そしてキミに会いに行く  1

   

(あ、いつもの夢だ・・・)

フェリックス・ミッターマイヤーはすぐに気付いた。幼い頃から見慣れた夢だった。

(今日は・・・何?)


「自分」と「彼」が部屋で背中あわせに別々の事をやっていた。珍しい事ではない。

奇妙に居心地の良い沈黙の中、ハッと何かに気付いたようにように「自分」が振り向く。

『     』

『え? 何? ロイエンタール』

艶やかな漆黒の髪の「彼」が冷めた瞳を他に対する時よりは幾分和らげて振り向く。

そう、夢の中の「自分」はフェリックスではなく少年の実の父親オスカー・フォン・ロイエンタールであった。何故かはわからないが少年は彼の記憶を夢でなぞっていた。

「自分」もとい、ロイエンタールが無言で彼の腕を引いた。「彼」の額がロイエンタールの額に当たる。

(熱い・・・?)

色どころか匂い、温度、果ては味覚まで伝わるこの奇天烈な夢は「彼」の体温が平熱を明らかにオーバーしている事まではっきりと伝えてくれた。

今は同い年にまで縮んでいる少年の実の父親は盛大に眉を顰めると「彼」に有無を言わせず寝室まで引きずっていった。

(凄い・・・全然気が付かなかった)

フェリックスは素直に感心する。

その間にもロイエンタールは「彼」を布団の中に押し込めピッと擬態語つきで指差す。

『       』

(あ、今のはなんとなくわかった。「大人しく寝てろ」だ)

『そんなに熱あったのか?』

「彼」が顔の下半分まで布団に隠れてロイエンタールを見上げる。

最近彼がよくする超然とした表情ではなく、昔のよく笑いよく怒りよく泣いていた時のままのふて腐れた顔だった。顔が赤い。

フェリックスは久しぶりにそんな表情の「彼」を見て嬉しくなる。彼の父親も同様だったのだろう。目尻にキスを落とした。

「彼」の顔がこれ以上ないほど赤くなって枕を投げつける。

ロイエンタールが笑いながら彼に背を向けた。

『           』

『大丈夫だよ、寝てれば治るって!』

思いがけない台詞だったのだろう、少し慌てて「彼」が制止しようとしたがロイエンタールは軽く振り向いただけで取り合わなかった。

『          』

パタン

  

「あーははははははは、そういやこんな事も会ったねぇ。」

今までロイエンタールに重なっていた視界が引き戻されると、ご機嫌な声が耳に入ってくる。

これがまだ夢の続きである事をフェリックスは知っていた。

「それで済ませるか、あんたは・・・」

いささかならず疲れたように目を開いて「彼」を見る。夢の前半は自分と同い年のロイエンタールと「彼」そして後半はフェリックスとこの20代前半の見える「彼」。初めてこの夢を見たときからのお約束だった。

「だって、それ以外になんていえばいいんだい?」

「そう・・・だけど。でも、おれと同い年の時の方が落ち着いてるじゃない」

「いーや、これはタダ単に強がってただけだよ。この頃の私ってばスレてたから」

あはは、とまた笑う「彼」にフェリックスは疑問を覚える。

(強がってた?何が恐かったんだ?)

「勿論、お前の父親と離れ離れになるのがね」

「! ! ! だから何者なんだ、あんたは! !」

「何時も言ってるじゃないか。お前の深層心理だよ。そしてお前の考えたくない推論の一つであり、お前が忘れている真実の一部だ」

しれっと答える「彼」に流石にむっとしてフェリックスがいう。

「それは腐るほど聞いたよ。じゃあ質問を変える。父の記憶の中で父と一緒にいたヒトは誰なんだ」

いつもと同じ問答に困ったように「彼」が小首を傾げる。

「お前は知っているはずだよ? でなければ私がこの白を着ているかわからない。お前は知っているんだ。白が喪を示す色だと、私が死んでいるのだという事を。知識としてね」

「それは、おれが本物のあんたと会ったことがあるということ?」

「そう、知識と記憶が結びつかなければ真実にはならない。実際私だって不思議なんだよ。私とお前が会ったのはタダ一回。しかもお前はまだ目が開いたかすら怪しい生まれてすぐの赤ん坊だったんだから」

