そしてキミに会いに行く  3

 

最初に目に入ったのは、紅い色彩。

血の海かと思った。

紐を引いて、覆いをはずした少年は、背後で親友や養父やヒルデガルト皇太后、見物に来たビッテンフェルト元帥、メックリンガー元帥、ミュラー元帥たちが一斉に息を飲む気配を感じた。

 

カールの絵には、紅い野原がかかれていた、

「曼珠沙華」、「彼岸花」とも呼ばれる秋に咲く紅い紅い花。

白い白い月影に照らされて、紅い花の丘に立ち、

深く据えた瞳で遠くを見つめるその人は、黒い天鵞絨のような髪の

 

(ヤン・ウェンリーだ・・・)

 

フェリックスの脳裏にフラッシュバックの如く爆ぜる記憶。

 

森の中だ。森の中であの人は何といった?

まっすぐに俺の目を見て、決して忘れるなと。

そして・・・。

物凄く途方もないことをいわれた。そう、確かに云われた。

(そう、おれに! おれに言ったんだ! 父さんじゃなく!)

自分が立てていた計画の、本当の動機を見つけたような気がした。

 

じゃあ、カールは?

さっきにっこり笑って「お前の絵だよ」と言ってくれたあの教育係は・・・つまり。

 

「気に入ってもらえたか? フェリックス」

斜め後ろに立ったカールがそっと絵の前に立つ少年に訊ねる。

「うん、絵自体は」

「そか。それならいい。悪いな。本当はこんな絵描くべきじゃなかったのかもしれないのに。傑作だとは自分でも思うけど・・・これは、この人の狂気を固めて描いた絵だからな。でも、どうしても見せたかった。フェリックス、お前に」

カールが絵の中の人物に視線を固定しながら言う。

そのカールの台詞に、この絵の所有権を譲ろうとしている人間ともらおうとしている人間以外のギャラリーが慄く。

誰もが一目でこの絵の意味に気付く。この絵の中の人物は気も狂わんばかりに、いとしい相手を待っているのだと。

だがしかし、人々が慄いたのは絵の中の人物の、いや、絵全体の狂気にではない。

その狂気を美と感じる己自身に慄いたのだ。

「でも、僕にこの絵貰えないよ。この人が待ってるのは僕じゃないから? それに、この人が待ってる人はもう来た」

「なぜ解る? フェリックス」

カールが、片眉を上げる。描いた本人には解る。この絵には今フェリックスが言った「事実」を織り込まなかったことを。

「知ってるんだよ」

「どういうことだ? フェリックス・ミッターマイヤー」

静かにカールの瞳に険が篭る。しかし、フェリックスにはそれに対する余裕が無かった。

「ごめん・・・・・・・今は、無理」

どうやら本気で限界を超えているらしいフェリックスの言にカールは頷く。

フェリックスの繊細でしたたかな性格を一番知っているのは、この教育係だった。

せっかくの誕生日にこれ以上無理をさせて追い詰めたくない。

カールは小さい子供にするように、フェリックスを抱きしめた。

「誕生日おめでとう、フェリックス。お前が生まれてきたことと、今年一年お前が無事に過ごせたことを今日という日に感謝するよ」

 

その後は何事も無かった。いろいろな人が祝いの言葉をフェリックスにかけて、プレゼントを贈った。

皇帝アレクが贈った万年筆をフェリックスは甚く気に入ったらしい。

帰宅すると、養母エヴァンゼリンが息子の好物ばかりを作って待っていた。

久しぶりに帰ってきた義兄・ハインリヒと四人、楽しい団欒だった。

そう、いつも通り。円満な家庭の。

遅くならない程度にフェリックスが義父と義母と義兄に「お休み」を云って部屋に入る。

 

そして

午前三時。

 

家人も寝静まりノンレム睡眠を満喫しているであろう中、フェリックスは顔を上げて時計を見た。

(カールに手紙書いてたらぴったり時間だな・・・)

光が漏れないようにペンライトでカールに長い手紙を書いていたフェリックスは、ジャケットを羽織り身づくろいをする。夜目の利くフェリックスは軽く鏡を見てOKを出した。

(今からカールの家よってポストに手紙突っ込んで、歩いて宙港まで行けば、船の出発1時間前にはつく。っと、よし。計画通りw)

昼間あれだけテンパってた割には余裕である。

カールへの手紙を内ポケットに入れ、右手で鞄を持つ。机の上の置手紙二通を確認して、胸のポケットに落ちないように誕生日プレゼントの万年筆を挿す。

(じゃ、行きますか)

この日のためにセキュリティは時限式で切れるようにしておいた。

フェリックスは顔に微かな笑みさえ浮かべて窓から身を乗り出す。

 

シュトッ!

