「ちー様ぁちー様ぁ、眠れないよぉ」

書斎で本を読んでいた若い父親の夜の一時にえぐえぐと泣きながら乱入してきたのは、彼の4つになったばかりの娘だった。

ひらひらしたパジャマ、枕を抱きしめその手に「お守り」をしっかりと握り締めながら、ブランケットをずるずると引きずっている。

そのとき、稲妻とともに部屋の明かりが瞬いた。

「ひっ!」

どうやら雷が恐いらしい。

(さて、どうしたものだろう)

父親は考えた。

ふと思いついて娘に手を伸ばす。

「来い」

「にゃ?」

よほど雷が恐いらしい娘は疑いもせずその手に近づく。

よく暗い廊下を通ってここまでこれたものだ。と感心する父親は、幼い娘を枕とブランケットごと抱き上げて、書斎を後にする。

「ちー様?」

暗い廊下も父の腕の中ならば恐くは無い。しかし、まだ雷にはいちいち反応している。

父親が娘を連れてきたのはピアノ室だった。

暗い部屋の中、娘を片腕に抱いたまま、ピアノを開け、一本だけ火をつけた燭台を脇に乗せる。

その絨毯の上に娘を降ろすと、自分はピアノの前に腰を下ろした。

ポーーーン

滅多に弾く曲ではないので、一音一音確かめるように弾き始めた。

やがて指が覚えているその曲が確かな旋律となって部屋に満ち、雷光すらかすませる豊かな調べとなったとき、父親が気付けば娘は妖精と幻獣の棲む夢の世界へと引越しを完了していた。

そのあどけない寝顔に満足して、こめかみに唇を落とすと、再び父親は娘をその他の付属物とともに抱き上げ、暗い廊下を歩いてゆくのであった。

 

 

     きっとしあわせ・・・  第4話

 

 

ガッシャーーーンドカドカドサッガシャンガタガタ、グハッ!

 

(うっわぁ・・・)

思わず顔を覆ったエマイユが恐る恐る指の隙間からホールを見ると・・・。

(地獄絵図だ)

中は、卒倒する人やらその卒倒した人を支えきれずドミノ倒しになる人やらグラスを取り落としてぜんぜん気づいてない人やらよろめいたはずみにテーブルをひっくり返した人やら恐慌状態に陥って全然戻ってこない人やら、惨憺たる有様だった。

「どーした? エマイユ。行くぞ?」

(心から不思議そうに首をかしげる、あんたのその神経が憎い!)

滅茶苦茶になった会場を意にも介さずロイエンタールはまっすぐにただ一人の上司の元に歩んでいく。そしてそのカイザー・ラインハルトはといえば。

(あっ)

椅子から転げ落ちていた。

当然もう立ち上がっていたのだが、どうしても理解できないという風情で、ロイエンタールとエマを交互に見比べていた。

その驚愕をまるでなにも起こっていないかのごとく、型通りに挨拶をするロイエンタールを確かめ、エマイユは深くひとつため息をついて、裾をつまみ皇帝に礼をとった。

「父がいつもお世話になっております。エマイユでございます」

果たして皇帝の反応は、

「し、失礼だが、貴女はヤン元帥のところの侍女だったな・・・?」

「はい」

型通りのつつましさでエマイユが答える。というか、ラインハルトは驚愕値振り切れたらしい。

「よ、よ、よ」

泣き声・・・ではない。

「余は聞いてないぞっ、ロイエンタール!」

(って、陛下。裏切られた女の台詞じゃないんですから・・・)

けれどその言葉はその場中の総意だっただろう。

「ああ、そうかもしれませんね。では、今紹介しましたから」

(お父様はお父様で不敬罪ですから。それって!)

半歩後ろで慎ましく控えながら、会話を終了させる父親に内心突っ込む。

しかし、そんなロイエンタールの態度も場内の人々は気にする余裕がないので、ロイエンタールは我が物顔で皇帝の前を辞し娘の襟首をとっ捕まえる。

(って襟首! 綺麗に着飾った娘に襟首!? 腕ならまだしも!!)

