眠らない街の眠れない夜   第八話
 
〜お茶セットは壁の中の隠し収納から出しました
 
「で?」
息を吐きながら、男は人々の好奇の視線に気付いた風も無く、不思議そうに二人の子供に問い掛けた。
「サキは説明と云っていたが、何を説明すればいいんだ?」
サキというのは、柏真沙輝の数多い通り名の一つである。ロイエンタール兄弟は思い出したように、偶にこの呼称を使う。
「さー?わかんない」
「ンなこと急に云われても・・・」
少し困ったようにあたりを見回す。
「何か質問は?」
くるくる見回していたが、ふと一人のところで目がとまる。
「別に、手は挙げていただかなくてもいいんですが。キルヒアイス大公殿下?」
唖然としたまま、キルヒアイスの手は発言を求めていた。とりあえず、何はさておきコレは聞いておかなくてはいけないだろう。
「同盟のヤン元帥とお知り合いで?どういうご関係・・・」
「ああ、アレは私の連れ合いですので」
それだけ答えると、ロイエンタールは鮮やかな手つきで急須から茶を注いだ。
てゆーか、お前本当に軍人か?
「しかし、美時と真雪は・・・」
二児の父親は、発言者である皇帝に答えた。
「私の息子と娘ですが?」
終りかい!
なんとも不親切な説明である。
さっきから幾度めかの衝撃から、なんとか立ち直った気になったラインハルトが、顔を引きつらせながら、新茶の香りを楽しんでいる部下に言った。
「け、卿にこれほど大きな隠し子が居たとは寡聞にして知らなかったな」
「隠していたつもりは無かったのですが、何故か知らない人間の方が多いようです」
 
そう、ロイエンタールは「隠して」は居なかった。が、聞かれた事が無かったわけでもない。
普段の行状が行状なので、ビッテンフェルトなどに茶化されたのだ。
『おい、ロイエンタール、涼しい顔してやはりどこかに隠し子の一人や二人は居るのだろうなあ』
その台詞にロイエンタールは首を振って平然と答えた。
『いいや、「隠し子」は居ない。はずだ。少なくともおれは知らん』
真雪と美時のことは向こう三軒両隣隅々にまで知れ渡っていることなので、ロイエンタールには「隠している」という感が存在していなかった。
 
「すると、ミッターマイヤーなどであればその事柄を知っていたと?」
「確か・・・、話したと思いましたが?」
「ちょと待てーー!俺は聞いてないぞ!?」
何時の間にか近くに居たミッターマイヤーが怒鳴り込んでくる。
「あ?」
もしかすると濁点もついているかもしれない、このロイエンタールの反応を説明すると、
ちょっと不満。
「そうだったか?酒の席で話したような気がしたんだが?」
「幾ら酒の席でもそんな衝撃の新事実ぐらい言われれば覚えとるわっ!」
半ば気合で巨大化しているミッターマイヤー。特に顔。
「では、おれはカプチェランカの時に何を話した?今まで「子供というのは、見ていて飽きないものだ」とか云うような発言をしたと思っていたのだが・・・、六年程前のことだが、覚えているか?ああ、そういえば翌朝、「夕べは詰まらん事を話したから忘れてくれ」とかいったような気がするな、確か。もしかするとそれで、律儀に忘れていたのか?」
ミッターマイヤーは冗談抜きで脱力した。そりゃもう、床になつきたくなった。それどころか、本気で泣きたくなった。
勿論、ミッターマイヤーはそのときのことを克明に覚えていた。それこそ、一言一句たがわずに暗証できるほど覚えていた。
この時の話というのは、ロイエンタールファンにはお馴染みの例のアレである。
「お前が話したのは・・・、レオノラ・フォン・マールバッハ殿の事だ」
「レオノラ・フォン・マールバッハッ・・・」
ロイエンタールにしては意外なほど驚いた表情に、それまで傍観していたカールの目が鋭く細められる。
「・・・・・・・忘れてるだろ、あんた・・・」
「てゆーか、俺の知り合いにそんな名前のやつ居たか?」
マジも大マジで返した実の兄の台詞に、カールはおろか周囲に居た人々までが突然の頭痛に頭を押さえた。
「って、婆ちゃんの旧姓じゃないかそれって!父さん!」
「婆ちゃん?」
不思議そうな顔を息子に向けた兄に、諦めきった表情でカールが確認を求めた。
「あのさあ、聞きたくないんだけどさあ。もしかしなくても、宮婆様とウチの母親ぐらいしか頭ン中に無いだろ、今」
「他に、この二人が祖母と呼ぶ立場に居るようなやつがいたか?あ、ルーシェンの奥方か?いや、確か名前はカトリーヌとかいったような気がしたが・・・」
素である。
「せめて生まれてすぐ、自分の目ぇ抉ろうとした当人の名前ぐらい覚えててよ、パパぁ!」
四天王が一斉に頷くのを尻目にやっと少し記憶に引っかかりの出来たロイエンタールが反論する。
「しょうがないだろう?お母さんの百分の一のインパクトもなかった女なんだぞ?」
抵抗できない己の目を抉ろうとした人間の百倍・・・、真面目に計算しようとして、双子は即座に思考を放棄した。
「兄ちゃん・・・。姑の名前覚えてるならさ、実の母親の名前ぐらい覚えとこうよ、うん、一応」
「あ。そういえばそうだったな」
なにしろ、ロイエンタールにとって生まれてすぐに故人となったちょっとばかし(あくまでロイエンタール意識)傍迷惑な母親より、ルーシェンの亡き妻に対する怒涛のような惚気のほうがよっぽどの大問題だったのだ。
「と、いうことは、おれは本当にお前に話してはいなかったんだな。では、コレがウチの娘と息子だ」
そういった頃には、ミッターマイヤーは口をあけたまま白目を剥いて放心していた。ご臨終です。
 
