眠らない街の終らない夢 第参話〜神の居ない場所
 
「でっかくなったよなあ、お前」
手の中のグラスをカラカラともてあそびながらルーが呟く。
「氷溶けるよ?父さん・・・別に今更そんなに大きくは・・・ああ、まあ14の時に比べたら少しは伸びてるか・・・」
落ち着いた雰囲気の酒を楽しむための店である。
馬鹿丁寧な口調ではなく、二人で暮らしていた時の口調に戻っている事に気付きルーは少し笑った。
「なあ、あのガキどもはどういうワケなんだ?」
「見たまんまだよ、言った通り。私の子で、ルーの孫」
沈黙した父親を横目にヤンが三杯目を注文した所でルーが口を開く。
「どっちが父親なんだ?」
「わからないんだ」
「お前・・・それは・・・」
父親の誤解を首を振って否定する。
「本当に・・・・・・ほとんど覚えてないんだ。あの時のことは」
 
ただ覚えているのは、月光がオスカーの小刀に煌いた事と、立ち込めた血の匂い。それと、真沙輝の涙だけだった。
 
「ただ、母親は・・・」
「一人しかいねえ・・・か?」
その母親の名はルーにも想像がついた。柏真沙輝。ロイエンタールとヤンの幼馴染で一番近くにいた女だ。
「なんかすっかり浦島太郎だな、俺」
「タイリが玉手箱だったり?」
二人同時に吹き出す。空気が軽くなって、肩の力が抜ける。
「まったくよう、カールなんてもう二十歳過ぎてるだろう?」
「私も・・・長いこと会ってないから小さいカールのイメージしかないんだけど、もう21だよね」
「カールといえば、イキナリレティシアが出て来た時は驚いたな」
「私だってここ10年ぐらい会ってなかったんだけどねえ、虫の知らせってやつかな?」
「お前それ、ゼッテー意味違う」
「シェーンコップがレティーお姉ちゃんと知りあいだとは思わなかったな・・・」
「ああ、あの若造の事か?レティー見た瞬間に「お師匠様!?」だもんな」
見たことも聞いたこともないシェーンコップのビシバシに緊張した態度を思い出し、要塞司令官は軽くむせた。
しばらくちびちびと呑んでいると、話題はここの呑み代の話に移った。
「おじいちゃん、凄かったね」
「ったく、孫の鼓膜破る気か?あのじじい「とっとと還って来んか!この馬鹿孫がーーーーー!」だもんなあ」
「そりゃ怒るって。おじいちゃんこの16年本当に真剣に父さんのこと探してたんだし。まあ、お小遣い貰ったから、私はどうでもいいけどねえ」
柏栄、84歳。ルーシェンとレティシアの死んだ母親の父にあたる。つまり、ヤン・ウェンリーの曽祖父だ。
「ま、皆が心配して探してたのは神無の方だったんだけどね」
「相変わらず血も涙も無い身内どもだぜ。俺より船の心配かよ」
怒った風でもなく詰ると、ヤンも笑って応える。
「当然じゃない、ヤン家の当主の代わりは今タイリも入れて4人いるけど神無の代わりはきかないんだから」
「4人?ああ、真雪が違うのか?」
というのもヤン家の後継ぎには「拘束の瞳」と呼ばれるこの特殊な濃紺の瞳が必要なのである。
「うん、あの子の眼は父親似だから」
思わずルーがグラスをカン、と音を立ててカウンターに置く。中身が入っていなくてよかった。
「おい、まさかそこまでなのか?どういう遺伝だよ。既に反則だぞ。あれまさか本当にカラコンなのか?」
「そう。だから、というかそのせいで、というか「おままごと」が続行中なんだよ」
 
