パタン・・・

やけに乾いた音のする扉を開き、オスカー・フォン・ロイエンタールはその室に足を踏み入れる。

差し込む月光と部屋の調度が、昼間と違うなんとも薄気味悪い陰影を作り上げている。

主の呼吸に部屋全体が同調しているかのごとく感じるその部屋は、明らかに異物の進入を拒んでいた。

ただその空気は不思議なことにロイエンタールを仲間、乃至は同類と認め、緩やかに馴染んでくるようだ。

確かに他者にとって濃密過ぎるこの部屋の気配は、ロイエンタールにとって穏やかで心地よく清浄この上ない。行ったことはないが、深い森の奥とはこのような空気をもっているのだろう。

しかし、その「彼にとって清浄な」空気などものともせず、無造作に歩を進め、衝立をぐるりと回ると、寝台があった。

ほっそりした女が床についていた。

その肌は帝国人のように張り付いた白ではなく、透明感のある、澄んだ乳白色をしていた。その瞳が不意にうっすらと開く。

「オスカー・・・?」

「ああ」

枕元にたつ男にむける眼差しに温かみはなく、爬虫類を思い出させる。

「オスカー、あなたときたら、帰ってきてもわたしのところには寄り付きもしないで・・・。わたしをここで化石にするつもり?」

その声はとてもゆっくりとして、気だるげだ。

「馬鹿な。そのつもりなら確実に息の根を止めておく」

「・・・・・・・、きょうはわたしのあの娘のことで来たの?」

「いちおう、な。確認に」

「まだ、だめよ。まだしばらく時間がほしいの」

「そうだな。俺もお前と遊ぶ時間がほしい」

戯言めいていうと、女ははじめてクスリと笑った。

「そうね。わたしもあなたと遊ぶ時間がほしいわ」

ぱたりと力なくおかれている手を寝台から掬うと、その白い甲に軽く笑んで口付ける。

「またくる」

「どうせ、半年後なんでしょう?」

一言いうと、もう話は終わったとばかり女は再びすぅっと眠りに落ちていった。

「これでも一応、愛しているつもりなんだがな・・・?」

ロイエンタールも一言つぶやくと、振り向くことなく闇の中へと消えていった。

 

 

    きっとしあわせ・・・  第6話

 

 

「ところでこのロープ、いい加減はずしてくれないか?」

「結び目堅くて私じゃほどけません。ご自分でやってください」

「そうする」

パラリ

「って抜けれるなら初めっからやってなさい!」

「とまぁ。阿呆な会話はさておき」

邪魔な前髪をかき上げ、呆れた顔を隠さずにエマを見上げる。これがやりたかったらしい。

「お前、本当に自分が俺の子じゃないと思ってたのか?」

「だ、だ、だって、でも、父様DNA鑑定するかって聞いてもけっきょく一度もやってないじゃない! だから、ハッタリなのかなって勘ぐりたくなるもの」

「だったら聞くが、お前、DNA鑑定で本当に俺の実の娘だと出たら納得するのか?」

「え?」

目の前で猫だましをかけられたように、エマイユの目がまん丸になる。

「そ、それは・・・もちろん・・・・んーーんんん?」

「だろ?」

ロイエンタールは悪びれず両腕を枕に組んで背もたれに寄りかかり、優雅に足を組んだ。どんな雑な動作でも優雅に見えるのはエマイユにはないロイエンタールの特権である。

「明日からフェザーンの自転が逆になることがあっても、俺は世の父親らしくはならないだろうよ」

「それでもエマの父様はお父様ですわ!」

「・・・・・・・・・・」

しらけた表情で(いつもだが)ロイエンタールがエマイユを見上げる。

「あれ? 父様?」

「なら、何の問題があるんだ?」

「・・・・・・・・・・・・・・・・あれ?」

ちなみに、エマイユはロイエンタールを父親だと思っているのに、そのロイエンタールが父親らしくないことが不満なのだから、彼女の主張はこれでいいのだが、そのことに自覚がとぼしいエマイユは呆気なくロイエンタールの術中に落ちる。

誤魔化されてるぞーエマイユーー。

結局のところ、ロイエンタールとエマイユじゃあ役者が違う上に、エマイユはただのファザコンなのだ。

ロイエンタールはロイエンタールで、いくら人の機微に疎かろうが、脳みその螺子が抜けまくってる人間失格だろうが、カンだけで生きていくニュータイプだろうが、帝国軍元帥である。

オーディンにいたころは特に望みもなにもなかったので、飄然と朴念仁の女コマシをやっていたが、今は事情が違う。

思惑が絡んでいるので、ロイエンタールも本気だった。

嘘をつく必要もないが、本当のことをしゃべる筋合いもない。

「エマイユ、お前もわかってるだろう? 俺は無神経とかエゴイストとか以前に、人間らしいところがひどく乏しくてな。俺の神経は血縁というカテゴリーには反応しない」

ヘテロクロミアが機嫌よさげに細まる。

「シュテファン・・・俺の実の父親だが・・・あの男に対して最期まで自分と近しいものだという気持ちをもてなかった。今もだが。俺には父親ってものがわからないから、お前の父親にもなってやれない。それはお前の母親が一番よくわかってた。「どうすればいいっていうんだ?」と聞いたら「とにかくそこにいればいい」ってな。「そこ」ってのがどこかってのはイマイチ不明だが、「お前の父親という位置」ってことだろうな。あいつがお前を産んだのは人になりそこなった俺に、人としての体裁をくっつけるためでもあったらしいぞ」

