眠らない街の懐かしい夜  宇宙暦799年6月21日
 
「よう、ロイエンタール。いい酒が手に入ったんだ。今夜呑まないか?」
「ああ」
明らかに聞いていない様子に、相も変わらずはっきりした発音でミッターマイヤーが突っ込む。
「なんだ、その気のない返事は」
「ああ」
ロイエンタールだとて低い割にはよく通るいい声なのだが、生返事というのはその美声をにごらせる。
「・・・・・・・・・、愛してるぞロイエンタール」
「ああ」
「聞・い・て・な・い・だ・ろ、お前」
地獄の底から引きずり出してきたような声にようやっとハッと顔を上げる。
「ミッターマイヤー、何時来たんだ?」
結構沸点限界まで来ていたミッターマイヤーはその一言に腰が砕けそうになった。
(ズレている・・・とことんズレている。なんかこいつと俺との間には深くて暗い河があるような・・・ハハ、気のせいかな?そうだ、俺きっと最近仕事のし過ぎで疲れてるんだ・・・・・)
そうだな、思考まで疲れてきているから重症だぞ。ゆっくり休養をとる事をオススメする。
「いい酒が手に入ったんで呑まないかと誘いに来たんだが・・・」
机にすがりついたまま喋るミッターマイヤーに至極平然とロイエンタールが答える。
「悪くない話だが、つまみはどうする?」
「う、考えてなかった」
ミッターマイヤーも数日前にフェザーンに着いたばかりだし、ロイエンタールにいたっては今日の午前中にオーディンから到着したのだ。それを苦にする性質でもないのでこうして職務に励んでいたわけだが。
「明日はローエングラム公の皇帝即位式だからな。深酒するのもはばかられる・・・・」
勿論、宿舎として割り振られているどちらかのホテルで呑むという手もあるのだが、風情としては年齢相応のシュチェーションがこの場合は好ましかった。
ロイエンタールは暫し何かを考えていた様子だったが、ふっと顔を上げるとためらうような眼差しで友人を見上げた。
「心当たりがないわけでもないが・・・」
 
「お、おい、ロイエンタール。何処へ行くんだ」
焦るミッターマイヤーを無視して、ロイエンタールは暗い路地をためらわずに進む。
ミッターマイヤーのような素人にも此処がどういうところかはわかった。明らかに危険地帯だ。まっとうではない生業を営んでいる気配がする。冷にして寂、かつ今にも切り裂かれそうだ。
少なくとも、この世に5人しかいない帝国元帥の服を着て通っていい通りではない。
「ロイエンタールッ」
既に諦めたかのような何度目かのミッターマイヤーの台詞に、ヘテロクロミアの元帥は不意に足を止め友人を顧みた。
「あのなぁ、ミッターマイヤー。これでもおれは気を使って歩いてるんだぞ」
言うが早いか、イキナリ角を3つほど曲がる。もはや、ミッターマイヤー一人に帰れといってもどだい無理な話だ。大通りに出た。
「な!」
先程の地点から100メートルはなれていないだろうに、華やかなネオンと人の密度に圧倒される。
あふれんばかりの生気が舞い飛ぶ、フェザーン最大の花街であった。
その大通りの真ん中に立ったロイエンタールがこともなげに言う。
「本当ならこの道を上がった方が速いんだが、流石にお前にそれは酷だろう」
特に感慨の浮かばない瞳で通りの喧騒を一瞥した後、別の路地へ抜ける。つまり、大通りを横切ったのだ。
ミッターマイヤーに気付く余裕はなかったようだ。男と見ればありとあらゆる手で誘い込もうとする花街の人間が、一度も声をかけなかった事を。それどころか、視線すら合わさずまるでそこに誰もいないかのようにロイエンタールたちの進行を妨げなかった事を。
「ここは、北へ行くほど店のクラスが上がるんだ。お前が行きたいのならもう少し道を上るべきだな。ある意味親切なシステムだ」
愛妻家のミッターマイヤーは妻を裏切るような真似を当然知っていてさらっと説明をする。
「ロ、ロイエンタールっ!こんな所を抜けて何処へ行こうって云うんだ。目的地を教えろ、目的地を!」
相変わらす頭が沸騰しているミッターマイヤーの問いに、煌々と照る月と冷たい空気を背負ってロイエンタールが感情が浮かんでいない目で振り向く。
「・・・・・・・・・、おれの家だ」
 