しかし、エマイユにとって父親とは「神秘的な美人」であり、裏を返せば「得体の知れないバケモノ」であるので逆らっても勝てる気がまったくしなかった。

というか、この状況一人では切り抜けようもないので、なりゆきに任せている面がある。

そして、ずるずると引きずられていった先にはロイエンタールの同僚たちが間抜け面を並べていた。

(あ、そうだった・・・)

その中のいつも色素の薄い人物が、さらに顔色を白くし、水色の瞳を見開いて突っ立っている。

手が離されて、ポンと背中を押される。

 

「あ、あの、アル・・・」

凍り付いているファーレンハイトに心配げに駆け寄ると、強い力で腕をつかまれ、ロイエンタールから守るように、堅く肩を抱かれ庇われる形になった。

「アル・・・」

不安げに見上げると、美人の婚約者はその秀麗な顔ににじみ出る怒気も美しく、ロイエンタールを睨んでいた。

「どういう、つもりだ。ロイエンタール・・・」

しかし、ロイエンタールは堪えた様子も無く、興味深げに眉をあげる。今日のロイエンタールのご機嫌メーターはエマイユが泣きたくなるくらい絶好調だ。

「それも面白い質問だな、ファーレンハイト。予想外だ。そうだな・・・あえて答えるなら一人娘に求婚なんぞしやがったチャレンジャーに挨拶に来た・・・というところかな?」

「なんの冗談だ・・・?」

「冗談じゃない。エマイユの戸籍だ。みるか? 勿論写しだが」

バッと目の前に突きつけられた一枚の紙をむさぼるように読みながら、ロイエンタールのさも愉快気に「そうそう」と続ける声が聞こえた。

「思えばエマイユと出歩いたこともなかったことだしな。どうせ嫁に行くんだ。一度くらい娘をエスコートしてパーティーに来るのも悪くないと思ったんだ。エマイユは騒がしい席があまり好きでもないしな」

目が笑っているあたり、尋常な父親の心境とはほど遠いことが知れる。

「本当に、お前の娘なんだな・・・」

戸籍には確かにそうしるされていた。

「不満ならDNA鑑定でもするか?」

にっこり笑ったロイエンタールを娘が凝視していたことにも気付かず、ファーレンハイトは問う眼差しをエマに向けた。

「エマ・・・」

その声にエマイユもハッと意識をファーに戻す。

「あ、あの。騙すつもりじゃなかったの・・・。父様とアルが知り合いなんてフェザーン来るまで知らなかったし、そもそも嫡出子になってるなんてことも全然知らなかったし、だから、だから・・・」

「いや、いい。騙されたつもりもないし・・・って。俺ら、ロイエンタールにとことん騙されてないか・・・?」

騙されているのである。

「あっ、てゆーか、お前だろ、プロポーズ唆したの!!! ロイエンタール!」

「心外だな。悩んでいる友人を見かねて背中を押してやったとゆーのに」

「てゆーか、お前、自分の娘の殺害を同僚に唆してどうする? ん? なぁ?」

「二年付き合っててまだ手もだしてないお前に云われたくない」

「ってそれが父親の台詞かーーーーー!」

「ふぅ、それも仕方がない。父親とは自分で選べないものだからなぁ。エマイユ?」

(なにもいうまい・・・なにも・・・)

