柔らかそうな黒髪を二つに括った少女は、門扉に寄りかかりながら楽しそうに自分の影を見ている。

正確には、風に揺れる自分のスカートの裾の影を、だ。

輝く青い瞳をうっとりと細めて、今週の出来事を作文の練習のように反芻する。

「マリアとお皿を磨いた、ハンスとお庭のお花の植え替えをした、マリアに三つ編みのやり方を教わった、玄関の時計のネジを巻いた、お庭のかきつばたが三つ咲いた、蝶々も沢山とんでた、マリアに新しいスカート作ってもらった!」

ぴょこん。と両足をそろえて跳ねる。

この新しいスカートが少女は嬉しくて嬉しくてたまらなかった。

くるりと回ると裾がパッと円を描いて足を軽く打つ。この肌触りがまたたまらない。

「うふふ〜」

すっかりご満悦である。

しかし、このスカートというのも、また変わったシロモノだった。

モダンな感じの黒のジャンパースカートだ。ワンピースではない。

この古色蒼然とした帝都・オーディンをこの格好で歩けばかなり奇怪な目で見られるだろう。

少女がマリアと呼ぶ、この家のメイド頭のデザインセンスは決して悪くない。中の上か、上の下ぐらいにはなるだろう。しかし、二十世紀ほど逆行したデザインを好むこの惑星では、奇抜というか、奇妙というか、それくらい軽やかなものだった。ま、少女には全然関係ないはなしではある。

そして彼女はまた普段から開けっ放しになっている門扉に寄りかかり、ここにいたる森の中の道を見る。

待つ人影はまだ全然見えない。

「ちーさま、はやく帰ってこないかなぁ」

彼女は週末にしか帰ってこないこの家の当主を待っていた。暇くさくも二時間以上も前からだ。

別に一人で待っていることが心細いわけではない。必ず帰ってくることを「知っている」からだ。

別に一人で待っていることが退屈なわけでもない。まだ三歳半の少女には世界は面白いものであふれかえっているのだから。

チラリ、とこれまた木々の間からみえる屋敷を伺って、一瞬戻るか考えたが、その考えはあまりピンとこなかったようだ。

思い出しように、またスカートをひらめかせてくるんと回る。

今度はその身体にかかる遠心力総てが楽しくて、両手を広げてくるくるくるくると調子に乗って何度も回った。

もう、待ち人が帰ってこないことも覚えていない。

ぴょんぴょん跳ね回って子うさぎのように遊ぶ。

そんなときに、やっとお待ちかねの人物が帰ってきた。

「エマイユ?」

(すっかり忘れていたが)待ち望んだ男の帰宅に、少女・・・エマイユは満面の笑みを浮かべて見上げた。

「ちーさま! お帰りなさ・・・い?」

調子に乗りまくった少女は、年相応に発達した三半規管に従って、お約束通り目を回してひっくり返った。

 

 

きっとしあわせ・・・  第2話

 

 

「とかまぁそんなわけで、うまくいってるようないってないような、微妙な感じなんだ。俺どうすればいいと思うよ? ミッターマイヤー」

「はぁ、そりゃあ大変だなぁ・・・」

問い掛けられたミッターマイヤーが、顔を掻いて困る。そういう問題は苦手なのだが・・・。

勿論、相手だってそう真剣に答えを求めているわけではない。もやもやした胸のうちを云わずにはいられないのだ。こういう時はひたすら相手の話をきくことが得策である。

相談とは、もともとそういうものなのだ。

「俺だって逃げ腰のエマイユとっつかまえて、心配事吐かせたいよ。けどなー、俺っておじさんじゃんか。そう、今年17のエマにしてみればなぁ。十代の人間には二十歳以上はみんな同じに見えるってゆーし、そう、倍、倍なんだよエマのさ。手ぇだしたらただの犯罪者だろ俺っ!」

ミッターマイヤーは今年31。だから士官学校で三年上だったこの彼は、今年で34。つまり確かにエマイユ嬢の倍の年齢差になるのだ。しかし、それを元々承知の上でつきあっているのではないのだろうか?

