眠らない街の眠れない夜  第四話
 
 
〜いつもウチの主人がお世話になってます(的微笑み)←本音
 
「よくいらしてくれた、ヤン・ウェンリー」
百点満点の態度でラインハルトが歓待を示す。
「今晩は、お招きいただきまして有難うございます」
ヤンも楚々と微笑んでみせる。
感謝しているのは本当なのである。おかげでフェザーンに帰るまでの足代が官費で落ちたのだから。後は終わったあとだが、来てしまえばこっちのもの。もうすでに勝ったも同然、否寧ろ完了。
と、その微笑の裏までしっかりと読み取れてしまった不幸な主席秘書官兼主席副官は、五歩ほど離れたところでスプーンを加えたまま脂下がった笑みを浮かべた。頬が引きつっていたと表現する場合もある。
(へ、どうせ世界は姉様中心に動いてるんだ。ハルトもたまには手玉に取られるのもいいだろう)
生まれたときから被害者だった哀れなライトブラウンの髪の青年は、この「姉」に逆らう気は1ミクロンも無かった。
「ええ、陛下には是非とも一度はご挨拶に伺わなくてはと思っていたんですよ。中々機会が無くって」
あったほうが恐いだろうが。
「いや、だから別に返事をもらえなかったことは本当に気にしては・・・」
と、片手でさえぎろうとしたがヤンは聞いちゃいなかった。
「いえ、ウチのものがお世話になっているんですから、当然でしょう?」
「は?」
ラインハルトの顔が社交的表情のまま止まる。
なんだか、この奇跡の用兵家は今物凄く面妖なことを言わなかっただろうか?
「カールといつも仲良くしていただいているようで」
優雅に小首をかしげて幼いときから面倒を見てきた(それがカールの不幸の始まりである、というのが人々の通説である)従弟に視線を移す。
「この子は・・・そう、このフェザーンにいたときから同世代のお友達というものがあまりいなくて、近くにいたのが大人や私たちちょっと(ここ密かに強調)年上の身内や私の友達ばかりだったものですから、少し年不相応な子で・・・だったよねえ、カール」
「勘弁してよ。おれもう23だよ?何時までもがき扱いしてくれなくても・・・」
弱りきった表情で、しかし、それでも料理を盛った皿からは手を離さず「姉」に舌を出してみせる。
ここで懇切丁寧にラインハルトに事情を説明しようものならたちまち「姉」は旋毛を曲げるだろう。いや、その前に自分が楽しくない。
「子ども扱いされたくなかったら、未練がましく持っているスプーンをおきなさい。食欲に負けているようでは大人扱いしろなんて云えたものではないよ」
固まっているラインハルトを置き去りにして二人の会話は続く。カールが不満たらたらに上目遣いで己よりも身長の低い「姉」をみる。
「しょうがないじゃん。この料理あんたのよりおいしくないんだから量食べなきゃ」
「私は、お前のその論法がさっぱり理解できないんだけど・・・」
「年じゃない?ってゆーか、なんか否な予感バシバシするし、食えるうちに食っときたいんだ」
カールは隠しポケットに入れてある物体を密かに確認しつつ云う。
(コレも多分不吉だ)
被害者一筋23年。予感はかなりの確率で当たるだろう。
「そうだね、今回はお前が正しい」
一つ頷くと、まだしつこく固まっているラインハルトに微笑を向けた。
「と、云うわけで、これからもカールと仲良くしてくださいね」
もし、「次」があったなら確実に菓子折りを持ってくるだろう態度でヤンはその場を離れていった。
「あ、ハルト。おれちょっと人探しにいくわ。揉め事おこすなよ」
くどいようだが、ラインハルトはまだ事態が飲み込めていない。
そして誰もいなくなった。
 
 
〜四天王・集結
 
「うーん?オスカー何処行ったわけ?」
はてなマークを飛ばしながらディヴァイン・ウォーロックは会場内を散策していた。7割ぐらいが顔見知りである。料理も上手い。退屈はしない。
 