「そんなのどうやって覚えて・・・!」

「人間の脳の神秘かねぇ・・・・」

不意に輪郭がぼやける。

(目が・・・・覚める? もう朝? いつもの事ながら・・・時間が・・・)

「彼」が柔らかく笑って少年の髪に触れる。

「ねえ、私は幸せだったよ、お前の父親と出会って。お前の父親だって決してタダ不幸なだけじゃなかったと信じている。お前も、信じてくれるかい? トリスタン」

   

「時間がない、幾らあっても足りない」

夢の中の延長でフェリックスが跳ね起きる。

朝の爽やかな陽光が部屋に差し込んでいる。下からは養母エヴァンゼリンが作っているのだろう、美味しそうな朝食のにおいが漂ってくる。文句のつけようのない晩春の朝だ。

「トリスタン・・・かあ」

一つ呟いてから頭を切り替える。夢は夢として現実のフェリックスには一つの決意があった。

   

まぁ、それでも人間の思考というものは同時に幾つものことを考えるものである。獅子の泉に向かう道すがらフェリックスはふと今まで気がつかなかった事を発見した。

(そういえば、あの人は20代前半に見えたけど、おれに会っているのだったら少なくとも死んだのは30過ぎてからってことになるな・・・・・うーん・・・実年齢よりかなり若く見えるんだな・・・)

「彼」について少年が知っている事は恐ろしく少ない。父の幼馴染である事、既に死んでいる事。それぐらいだ。

勿論、いっしょに育ってきたようなものだから細かな嗜好を言えばきりはないが。

・・・名前すらわからないのだ。

フェリックスは当然この夢のことが気になってしょうがなかった。だから考え付く限りの方法で父親の情報を集めたのだ。しかし、幼年学校に通っていなかった父親の士官学校に入る前の情報は皆無だったといっても過言ではない。

オスカー・フォン・ロイエンタールの名が一回でもでてくる文献を片っ端から読みまくった。養父ミッターマイヤーが目に映るたびに本気で憤慨する「ローエングラム王朝初の反逆者」の勝手な考察さえも読んだ。

それでも、夢で見る父とは印象がかなり違う。中でも一番大量の情報をえた父の親友だったという養父・ミッターマイヤーの話との齟齬はなんなんだろう。

(やっぱり、士官学校に入る前に何かあったんだろうなあ)

今日は五月の一番初めの日、少年が士官学校に入るべき時まで後半年もない。

四ヶ月足らずの間に何があったのだろう。

夢にでてくる「彼」の正体が未だ不明な事が少年を言い知れぬ不安に導くのだった。

    

「明日だな、フェル。お前の誕生日」

朝一でそういったのはフェリックスとアレクの教育係のカール・クレイマー大佐だった。

「お前ももう15か。はやいもんだな。俺様が年をとるはずだぜ」

皇帝陛下の教育係にしては口が悪い。死の間際にわざわざ直接息子の教育係に指定した先帝とはどのような人だったのだろう。とフェリックスは思う。

幼年学校の同級生だったカールの口から聞くのは、とにかく喧嘩っ早くて短気でプライドが高いということだけだ。

先帝の崇拝者だった7元帥の台詞と中身はほぼ変わらないのだが、なるほど、モノは云いようである。

「いいなあ、フェル。カールの絵だってさー、プレゼント」

そう、おぞましい事にカール・クレイマーという男は近代芸術家の中でも5本の指に入るという天才画家なのである。

「そう、俺様が人物画描くなんてゆうに15年ぶりだぜー。ありがたく思えよ」

「カールの絵なんて幾らすると思ってるんだよ。盗まれないか心配で夜も眠れなくなるよ」

「絶対つっかえしてやる」という言葉にカールはにやにや笑うのみだ。

「何時までいってられっかな? 腰抜かすんじゃね―ぞ」

タンと持っていた文庫本の角を机に当てると部屋の空気が切り替わった。

「さーて、そろそろ授業はじめるぜ」

フェリックスとアレクは慌ててそれまで出していたノートや筆記用具を片付ける。

「今日は「正しい人の出し抜き方・応用編その3」だ」

(先帝陛下はカールの行動を何処まで計算していたのだろう?)