と、変な方向に神経の過負荷領域を越えたため弛みきっていた聴衆を凍りつかせる声が場を支配した。
「待て」
不気味な光を放つ義眼をまっすぐにロイエンタールに向けていたのは、冷徹をもって鳴る軍務尚書だった。
次の一言を待ち、人々は息をのんだ。
異様な場の雰囲気に恐れ知らずの双子が、思わず父親の背に隠れる
「・・・・・・・・・・?」(実は何も考えていないロイエンタール)
 
「と、いうことは、カール・クレイマーの絵のモデルはヤン・ウェンリーだったという事だな?」
 
聴衆はコケた。
 
「あーー、オーーベルシュタイン閣下ぁ?小官の絵の事より今はもぉうちょっっと違うこと聞きましょうよぉ、軍務尚書なんですからぁ・・・」
カールは、思いっきり疲れた。
「さあ?そうじゃないのか?こいつは絵下手だしな。云われなきゃ解らなかった」
一人涼しい顔で緑茶をすすっていたロイエンタールが答える。
「つーかあんたソレ、俺が幾つん時だよ」
幽鬼のような顔色でロイエンタールの後ろに立ったカールに、双子が反射的に飛び退く。
「・・・(ロイエンタール回想中)・・・・(回想終了)。3つ」
今から丸々20年前の話である。
「ンなのもう時効だろうが!時効!!!!」
「ん?あの絵まだ残ってるぞ?ウェンリーが笑いながらお前の自由画帳から丁寧に切り取って額に入れてたから、ウチの押入れにでも入ってるだろう」
「ね、姉様の鬼」
大正解である。
カールは、古傷を抉られた。
 
ミッターマイヤーの放心が解けた。
「待て待て待て!お前昨日ヤン元帥の事「イトコ」っていったよなあ!「イトコ」って!」
「嘘ではないぞ?」
「ほざけ!!!!」
「ウェンリーの父親の妹がおれの父親の再婚相手だ。つまり義理の従兄弟ということになる」
物凄く胡乱な表情でミッターマイヤーがロイエンタールの胸倉を掴む。
「オイ、確か俺の記憶が確かなら、クレイマーのことも従弟だとだといっていたよなあ?ヤン元帥は」
「だからそのウェンリーの父親の妹の子供だ。つまり実の従兄弟ということになる」
「あん?それって・・・」
「あーーあーーあーー、いえいえお気になさらずにミッターマイヤー閣下。サクサクいきましょう」
カールは、なけなしの邪魔をした。
 
そのとっても無理のある叔父の悪あがきに頭を抱えた柏の双子の袖をコソコソと引っ張ったものが居る。
ユリアンであった。
「ねえ、あのさあ、随分前に美時が云ってた「女嫌いの因業親父」ってもしかして・・・」
ユリアンの後ろには興味津々のイゼルローンご一行様がこれまたコソコソと様子を伺っている。
「そう、コレ」
小声の少年に対し、美時も小声で答える。
しかし、耳のいい父親には筒抜けだった。
「美時」
「あい・・・」
落ち着いた低い声に、思わず美時がテーブルの陰に身を隠す。
さて、どっちに逃げようか。と思案しながら次の一言を待ち構える息子に、父親は簡潔に発言した。
「中々適確な表現だ。物事をよく理解し、纏めているな」
オスカー・フォン・ロイエンタール、本気である。
「お、オソレイリマス」
派手にずっこけながら、美時は何とかそう答えた。
しかし、次の声はいささか声音が違った。
 
