眠らない街の眠れない夜  第三話
 
〜四天王・九条羽鳥
 
ヤンは会場を入ってすぐにさまざまな方向から声をかけられた。一人一人にこやかに対応していく。
そのほとんどが昔一度はどこかで見た月下街の人間、乃至はその出身者だった。
何しろ後でフェザーン自治政府の公僕が一人一人の名前と身分を言ってくれるので間違えることがなくてすむ。
(思ってたより便利♪)
などと考えつつも声をかけてくる顔ぶれのご大層な身分に内心呆れていた。
(早い話が20年前に裏にいた連中が表に出てきただけじゃないか)
フェザーンとはそういうところなのである。
「やあ、お帰り。ウェンリー」
「やあ、羽鳥元気そうで何より」
その中で、似合わない三つ揃いを着た男が機嫌よくしてくる挨拶にヤンは苦笑して答える。艶の無い赤茶けた髪を一本で括っている痩身痩躯の笑い目の男・・・四天王・九条羽鳥である。
男はヤンの後ろに立つ希薄な印象の男に不思議そうな目を向けたが瞬きを一つするとマシンガンのようにまくし立てた。
「ひっさしぶりーーー!マジでさあ、何時帰ってくるかと思ってイロイロ作って待ってたんだよ―――!君に使ってもらおうと思って!」
丸眼鏡を一瞬光らせるやいなやどこからともなくジャンジャカ得体の知れない物体を取り出しはじめた。
たちまちヤンの前に露天ができる。(会場内で勝手に物広げないで下さい)
「あのさー、これがさー・・・」
などと嬉々として自分の発明品の説明をし始める九条建設創始者にして社長。しかし本人は、本業はあくまで月下開発部局長だと言い張っている。
尊敬する人はドラえもんらしい。←人じゃないだろ!
本人自覚があるかどうかは不明だが、立派なマッドサイエンティストである。
その一つ一つを楽しそうに頷きながら手にとる。
その光景をあっけにとられて見ていたヤン艦隊の一人の腕を背後から伸びてきた手が掴んだ。
 
〜竜を纏う少年
 
「ユリアン」
「うわ、・・・と何だ美時かぁ。驚かさないでよ」
「母さんの付き合いご苦労様」
「何でこんなところにいるの?」
めかし込んで楽しそうに笑っている少年にユリアンが問う。
「雪もいるよ。なんたってうちってばフェザーンで一二を争うほどの名家ですから♪」
繰り返すがフェザーンでは名家の基準からして要注意なのである。
帝国人も同盟人も己と価値観の全然異なる人間がすぐ近くに生息していることを理解しようという努力を怠るから貧乏くじばかり引かされるのだということにそろそろ気づいたほうがいい。
「へー、そうなんだ。初耳。ところで、何かやけに明るくない?どうかしたの?」
「どうかしたも何も、父さんと母さんが一緒にいられるところを見れるんだ。こんなにうれしいことはないだろ。俺たち父さんと母さんが一緒にいるとこって見た事ないし」
魂の奥底から笑っているような美時にユリアンは軽い罪悪感を覚える。もっとも、ユリアンが気に病むようなことでもないのだが。
「それにな。俺だっていつもいつも好き好んで辛気臭い顔してるわけじゃないんだよ。ただ単にイゼルローンでは俺以外に雪の暴走を止められなかったから仕方なく・・・ってゆーか、俺だって元々柏家の人間で元々最前線キャラの暴走系なわけよ。毎度毎度雪が先に切れるから何もできなかったけど。まあ、俺は悟った。より早く、より極端に切れたもんの勝ちだ!」
「美時勝ち負けの問題じゃ・・・それより、目え据わってんですけど・・・」
「ところで、俺今父さん探してるんだ。一緒に行かないか?」
聞いちゃいねえ。
「あ、でも閣下・・・」
「だーいじょーぶ。こっからさきはもうウチのテリトリーだし、掠り傷一つだって母さんに負わせることは不可能だよ。もっとも・・・身内が絡むと断言はできなくなるけど・・・」
最後の一文は声が低すぎてユリアンの耳には届かなかったようだ。・・・幸いにして。
まあ、となれば話は簡単。美時と真雪の「父親」には元々並々ならぬ関心があったのである。
当然ついていくしかない。
「君たちのお父さんもこの会場にいるの?」
「どっかにはいるはず。会場駆け回ってればそのうち遭遇すると思う」
 
美時としゃべりながら会場を巡っているユリアンは結構驚いた。そこここでフェザーン人と思しき招待客たちや給仕たちが美時に声をかけてくるのだ。
「美時様。お父様とお母様によろしくお伝えください」
「みときくーーーん!神楽師様に元帥昇進おめでとうございますって伝えておいてねー!」
「よう、坊。親父さんとお袋さんはどうしたね」
 