ドン ガシャン パリーン ガシャ ドカ 
 
「うん?」
なにやら遠くで聞こえる異音にディヴァが首をかしげる。少しづつ近づいてきているような気がする。
 
ベキ ドカドカ カキーン キン キン ガンガラガッシャーーーン
 
「のあっ!」
背後から顔すれすれに皿が掠めた。平常において皿は空を飛ばない。つまり。
振り向く
どうやらかなり遠くから飛ばされたらしい皿は、十メートルぐらい向こうにある音源から飛んできたらしい。
嫌な予感が胸を掠める。
(まさか、オスカー、アレから逃げた?)
正解である。
と、その音源の少し手前にいる見慣れた影に気付き片眉を上げる。
「羽鳥ちゃん!」
テーブルに張り付いて音源周囲の料理を食い荒らしていた食欲魔人が顔をあげる。
「やっぱし、羽鳥ちゃん!何やってんの?」
「やあ、ディヴァ。ほら、この音源が会場めちゃくちゃにしながら進んでるじゃないかあ。勿体無いだろ?料理が無駄になったりしたら」
いくら親切面しても食い荒らしている事には変わりない。
柏周辺の人間で一番貧相な身体をしてるくせに、一番エンゲル係数の高い男。底なしの胃袋を持つ九条羽鳥。
「ところで、この音速に近い勢いで攻撃を繰り出してるのはなんなのよ」
「いや、もう、見て聞いたら分かるでしょ?直じゃない」
「直ちゃん?直ちゃんこんな口悪かったっけ?」
ディヴァが不思議そうにウェーブのかかった濃い黒髪を書き上げる。
「お前には相手が見えないわけ?悪かっただろうが、直は人生のある一点においてのみ」
と、その時ディヴァインの瞳を懐かしい影が横切った。今の浅黒い肌の男は・・・。
「シャリアああああ?」
(そーだ、そーだった!直ちゃんってシャリアが絡むと人格豹変するんだった)
常の彼らしくも無い間の抜けた驚きようである。
「相手は・・・クライブ・マクレーンだよ」
物凄く気まずそうに首を振りながら羽鳥が証言する。
「え?それって・・・、だって、マクレーンって咲子ちゃんの旦那だろう?」
「最悪・・・だろう?悪いけど、今回ばかりは直樹に同情するよ」
「俺も・・・」
 
「しゃーーーりーーーあーーー、お前とゆーやつはーーーーーー」
ぶちキレにキレた直樹が熟達の技で皿を一息に三枚投げる。
のを持っていたフォークでクライブ・マクレーン改めシャリア・ラントスが瞬きもせずはじき返す。
「公務員だと!ふざけるな!!お前が!?誰がそんなものになっていいと許可した!!よりにもよってお前に!」
普段の澄み切った美貌からは想像も出来ない悪鬼のような形相で、しかし、それでも直樹・ラングレーは美しかった。
「フェザーン自治政府だ、馬鹿者!おれは普通に公務員試験を受けて、受かって、採用試験を受けて、受かったから公務員をやっているんだ!」
怒鳴り返すシャリアの顔にも、先ほどまでの地味さは欠片も残っていなかった。華やかでは無いが、彼本来の静かに人をひきつける、一本筋の通った高潔な性質が自然に見て取れるようになっている。
が、そんなことは少しも見えていない直樹は舞台俳優さながらに全身で悲哀と傷心を表す。
もはや彼の独壇場、役はさながら恋人に裏切られた吟遊詩人か、貴族の若様。騎士とかも意外に似合っているかもしれない。
「みんな、みんななあ、お前が何処にいるかわからなくても、生きているかどうかさえわからなくても、きっとどこかの惑星で人殺してると信じて、きっと元気でと・・・信じて・・・」
なまじ美形なだけにヒジョーに絵になる。
「極々平然とヒトに殺人を期待するな!しかも何だその言い方は!おれにとって生きていることと、人を殺していることは同義語か?直樹」
しかし、ギャラリーにしてみればシャリアの激烈な突っ込みも見えているため、ただのコントである。
 
