眠らない街の緑紅金緑石   ―――『右眼』

 

 

シェーンコップが初めてみたのは、カウンターの左端に腰掛けた女の、白い髪の間からのぞく暗い眼差し、かと思ったら、銀繍のある黒の眼帯だった。

 

「なんか用?」

低く呟かれた。前を向いたままだったので、シェーンコップはそれが自分にかけられた声だと気づくのにいささかを要した。

「・・・、見えてるのか? その眼帯」

「見なくていいわよ、そんなシケたツラ」

・・・それって結局どっちだ? シェーンコップはしばし戸惑ったが、それくらいで怯むなら、はじめから声をかけてないのだ。

「表の連中やったの、アンタか?」

この界隈の不良グループが、外でズタボロに伸びている。

「だったら何? 通行の邪魔だった? 悪かったわね」

ウィスキーのグラスの弄びながら、こちらを見もせず無愛想に云う。

まさかと思ったが、間違いないらしい。シェーンコップの喉がこくりとなる。

息をすって、

「弟子にしてくれ!!!」

「はぁ?」

やっと顔をしかめた女がこちらを見た。左眼はずっと見てると精神が凍りそうな藍の瞳だった。

が、興味なさそうにカウンターの中の厳めしい店主に問う。

「なに、このチビ」

「その不良グループの下っ端・・・というか、金魚のフンですよ。いつも殴られてます」

「へえ」

「弟子にしてくれ!! 俺もあんたみたく強くなりたいんだ!」

「うーん・・・」

やる気のない声で、改めて顔を見られたが、こっちはそれどころじゃなかった。

意識を向けられたことでもたらされた王の威圧に身がすくんだ。

圧倒的な強者のオーラを受けて、今まで強いと思っていた男達がただのチンピラだったと気づいた。

だって、彼女はこちらをビビらせているわけじゃない。自分が勝手にビビっているだけだ。後退りしないのが精一杯だ。恐い。

彼女はただ当たり前に強い。それだけなのに、恐い。

形は人形のように完璧な人間なのに、人間に見えない。

人形のような整った白い顔と、現実味のない真っ白な髪のなかで、深い色の左目と眼帯に覆われた右目、「両目」だけがリアル・・・なはずなのに、人間味がなくて、そうまるで人間と・・・

「ああ・・・」

彼女が一瞬「左目」に手をかざすと、ハッと意識が戻ってきた。今自分は何を考えてた?

「がんたい、あんまり意味ないのかな・・・」

ボソっと呟いた「声」がやっと人間だと感じられた。ん? 人間? 自分は今彼女を「何」だと思っていたんだ?

「名前は?」

返ってきた意識にフイをつかれるが、名前・・・その単語に一瞬で身が凍る。

同盟にきてから、何度も「世間の目」を味わった。蔑みも、意識的な残酷さも、無意識の残酷さも何度も知った。

「わるたー」

ウォルターと名乗ろうかと思ったこともある。けれど、強くなりたいといった相手の前で、小さくそう名乗るのが精一杯・・・。

「それでいいの?」

とても遠くから聞こえてくるような不思議な声に胸をえぐられ、思わず悔し涙が滲む。

「ワルター、フォン、シェーンコップ!」

「そう、じゃあ、誰にでも堂々と名乗れるようになったら、弟子にしてあげる」

サラっといわれ、少年は思った。やっぱりウォルター・シェーンコップにしておけばよかった。と。

「名前は大事なのよ。云うと人間性が透けるもの。ねぇ、アルバ」

と、いかつい店主に水をむける。

「まぁ、そうですね」

「彼の名前はアルバ・ナイクというの」

「ナイク王国万歳だか、アルバ王国万歳だとかって意味なんですよ。親がフザケまして」

「・・・、じゃあ、名前を呼ばれたら、アンタ万歳って言われてるってこと?」

「・・・まぁ、そういう見方もありますね」

憮然としていたが、それだけだった。50絡みのこの男は、その人生の中で、自分の名前と折り合いをつけたのだろう。

「強くなれるわよ」

「ツヨク、なり、ますっ」

「お行儀よくしても、弟子にするわけじゃないわよ?」

「強くなって、もっと強くなるために弟子に、なります! 師匠!」

「そう、じゃあ課題ね。名乗れるようになったら、相手の名乗りを見なさい。色々分かるようになれば半人前よ。卑屈、尊大、成熟、寛容、自信過剰、そもそも名乗らない、親が嫌い、とかね」

「名乗りを、みる・・・」

「あなたがちゃんと名乗れてなかったら意味ないんだけどね」

そっけない態度だが、多分、きっと大事なことなんだと思う。体中を耳にして、一つも取りこぼさないように彼女を見る。

「ああ、毎日名乗るわけではないわよね。もっと簡単な練習・・・やっぱり挨拶よね。あなた今度から、先制攻撃のつもりで挨拶をやってごらんなさい。その返事を見るの。弱い、強い、具合が悪い、機嫌がいい、とかね。相手を読み取る練習、ね」