(ロイエンタールのいえぇぇぇぇ?)
まだ腑に落ちないミッターマイヤーがぼてぼてとロイエンタールの後をついてゆく。今歩いているのは長い長い塀が続く道である。ミッターマイヤーが右を向く。
「山のような豪邸だな」
「ああ、あれは本当に背面に山があるんだ。たいして高くはないがな。柏家本邸、通称「大観園」」
「へーー」
たどりなれた道らしく、たいして確認もせずロイエンタールが足をとめる。
「付いたぞ」
その家を見てミッターマイヤーが絶句する。どう反応していいかわからない。彼が見たモノは、ズバリ
あからさまな建売住宅だった。
(えーーー、20世紀末に県庁所在地近郊に4000万ほどで売っているものを想像してください)
「お、お、おまえんち?」
「ああ、おれも鍵を持っているからおれの家なんだろう。明かりが付いてるってことは誰が帰ってるんだ?」
ピンポーン
これまた古風なインターフォンだ。顔も出ない。
『うぁい、どちらさんっしょ』
明敏の誉れ高い帝国宰相の首席秘書官にして首席副官殿の声である。
「カールか?おれだ」
『鍵持ってんじゃないの?』
「からくり全部止めろ。客だ」
『んーん?ちょっと待って・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。切ったよ』
 
ガチャンと鍵を開ける(これもカードキーではなく古色蒼然とした鍵だ。この家を建てた人間のマニアっぷりが伺える懲り様である)
「おかえりーーー、って客ってミッターマイヤー元帥!?」
玄関を開けるとカールがたっていた。弟の台詞を無視してロイエンタールが口を開く。
「で?何故お前が此処にいるんだ?」
(帰ってきて開口一番それかよ。いや、ただいまといって帰ってこられても困るんだけど・・・)
この実の兄が人の話など全然聞いていない事を知っている弟は仕方なく素直に答える。
「本家帰る途中の道で姉様に会って晩飯食ってくかって聞かれたから来たんだよ」
小首をかしげたロイエンタールが口を開く前に台所からパタパタと足音がやってきた。
「カール誰だっ・・・・オスカー!お帰りなさい」
瞬間、何処となく輪郭のぼやける不思議な印象のヤンの笑顔が万民を惹きつける魔力を湛える。
意識的なのか無意識なのかは不明だが、彼はこの顔をロイエンタール以外に向けることはない。
「と、お客様ですか?」
「ミッターマイヤー、おれの従兄だ」
短い幼馴染の説明に得心したと言う風に手を打ってから、深く頭を下げる。
「初めましてミッターマイヤー元帥。ロイエンタールとクレイマーの従兄です。いつも二人がお世話になっていますようで。広くもない家ですがおあがりくださいな」
「ああ、ミッターマイヤー靴脱げよ」
なぜか少し不機嫌そうな顔でロイエンタールが云う。
「カール、スリッパお出しして。オスカー、晩御飯は?」
「いや」
「ん。ミッターマイヤー元帥、ちょっとその辺でくつろいでいてくださいね。すぐに晩御飯にしますから。カール、テーブルにお皿並べて」
まるでそこだけ重力が半減したかのような奇妙な浮遊感のある挙動で滑らかに動く。
ソファーに座ったロイエンタールとミッターマイヤーは見るともなしにそれを眺めていた。
ミッターマイヤーが物問いたげに口を開きかけた時、システムキッチンの奥でヤンが幼馴染に微笑んだ。
「オスカー、着替えてくればどうだい?帝国軍の軍服って見るからに重そうで一般家庭の風景にそぐわないんだよ。一人ならまだしも、二人じゃね」
さっさと、ロイエンタールを追い出すとヤンはミッターマイヤーの傍まで来て問うた。
「ミッターマイヤー元帥、茶碗蒸食べれます?」
「は?」
実はミッターマイヤーはまだこの状況にあっけにとられていたのだ。
「あ、すみません。聞き方が悪かったですね。卵とかのアレルギーってありませんよね?」
まず、このにっこり笑うシックな黒のエプロンをつけたロイエンタールの従兄だという人間は何者なのだろう。
「失礼ですが、貴方が「姉様」ですか?クレイマーの絵のモデルの。ロイエンタールの恋人の・・・」
思いがけないミッターマイヤーの台詞に、ヤンの顔が朱に染まる。
「カール!お前外で何喋ってるんだい!!あれほど人様に誤解を招くような発言は止めろと・・・」
とっさにテーブルの影にしゃがみこんだカールに雷撃が直撃する。
「仕方ないだろ―、つい出ちゃうんだよ「姉様」って。ちっちゃい頃からの癖でさあ」
「いや、あれは確実にわざとだったな」
さっさと元帥服の3分の1ほどの重さの服に着替えた男がリビングの戸口で冷笑する。
「かぁるぅぅぅぅぅーーー」
「うげ、姉様堪忍。許して。もうしませんごめんなさい」
「だからそれをやめろと・・・」
仲良く一方的な喧嘩をはじめた二人を無視して帝国軍の双璧が片割れに問う。
「おまえの・・・恋人?」
「ああ、そこは本当だ。ふふん、美人で羨ましかろう?」
ロイエンタールの台詞は少し正確さに欠けている。彼の顔の造りは確かに整っているが、美貌というほどではない。だが、ミッターマイヤーは否定する気などサラサラなかった。それを補って余りある静かな「艶」がヤンには備わっていた。それが、ヤンの印象を美貌という言葉ですら足りない幽玄美に仕立て上げていたからだ。
「うるさい。阿呆な事言ってないでさっさとテーブルにつけ、オスカー。せっかく作ったご飯が冷めるじゃないか」
顔を紅くしたヤンがお玉を持ったまま、なんともいえない表情で振り向いた。
 