「はい!ではここで、“ジュエリーショップ黒曜”の営業部長でもある直の奥方、リサ・ラングレー女史にお話を伺ってみましょう♪リサちゃん、なんか、コメント」
元々笑い目の男がニコニコ顔でマイクに見立てたスプーンを、何時の間にか野次馬に加わっている色の濃い金髪を肩口でざっくり揃えている気の強そうな美女に向けた。
「ええ、そうですね。私としては、夫よりも親友の咲子の行方のほうがはるかに気になりますね、さっきから姿が見えない。いや、まあ、勿論シャリアも心配ですよ大事な友達ですから」
などといいつつ止めないのは、その友達が20年間も音信不通だったせいに他ならない。
「あらまあ、そういえば、咲子ちゃん何処行ったのかしら?」
冷たく笑った鬼の営業部長の言葉に、自費出版を抜いた場合フェザーンで最も発行部数の多い小説書きはかわいらしく首を傾げた。
 
「お前が、お前が公務員!公務員ってサラリーマンじゃないか!24時間戦う気か!?しかも、恋愛結婚で一児の父親だと!?許せん!お前それでも、この世で最も邪悪な一族の末裔か!?」
「ウチの一族は口から王蟲100体ぐらい一瞬にして殺せそうなビーム砲は吐けない!ついでに言うなら24時間戦うのはサラリーマンじゃなくて、ビジネスマンだろう」
リゲインのテーマ・・・
 
(私あのCMソング大好き♪曲カッコイイ、歌詞カッコイイ、私ってば感激で涙出ちゃうよ、もう。あははははははは!(思い出し笑い)カラオケ行ったら是非お試しあれ。歌えなくても、あの歌詞は一見の価値があるよ。きっと。特に勤め人。「勇気のしるし」でリクエストOK?←ちなみに私は歌えません。どうも、歌い出しがようわからん。わからんで当たり前か、幼稚園のときのCMだからなあ BYりほ)
 
「なんだか、今雑音入らなかったか?直樹」
「・・・・・、泣きたくなってきた。お前そんなに、俺たち・・・いや、俺から逃げ出したかったか?」
(聞いちゃいねえ、見ちゃいねえ)
と、内心思いつつ、シャリアはうっと詰まってしまう。
何度このとってもとっても傷ついたような瞳にだまされかけたことか・・・。
どうしたら、高々二つしかない瞳にこれほど悲痛な色を込められるのか。
なまじっか善人面なため、本当に生あるものであれば植物でも同情してしまいそうな風情を一瞬にしてかもし出す。
 
「おおっと、いきなりシリアスモードだ!流石に直樹、よく似合ってる!」
何時の間にか、羽鳥が実況に納まっている。
「戦法が昔と何一つ変わっていませんねえ、嘆かわしい限りです」
サラリと厳しいリサの解説が、全く絶妙である。
「本当ですねえ。っと、それで何処に賭けるの?二人とも」
「「問答無用で直樹が沈められるに全部」」
ファイナルアンサーで。
 
 
〜沈黙の魔術
 
さてこのころ、会場の外、月下街の中では、老若男女問わず100%に近いほぼ総ての人々が、会場の中のこの予定調和的な騒動を流すラジオに齧り付いていた。
公共のすべての電波を乗っ取って会場の会話が流れてきているのだ。
ありうるはずの無いことだった。
確かに月下の人々は、この会場に招かれたものを羨み、どのような情景が繰り広げられるのかと夢想した。
しかし、それはそれで諦めのつくような話だったのだ。
ここまでして、流すような話では決してなかった。
それとも、ここまでして流さなくてはいけない理由がどこかに、誰かにあるのだろうか?
人々は緊張と興奮の入り混じった顔を見交わした。
ここまでして―――――そう、難攻不落の「学府」を完全に支配してまで。
 