もしかして獅子帝ラインハルトはとてもおちゃっぴい(死語)な性格をしていたのではないか? そう不安になるフェリックス・ミッターマイヤー14歳だった。

   

(カールの絵・・・しかも人物画・・・・そういや、人物画って見たことない。よし、さっさと寝よう)

カールとアレクの前ではなんのかんのと言っていたがフェリックスだとてカールの絵はとてもとても好きなのだ。

密かに期待に胸を膨らませながら少年は機嫌よくベットに潜り込んだ。

   

ゴォォォォォ

(何この夢! いつもの夢じゃない)

フェリックスは暴風の吹き荒れる時空の狭間に立っていた。激しい耳鳴りに頭を抑えながら必死に目をあける。

(人がいる?)

二メートルほど前に人が扉を背にして立っている。それを認めた瞬間、暴風が嘘のように静まった。

背の高い、漆黒の元帥服を着た男にフェリックスが止まる。

「お前、この扉を開けるのか?」

左右色の違う瞳がフェリックスをまっすぐに見る。

(オスカー・フォン・ロイエンタール・・・!)

驚愕に慄きながらフェリックスはこれと同じ夢を見たことが以前にもあったことを思い出した。

5歳の6月10日だった。この男はフェリックスの前に立ちこれと同じことを言ったのだ。

あの時フェリックスははっきりと「Ja」といったのだ。そう断言する事が義務であったかのように。

それからだ。あの時から10年間、フェリックスはかの奇妙な夢と付き合ってきた。

「う、あ」

この男にあったら聞きたいことが山ほどあった・・・ような気がする。混乱して混乱して結局言葉になったのは、一言だった。

「開ける」

正直言って「扉を開ける」ことは恐かった。この先に真実があることは間違いないだろう、しかし、いやだからこそ恐かった。

それでも・・・。

「重いぞ?」

「もう遅い。だってこのままだったら不安で押しつぶされるんだよ。父さん」

泣きたくなった。何故かはわからないが泣きたくてしょうがなかった。

夢の中で「彼」はこの男がただ不幸なだけではなかったと言っていた。それではどこが幸せだったというのか。

養父・ミッターマイヤーは言った。お前の父親はすばらしい男だったと。強い男だったと。でも、それは幸せを指し示す言葉ではない。潤いのない人生だった。フェリックスはそうとしか思えなかった。

フェリックスの遺伝子が知っていた。実父が「戦いをたしなむ」と歌われた獅子帝とは違うことを。確かに己の能力を極限まで引き出す戦争は彼に多少の充実感を与えただろう。しかし、それも刹那の事。所詮は何も生み出さない不毛の荒野だ。次々に情人を変えていったことも、誰一人として「彼」のようにロイエンタールに潤いを与えてくれないと知っていたからだ。

「おれはお前にこんなものを背負わせる気などなかった」

それは間違いないだろう。フェリックスは思う。この父親にとって「彼」以外の事物は執着に価しないものだったのだから、未練も恨みも有ろうはずがない。フェリックスが覚えている事を望んだのは「彼」だった。

「あの人は、あんたが砂漠的絶望を抱えて生きていた事が苦しくてしょうがなかったんだ」

しかも、この男は己が渇望し、絶望している事を自覚する能力がなかったのだ。

体が、痛みを感じて傷を癒すように、無自覚のままで病が癒えることはない。

それでも・・・・それでも?それでも何だというのだろう。フェリックスにはわからなかった。

「重いのなら重くていい。このまま不安でおしつぶされるよりはその重さにつぶされて死んだ方がはるかにマシだ!」

その答えが、扉の向こう側にあるような気がした。

  

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