「祐司や」

老人が床から薄目を開けてつぶやく。

「ん? なに? じーさん」

死出の床にいるのは、美樹原祐司の祖父だった。

「父親との話し合い、また決裂したそうだな」

「・・・じーさんも、俺に家継いでほしい?」

「まったく、晩くに出来た一人息子だったからな。甘やかしすぎたかもしれん」

「別に、産婦人科が嫌ってわけじゃないんだ。・・・・・・ただ、俺がやりたいのは・・・」

「まだまだこの世には不治の病はある。お前はどこに行っても身を立てられる自慢の孫だ」

「じーさん・・・」

「お前には高い理想がある。それを実現させるための熱意もある。お前の心配はしとらんよ、祐司」

かすかに老人はうめいた。

「祐司、お前裏の子供たちを知っているだろう」

「裏のおちびさんたちがどうかしたのか?」

老人の終の棲家であるこの静かな庵風の家の裏の森を抜け、反対の道ぞいの屋敷にすんでいる仲の良いふたりだ。父親と喧嘩した祐司がやってくると、たまに遊びにきている。

たしか祐司より10は小さかったはずで、今は10歳くらいだろうか? 最近見ていないが。

「お前に頼みがある、祐司。どうか、あの子供らの味方をしてやってはくれんか?」

死と対面しているとは思えない力の強さで老人の手が祐司の手を掴む。

「二人ともいい子だ。小さいときからみてきたのだ、孫のようなものだ。けれど儂はもう長くない。あの子らの行く末を、見届けてやれない。与えた知識の行く末も。祐司」

「なにいってんだよ、じーさん。あのチビどもに恐いもんなんかあるわけないじゃないか。しぶといぜ、二人とも」

「いいや、あの子らは、子供だ。世の中の理不尽に立ち向かうにはあまりにも子供だ」

食いしばった歯の間から低い声で言う。いつしか祐司のほうが祖父の手を握りしめていた。

「祐司」

「わかった、じーさん、必ず。俺に何ができるか、わかんないけど」

力強い孫の言葉にほっとした老人から力がぬける。

「祐司や、この世に病に苦しむ人々は多い。けれどな、その人々だとて、生まれてこねば居ないのだということを、覚えていておくれ」

それが、彼の最期の言葉だった。

 

 

    きっとしあわせ・・・  第9話

 

 

「でもね! オーベルシュタイン閣下はそれだけでわかったのよ!?」

超高速通信の画面の前でエマイユは訴える。

『ってゆーても、ンなのわかるわけないじゃないスか、お嬢様ぁ〜?』

フェザーン⇔オーディン

画面の向こうはオーディンのロイエンタール邸、エマイユはわりとフツーにお姫様だった。

「そうよね!よね? けど・・・」

『ロベルトさんたちは・・・なんといっておいでなんですか?』

「・・・・・・、まだ、きーてない・・・」

『おっじょーさま、超ぉ〜〜〜ビビリじゃないスか』

エマイユが話している相手は、ロイエンタール三強が留守のオーディン邸を任されている細身の黒髪の青年と雪のような金髪の女性だった。

「二人は? なにかきーてる?」

『いいえ、オレらもなんにも。直接には』

『けれど、私たちだって訊いたことがないわけじゃないんです。その時ロベルトさんはおっしゃいました。「教えることは出来ませんが、いらっしゃいます。奥様はとても素晴らしい方です。私は奥様にお仕え出来ることを誇りに思っています」と』