「あ、あの、コーヒーのおかわりは・・・」

何かと気のつく金褐色の髪の従卒がポットをもって立っている。

「ああ、すまないな、ランベルツ」

ミッターマイヤーが苦笑して、少年を促す。

しかし悲しいかな、最適な淹れ方をされたコーヒーの薫りも、目の前の彼の心を安らませてはくれないようだった。しばし躊躇ってから口を開こうとしたが・・・。

コツ、コツ、コツ。

万年筆の頭で机を叩く音に、応接セットで寛いでいた二人は刹那びくりと反応した。

一人はテーブルに無理な姿勢でなついたまま。一人は相手を上目遣いに心配しながら。

「ミッターマイヤー、ファーレンハイト。お前らさっきから人が黙っていれば何をやっている、何を」

不愉快まっさかりにこの部屋の主が問うた。

「「休憩」」

ふてぶてしく答えはしたが、二人とも目はそらしている。

「俺は仕事中だ。自分たちのところでやれ」

「部下の前でサボってたら可哀想じゃないか」

「お前んとこの従卒のコーヒーが一番美味しいんだ」

この部屋の主オスカー・フォン・ロイエンタール元帥の秀麗な顔に青筋が浮かぶ。

美人なだけに怖い。

しかし、もっとも適切な追い出し方を思いついたようで、その眼差しをファーレンハイトのみに向けた。

「ファーレンハイト。お前一体何者のつもりだ? 答えてみろ」

「アーダルベルト・フォン・ファーレンハイト。34歳。帝国軍上級大将のつもりだ」

あっからさまに旗色が悪い。ファーの顔色も悪い。

「機動性に富んだ速攻の用兵をもっとも得意とする、陛下の幕僚のうちでもビッテンフェルトとならぶ勇将・・・の、ファーレンハイト閣下だな?」

やたら懇切丁寧な前置きが苦い!

「・・・・・・・」

「帝国軍人ってのは速攻を評価されるほど恋愛がトロくなるのか? 手を出すのがマズイなら出してから「しまった!」と騒げ! 大体、プロポーズに七年もかかったミッターマイヤーに聞いてなんの進展があると思った? 思考停止にもほどがある!」

ロイエンタール、よっぽどムシの居所が悪かったらしい。

「そもそもファーレンハイト、お前、肝心なことを置いてるぞ。「どうすればいいと思う」以前に「どうしたい」んだ? お前は」

「あっ・・・」

明らかに虚をつかれたファーレンハイト。ロイエンタールほど他人事だと問題の根幹もみえやすい。

「お。おれは・・・。おれは・・・」

そう、相談なんてする人間は、初めから答えは決まっているものなのだ。

「踏み込みたい。このまま中途半端なままで一生過ごせるはずもない。長く、傍にいたい。けど、赤の他人の俺が、エマの個人的事情にどこまで踏み込んでいいのか、わからない。俺は・・・エマイユに嫌われたく・・・ない」

なんだ、意外に簡単なことなんだな・・・。とファーレンハイトは椅子の中で力が抜けていくのを感じた。

しかし、ロイエンタールにしてみれば、失笑ものだったらしい。

「ふん、なら結婚でもしろ。別れない限りずっといられるぞ。伴侶ってモノは基本的に赤の他人がなるものだからな」

あまりにも意外で、あまりにも真っ当すぎる意見だった。その実際性と即断性から、ロイエンタールの不機嫌の深さも知れた。よっぽど邪魔ものを片付けたかったらしい。

「ロイエンタール、そんなに迷惑だったか・・・?」

ミッターマイヤーが恐る恐る聞く。もう、ロイエンタールの意見を検討するのも後回しだ。

「当たり前だ。この忙しいのに鼻先でぺちゃくちゃと・・・」

その言葉に招かれざる客二人がハタと止まった。次の瞬間さも意外そうにハモる。

「「忙しいだぁぁぁあ?」」

ユニゾンされて驚いたらしい。ロイエンタールが黒いほうの目だけをみはる。

「は・・・?」

わかってないロイエンタールに、友人(?)二人が鋭く目を見交わす。

「ミッターマイヤー、お前今何考えた?」

「多分お前と同じことだ。ファーレンハイト」

「どうしたんだ? お前ら?」

「ロイエンタール、お前、本当に忙しいのか?」

「ミッターマイヤー? だって忙しいだろう? 遷都からまだ一月しかたってない」

確かに帝国軍元帥の仕事は先が見えないくらい山積みである。しかし、しかしそれにしたって相手はロイエンタールなのだ。

「だって、知り合って結構たつと思うがお前の口から忙しいなんて言葉初めてきいたっ!」

「俺もだ」

知り合ってから今まで、今より忙しいことはままあった。しかし、どんな時もロイエンタールは恬淡と、しかし常人の1.5倍のスピードで事態を捌いてきた。それこそ疲れを知らぬように・・・。