「雪と時はどうしている?」
卵のお味噌汁を注いでいるヤンに何気なくロイエンタールは離れていた友人の近況を聞くような軽い口調で尋ねる。
「さあ?おじいちゃんの所にいるんじゃないの?私もあってないんだ」
アッサリといってから次はご飯をよそっていたヤンが「あっ」と声を上げる。
「すみません、ミッターマイヤー元帥。お箸使えませんよね。スプーンとフォークお出ししましょうか?」
「は?はし?」
メダパニ継続中、ウォルフガンク・ミッターマイヤー。
「でぇもさぁ、姉様。スプーンでご飯食うのも・・・」
そう、かなり美味しくないだろう。たとえるならば箸でケーキを食べるようなものだ。
「わかりやすく言うとだな、ミッターマイヤー。まず一本をペンを持つように持って・・・」
席についたヤンも横から口を添える。
「下のお箸を小指と薬指で支えて、残り三本の指で上のお箸を上下させるんです」
なんだかんだといいながら、ミッターマイヤー元帥は今晩のお夕食がいたくお気に召したようである。
 
「今日はご馳走様でした、お料理本当に美味しかったです」
「いえこちらこそ。お酒私までご相伴に預かってしまって・・・」
玄関まで送りに出たヤンとミッターマイヤーが中々社交辞令でもない言葉をを交わす。
「カール、ちゃんとミッターマイヤー元帥をお送りするんだよ」
限りなく慈愛の篭った手で従弟の髪をなでる。
「だーから、俺ももう餓鬼じゃないんだぜ?これでも将来を嘱望された優秀な若手仕官なんだから」
少し甘えが入ったカールの言葉をヤンはくすくす笑って取り合わない。そう言われはしても自分の手から哺乳瓶を握り締め一心にミルクを飲んでいた赤子だという気が中々抜けないのだ。
「今日は楽しかったですミッターマイヤー元帥。また明日お会いしましょう」
 