エマイユが悟り三歩手前まで行ったところで、別の方向から強烈なツッコミが入った。

「なに考えとんじゃ!! このボケっ!!!!」

しかし、その電光石火のとび蹴りを、ロイエンタールはするりとよける。

「・・・・・・・・・、ミッターマイヤー」

「どういうことだ! お前の娘だと!? 説明しろ説明!! 聞いてやるからっ」

偉そうに怒鳴る親友に、辟易した顔になる。

「説明といわれてもなぁ。俺の娘だということ以上になにか説明がいるか? なぁ、エマイユ」

親友を無視して聞かれた一人娘はなぜか顎に手をあて、マジに考え込んでいたが、目を上げて問うた。

「なんで、私が嫡子なんですか? 私今までマリアとハンスの籍に入っているものだとばっかり思ってましたわ」

女学校でも勤めているときも、ずぅっと「エマイユ・リーベルト」だったのだ。

ファーレンハイトとのことを話して初めて戸籍を見せられたのだ。ある意味ショックだった。

「阿呆かお前? 俺の子供はお前しかいないんだから、お前を俺の籍に入れずにだれがウチの財産を処分・・・いや、相続する?」

「げ・・・」

(・・・・・・、ど、どうしよう。すっごい要らない・・・)

「馬鹿いえ。俺だっていらない。俺だって使ってるつもりだが、なかなか減らない。だから次はお前が使え。お前なら俺より有効に金がつかえるだろう・・・」

ロイエンタール家において、金はあくまでためて置くものではなく使うものだった。必要なものや欲しいものを買うための金はもちろんあるべきだが、それ以上の財産はあっても家が狭くなるだけである。欲しくないものを買って家がさらに狭くなるのは論外である。

使えない金を一箇所に貯めておくのは正常な流通と経済の妨げになる。それがロイエンタール家の「普通」の考え方だった。

「え、ちょ、ちょっと待って。じゃあなんで私隠し子だったの? 醜聞なんて言葉父様の辞書にはないでしょ?」

「あぁ、それか。一番最初は、当然お前を俺の娘として役所に届けたんだ。しかしその後俺が士官学校に入ってから、女たちと付き合いだすようになって、ロベルトに諌められてな。「お嬢様がかわいそうでしょう!?」とな。だから、娘思いの父親である俺は、書類を操作してマリアとハンスの娘であるかのようにしたわけだ」

「娘思いの父親が漁色家だったりはしません!」

しかし父親は聞いてない。

「別に旧帝国じゃそんなこと珍しくもなかったし、俺も元帥になる予定なんぞさっぱりなかったから別に問題はないと思ったんだが・・・」

帝国での就職に際して必要なのは、身分証明よりも紹介状なので、戸籍など擬装できるレベルでしか調べられないのだった。

「おじいちゃん・・・もっとまともに諌めて・・・」

彼女は実家の老執事を心から恨めしく思った。

しかし、あのロベルトとマリアとハンスというロイエンタール家三強が子供の時から育ててここまでにしかならなかったのなら仕方無いといえるのかもしれない。

押し寄せる敗北感にエマイユがこぶしを握り締めていると、その父親は窓辺にあった椅子にどかりと腰を下ろし、意味深に娘を見上げていた。

「で、エマイユ? 聞きたいことはそれだけか?」

その問いがなんだというのか。

エマイユの肩を抱くファーレンハイトは婚約者が途端に緊張を帯び、硬直したことに気付いた。

「あ、ありま・・・せ・・・」

可哀想なくらい声が震えている。

「そうか・・・・」

しかしあっさり引く気配に、泣きそうな顔でバッとロイエンタールを見る。

何かを請うかの如く、狂おしく、切なく、苦しげで・・・。

しかしそんなエマイユの眼差しを受け止めて、ロイエンタールは頬杖をつき妖しい笑みだ。

ゾッとするような、しかし目をそらせないほど魅力的な・・・。

「フェザーンにいるぞ?」

その一言が、なんだというのか。

エマイユは鉛でも飲み込んだように押し黙り、やがてカタカタと震えだした。

いつもの「お守り」を握りながら、その手も震えている。

そんなエマイユを、ロイエンタールは余所見もせず、ただ、待った。

しびれるような沈黙の後、エマイユはその一言をようやっと搾り出した。

 

 

「かあさま・・・?」

 


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