「お母様って慧眼なのね」

「慣れだろ。物心ついたときから傍にいればな」

「そうなの?」

「俺がオーディンの屋敷に住むようになったのは士官学校に入ってからだ。それまではフェザーンの今すんでる家でお前の母親と一緒に育てられてた」

「なんで?」

「お前の母方の祖父は商船にのる商人で、シュテファンの親友だった。小父の奥方が亡くなった時ウチで預かることになった」

「つまりお母様はお父様の幼馴染で、一緒に暮らしてたわけね。けど、なんでそれで私が産まれたの? お父様のためなら、自分がオーディンまでくっついてくればよかったんじゃないの?」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・んーーー・・・んん?」

「ナニ? その歯切れのわるいたいどは」

「あいつがオーディン? すごい違和感だな。ありえん。マジで想像つかん」

「ちょっと、お父様とお母様は恋人同士じゃないの!? その言い方冷たい!」

「はぁあっ!?」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・、父様がマジで吃驚したとこ初めてみた」

「俺もついぞ覚えがないくらい驚いた。心臓止める気か?」

「ていうか、ナニをそんなに驚いたの?」

「だから、誰がいつどこでどこの誰と恋人同士なんて言った!?」

「えーーー、違うのぉーーーー?」

「違う! 断じて、絶対に! 違う・・・よな?」

「いや、聞かないでよ」

しかしロイエンタールはマジになってつぶやいている。

「恋人同士ってのは俺の勘違いじゃなかったら、もっと仲がよくて、もっと不毛じゃなくて、まともな関係のことだったよな?」

ロイエンタールが顔をあげる。

「大体お前、俺たちが恋人同士ならこの17年はいったいなんだったと思ってるんだ?」

「じゃあどうだったっていうのよ」

「めちゃめちゃ音信不通だったぞ。フェザーン帰ってきてからわざわざ無視する理由もないから会ったけどな。あとで聞いたらシュテファンと小父上が似たようなころに死んでたらしくて、連絡先しってるやつがお互いにいなくなったし、わざわざ連絡する気もなかったといえばなかったんだが・・・」

「何それ何それ何それぇーーー! 変っ! 絶っ対変! 何考えてるのよ二人とも!」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

「明後日見て誤魔化さない!」

「まぁなんだな、過ぎたことはいちいち気にするな」

「父様、お母様のこと嫌いなの?」

半眼。

「ハハハ、嫌いなわけがないだろう」

棒読み。

「好きなの?」

首をかしげる。

「ハ、ハ、ハ、嫌いなわけがないだろう」

トーンが何故か下がる。

 

間。

 

「もしかしてどうでもいいとか?」

「近い」

「近い。じゃないでしょ!」

「仕方ないだろっ、あいつは俺に近すぎてどうでもいい。それはどうにもならない」

「おーーとーーうーーーさぁまぁーーー・・・。はぁまったくもう、母様は何を考えて父様なんかと」

「俺がしるか、本人に聞け」

「わかった、お母様どこにいるの? 私会いにいってくるから」

「フェザーン」

「だから、そのフェザーンのどこに?」

「フェザーン」

「・・・それ、お店かなにかの名前?」

「惑星フェザーン」

「・・・・・・・・・・・・・・ふざけてる?」

「いいや、案外大真面目だ。口止めされてるってだけでな」

「・・・?」

「あいつも事情があって、今すぐには身の上を明かせないらしいぞ。だからお前自力で探してくれ。ワケありであいつはフェザーンを動けないから、範囲はフェザーン内のみ」

「・・・・・・・・父様居場所しらないの?」

「知ってる。俺は俺で都合があってしばらくお前に母親追っかけまわしててほしいんだ。あいつはお前命だから、どんな用事も後回しにしてお前から逃げ切るだろう」

「・・・・・・・・・・そんなに逃げ回らなきゃならない事情があるなら・・・」

「事情というかな、極論すればただのわがままだ。俺のも、あいつのも。お前には知る権利がある。あいつのはその正当な権利に対しての依頼だ」

「おにごっこが?」

その云いざまがよほどおかしかったのだろう。ロイエンタールは咽喉の奥でククッと笑う。

「まぁ、な。あそんでやってくれないか?」

「はぁ、わかったわ。探すわよ。けど探すからには見つけたら捕まえるからね。エマの母様なんだから」

「ああ、頑張れ」

長躯を器用に折り曲げ、ロイエンタールは肘になついて笑っている。何がおかしいのやら。

「そうそう、一つヒントを忘れてた。お前の母親は俺と同い年だ。宇宙歴767年生まれだからな」

「うそっ!!!?」

「は? 何が?」

「お母様って父様より年上じゃなかったの!?」

「誕生日はあれのほうが先だが・・・?」

「そーゆー問題じゃない!? じゃあ私が生まれたのは母様が15の時なの!? 今の私より二つも年下! なんでそんな無茶を・・・」

「そんなんあのアホに聞いてくれ。子供欲しがったのは間違っても俺じゃないからな」

「お父様・・・」

「まぁ、正解にたどり着けるだけのヒントはくれてやったからせいぜい頑張って・・・」

「そんなのわかるわけが・・・・・・っ!」

 

「わかった・・・」

 

その低い声は、なぜか会場中に響き渡った。

人々の視線が一斉にその先に向く。

そこには、常よりも顔を蒼白くさせ、俯き、考え込みながらも、顔の横に手を上げている男がいた。

ロイエンタールが黒い方の瞳だけを瞠って彼の名を呟く。

「オーベルシュタイン・・・」


前へ 目次へ 次へ