たまに危険区域に入りながらも、話題は尽きることなく。親子は久しぶりの会話をそこそこ楽しんでいた。
杯が重なってだんだん口数も減ってきた頃、ルーが口調を変えて言いはじめた。
「へへ、でもなあ。結構憧れだったんだぞ?でっかくなった息子と酒呑むってのはよ」
ヤンがグラスから顔を上げて父親を見る。
「メイファン、タイリの母親が倒れた時な?・・・ほとんど即死みたいだったけどな、脳か心臓か、どっかその辺だと思ったんだが。お前の母親とダブったんだ。メイファンは名前もわからないような男の子供を産んで、その幼い子供を残して死んでいくっていうのに・・・それは満足そうに誇らしげに笑ったよ。思い出してから気付いたんだけどな?よく似てるぜ、カトリーヌとメイファンは。しぐさとか、声とか、顔の造作とか、性格も違うとこといやあ髪の色が金か黒かぐらいで・・・。参ったぞ、まったく同じ死に顔だったぜ?なんで年端も行かない子供残して死ぬって時にあんな顔してられるんだよ」
背もたれに体重をかけて天井を仰ぐ男の顔をみながら、ヤンは頭の中で答えていた。
(それは貴方が居たからだよ、父さん。タイリのお母さんは知らないけど少なくとも母さんはそうだった。父さんは気がつかなかったみたいだけど母さんは確かに死ぬ前に云った。「信じてるから」と)
しかし、母が死んでからの父を知っているヤンにしてみれば、よくそこまでこの父親を買いかぶれたものだ。という事になるのだが・・・。
ルーは前髪をかきあげ「思い出してからな」と前置きして不満そうに続ける。
「カトリーヌもメイファンも、どっちも身代わりのような気がしてな。あいつらに悪くてなあ、おいコラ笑うなよ。俺だってタマにゃあこんなことだって考えるんだからな」
「そんなこと無いよ。父さんは本当に母さんの事1番に大切だったよ。多分そのメイファンさんだって同じことだったと思うな」
ルーは息子を見て苦く笑った。
「わりい、その台詞お前に云わせた」
「知ってたよ」
こういう時、ルーは本当に魅力的に微笑む。(きっと母さんはこの笑顔に騙されたんだ)と思うのはヤンなりの照れ隠しである。
「まあ、そんなことは冷静になってからぼつぼつ考えたんだけどな。その時はただ・・・・悔しかった」
まっすぐに前を見て自分自身を切り捨てるかのように言い放つ。
「初めの2日ぐらいか?メイファンを宇宙葬にしてる間も、ここにくる途中神無をぶっ飛ばしてる間も。目の前が真っ赤になるかと思うくらい、ただ悔しかった」
そこまで言い切ってから、気が抜けたように机になつく。
「悔しかったんだぞ、マジで。畜生。気が狂うかと思うくらい悔しかったんだからな!」
カウンターに突っ伏している父親の頭をポンポンと叩きながら、母さんなら居るだけでルーを慰められるんだろうなあとラチも無い事を考える。
「ちくしょー誰が自分の息子に人殺しとかさせたいって思うんだよー」
「・・・・・」
「・・・・・」
「・・・・・ゾディアック家とか?」
ブチッ
本気で切れるヤン・ルーシェンというのもなかなかに珍しい。
「てめーなあ!人がせっかくシリアスモードで迫ってたっつーのにまぜっかえしてんじゃねーぞコラあ!」
「だって父さんのシリアスモードってどうせ1分しか持たないじゃん」
「ああん?これでも最近は1分半は持つようになったぞ」
「威張って云う事かね」
息子が差し出した水を見て、我に返ったルーがそれをイッキ飲みして今度は無声音で怒鳴る。
「いいか、あれはなあ、失われるべき文化なんだ。たとえフェザーンでエンドレスで水曜の7時からドラゴンボールやってようと、日曜の6時からちびまるこちゃんやって、その後サザエさんで7時半から世界名作劇場やってようと、土曜の7時から・・・」
「父さん父さん」
延々と続きそうな父親のたとえを無理矢理切る。
「だとしてもだ。文化は波があって栄えて後に廃れるもんだ。だってのに、あの街じゃあ延々1000年以上前の地球連邦でさえできる前のアニメだとかゲームだとかやってるんだぞ?そんなんで進歩があると思うか?
そもそも地下茎の会が・・・」
参考までに、地下茎の会とは処女会と婦人会と敬老会(女)と子供会(女)を足したような非常にオソロシイ、フェザーン最大の秘密結社である。
「だいたい月下街は黒社会の中心なんだぞ?なんだって花街の女どもが日曜の朝から早起きしてデジモン見てるんだよ!」
「違うよ、あれはデジモン見てから寝てるんだよ」
「結局見てるんだろうが!」
「確か今はなんだっけ?ガリバーボーイ?忍空だっけ?ああそうだ、幽白だった」
「なに?幽白?それを先に言えつーの。とっとと帰るぞ」
「父さん今日木曜だよ」
ちなみに神無の能力ではフェザーンまで3日。明日は金曜なので、ぎりぎりで間に合わない。
「月曜ってなんかあったっけ?」
「どうせ帰ったらじいちゃんにこれでもかというほど搾られるんじゃないの?」
ルーがカエルが潰れたような声を出す。どうやら都合の悪い事はすっぽり忘れていたようだ。
「父さん、今日家泊まりなよ。どうせ、タイリももう寝てるだろうし、今日は雪も時も、家に泊まるって云ってたし」
「んー、じゃ。そうすっかな?」
「ああ、じゃあおやすみなさい。私は神無のとこ行くから」
「ああ?そうなるのか?」
「だって、久しぶりだし」
「まあ、別に良いけどな。積もる話もあるだろうし」
はて?船に話とは?
別にこの二人が乱心したわけではない。これが、世界最高の宇宙船と陰で言われるからくりである。
先程神無の代わりはない。とヤンが云ったことの意味もここにある。
 
