眠らない街の緑紅金緑石   ―――『左眼』

 

 

その知的な深い瞳と、鬣のような豪華な白髪。

なんとも気高い横顔に、ラインハルトは絶句した。

はるか崖の上から見下ろす鷹のように峻厳な、そして神聖な横顔だった。

 

「あ、ハルチ、キル」

その相手と喋っていたカールが二人に気づいて顔を向ける。

幼年学校の面会日に人と会っているカールを見るのは、知り合ってから、たったの二度目だ。

「あなたがミューゼル?」

そういって、こちらをむいた彼女の、右目に、濃紺の眼帯に縫い付けられた輝石がきらりと光った。

「そしてあなたがキルヒアイスね。いつもカールがお世話になっています」

繊細な美貌と無骨な魂。

これまでもこれからも、幾度となく彼女に贈られる評だが、船乗り姿の女性など初めて見た少年二人に、そんなもの気づく余裕はなかった。

美しい微笑に似合わぬ、獅子のようなボリュームの白髪と、右目の凝った細工の眼帯のインパクトは絶大だ。

アンネローゼの美貌を見慣れている二人でも、おそらく帝国人ではないその女性はまったく未知の領域だ。船乗りならばきっとフェザーン人だ。

「あ〜、おれの・・・母親の。レティシア」

二人は頭の隅で納得した。

あまり似ていないし、あんまり若いし、とんでもない美人なので、後妻さんなのだろうと。親子の間に微妙に開いた距離に、白けた風が流れているようだった。

こないだ来た愛らしい双子の体当たりの愛情とは、明らかに種類が違う。

そう思ってカールを見たが、眼差しでわかったのだろう。うんざりと否定した。

「実の母親。十七で結婚して、十八で俺産んでるから、今年・・・」

「黙れ☆」

「は、はじめまして、カールにはいつもお世話になってます!」

緊張と元気が半々で、真っ赤になってキルヒアイスが云う。レティシアはにっこり笑った。先程の外交的で美しすぎる微笑よりも、くだけた笑顔だった。が、なんか緊張感がハンパない。背は高くないが、王の如き迫力の女性だ。彼女がこのオーラを自在に調節し、親しみやすいオバちゃんムードを出せるようになるのは、まだ少し先の話だった。

「ハルト?」

「ラインハルト様?」

キルヒより先に立ち直ると思われた、負けん気の強い少年が変な顔でまだ沈黙しているのだ。カールとキルヒが不思議そうに見守ったが、そのラインハルトは二人を絶句させる行動にでた。

「稀なる貴い方にお会いできて光栄です」

貴人に対する貴族の礼を、その少年の美貌に相応しく綺麗に決めて見せた。

もちろんカールとキルは震え上がった。彼が大人にも女性にも礼儀正しくないことをよくよく知っている二人だった。彼が社交辞令を身に・・・取り繕えるほど社交辞令が身につけるのはもうちょっと先の話だった。

「お、俺だって尊敬すべき女性への礼儀ぐらい知ってる!」

凄い顔になっていたルームメイト二人に、いつもの顔でラインハルトが反論する。

そんな子供たちに、レティシアは繊細な美貌を写した、鈴のような笑い声をたてた。

「面白いことをいうのね、ミューゼル。私はただの宇宙生活者で、貴族でもなんでもないわよ」

レティシアの言葉にラインハルトも不思議そうに首をかしげたが、否定はしなかった。

「あなたは、気高い魂をもった方だろう? とても誇り高い方だ。そういうのは、高貴なのじゃないか?」

「母ちゃんが? 粗暴で意地悪なだけだぜ?」

「あら、カール。生意気云うのね」

「貴方は、とても、要求が高い方だと思う。自分にも、他人にも、とても厳しい、妥協のない、崇高な・・・」

言葉を重ねるラインハルトに、横のキルヒアイスは不安を覚える。こんなラインハルトは知り合ってから、見たことがない。が、彼女は軽く笑ってかわす。

「さあ、それはどうかしらね? ところでミューゼル。さっき貴方がとってくれた礼はとても美しかったわ。誰に教わったの?」

レティシアが、右の眼帯に手を添えながら、左の深い藍色の瞳で問うた。白い髪、抜けるような白い肌と相まって、温度がないように感じる瞳だ。

「え?」

はじめて、ラインハルトの顔に戸惑いが浮かんだ。まったく思い出せなかった。

「姉上、じゃない。な」

それははっきりとわかった。多分、父でもない。いつ、どこで、覚えたんだ?