まぜっかえすのが生きがいの男も、ここばかりは背筋を伸ばして付け足す。

『オレは・・・その言葉を聞いたとき、とても嬉しかった。それにとても安心しました。オレまで誇らしい気分でいっぱいになりました』

真顔で言う二人に、エマイユは変な顔になりしばし黙り込む。

「・・・・・・・・・・・・・・・ねぇ、コレだけは本っ当に不思議なんだけど」

エマイユの声がオクターブ下がるのを、二人がしばたいてエマを見返す。

「お母様って、本当に父様と同い年なの?」

『けど、旦那様がそうおっしゃったんでしょう?』

『大丈夫ですお嬢様、旦那様ホラは吹いてもウソは吐きませんから』

「でも、「あの」おじいちゃんに誇りに思われるなんてどうやれば出来るのよ、しかも今の私より年下だなんて!」

『ソレは・・・・・ぁ?』

『想像もつきませんね』

「ね?」

『考えるだに恐ろしい・・・』

「しかも、どう想像しても絶世の美女になるのに、違うってゆうのよ。怖いでしょ?」

『そりゃあ・・・怖いですけど、でも、オレは奥様を信じてますから』

『お嬢様。私たちもお手伝いいたしますわ』

『それじゃあ何か・・・えーーーっと。お嬢様確かA型でしたよね』

血液型など考えたこともなかった。エマの目がぴょこんと丸くなる。

やっぱり相談してよかった。

『旦那様の血液型がAだから・・・』

「普通に考えて、ABOAB・・・・って全部じゃない!」

救いようがない。

『お嬢様の青い瞳は旦那様に似たんだろーし』

『髪の色合いは・・・奥様似の可能性もありますね。旦那様は茶っぽい黒ですし、お嬢様が青っぽい黒・・・あんまり違いませんわね』

「また頭痛くなってきた」

『諦めないでください、お嬢様。じゃないとオレらいつまでたってもそっち行けません』

「は?」

エマイユ初耳。

『旦那様からの命令なのですわ。「お前らいるとバレるから、来んな」と』

『オレらだけなら大丈夫らしいんですけど、そうすっと、ホカの連中纏めるヤツがいなくなるからって』

『ロベルトさんたちに頼まれてしまったら、私たちなんともいえませんわ』

『オレらもお嬢様の花嫁姿見たかったんスけどねぇ。ムリそうッスね』

『そのかわり、きっときっと素晴らしいベールを私たちみんなで贈りますから』

「えええ結婚!!!」

『なさるんでしょう? お嬢様』

「え、え、え」

(しまった、お母様騒動のせいですっかり忘れてた・・・進めていいの!? あの話は!)

『リーベルト夫人がもう何年も前からレース編んでましたよ。蜘蛛の巣みたいな、空の雲みたいな繊細なヤツ』

『あんなに細かくて豪華なものは無理ですが、みんなで心を込めて作ってますから』

「あ、ありがと う・・・?」

(ど、ど、ど、どうしよう。どうすればいいの!? そりゃあお母様にも来ていただきたいけど、ケド! いつになるか検討もつかないし!! ハッそうだわ、こんなときに一人で悩んでても良くないわ!)

 

通信室から出てきた金の髪の女性がホゥと憂鬱気なまなざしでため息をつく。

「お嬢様、どんなにか奥様に会いたいでしょうね・・・」

「・・・、そだね」

エマイユが寝返りが出来ないような子供の頃からその成長を見てきたのだ。

エマイユがいつも明るく振舞っていながら、心の奥底で母を探しているのを知っていた。

「ところで、なぁユーちゃん。オレイッコだけ気になってることがあんだけど・・・」

「?」

「このゲーム、あまりにもウチのお嬢様に不利すぎないか?」

「え?」

「絶対おかしいんだよ、コレ。お嬢様の勝ち目がなさすぎる。なんでだ? なんでだよ!」

「シ、シンくん・・・」

「なぁ、ユーちゃんあんただってそう思うだろ? コレおかしいんだって。だって、あのロベルトさんがいるんだぜ? 正義の天秤。常にダレに対しても公平でしかありえないあの人が!」

「シンくん。で、でもそうしたら、つまり・・・」

「あの人の天秤がつりあってるのだとしたら、この一件。よほどお嬢様にとってリスクが高いってことだ」

 

〜そしてまた別の通信室

「ヤン、そっちの生活はどうだ?」

「三食昼寝付き。お姫様生活ですよ。先輩」

「アッテンボローにも聞いてたが、性に合いまくりだな、お前・・・」

「ええ、キャゼルヌ先輩。・・・ところで今日は何かありましたか? 顔色があまりよくないようですけど、お忙しいのですか?」

「ああ、半分くれてやりたいくらいだ。って、そんなことはまぁいいんだが・・・あの、クイズのことはこっちでも結構な笑いのタネになってるんだがな」

「ああ、あのクイズですね。皆さん頑張ってらっしゃいますよ。賑やかで楽しいですけど」

「その・・・な」

ためらうような上目遣い。こんなキャゼルヌが言いよどむのはいつ以来だろう。

「あのクイズの答えを・・・女房が、わかったといっていて・・・」

キャゼルヌはヤンの顔が見れなかった。

キャゼルヌの背に長い沈黙がのしかかる。

「・・・・・・・・・・ええ。オルタンスさんは頭の良い方ですから、きっとわかるでしょうね」

「正解だと思うかね?」

「ええ。きっと」

ヤンがにっこりと笑ったので、キャゼルヌも後ろめたそうにホッと息を吐く。

「けど、ここで答えを聞くのはやめておきますね。陛下に盗聴するから聞かれて困ることは喋らないでくれって。頼まれているものですから。陛下はそんなズルで答えをしることを、とても嫌がるでしょうね」

キャゼルヌは一気に脱力する。死んだラップとジェシカはこの要領の悪いとぼけた友人を最期まで気にしていた。

「ヤン、実は俺は前から思っていたんだが。お前の待遇は人質としておかしいと思うぞ」

 

「と、いうわけで明日は実家に聞きに帰ってみようと思います」

エマイユは人々に発表する。一日の報告会だ。

国家の中枢に深く食い込んでいる、はずの政府要人たちが雁首並べて何やってるのか・・・

もう、何がなんだかよくわからなくなっているが、ケタ違いに派手である。何かが。

なにしろあのヤン・ウェンリーまでエマイユの時間を空けるという形で協力しているのだから。

「ならエマイユ嬢は引き続き、その方面から考えてみてくれ」

興味深そうに聞いていたラインハルトだったが、事務関係を探っている部下たちに問う。

「何か、わかったか?」

「フロイラインの生まれた頃に亡くなられたフェザーン商人の割り出しは比較的簡単そうですが、フロイラインのお母様となると、どうやら一部スラムなど戸籍が整えられていない区域などもございまして、調査が難航しそうです」