暫くして、酔いを感じさせない歩調でヤンが宙港に着く。
だれもいないドックの中。一隻の宇宙船の前に立つとヤンは親しげに笑いかけた。
「久しぶりだね。ただいま」
云うと、まるで生き物のような形をした宇宙船の眼の部分が突如として光る。
『お帰りなさい、ウェンリー』
『よく帰ってきたわね』
2人分の声が聞こえる。もしかしたらヤンがまともに育ったのはこの「2人」のおかげかも知れない。
この2人についてはまた別の機会にでも話そう。
ルーは積もる話も、といったがこの2人に話す事など、ないような気がしてくる。
ヤンは苦笑して中に入っていく。神の居ない場所へ、普段居る死神ですらも居ない。神の居ない場所へ。
 
おまけ
 
「美時、真雪、せっかく会えたってのにあんまり話す暇も無かったな」
嘘である。あの後帰ったらまだ寝ていなかったこの双子相手に朝まで喋っていたのであるから。
美時も真雪も寝不足そうではあるが、十分楽しかったようだ。
「仕方ないよ。栄じいちゃん怒ってるし」
「おじいちゃん、また遊んでね」
「おう、今度はテトリスでもするか?」
「それこそ徹夜でも終らないような気が・・・」
「タイリ君も、またね。今度はフェザーンで会うことになるかな?」
「うん、美時お兄ちゃんも真雪お姉ちゃんもバイバイね」
「あんま遊べなかった罪滅ぼしってことで、これやる」
美時と真雪に一つづつ封筒を渡す。
「なんです?それ、ルー」
息子の問いに意地悪く笑って、双子に向かって云う。
「たしかそれは真沙輝だって持ってなかったはずだ。見て笑うもよし、感動するもよし」
「だからなんなんです?」
ルーが性格悪いのは昔からだが今日はなんとなく不吉な予感がしてムキになって問う。
「宇宙暦772年、6月11日。だいたい午後三時半ごろ」
はじめ首をかしげていたヤンの顔が見る間に青くなっていく。
「ちょっと、まっ、それって、ねえ!」
「はーっはっはっはっはっは、実の父親を舐めるんじゃねえ!」
その日付には双子たちも覚えがあった。彼らの父親と母親がはじめて会ったのだと教えられている日だ。
慌てて封筒から中身を取り出した二人から歓声が上がる。
「っ、あっ、うー、あー」
予想がついていたヤンは思わず現実逃避に走る。
それは可愛らしい五歳児のドレスアップした姿だった。レティシア・Y・クレイマー力作の花嫁人形だ。
勿論幼い頃のヤン・ウェンリーである。
二人が並んでいる姿でない所が花嫁の父の嫉妬であろうか?
とにかく、ヤン・ウェンリーは切れた。
「あの、クソ親父ぃぃぃぃぃ」
既に逃げ足の速いルーは神無で出発している。
「トゥールハンマー撃ってやる」
「ああーーーーー、ママ、タンマ!」
「多分あたらないと思うんだけどなあ、俺」
 
幸いなるかな?この日、イゼルローン要塞主砲が誤作動して民間宇宙船を消滅させたという記録は無い。
 
結局結論を言うとヤン・ルーシェンの一人勝ちのようだ。
 
物語は確実にハッピーエンドへと向かっている。
しかし、現時点で明らかにヤン・ウェンリーは不幸であった。
 
眠らない街に祝福あれ!


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