やっとロイエンタールは発言を把握した。しかし、

「(別に疲れてるわけでも、急ぎの用事があるわけでもないんだがな・・・)」

腕を組んで沈思する。ロイエンタールはその理由を十分に知っていたが、同僚に話すつもりはさらさらなかった。

ので、悪のオーラ満載で爽やかな笑顔を「作った」

「そうそう、さっきの続きだがな、ファーレンハイト。さらに簡単な方法がもうひとつあるぞ」

怖い。普通に怖い。

「俺のブラスター貸してやるから今すぐ殺してこい。相手がお前の殺意に気づく前なら一生嫌われなくてすむぞ。そうだな・・・ブラスターだと片づけが面倒かもしれんな。やはりここはオーソドックスに毒か? お前だって惚れた相手が苦しむのは嫌だろう。一瞬で死ねるものなら最適だな。方今はエンバーミングも発達してるから、ずっと傍にいられるぞ?」

最悪だ。ミッターマイヤーとファーレンハイトは思った。これがほかの人間なら「不謹慎な冗談はよせ!」と怒鳴れもするのだが、何しろロイエンタールだ。

二人ともしっていた。ロイエンタールはどこまでも合理的に、さらに合利的に・・・本気だということを。

けれど、返答を返さなければマズイことは本能的にわかっていたので、ファーレンハイトは「天地がひっくり返っても実行しない!」と捨て台詞をのこして、ロイエンタールの執務室を後にした。

 

扉の外で、ファーレンハイトは目を覆ってうなる。たしかにさっきの自分の言葉「だけ」を元に合利的に考えればそれで十分なのだ。ただし、ロイエンタール以外のすべての人間が当然わかるようにファーレンハイトの望みはそれだけではなかった。

「エマイユ・・・」

恋人が笑顔で自分を呼ぶ声が自然に浮かぶ。

そう、欲しいのは、望むものは「それ」なのだ。他に何の変えようもなく望むものはどうしても「それ」なのだ。逃げるわけにも、諦めるわけにもいかない。

「・・・・・わかってる」

そう。ファーレンハイトにはよくわかっていた。諦めた先の未来に、二度と灯が点らないことくらい。

 