「よし、ついでに戸籍も少しづつ明確にしていくぞ」

確固としたラインハルトの声だったが、エマイユが不安そうに婚約者を見つめる。

ファーレンハイトが安心させる笑みを返すと嬉しそうだ。

それに独り者どもは内心「羨ましいなぁ」とか思っている。

「しかし、ロイエンタールは口を割りそうにもないし・・・」

「かといって、オーベルシュタインに・・・・・・・・・・・・・・・・」

その名前が出てきたところで、場に長い長い沈黙が降る。

「聞きに行くしかないのか?「あの」オーベルシュタインに」

 

というわけで、聞きに来た。

「わからないか? 本当に?」

残業中に押しかけたにも関わらず、オーベルシュタインはイヤな顔もせずに対応してくれる。

このハナシで彼のポジションは常に「実はいい人」。

「はい、すみません・・・」

眉を下げるエマに、オーベルシュタインは暫く腕を組んで考えていた。

「もう少し母君の気持ちになって考えてみたらどうだ? 事態は明白だと思うが」

「あの」オーベルシュタインに言われたら終わりの台詞である。

「エマイユ嬢。本当にお分かりでないのか? あの男はあれ以上のヒントを一言だとていえなかったのだ。それが明確な答えだ」

「頑張ります」

(しかし、祖父がフェザーン商人だと思ってるようではまだまだ答えには遠いな・・・)

 

「と、卿の娘御にはいっておいたが・・・」

「フゥン・・・」

ドサクサに紛れて飲み友達にまで発展しているロイエンタールとオーベルシュタインである。

てか、ミッターマイヤーをはじめ、ほとんどがフェザーン縦断ウルトラクイズに励んでいるので、オーベルシュタインぐらいしか暇なヤツがいないのだ。

「ところで、卿の奥方は悪魔か?」

「なんだ?」

「私もたまたま見かけただけだが、実にさりげなく矛先をずらしていた。しかも随分と親身に接しているように見えた。あれでは真相にたどりつくのは生半なことではないぞ」

「・・・・、なんだ、意外と泥沼の長期戦になりそうだな。好都合だ」

「・・・・・・、ここに、悪魔がもう一匹いる・・・」

元帥二人が酒を飲み交わす。

・・・意外に気があっているのかもしれない。この二人。

 

「というわけで、どうしましょう! 母には結婚式に来て欲しいんですけど、でもいつになるかわからないし、思ったより長期化しそうだしで、相談したらアルも気にするかもしれないから話せないし、もう頭がパニックで」

「落ち着いて、ね? エマイユ」

ゆっくりとヤンがエマイユの髪をなでる。

「焦った頭で考えても、なぁんにもいいことなんてないわ」

「は、はい、ごめんなさい、元帥。けど、私元帥以外に相談できる人って思いつかなくて」

「いいのよ、そんなこと。わたしに現実を持ってきてくれるのは、陛下か貴女ぐらいだもの。けど、陛下の求婚はお断りするしかないでしょう? わたしは貴女に相談されて、とても嬉しいの」

ゆっくりとゆっくりというヤンにエマイユも少しづつ落ち着いてくる。

「あの、元帥はどう思われますか?」

「そう・・・ね。お母様にも出席して頂きたいエマイユの気持ちはよくわかるわ。オーディンにいる幼いころからお世話になった人たち? にも感謝の気持ちを込めて晴れの日の姿を見せたいという気持ちもね」

不意にヤンの顔が曇る。

「けれどね、こんなお祝い事なんてあまりないことではない? 和約成立はとてもいいことではあるけれど、こんな普通なお祝いなんて・・・長いことなかったのではないかしら? 高官のみなさんも喜ぶのではなくて?」

「そういえば・・・花嫁さんて見たことないです・・・」

「なーーんてね。ただわたしが結婚式を見たいから唆してるだけだったりして。ふふふ、だって結婚式なんてジェシカとラップの時以来だものね。けれど・・・結局ジェシカの花嫁姿は見れなかった・・・」

その静かな表情で、エマイユは悟る。

「亡くなられた・・・んですか?」

「ラップは戦争で、ジェシカはクーデターで。二人とも偏屈なわたしに付き合ってくれる、とてもいい友人だった。我侭いってごめんなさいね、けれどこれだけは信じてね。貴女の結婚式なんだから、貴女の納得の行くようにやって欲しいの。わたしの本当の望みはそれだけよ。幸せになって・・・」

「元帥・・・」

感動したエマイユは一つの決意を固める。

それをヤンは気づいてなさそうに盗み見ていたが、ウッカリ聞いてしまったオーベルシュタインに気づき、こっそりピースサインをした。

このハナシで彼はとことんそういうシーンに出くわすために存在する、気の毒なキャラなのだ。実際、この夫婦とマトモに付き合っていれば、イヤでもいい人になるのである。

 

「そこまでして孫が欲しいかよ、あの馬鹿」

「えっ、そういう魂胆なのか?」

要するにオーベルシュタインは生真面目なので損な性格なのである。


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