「あの、美時・・・神楽師様って?」
「母さんのことだよ。ここらじゃそう呼ばれてる」
またそこに別のすれ違った人間から声がかけられる。
「美時様、お父様の元帥昇進おめでとうございます」
「あ、どうも」
笑顔で会釈してから髪を掻き揚げて不満げにつぶやく。
「にしても、見つかんないなあ・・・父さん」
「ね、ねえ時。ヤン提督のことお父様っていう人もいるの?」
「いや?父さんは父さんさ」
目の端だけで心から楽しそうに笑ってみせる。ユリアンは、近くの人間がひそかに改心の笑みを浮かべて小さくガッツポーズをしたことに気づかなかった。
「美時、お友達が混乱しているではありませんか」
背後から少しかすれた、しかし張りのある柔らかい声がかけられた。
思いもかけなかった人物の声に美時が慌てて振り向くと、そこには上品に微笑んだ初老の女性が立っていた。
「お、お祖母様!いらしてたんですか!?すいません、ちっとも気がつきませんでした」
「良いのですよ、美時。今夜はそんなことを気にすることもなく楽しみましょう」
「それにしても・・・本当にお久しぶりです」
「そうですね、学府から出てくるのは本当に久しぶり。夜風が気持ちのいいこと。いくら学府でも「外の空気」までは再現できないのですからね」
穏やかに微笑む学府総代に笑みを返してからはっと気付いた美時が、友人に老婦人を紹介した。
「あー、俺たちの曾お祖母様みたいな方で、ウチの父さんの祖母代わりだった人で、学府って所の総責任者で、藤姉の前の前の藤波だった人で、母さんの・・・何に当たるんだ?大叔母?とにかく!柏宮様だ」
「美時、「様」はいりませんよ、くどいようですが。ユリアン君・・・ですね。話は聞いています。貴方は藤波を知っていますね?私は彼女の実の祖母です。付け加えるならば、ルーシェンとレティシアは私の妹の子供たちです。わかりましたか?」
「あ、はい。つまりヤン提督や美時たちとも他人じゃないという話ですね」
その言葉を受けて宮がにっこりと笑う。老いて猶すがすがしさを感じさせる笑みだった。
「それで十分です」
「あ、ユリアン。多分あっちのほういくと雪がいると思うんだ。先に行っててくれる?俺もう少し婆様と話したら行くから」
「うん、わかった。ごゆっくり」
はたしてその「あっちのほう」に真雪はいるのである。新たな騒動と加速度的に仲を深めながら。
 