「思い出せないなら、いいのよ。すこし興味があっただけだから」

「母ちゃん?」

大分らしくない言葉をラインハルトにかける母親に、カールがいぶかしげな視線を送るが、彼女は息子を省みない。

しばし少年らを無視して、フイと前を見ていたレティシアだが、三人を順に見、最後にゆっくりと息子の顔を見る。

左の瞳だけでなく、眼帯で隠れた右の瞳まで見通しているような鋭い眼差しだった。

「カール、お前はこのままでいいわ。あなたがやりたいようにやりなさい。問題があれば、兄か本家に連絡すること」

「はいはい、わかってる。ったく、俺、アンタが考えてることサッパリわかんないよ」

レティシアはようやく悪戯っぽく笑ってカールの額をぱちんとはじく。

「お前のお利口な脳味噌じゃ縁のないこと考えてるわよ。けれど、そうね、心配しすぎかもしれない。忠告として受けとっておくわ」

「いや、忠告なんてしてねーけど」

「ではね、ミューゼル、キルヒアイス、健康に気をつけて。カール、また会いましょう」

「会わないの前提で話さないの」

今日顔を合わせたのが五年ぶりだ。ということはルームメイト二人には理解できないことがらなので、黙っていた。こんな親子もいるのだ。

 

「昨日あなたの弟に会ったわ。しばらく見ないうちにクリスタベルそっくりになったわね」

少し斬新な貴族の女性といった服装で、アンネローゼに手ずからお茶を淹れてもらっているのは、眼帯を宝石細工にかえたレティシアだ。

美しい皇帝の愛妾は、ほんの少し手をとめて苦笑すると、穏やかに首肯した。

「母の話を出来る方は、もう、ほんとうにいなくなってしまいました」

「もったいないわ。素晴らしい方だったのに」

「はい、本当に。けれど、どこで弟に?」

幼年学校に出向いた話をすると、アンネローゼは本当に驚いたようだ。

「レイシャ様のご子息様と弟が同室なんて! 何かご無礼があっては・・・」

「・・・。本当に貴方たち母娘は、人を好き勝手あがめ奉ってくれて・・・」

なぜか彼女を神のように崇拝する母娘に心底うんざりした顔のレティシアに、アンネローゼは苦笑して謝罪する。けれど、こればかりは仕方ないのだ。そう仕方がないのだ。

「・・・、申し訳ありません。どうしても、初対面の日の母を思い出してしまって。まるで天女が庭に舞い降りたようにはしゃぐ母を。今にも平伏せんばかりでしたから」

「あれは・・・、職権乱用ってやつで・・・」

まだアンネローゼが幼いころだ。レティシアが地下茎の会・会主だったとき、オーディンの活動内容を見ていると、とてもエネルギッシュな活動を繰り広げていた女性が一人、目に留まった。

小説を主とする自作の創作もだが、同世代、次世代への働きかけ、親身で実際的なアドヴァイスに優れていた。興味が沸いて会主特権で本名と住所を調べて訪ねたのだ。

美しくパワフルで、当局に見つかれば未だに捕まる命がけの活動を続ける女性の言葉は、フェザーン、同盟の女性とは別種の強さを感じさせ、深い感動をレティシアに与えたものだった。

彼女の本名を、クリスタベル・フォン・ミューゼルという。

すっかり母娘と仲良くなったレティシアは、彼女が亡くなってからも何かとアンネローゼを気にかけていた。わざわざ新無憂宮まできてくださるなんて! とアンネローゼは母よりはるかに大人しいが、その心の内ではレティシアを崇拝することにかけては母に劣らない。

「けれど、彼女が亡くなった時、あの子はそんなに小さかったかしら?」

「はい。なぜか記憶にないというのです。けれどお話を聞くと、弟も心の奥では母を覚えているようですね、嬉しいです」

「あんなインパクトの強い女性を忘れるなんて」

「私も不思議です、あんなにスパルタだったのに」

『えーー、ははうえーー! ぼくも貴人様がきたときにごあいさつするーーーぅ!』

『おおーーーーっほっほっほ、貴人様はお前のようなガキンチョが足もとにも近寄れないほど高貴な方なのよ! けれど、どうしてもというのなら、まず、右手を・・・角度が違う! 薬指をまっすぐ伸ばしなさい!』

彼女は地下茎の創作活動だけでなく、ソトヅラも完璧な「質素淑やか美しい小身貴族」だった。

「そういえば、クリスタベルが亡くなってから、ラインハルトと顔を合わせたことはなかったわね」

レティシアはアンネローゼの心配はしたが、ラインハルトの心配はこれっぽっちもしていなかったからだ。基本、息子を含め男には冷たい。彼女に云わせると、

『地下茎の会の会主の役割は、主に女性の庇護だし?』

らしい。それだけでいいのか。

「それにしたって、あんなに慕っていたレイシャ様のことを覚えていないのは不甲斐ないことです」

「いいえ、いいのよ。アンネローゼ。けれど、あなたのことだけは心配なの。こんな跳梁跋扈する宮廷で、創作活動を続けるなんて危険すぎるわ」

「ありがとうございます、レイシャ様。確かに家にいたときよりも気をつかいますが、母から、そして代々の帝国女性から受けついだ隠蔽工作はまだ有効です。母の教え通り、あせらず、たゆまず、一歩一歩、歩き続けたいと思います」

「なんて立派なの、アンネローゼ。困ったことがあればいつでも呼んでちょうだい」

「はいっ。レイシャ様に頂いたSOSコールで万全です」

腐女子は不滅です。

 
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