「あら、こんばんは。ファーレンハイト提督」

ファーレンハイトがサロンに足を踏み入れると、そこにはヤンが一人で本のページをめくっていた。

「珍しい・・・お一人ですか?」

「ええ。今夜はもうどなたもいらっしゃらないようですわ」

「今日は何もなかったと思うんですが・・・」

不思議なことだと首をかしげながら、ファーレンハイトはおずおずと切り出す。

「あ、あの、失礼ですが、エマイユはどこにいるでしょうか?」

「まぁ、エマイユですか?」

ヤンの嬉しげな声に、ファーレンハイトの白い面が微かに赤らむ。

「あ、あの、別に仕事の邪魔がしたいわけではなくて・・・そう、少し、顔がみたく・・・なって」

声がだんだん細くなっていくのをヤンは微笑ましげに見ていた。

ロイエンタールのとても実行が難しい実際案を聞いたせいで、胸のもやもやが三倍増したファーレンハイトは、エマイユに縋りたい気分だったのかもしれない。

とにかく顔が見たいと思った。

「エマイユならわたしの部屋に探し物をしにいってくれました。じきに戻ってくると思いますが・・・?」

思わず廊下に向かいかけたファーレンハイトをヤンが引き止めた。

「なんでしょう? 元帥」

「少し、お話をいたしませんか? 焦れた胸で行動しても、なかなかよい結果は得られませんよ」

ヤンの笑みにファーレンハイトはハッとした。

「すいません、元帥。友人の余計な一言で余裕がなくなっていたようです。まったく、何を焦ってたんだか・・・」

椅子に身を預けてフーーッと息を抜く。

ファーレンハイトの気がある程度安定したころを見計らって、ヤンは口を開いた。

「実は、お話というのはエマイユのことなのです」

その名前に、ファーレンハイトは自然に身を正した。そのまなざしにはいつもの冷静さが戻っている。

「提督はあの子のことをどう思ってらっしゃいます? 傍観者の立場から見ると、とても遊びや暇つぶしには見えないのですけれど・・・」

「・・・」

ファーレンハイトは、実は内心照れて視線をそらしていたのだが、決意したようにはっきりと言った。

「笑ってくださってかまいませんが、私にはもうエマイユなしの人生は考えられません。彼女を失ったら、生きて・・・いけないのではと疑うほど」

いってから、困った顔になってヤンを窺った。

「エマイユは、なにか私のことを話していましたか?」

「・・・・、泣きそうな顔になってあなたに嫌われたくないのだといっていましたよ。何か、家のことで心配事があるようですね」

「それとな〜〜〜く」とあれほど約束したことなどおくびにもださず、穏やかに語る。

「家のことですか」

「あなたとこの先付き合っていくなら、その問題を片付けなければいけないと思い詰めているようにも見えましたが」

「そんな! 私がエマイユの家庭の問題で彼女を捨てることなどあり得ません! むしろ、その心配事ごと私のものにしたいくらいです」

「あの子はまだ一人分の荷物を一人でもつことと、二人分の荷物を二人でもつことの違いに無自覚なようです。どうぞ、その言葉をあの子にいってあげてくださいな」

「・・・、私に、言う資格があると思われるでしょうか・・・?」

人は恋をすると馬鹿で臆病になる。

だからこそ、馬鹿で臆病な当事者を景気よく突き飛ばしてやる人間が必要だ。というのがヤンの持論だった。

「あの子を不幸にしたいのでしたらどうぞ言わないままで。・・・エマイユの幸福はあなたなしでは成り立たないと思いますよ」

ふわりと笑んだところで都合よくそのエマが戻ってきたようだ。

ヤンはそよそよと扉まで歩いていって、中から扉を開く。今しもノックをしようとしたらしいエマは軽く驚いたようだ。が、ヤンの顔をみて笑顔になる。

「遅くなりまして。鍵やっとみつけましたわ」

「ごめんなさいね、エマ。わたしも覚えして置いておかないものだから。ありがとう。そのお礼にその鍵明日の朝まで貸してあげるわ」

胡蝶をかたどった金の鍵をヤンはエマイユに握りこませた。春宵の間の鍵である。

今日はもう誰もこないだろうから、閉めてしまおうか? といったところで、鍵を部屋に忘れてきたことに気づいたのだ。

「えっ?」

今度こそ驚きに目を見開くエマに身を開いて部屋の中のファーレンハイトの姿を示してやる。

「あ、あの元帥・・・」

恋人の姿にエマの顔がサッと赤らむ。

「あらあら、「そこ」までは言ってないわよ。二人とも明日も仕事なんだから夜更かししちゃダメに決まってるじゃない」

ヤンの言う「そこ」が「どこ」だかがわかり、エマの顔がますます赤くなる。ダメだといわれたのだから、赤くなる必要も実はないのだが、エマはそこまで器用ではなかった。

「たまにはゆっくり二人でお話しなさい。それがあなたたちに一番大事なことだとわたし思うわ」

「え、じゃ、じゃあ・・・」

ファーに見えないようにヤンが胸の前で○をつくり、悪戯っぽく片目を閉じる。

「じゃ、がんばってね。エマ」

さりげなく持ち出していた本と皿を持ち直し、ポンとエマイユの背を押してヤンは部屋に戻っていった・・・。

 

「・・・・・・・・・、あ、あの、アル・・・」

「エ、エマ、実は話があるんだ・・・」

ぎくしゃくぎくしゃく。

顔の赤いブリキ人形のような二人である。まぁなんにせよ微笑ましいのでよし。

「ちょ、ちょっとまってアーダルベルト!」

胸を押さえつつファーを制止し、大きく二回深呼吸して、三回目に息を吸ったところでスッとまっすぐにファーレンハイトに相対した。

「どうぞ」

でも、ちょっとビビリまくりだったので、肌身離さず持っている「お守り」をこっそり握りながら。

「あ、ああ」

ファーもコホっと咳をしてから真顔でエマに対する。

「元帥から、君が家に心配事があるようだと聞いたんだ」

エマは静かな顔のままだった。

(きゃーーきゃーーきゃーーー! 元帥のお喋りぃー!!)←内心

「その心配事がなんなのかはしらない、けど、しらないからこそ言いたい。俺は決してエマを見捨てないし、裏切らないし、諦めない。その心配事を俺にも分けてくれないか?」

エマイユはファーレンハイトを見つめたまま唇を硬く引き結ぶ。

「俺はエマイユを助けたいし、エマイユにも助けて欲しい。二人で、生きていきたいんだ・・・・・・」

痛いくらい真剣な顔に、こらえきれずエマイユの青の瞳に涙が浮かぶ。

「結婚して欲しい」

「・・・・っ」

うつむいた拍子に涙と嗚咽がこぼれる。胸が詰まって声もでなかった。

「あー、もちろんエマはまだ若いし、返事はいつまでだってまつし、てか、ダメだっていってもいい返事もらえるまでまつし・・・」

言うこといったら急にしどろもどろになったな・・・。

「私で・・・本当にいいの・・・?」

「いいの。てゆーか、エマじゃなかったら結婚する気なんかさらさらないし、俺」

「後悔、しても?」

エマイユの瞳が不安で揺れていた。

「してもいい。エマがいい」

安心させたいのか、自分がそうしたいのか、ファーレンハイトは強くエマイユを抱きこむ。

「相当・・・大変だと思うけど・・・」

「エマイユがいるならそれでいい」

腕の中でなおも細く言うエマイユに、ファーは一分の迷いもなく断言した。

そして、エマイユの頑なな心には、それだけが必要だったのだ。

「わかった・・・父様に話してみる・・・」

「えー、エマ? 一応確認するけど、それって答えはOKでいいんだよね?」

この期におよんでなおもそうほざきやがったファーに、エマは腕の中で強く頷いた。

 

