そしてキミに会いに行く 2

 

――そして、朝が来た。

 

「・・・・・・、ウソだ」

それが少年が15歳の誕生日の朝、初めて口にした言葉だった。

のろのろと身体を手をついて起こすと、反対の手を口元に当て呆然とつぶやいた。

「何で気付かなかったんだろう」

気付くはずの無い事だった。気付かなくてはいけないことだった。

 

暗がりに浮かびがる白い肌、荒い息、掠れた声、熱を持って絡み付いてくる腕、しっとりとした雨の匂い。

どれもが生々しすぎて、まるで自分の体験のように・・・

「すっげー気持ちよか・・・・じゃなくて!」

胸が、痛くて。

初めて聞く少年の頃の父の声は、全く自分の声だった。

『ヤン』

その名を持つ人類がいくらいたかは知らないが、他の人間と間違えることは無かった。

 

 

「あれ? 手、横のところ怪我してるよ? フェル。違う、逆。左手」

獅子の泉につくなり、アレクがそう指摘した。

確かに左の手のひらの横がスッと切れていた。

心当たりはあった。

 

フェリックスは、起きて暫く寝台の上で呆けていたが、キッと前を向くと飛び降りて部屋にある本棚に飛びつき、一冊の本を抜いた。

よく使い込まれた近代史の本だった。

繰り返し見返したそのページは、既にあとがついていたため直ぐに開く事が出来た。

父を調べることが目的で集めた本の中で夢中になって読んだフェリックスの英雄。

「同盟軍、奇跡の魔術師・・・」

そこには、同盟軍不敗の、最後の宿将が微笑んでいた。

「ヤン・ウェンリー」

まるで呪文の如く、フェリックスは呟いていた。

 

あの時に紙に擦れたのだろう。目当ての本を引き抜く時、ついでに他の本も落してしまったから。

「ああ、本当だ。でも、大丈夫みたいだよ? もう血もとまってるし」

軽く微笑みながら、しかし、フェリックスは内心愕然としていた。

少年は知識として知っていた。紙の傷というのは痛い。かなり痛い。

しかし、全く気付かなかった。痛みを感じていないのだ。

そのときやっと、少年は己が絶望していることに気づいた。

「・・・ル、フェル? 大丈夫?」

ハッと顔を上げると、心配そうな顔でローエングラム朝第二代皇帝が覗き込んでいた。

「大丈夫だよ。そういったろう?」

そんな中でも幼い頃からの板に付いた優等生スマイルが出てしまう自分が虚しかった。

もはや、反射の域に達している。

「手の傷のことじゃないよ。本当のことを云って。何か、あったの?」

スルドイ。

「かなわないな、アレク。あったよ。夢でね」

「で? どんな夢だったの?」

至極真剣な表情でアレクはフェリックスを見上げた。

「ただの夢だって、笑い飛ばしてあげると思った? お生憎様」

『思ってました』とはまさか云えない。今度こそ、フェリックスは白旗をあげた。

「駄目なんだ。云えない。あの夢は夢だけど夢じゃない。小さい頃からずっと見てきた、不思議な夢。信じられないかもしれないけど、あの夢の中には確かに「人生」があった。あそこで僕は15年過ごした。いや、10年かな? 見始めたのは5つのときからだったから。小さな絵入りタイルを集めてるような、人の家の庭の薔薇の成長を眺めるような、そんな楽しい夢だったんだ、ほんとに、楽しい・・・」

淡々と語るフェリックスにアレクは鳥肌をたてていた。心の芯が冷えた。

そんなことを今まで自分に話さなかったことにではない。そんなフェリックスを今まで一度も理解しようとしなかった自分にだ。

「でも、それが物凄く、悔しくて、哀しい夢だったって気が付かなかったんだ。馬鹿だよ。よくよく考えてみれば、いつかは破綻するって気づいてもよさそうなものだったのに。目の前にヒントは腐るほどあったのに。まったく気づかなかったんだ」

フェリックスは自分の言葉が支離滅裂であることに気づいていた。しかし、思考が支離滅裂なのだ。

「ありがとう」

痛みをこらえるように横を向いたフェリックスにアレクが発したのは、その感謝の一言だった。

「え?」

「僕も、今、気付いた。フェルは今までずっと「良い子のフェリックス・ミッターマイヤー」であろうとしてたじゃない? 年相応に生意気で、やんちゃで、優しくて、素直でって大人が理想とするような、そんな子供。僕、フェルの弱音、一回も聞いたことないよ。でも、今よくわからないけど、苦しいんだよね? 哀しいんだよね? フェルは、凄く隠すのが上手だから今みたいに限界超えないと、気付かせてくれない。今、物凄く辛いんだよね? そんな姿、見せてくれるだけで嬉しい。僕がその苦しみに対してまったくの無力でも、君が苦しんでいることだけはわかってあげられるから」

少し、寂しそうに、それでもアレクは笑った。

「・・・、アレク。僕は、君を裏切るよ?」

不意にそういって、フェリックスはハッと口元を抑えた。決して云うつもりなどなかったのに。

「いいよ」

意外にも、アレクは先ほどよりも余裕のある晴れ晴れとした笑みを見せた。

「そのことには気付いてた。いや、気付いたのは僕じゃないけど。フェル、軍人よりももっとやりたいことがあるんでしょう? 士官学校、行くつもりがないことも知ってた」

「ちょっと、待って。気付いてアレクに云ったのって・・・」

「カールだよ。他に誰が気付くっていうのさ」

「・・・・・だよね」

「フェル、君が裏切るのは僕じゃなくて父上の遺言だよ。あの遺言、あれは僕を思ってのことだとわかってるけど、フェルにとってはただの「枷」だよね。実は、気に食わなかったんだ。それに、友達って強制されてなるもんじゃないよね? みんな、そのときの僕たちは固く手を・・・とか云ってるけど。乳幼児にそんなこと言われてもね。反射把握じゃないの? とか、突っ込みたくなるし。えーと、ずれたな。君の人生なんだから、君の使いたいように使うべきだよ。僕がこんなこと云わなくても君はやりたいようにするってわかってるけど、気にしてるだろう? 僕がやりたいこともやれないって」

その通りである。図星過ぎてフェリックスは一言も応えられなかった。

「僕は大丈夫だよ。カールが云ってただろう?「運命の女神ってのは、癇癪の酷い小娘だと思えばいい。だがな? まったく見込みがないわけでもない。「気の持ちよう」って云っちまえばそれまでだけどな。気長に口説けば超絶美形にだって変身するぜ? 性根入れて光源氏計画だ。がんばれ」ってさ。僕の女神様はまだ超絶美形とまでは言わないけど、すごく可憐でお茶目さんだよ」

「・・・・・、なんだか僕が物凄く意固地な子供のような気がしてきた。アレクって、大物」

「当然。皇帝ですから」

おどけるアレクに、フェリックスは吹き出した。さっきまでの鬱々とした気分が残っていないわけではないが、これはもうフェリックスの意識から一生消えることはないだろう。そのかわり、もう気は張っていなかった。

「ありがとう、アレク。いい誕生日になってよかった。僕に親友が出来た」

「やっぱり、思った通りだ。友達っていうのは自然発生に限るね。ところでフェリックス、安心しても大丈夫?なんだか僕、君の女神様は物凄く情熱的だけど、嫉妬深くて過激なようなきがするんだけど・・・」

「脅かさないでくれよ、アレク・・・・」

「そんなつもりじゃなかったんだけどね。話し込んじゃった。行こう。カールが待ってるよ」

苦笑したフェリックスは、五分後、この過激な女神様に心の底から平身低頭することになる。  

  

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