「やっと帰ったか」
玄関に入ると、めんどくさそうな顔をしたロイエンタールが壁にもたれかかっていた。
「見送りくらいしてもいいのに・・・」
「お前が帰ってきていると知っていたら、ミッターマイヤーなんぞ連れて来なかった・・・」
つまらなさそうにぶつぶつと文句をいう男に目を細めながら多少(?)の皮肉を込めてヤンが言う。
「オスカー。「数少ない」オーディンの友達をそんな風に言うものではないよ」
「ふん、ハイネセンの友達が「全然いない」お前に言われる皮肉じゃないぞ」
両者とも根拠なしに直感で言ったのだが、見事に的を得ておりお互いにうっと詰まる。
「い、いいよね、フェザーン帰ってきたし・・・」
「お互いにフェザーン、いや、月下街でしか友人を作れないというのは、それはそれで問題だと思うが」
別に友人が作れないというのは本当ではない。しかし、心理的に無理が生じるのは事実だ。
「明日になれば嫌でも顔をあわせるんだ。別にいいだろう」
「え?」
どうやら先程の見送りの一件らしい。そっぽを向いて弁解がましく言う男に思わず吹き出す。
「く、ははははははは、お前ってばそーゆーやつだよねぇーーー」
何がおかしいのかわからない。何処がおかしかったのかもわからない。それでも自然に笑みが湧き出る。
おかしくて仕方がない。ヤンは思った。恐らく自分は心の隅で不安だったのだ。子供の頃であれば何ヶ月離れていたとしても昨日別れたかのように、極々自然に日常になった。もし、この男があの時と違う人間になっていたら・・・と。
愛されていた事を知らなかったわけでも信じていなかったわけでもない。それでも18年は長く、碌な別れ方ではなかった。
その肌に触れたくて、その温もりを確かめたくてそっとその頬に手を添える。
「ウェンリー?」
背が伸びた以外にどこか変わっただろうか?
「18年、か。何やってた?」
まっすぐに見つめ返される。空気が気持ちいい。
「色々と、な。お前は?」
あの時の別れをなかった事には決して出来ない。それでもそんな事はどうでも良かった。
「こっちも色々と、ね」
目の前にいるのはオスカー・フォン・ロイエンタールだ。それだけで充分だった。
「ただいま」
ヤンがその腕をロイエンタールの首に絡める。
やっと帰って来れた。この惑星に、この街に、この男の腕の中に。
「思ったよりも速かったな」
「美時と真雪がいたからね。・・・、まったく最初の予定じゃあの世で再会だったのに」
「・・・笑い事じゃないだろう」
「そうだよねぇ、まさか母親の呼ばれる日が来るとは思わなかった」
「じゃあ何か?おれが父親と呼ばれる事は普通な事なのか?」
当たり前じゃないか、といいかけたヤンがハタと止まって数回瞬いた。男の顔を見上げると堪る余裕もなく相手にすがり付いて爆笑した。
「へ・・・変だ。それは変だ。絶対に変だ。物凄く変だ」
この上なく可笑しい。そう云われてみれば、とんでもなく変なのだ。
「この人間嫌いが、大人しく父親やってるなんて・・・」
「人間不信に言われる台詞でもないと思うが・・・」
何時までも笑いやまないヤンに辟易した男は一番確実な方法で口をふさぐ事にした。
日付が変わる五分前だった。
 
そう、たまにはこんな日があってもいいだろう。もがくほど幸せな日が。
ましてこの二人は18年ぶりの再会なのである。幸せで死ぬかと思うような日が。
 
今日はこの上なく幸せな日。そして恐らく明日は・・・この上なく、面白い日。
花火の導火線にはもう火がついているのだから。

 

長い長い一日になるだろうね・・・。

終らない祭りが始まるよ。

 

お・ま・け
さて、この後の二人の行動はどうなったでしょうか?
1、皆様が極々普通に考えるとっても同人誌的な展開。
2、秘蔵の酒を引っ張り出してきて呑みなおした。
3、なんとなく話が妙な方向にずれて徹夜でテトリスをした。
 
正解は次回。


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