヤツとしろ」
凶悪な低音でロイエンタールがいう。なんだって引き受けたのだと己を罵倒しながら。
「ほう、それは楽しみだ。しかし挨拶なら二人で来なさい」
そのあからさまな命令口調にロイエンタールの機嫌が最低レベルを軽く突き破ってぐんぐん下がっていくが、最後に付け足したオーベルシュタインの一言で、彼が喧嘩を吹っかけていると結論に達した。
「オスカー」
売られた喧嘩ならいくらでも買おう。とくにこの男が相手ならば。と、頭の中ではかっこよくキメたつもりだったが、実際問題ロイエンタールは単純にキレていた。
「っっッせぇ、たかが6つ年上だと思ってイチイチ兄貴ぶってんじゃねぇぞ、ジジイ!」
「6つじゃない、5つだ。時期にもよるがな。しかしジジイは酷いな」
その熱量の無い台詞が真面目にむかついたロイエンタールは、オーベルシュタインの逆鱗を思いっきり逆なでする一言を吐いた。
せせら笑いながら云う。
「なんだ。あんた、まだトルーデ姉さんに未練があるのか・・・」
ビシっ
「だっれがあんな、神経質がただひとつの取り柄の顔からにじみ出てきてるような、性格悪い、険の強い、目付きの悪い、高飛車で我侭で傲慢なヒステリーなんぞに惚れるかっ!」
その場にいたロイエンタール以外の全員は初めてオーベルシュタインが怒鳴るところを見た。
「フゥン、あのヒトに反応する時は昔のままなんだな・・・」
そのロイエンタールの一言は、逆鱗以上にオーベルシュタインをえぐった。ちなみにロイエンタールはわざとである。
「完璧な形容だな、さすが幼馴染だ。20年以上たつが死んだ姉さんの面影がくっきりと脳裏に浮かびあがったぞ」
「だから、だれがトルーデに・・・」
「そうだな、最期はヤク中で死んだ女だしな」
オーベルシュタインが言えなかった、トルーデ・フォン・マールバッハの悪態の最後のひとつをあっさりと口にする。
逆鱗をつつけばつつくだけお互いに墓穴なのだが、どちらも引く気はないらしい。墓穴大会通り越して墓穴フェスティバルだ。
オーベルシュタインの目の色が変わった。
「そこまで云うのなら、お前がトルーデの代わりに隣のお兄さんの「凍える情熱」を受け入れてみるかね? 従姉弟なだけあって、トルーデによく似ている」
自然な動作でオーベルシュタインの両の手がロイエンタールの頤と腰に回される。
「あんたんちは隣の隣だ。てか死ね、消えうせろ。姉さんが地獄で待ってるだろう。今ならマールバッハ絶滅祝い熱烈開催中だから大サービスで隣に墓作って埋めてやるぞ!」
オーベルシュタインのアップなど死んでも見たくないロイエンタールはぐいぐいと引き離しながら突っ込む。問題はそんなところにはないと思うのだが?
「マールバッハとオーベルシュタインの屋敷の間にあったのは空き家だ。隣でもいいだろう」
違和感なしにオーベルシュタインの顔が近づいてくる・・・。
「というわけで、ちゃんと云ってきたぞ」
「うん、ありがとう」
にこにこ笑ったヤンが機嫌極悪なロイエンタールの左に腰をおろす。
「私から連絡してもいいんだけど、なにしろ元帥閣下だからね。パウルはお元気だった? もう15年はお会いしてないけど」
さりげなくロイエンタールの手に手を重ねてヤンはまた笑う。
「元気・・・だった・・」
「喧嘩したな?」
「元気で喜ばしいだろうが」
フンと乱暴に足を組み、背もたれに肘をのせそっぽを向くが左手は動かさない。
「あの人くらいだよ。マールバッハの事情を知って私たちのこと心配してくれるのは。そんなに噛み付くかなくてもいいのに」
「俺だってパウルがイチイチ俺らを弟扱いしなければ嫌いじゃないんだ」
そんなことに本気で腹を立てている恋人に苦笑してその左手をもてあそんでいたら逆にその手を掴まれた。それに気づいたヤンはにへらっと笑み崩れる。こんななんでもないことがとてもとても幸せに感じる。
「それは無理だよ、パウルはとても心配性でいらっしゃる」
しかも世話焼きである。誰のことも心配でついうっかり軍務尚書などにまでなってしまった。
普段不気味な義眼で誰からも誤解されまくっているが、一人っ子のオーベルシュタインは部下や年下の同僚たちを「手のかかる弟」のように思い、彼らのために厳しく鍛えるのに遠慮がない。
皇帝ラインハルトにいたっては「出来の悪い息子」か何かのように思ってさえいるのだろう。
その精神は一般に尊敬に値するといってもいいのだろうが。
「大体、誰も喜ばんし」
「そもそも誰も気づいてないだろう、パウルは慎み深くていらっしゃるから」
満足なのは皆が立派に成長していく過程を見守っているオーベルシュタイン本人ただ一人であった。
「あのヒトが生きてたころは、あんなじゃなかっただろう」
「トルーデ姉さまは生き返らないよ。それで? 挨拶、一緒にいくんだろう・・・?」
そっぽを向いたままのロイエンタールの胸にもたれて目を細める。のでヤンには見えなかったがロイエンタールの片眉がピクリと反応した。
「ああ・・・・」
不機嫌まっさかりの極低音での返答にヤンが上目でロイエンタールを見る。
「・・・・負けたの?」
実はあのあと少々じゃれあった結果、二人で行くことを約束させられたのだ。まさか頭突きがくるとは思わなかったのだ。まだまだ自分も甘い。
その情景が容易に想像されてヤンはクスクスと笑う。
「次は勝つ」
どこまでも負けず嫌いなロイエンタールに、相手の膝に突っ伏して笑いをこらえ、こらえ・・・。
「笑うな(怒)」
「だ、だって、だって・・・」
そんなロイエンタールの態度のほうこそおかしくてケタケタ笑ってしまう。
涙をぬぐいながらふと胸を通り過ぎる昔の思い出。懐かしいといえるほど良くもないそれを思い出し、今の幸福に微笑む。
「お前と、はなしができるなんてね・・・」
膝の上のヤンを猫を撫でるように撫でていた指がとまる。
「・・・」
ロイエンタールの左手がヤンの首に下り、頬にそえられる。くすぐったそうにしながらヤンはその手にすりよる。
「あったかい・・・」
あたたかい、それはとても幸せなことだ。
子供のころ、いくら肌を重ねても温もりなど一度も感じなかった。冷たさも。
何もかもを白いもやに包み込むマールバッハの悪夢。
あのころの自分たちの間には何もなかった、言葉さえ。
「お前も、暖かい」
あのまま共にあれば一生ぬくもりなど感じることなく死んでいただろう。
眩暈のするような幸福に、ヤンは大きく大きく、安堵の息をもらした。
この暖かい海は、どこまでも広がっているのだから。
「だいすきだよ、オスカー」
「・・・ああ」