「・・・えっと、簡単、じゃね? じゃないですか?」

「やってごらんなさいよ。その結果は自分のものよ。ガチじゃなかったらガチじゃない結果がでるだけだもの。そうね。たまにこのアルバに挨拶にきなさい。気が向いたら弟子にしてあげる。弟子になれたら、勝ち方を教えてあげるわ」

「・・・・・・・・・」

名乗るのは、つらい。今の生活もつらいことが大半だ。けれど、強くなりたい。

負けたくない。亡命者だからと傷つけられるのはうんざりだ。

勝って、どうするのかは、わからないのだけれど。

「あなたは弱いわ。けれど、それは悪いことじゃないわ。自分の弱さが分かる人間はそれを利用して強くなれるから。よく見ることが出来るようになれば、相手の強さと弱さが判るようになるわ。それは自分が強いと思っている人間には理解しにくいものよ。人によっては全然わからないわ。だから、強さを求めるもののアドバンテージなの。貪欲になりなさい。そして、自分が強いと思っている人間は、結構倒しやすいわ」

名乗るのは、つらい。できれば嫌だ。自分の名前が嫌いだ。

けれど、それでは、この人の弟子にはなれない。

「俺はワルター・フォン・シェーンコップ。いつか貴女の弟子になります。トシは11です。師匠のお名前を教えていただけますか?」

今までで一番マシな自己紹介ができたと思う。師匠はほほぅという顔になった。もう、人間以外には見えない。

「うん、なかなか。なかなか攻撃力の高い名乗りね。今日のところは合格点よ。ワルター・フォン・シェーンコップ。次に会うときまで、その名前を覚えていてあげる」

すっきりとした明るい笑みを浮かべる彼女は、うん。人間だな。

「私の名前はレティシア・Y・クレイマー。今はね。ちょっと今から結婚してくるから、しばらく違う名前になってくるけどね。その名前を聞けるかは、あなたの成長次第ね」

「けっ・・・こ、ん!?」

「ああ、私の年は17よ。すくなくとも5年は結婚してる予定だけど・・・まぁ、やってみないことにはね」

めんくらってしまった。けっこん、結婚?

「あら、人妻の弟子はイヤ?」

「・・・し、ししょーは、大人の世界に殴り込みを、かけるの・・・ですか?」

「大人とか子供とか関係ないのよ。出来ることは、使わなきゃ。損でしょ」

はじめの人形のような印象を払拭する、ふてぶてしい顔で、ししょーは笑った。

「次に会う時は、弟子にしてくれますか?」

「あなたがそれに相応しくあればね。また会えるといいわね。ワルター・フォン・シェーンコップ」

 

帰るといった少年の背中を見送って、レティシアは店主に向き直る。

「てわけで、5年くらい同盟に顔出せないかもしれないわ。行って来るわね」

「ご武運を、我が姫」

「そんな厳しい顔しないで。勝算はあるつもりなのよ」

いつのまにかグラスは空になっていた。

「ねぇ、レイシャ・フォン・ロイエンタールよりも、レティシア・フォン・ロイエンタールのほうが、おさまりがいいわよね?」

 

 

後にシェーンコップは述懐する。

あれは、ある意味、極意だったのだと。

自分がはっきり名乗るようになって、変化はすぐに気づいた。

殴られなくなったし、奇異の視線を受けなくなった。

亡命者と蔑むものはなくならなかったが、ナメられなくなった。

はじめは名乗るのが辛かったが、名乗れば名乗るほど、自信になった。

強いと思っていたものが、さほどでもなかったり、逆に、弱そうに見えるものも、地に足を着けて堂々と生きていたりしていることに気づいた。

誤魔化すような相手の自己紹介には哀れと感じるようになった。なるほど、これはつけ込まれる。

アルバの店にはほぼ毎日通った。途中バイトもやった。

彼には本当に世話になった。沢山の世間知を教えてくれたのも彼だ。

彼がさりげなく世話をやいてくれなかったら、今頃どうなっていたかわからない。

第二の親のようなものだ。その心根に、感謝して、尊敬している。

時にししょーを「姫様」と呼ぶ彼が気にはなったものの、深くは考えず、彼女にはある意味あっているかもしれないと思った。

レティシアには、ある日突然であった。その時は「師匠」と呼んでも拒否されなかった。

本当に勝ち方を教えてくれた。えげつなかった。

あと、水商売の女性にモテるちょっとしたコツも教えてくれた。超タメになった。

一般女性を口説くときや、部下の体調の変化などにも応用が利いたので、やっぱりししょーはすごい。

多分、アルバがししょーに連絡をして、呼んでくれたんだと思っている。

 

名前を名乗るのは、一種、世界との契約なのだと、連隊長になったシェーンコップは思っている。

自分がどうあるのかと、かくあるのかと、そうあるべきなのだと。かくあるべく、望むのだと。

あるべく、励むのだと。

「ですよね、「ししょー」」

本人には「師匠」と呼ぶが、心の内では「ししょー」と呼んでいるのは、まぁ、秘密だ。

いつか、また会えると信じて。

 

 

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