この時代ラジオは意外に一般に普及している。
多機能という名のもとに、不用な機能が料金に加算されて付いてくる時代である。
押し付けられる情報の多さに食傷気味の人々は、音だけを発信するラジオに素朴な好意を寄せていたのかもしれない。
そして、フェザーンでは特にこの傾向が強かった。
食事時、会話の邪魔にならない程度に気を散らしてくれる音楽番組、作業中、移動中にも聞けるニュースなど、点けているとは限らなくても、様々な場所に意外なほど多くのラジオがあった。
普段キーホルダーにしていて持っていることを忘れているとしても、とにかくラジオがあったのだ。
 
この時間、点いていたラジオは少なくはなかったが、誰しもが聞いているというほどには多くなかった。
夜行性と嘯く少年少女がたむろしていた街角で、友達の笑い声を片耳で聞きつつ、お気に入りの音楽番組を聞いていた少年が首をかしげた。
夕飯の支度をしている母親が、いきなりTVがつかなくなったと訴えてきた末の子供にラジオをつけてみなさいと云った。
第何版目かの新聞の締め切りに追われるオフィスで耳にイヤホンをつけながら原稿を修正していた記者が、騒がしい室内を圧倒するような声で黙れと怒鳴った。
 
最初はなぜか必ず一人だった。
月下のそこここに落ちた波紋は、沈黙が沈黙を呼び、
 
そして、不夜城と謳われた月下街に沈黙の歌が満ちた―――――。
 
 
暗い部屋の中で、会場に無数にある監視カメラの映像を椅子に座ってにらんでいる男がいた。
節くれだった老いた指を流れるような動きで滑らせ、目前にあるコンソールを操作している。
当に魔術、とでも云いたくなるような年齢不相応の鮮やかな動きである。
このとき、月下街最高機密機関である「学府・中枢」は、この老獪な魔術師の手中にあった。
老人の祈りのような呟きは、誰にも聞こえはしなかった。
 
会場の中でその状況に気づいたものは少なかったし、その沈黙の底から湧き上がって来る幽かな月下街自身の喜びの歌が聞こえたものはほとんどいなかった。
バルコニーから月下街を眺めていたヤン・ウェンリーは、その両方が見て取れた唯一の人物である。
「始まったか?」
そのヤンに、夜から流れ出し、夜に溶けるような心地よい声が被せられた。
その声の主は月下で唯一月下街からの歌声「だけ」が聞こえていた人物だった。
「いいや、まだだね」
ヤンは振り向くと、現れた男に匂やかに微笑んで見せた。
帝国軍元帥オスカー・フォン・ロイエンタールに。
 
そのとき、うわさの会場の屋根の上では白い髪の魔王がぼやいていた。
「なんだ、まだ8時5分かよ。ちぃっくしょう、あと55分丸々暇じゃねえか」
不機嫌そうに勢いよく寝転がる。
「・・・ふぅん、でもまあ、悪く・・・無いな」
肌にしみこむような夜気に口の端を上げ、右手を空に伸ばした。
中空で何かを引き寄せるような動作をする。まるで、愛しい者がそこにいるかのごとく。
「俺は、俺は大丈夫だよ。大丈夫だ。有難う、な。俺を愛してくれて」
他の誰にも囁かない甘やかな声で己が霊魂を見る力の無いことを詫びるかのように、穏やかに感謝の言葉を繰り返していた。
 
『ってゆーか、他の可能性考えるやつはいないの!?賭けにならないじゃないのよ!』
十分予想できたことに、半ば本気で腹を立てている黒髪の小説家の声がする。
幾分年嵩と思える人々の瞳から徐々に理性が戻ってきた。
何かを確信している瞳だ。
誰かの瞳に自分と同じ光を見出すと、微かに微笑み頷きあって浮いていた腰を下ろした。
わけのわからない年少者も、周りの大人の自信に満ちた眼差しに促されるように余裕を取り戻した。
とりあえず今は、このラジオを聞いていればいい。
まだ時は完璧には満ちていないのであるから。


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