〜化学反応――BTB溶液と花火の火薬
 
「んで、これがねぇ」
羽鳥のご機嫌な紹介は続く、すっかり露天の兄ちゃんとその客と化した二人に水をさしたのは上から降ってきた透き通った声だった。
「その辺にしといてまたあとでしゃべればいいじゃないか、羽鳥。時間は十分にあるだろう?ウェンリー、こんなところで時間稼ぎしてないでカイザーに一言挨拶してこなくていいのか?」
その声にヤンの顔がパッと輝く、彼もまた懐かしい幼馴染だ。
「ナオちゃん!久しぶり!・・・と、その人は?」
しゃがみこんだまま上を見上げたヤンの視線が直樹・ラングレーの斜め後ろにいた人物の前でとまった。
「ああ、紹介するよ。私の大切な友人で藤波たちとも懇意の咲子・マクレーンさん」
「マクレーン?もしかしてミスタ・マクレーンの・・・」
「はい、私の妻です」
ヤンの背後で耳に心地よい低い声がした。少女の頃から憧れていた伝説の人物を前に緊張していた咲子が、その声の主に気づきそれはそれは幸せそうに微笑みかけた。・・・また、それとはまったく別の意味で表情が変化したのはヤンだった。彼は人よりごく一部の部分で突出している脳で一瞬にして状況を飲み込んだのである。その表情を言葉にするなら・・・「マズイ」の一言に尽きた。
希代の魔術師は引きつった笑みを浮かべながら錆び付いたブリキの人形のようにグギギギギと振り向く。
「ごけっこん・・・してらしたんですか?」
「ウェンリー、更に言ってみると咲子さんのご子息はウチの息子の友達だよ。よく遊んでる」
「へ、へえ、そいつは・・・」
ヤンとほぼ同じ感情を浮かべた羽鳥の追い討ちに、もうどう反応していいかわからなくなったヤンが埒もない返事をしてみる。
「そいつは」どうしたというのだ。
空気が帯電して耳の横を掠めたかに感じた。こうなれば、火の粉の届かないところに逃げるのみである。
羽鳥とヤンはさりげなく、実にさりげなく思い思いの場所に身を移した。
しかし、誰も気づくものとていない。ギャラリーは空気の帯電している原因に目を奪われていた。
一人不安且つ混乱していたのは咲子である。何がどうしたというのだろう。この「恐い」空気は。
とりあえず、自分の夫が不義を疑って怒っているのではないことだけはわかった。夫の声には出さない信頼を一番感じていたのは彼女だったから。怒っているのはむしろ・・・
「ヘル・マクレーン」
スッと直樹が動いた。そう、この空気の元は直樹だった。
咲子はますます混乱した。いつもにこやかで穏やかな人なのだ、さりげなく人を気遣ってくれる情の細やかな人なのだ、こんな冷たい顔はみたことがない。
しかも、この男は明らかにこの空気を目の前にいる彼女の夫に向けていた。夫が何をしたというのだろう?万年平でうだつの上がらない地味な公務員だ。寡黙で、かえって弱音など聞いたこともない。さして魅力的ではないがそれでもいいと己で決めた、何よりの優しい夫だった。
さて、この咲子の混乱をよそに、この光景を知覚できる範囲にいた人々のうちの幾人かはこの光景がどういうことなのか完全にわかっていた。しかも、これから先の光景までわかりすぎるほどわかった。そして更にそのうちの幾人かは手近なテーブルにある好物を手早く己の皿に盛りいつでも逃げ出せる体制を整えた。勿論ギリギリまで見物するつもりである。好いシーンはここからなのだ。
周りを真空波で切り裂きそうなほど真剣な瞳で目の前の男をまっすぐに見た。
「貴方こそ私の理想です。お願いです、結婚してください」
真摯な、しかし見事な配分で緊張を含ませた声と瞳と挙動。潔い完璧な愛の告白だった。
一部の事情をわきまえまくった「良識的」(自己申告)なフェザーン人たちからひときわ大きな歓声があがった。
 
ゴス!!!!!
 
しかし、無常にして彼の求婚者は無言で固めたこぶしを彼の頭にたたきつけ、そのまま降り切る。
一分の無駄もない完璧な攻撃だった。
彼の求婚者はおとぎ話の王子様に愛をささやかれて喜ぶお姫様ではないのだ。
しかも御丁寧に床に臥した求婚者の背を踏みつけて混乱している最愛の妻に歩み寄った。
「咲子・・・私は貴方を長いこと謀り続けていた。なんと言っていいのか・・・貴方は私に幸福をくれた。話そう話そうと思っているうちに十年が過ぎてしまった。本当のことを知って・・・貴方がどう思うのかは私ではまだわからないが・・・ウチの居間の三段の棚の一番上の引き出しの中身・・・貴方の好きにしてくれてかまわない。身勝手だという批難は甘んじて受けよう。ああ、もう・・・私に言える台詞はないな。貴方が判断してくれ」
辛そうに目をそむけた夫に妻は目を最大まで見開いた。
「居間の棚の一番上の引き出しの中身」それは結婚して十年、一日として忘れることができなかったもの。
「私にもしものことがあったら使ってほしい」そう、婚姻届を出す前に手渡されたもの。
離婚届だった。
妻に一方的に、そう本当に身勝手に自分の都合だけを言い募ると、男・・・クライブ・マクレーンと名乗っていた男はさっき自分が踏み潰した求婚者に向き直った。
 
「あーらら、始まったねえ、始まったねえ」
奇跡と謳われた同盟の提督は意味不明の言葉をつぶやきながら人の輪から一歩抜け出す。
「でーも、私のせいじゃ無いから、ねえ?ふふふふふふふふ」
一人で悦に入っていると、目の前に困った顔をしたメックリンガーがいた。
「カイザーが・・・お待ち・・・ですね?」
申し訳なさそうにメックリンガーが頷く。
「あの・・・あのかたがたは、止めなくてもよろしいのですか?」
背後人垣の中心の怒鳴り声はますます大きくなっているようだ。
邪気の無い心からの笑みでヤンが笑った。
 
「公務員だと!?お前が公務員だと!?人類に対する冒涜だぞ!!!シャリア!!!!!」
「俺はお前ほど性格悪くない!」
水晶の王子様と寡黙な影の精霊は、なぜかお互いが絡むと急速沸騰してしまうのでした。
 
「いつものことですから」
夜はまだこれからである。時は18年ぶりに月下を日常へと誘っていた。


前へ 目次へ 次へ