「ところで、真雪」
「は、ハイッ!」
思わず一緒にかくれていた真雪が直立不動で立ち上がる。
「な、何?パパ・・・」
呼ばれた理由がわからないときのほうが不安は大きいものだ。
美時も、伺うように両手をテーブルにかけ、ちょこんと頭を出す。
しかし、ロイエンタールの台詞は更にワケがわからなかった。
「お母さんは今幾つだ?」
「え?ママは・・・三十二でしょう?」
「そうだな。誕生日覚えてるか?」
「四月四日じゃないの?」
「いや、あっている。ではおれの誕生日をいえるか?」
「パパの誕生日は十月の・・・。あ``
父親の云わんとしている事に気付いた娘があまりの内容にがっくりと項垂れる。
ちろりと向かって右側の方を伺ったかと思うと、項垂れたままタタタと小走りに駆けて行った。
帝国軍の将官の軍服を来た二人の男の前で足を止める。
ビッテンフェルトとミュラーだった。
戸惑う男たちを尻目に、パッと顔をあげた少女は勢い込んで言った。
「訂正!あのねっ」
勢い込んだはいいものの、そこで勢いが止まってしまう真雪。
ブーたれたような、凄くイヤそうな表情になる。
「ウチのパパって今さんじゅーいちぃ・・・」
それでいいという風にロイエンタールが頷く。
「情報は正確であるべきだな」
いいながら腰をあげて、父親のせこさに脱力していた娘の頭の上にポンと軽く物をおく。
なんだ?と思って手を伸ばした真雪は思いがけない再会に絶叫してしまった。
「友蔵!友ちゃん!なんで!!!?パパぁ!」
お気に入りの可愛いテディ・ベアをコレでもかとしっかりと抱きしめながら、父を驚愕の眼差しで見上げる。
「落ちていた、イゼルローンに」
「ウソ!どこに!」
「司令官室の机の上だ」
「あん?」
風向きがおかしい。
「ちなみに、こんな紙を抱えていた」
懐から懐紙をとりだして、サラサラと書き付ける。
その文章を読んだ瞬間、真雪は一番近くにあったテーブルを蹴り上げていた。
「いいか?真雪。世の中には二種類の人間がいる」
振ってきた揚げだし豆腐を一滴のタレもこぼさず受け止めた美時が、嬉々として箸を伸ばす。
「信用していい人間と、絶っっっ対に信用してはいけない人間だ。わかるか?」
引きつった顔のまま返事をする。
「油断大敵」
「よろしい」
重々しく頷いた父親に、娘は頭を抱えて叫んだ。
「だーーー、勘弁してよママ」
「諦めろ。あいつは遺伝子、教育両方悪い。父親は柏227代の執念の塊みたいな最悪の月下だし、母親の方は直接には知らんが、「あの」ウェンリーが自分は母親似だときっぱりと言い切ったからそれなりの方なんだろう。と、そんな二人の遺伝子が複雑配合された挙句、育てたのが、「神無」に「学府」に月下全体とルーシェンだ。常識で考えろ、二人とも。どうなると思う?」
「「諦めます、お父さん」」
「手加減してやれよ、オスカー。子供たちがビビってるじゃないか」
口をそろえた双子を見かねてディヴァインが茶々を入れる。
それに答えたのは、ロイエンタールの冷笑だった。
「ほう?では何か?俺が手加減をすれば、あいつも手加減をするとでも?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。あ、シーちゃん、それツモ」
ナイス他人の振り、ディヴァ。
「あんたちょっとは子供の気持ちも考えろよ!二人ともずっと待ってたんだ!夢見せてやってもいいじゃないか!」
「カール。お前の云っている事は離婚寸前の夫婦に子供の前でだけ仲良くしていろというのと同じことだ。誤魔化しがなんになる?そんなものはすぐに露見する。無意味だろう?それに・・・」
それまで撫で付けていた髪を片手で崩す。
「うっ・・・」
カールが怯むのと同時に、四天王が一斉に顔をあげた。
「そんな期待に俺がこたえてやる義務は無い」
掻き揚げ切れない前髪の間から眼光が射す。
カールは、こんな兄の表情を良く知っていた。
感情が全て消えたかのような、喜びに満ちているような、闇の底に落ちたかのような。
四天王も良く知っていた。これはまだ三柱がこの街にいて、ルーシェンも行方不明にはなっていなかった頃、ロイエンタールが本気になった時の顔。彼がまだ
 
「ははははははは、いい貌だな。オスカー・フォン・ロイエンタール」
 
彼がまだ「鬼神」の名で呼ばれていたころの
 
「・・・・・ルーシェン」
 
月下最強を謳われたロイエンタールの顔だった。
 
「まったく、やっと俺の出番だ。待ちくたびれたぜ」

 

続く


前へ 目次へ 次へ