パタリと閉めたサロンの扉にもたれながら、ヤンは皿にのったサンドウィッチをパクリと食む。これは夜食ではなく夕食で、夜はあまり入らないヤンはいつもサロンで軽くつまむだけですませてしまうのだ。

いささか行儀の悪い、エマには絶対に見せない姿だった。

「ふむ・・・。まぁこんなもんだろう」

一人納得してから、扉をじとっと見つめ、今すぐグラスを取ってきたい誘惑と格闘すること三秒。あっさりと思い切ってヤンは部屋へと歩いていった。

 

「ヤン元帥? もうサロンは閉めてしまわれたのですか?」

内心うまくいったと鼻歌でも歌いたいほどのご機嫌なヤンだったが、玄関の近くで不意にかけられたその声に廊下のど真ん中で立ちすくんだ。

「ロイエンタール元帥・・・・・・・っ」

「私は幽霊ですか・・・?」

あまりの驚かれようにロイエンタールは不満そうに首をかしげる。

「い・・・いえ、お一人でいらっしゃるとは思わなかったもので・・・」

そう、ロイエンタールがここに一人でくることはこれまでなかった。

くるのも部下を連れてくるときだけで、おそらく同僚が誘ったときは断ったのだろう。

「ファーレンハイトがきていたと思ったのですが、もう帰りましたか?」

「あ、ああ、なんだ。ファーレンハイト提督にご用でしたの・・・」

なぜかかなり残念そうに、ほっとしたようにヤンは顔をしかめた。

「けど、いけませんわよ? もしいくのなら馬にけられましてよ?」

斜めからのヤンの視線に、ロイエンタールは何事かを悟ったようだった。

「ああ、そういうことですか・・・」

「あら、ご存知でしたの? ファーレンハイト提督とわたしの侍女が付き合っていること」

「アレが初めてその相手とあった次の日に駆け込まれましたのでね。それ以来、暇があればノロケにこられます。ミッターマイヤーとステレオなのでいい加減公害もいいところだ」

「あらあら、災難ですこと」

こめかみを押さえるロイエンタールを意にも介さず楽しげにコロコロとヤンが笑う。

ひとしきり笑ってから居住まいを正して問うた。

「せっかくいらしたのですし、わたしの部屋でお茶でも飲んでいかれませんか?」

さりげない・・・一言だった。

一瞬空気がとまる。

「・・・・・、今、何か物騒なことを聞いたような・・・?」

「あら、そうですか? 別に陛下もいらっしゃいますし、そうたいしたことでもないと思うんですけれど」

もちろんヤンの部屋は二間続きで、寝室と分かれているから皇帝も午後のお茶にくるのだが・・・今は時刻が時刻だ。

真意をはかるようにロイエンタールの瞳が、深すぎる相手の双眸を見つめていたが、ふと、ロイエンタールの唇が笑む。

「そうですね、魅力的なお誘いですがお断りしておきましょう。残念ですが、ウチは門限が厳しいもので」

それだけ言うと華麗にきびすを返していってしまった。

その背中が見えなくなるまで憂いをこめた目で見つめていたが、不意に苦笑する。

「あーあ、手強いなぁ・・・、ま、そこもいいんだけどね・・・」

明るい一言に、夜の仮皇宮はどこまでも暗い沈黙で答えた。

続く   


二話です。「なぜ人のプロポーズの言葉私が考えにゃならんのよ・・・?」などと激しく矛盾したことを考えながら書いてみました。
まぁ、突っ込みどころは満載ですが、とりあえず一つだけ。
ヤン・ウェンリー、さり気無く黒いです。
ラストのヤンさんは「切ない片想い、あなたは気付かない〜♪」ってとこでしょうか?
おや、そういえばこれもキョンキョンか・・・。しかし、本当に気付いてないんだかなんなんだか・・・。
可憐で小花が舞ってるファーエマを隠れ蓑になにやら黒い事態が行間で進行ちゅうのようです。

まだまだ続きますよw


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