まるで小説の怪盗のように優雅な身ごなしで塀を飛び降りた少年は、その高さを見上げて「へー」と呟く。
洒落ではない。

ミッターマイヤー家の塀だって低くは無いのだ。

(カールに教わったこと、悉く役にたつよなあ・・・ほんと)

と、感心していたのだ。そんなことを考えていたものだから、声をかけられて一瞬違和感を感じなかった。

「夜逃げか? フェリックス」

「イエデだよ!・・・・・へ?」

バッと振り向くと、夜から切り取られたようにひっそりと佇む教育係と出くわした。

「ほぉ、家出かぁ、フェリックス」

柔らかい、甘やかな語尾に少年は蒼褪める。

「か、カール?」

「昼間のお前が少し心配で、散歩がてら来て正解だったみたいだな」

微笑む眼差しはあくまで優しい。

「ってあんた、今、夜中のさんじ・・・」

フェリックスの突込みをカールは聞いちゃいなかった。

「そか、家出するのか。昨日今日の計画じゃねーな。何処に行くんだ? って答えるわけねーか」

「ハイネセンで大学に行く」

「フェリックス?」

「あんたに隠すつもりはなかったから」

「なんで・・・俺なんだ?」

カールは本気でワケがわからないらしく首をかしげた。

「それは・・・」

言いかけて、カールへの手紙を思い出したフェリックスは内ポケットから白い封筒を出す。

「ん?」

街灯の明かりを頼りに表を見ると、「カール・フォン・ロイエンタール様」と書いてある。のをみて、カールは封筒を取り落としそうになった。

「知ってたのか? お前・・・。俺が、お前の父親の弟だって・・・」

「うーん・・・、中に書いたから後で読んでよ」

釈然としないまま、カールは何気なく裏を返した。その署名が・・・

「T.v.R?」

「v.R」は解る。表と同じ「フォン・ロイエンタール」だ。しかし

(T・・・? Tってなぁなんだ?)

訝しげな瞳がフェリックスの瞳とかちあう。

まっすぐなブルー。カールと同じ色の瞳だ。

それを見た瞬間、頭の中の白い靄が揺らめき何かが垣間見えた気がした。

カール・クレイマーは目を見開いたまま脳裏に浮かんだ単語をそのまま口に出す。

「・・・トリスタン?」

その時の彼の甥の嬉しそうな顔といったらまぁ。

「うん! それがおれの名前だから。今からそれ以外の名前で言っても返事しないよ?」

(めっずらし〜〜〜)

ここ最近、まったく見せる気配も無かった満面の笑顔である。

叔父は内心かなり嬉しかったが、わざと呆れた顔を作る。

「トリスタン・フォン・ロイエンタールねえ。いい名前だが、目立ち過ぎだろ、ソレ。今から家出するって時に」

「う、そ、そりゃまあ・・・」

明らかに痛いところを突かれたらしいフェリックス、いや、トリスタンが顔を顰める。

「とりあえず偽名としてトリスタン・クレイマーってので手を打っとかないか?」

「はひょ?」

状況が理解出来ない少年は、妙な語を口から出す。

「ロイエンタールほどじゃないが、悪かないだろ? だから、餞別ってことで、俺の名前使えよ」

「い、いの?」

「ああ、これから何処行ってもカール・クレイマーの甥だって名乗れ。俺もお前の叔父だって云ってやるから」

「カール・・・」

「お前、まだ丸々5年は未成年なんだぞ? 書類とかで大人が必要なときにでも、書いとけ」

にっこり笑ってぽんぽんと頭を叩くカールに、トリスタンの顔にも緩々と笑みが広がる。

「第一、父親が死んでるのも、母親が行方不明なのもホントのコトだろ?」

涙が零れそうになったのを見られたくなくて、カールの首に飛びつく。

「カール・・・あんたってば、詐欺師っ!」

「おーよ、俺は彼の偉大なるペテン師の従弟だからな。お前の家出に荷担したのがバレてルーヴェンブリュンくびになったらそれで食い扶持稼いでやるよ」

「それって、5本の指に入る近代芸術家の台詞じゃないよ。カール」

暫く笑っていたが、カールが思い出したようにおまけをつける。

「あ、後コレもな」

コン、と頭に置かれたソレは銀河中何処でも使えるとある大銀行のカードだった。

「も、もらえないって! カール!!」

「ち、ち、ち、どうせ、お前のことだから家出の計画に手抜かりはないだろうが、しかも、その基本の基本である軍資金は十分に溜め込んだんだろうが、病気したときは? 怪我した時はどうする? だから、な? 保険だと思って持ってけ」

「・・・、悔しいなぁ。結局あんたの世話になるなんて」

(やれやれ、このお子ちゃまは。俺が死んだら遺産は全部唯一の身内であるお前に行くっていうのになあ)

と、カールは懸命にも口に出さなかった。

「暗証番号0601だからな。忘れんなよ」

「あんたの大好きな従兄が死んだ日だね」

「・・・ついでに、俺の大好きな兄が死んだ日・・・だ」

「・・・・・・・、うん」

「ほら、行け。ミッターマイヤー夫妻が心配するから、たまには生きてるって報告しろよな?」

「うん、わかった。じゃーね、カール! 元気で!」

「ああ、元気で・・・・。トリスタン」

足取りも軽く宙港へ向かう甥を、カールは暫くそのまま見送っていた。

 

(あー、もう、今日仕事行く気ねーな。さぼろー)

自分の家の前まで帰ってきたカールは、思い直して玄関ではなく車庫へ行く。

甥からの手紙を読むのには、もっとふさわしい場所がある気がした。

それに、内容次第によっては読ませたい人間も居る。

自動走行装置に目的地を入力すると、カールはリアシートにもたれてゆっくりと目を閉じた。

 

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