「お願いがあるのよ」
それは三ヶ月ほど前、年が明けたばかりのやけに寒い日だった。
オーディンのロイエンタール邸で留守番をしているシンとユアがフェザーンからの超高速通信を受けた。
「ヤン・ウェンリー元帥閣下! エマイユお嬢様かトーマ様になにかございましたか?」
話は嫌ってほど聞いていたが、彼女から直接通信を受けるのはこれがはじめてである。
話に聞くよりも美人で、黒髪がつやつやと美しく、見たことがないほど美しく嫣然と微笑んでいる人だった。
「お願いがあるのよ、二人に」
ならこれはお嬢様をおどろかせる計画かもしれない。なにしろ、相当可愛がられている様だから。
安心した笑みで二人がそう思いかけたとき。その笑顔は一瞬にして凍った。
「そっちのお屋敷を片付けて、みんなでフェザーンに移ってきてほしいの」
「「・・・・・っ!?」」
「おねがい」
にっこりと漆黒の瞳で微笑むと、ヤン・ウェンリーは返事も聞かずに通信を切ってしまった。
シンとユアはディスプレイの前で固まったまま、15分近く動けなかった。
「ど、どーするよお前ら」
使用人用のやや広い食堂で、シンが口火を切った。
「それはどういうことかしら、私たちがフェザーンへいくかどうかということ? それともヤン元帥が・・・その・・・あの・・・もしかしたら、ということ?」
ユアがらしくもなく不安そうにいうので、ロイエンタール家の年若い使用人たちは一様に顔を見合わせる。彼らはみな、元ストリートキッズや孤児で、全員が当主オスカー・フォン・ロイエンタールになんとなく拾われてきた人間なので、彼に対する忠誠は半端なく強い。
今年32になるユアとシンが最年長で、みな彼らよりも年が若い。
「みんな、『奥様』についてはロベルトさんや、マリアママ、ハンスパパに教えられてきてるでしょう? それ一度確認してみたらどうかしら。旦那様が口滑らしたとこ見たことあるやつはいないの?」
「「カレン〜〜〜」」
ざっくりと切るカレンにユアとシンが頭を抱える。
カレンはユアたちと同い年だが五年前に結婚して屋敷を出ている。たまに里帰りしてくるが、今日はシンが強制的に呼び出した。
それと同じく、ほかの連中・・・大学通ってるやつとか、ロイエンタール邸を出てよそで働いてるやつとかも帰ってきている。てか自然にみんな集まってきた。
「好きな飲み物は紅茶とお酒」
「普段はストレート、疲れてるときは砂糖、胃が調子悪い時はミルク」
「好きな色は淡い色」
「好きな人は旦那様とお嬢様」
「花は草よりも木が好き」
「朝の食事は栄養あるおかゆがすき。昼はそこそこ。夜も軽くがいい」
「髪の毛が痛みやすいので、好きなメーカーはフェザーンのフィラル社のエルファルーラ・シリーズ」
「・・・・・・・・・・・」×全員
「それって多分・・・」
カレンが沈んだ瞳で言う。
「行くのでしょう、フェザーンに」
「エマイユ様とトーマ様に会いたい!」
最年少の部類に入るクルトが言った。
それは全員同じ気持ちなので、全員が押し黙る。
「それと『奥様』に」
カレンが付け加えた。
「行きましょう、旦那様に叱られたとしても、そのときはその時だわ」
ユアが珍しく強い口調で言った。カレンがぶーたれる。
「わ、私だってフェザーン行きたいのに、奥様にお会いしたいのに〜〜」
拾ってくれたロイエンタールに対する忠誠心は半端ではなく、ロイエンタール家にまるで「幽霊」のように居座っていた「奥様」のことは、エマイユだけでなく使用人たちの憧れでもあったのだ。
「それじゃあ、グラフィン・フォン・クレーフェに連絡しないとな」
決定さえ下れば行動は早い有能なロイエンタール家の家人どもである。
当主の留守中、この屋敷の後見を任されている当主の友人の名をシンは口にすると、一刻でも早くフェザーンにつけるよう、立ち上がった。
きっとしあわせ・・・ 第17話
「オスカーー、暇だしトランプしよーー」
「って、違うだろ、なんだよ明日って」
「え? シンくんたちみんなが乗った「うちうせん」が明日フェザーンにつくってハナシよ」
「なんであいつらがこっちくんだよ」
「お願いしたから」
「オネガイ? お前が?」
「うん、そー」
「俺に一服持った後すぐに?」
「そーーでーーす♪」
「へーー、あっそ、それはそれは・・・エマイユ、このピコハンでこいつの頭10回くらい叩け。俺が許す」
「え、えーーっと、それは流石に」
「エマイユちゃんいい子ぉ〜」
ぎゆうううう
「こっちでもあっちでも、準備はしてたでしょう。けれど完全に片付けるのに二ヶ月ぐらいかかるって。二週間ほど前に今日つくって連絡もらったもの」
ヤンがばつが悪そうに付け足した。
「あの子達にはわたしのわがままで随分我慢させてしまったわ。エマイユの結婚式にも出られなかったし、トーマだってまだ直接には会っていないのよ。子どもは欲しかったけれど、もうこれ以上オーディンの子達を待たせるわけにはいかないわ」
それはそうなので、ロイエンタールが一つ頷いて振り向くと、ロベルトとマリアがボディブローでも食らった顔で突っ立っている。仕事命☆ のこの二人の手が止まっている時点でレアだ。が、しかし
「ハンスぅ〜〜〜」
「そういえばそんなことも云ってましたかねぇ?」
「・・・・・、みんなハンスにはなんでも話すのよね」
「そうですね、ですから奥様がエマイユお嬢様を妊娠したときだけはショックでしたね」
「ご、ごめんなさい」
ハンス・リーベルトがこれだけ話すのも極めてレア。ヤンが頭が上がらないのも当然だろう。
「お鍋できるまでまだしばらくありますから、これでも食べててくださいませね」
優しい笑顔とともに、マリア・リーベルトが大鉢をこたつに置く。
細長いこんにゃくと、出汁と、豆腐と、白ゴマを和えたもので、シンプルなだけに味付けが難しいが、とっても美味しい。
「マリア大好き〜、でも、トーマくんにはこんにゃく無理ね。お豆腐のとこだけ食べなさい」
匙ですくって息子に食わせる母を見ながら、エマイユが改めてボーーっとみている。が?
「ちょっとまってください! じゃあ元帥閣下が前に云ってた片思いの相手ってだれですか!!」
「えーー? だから、コレよ? あなたのパパ」
「なんで、父様相手に片思いなんですか」
「だって、どこが両想いに見えるの? 隣でブツブツ言ってるし」
「いつか、カチ殺す。脳天割って、脳漿飛び散らせて、骨で楽器作ってやる」
「オスカー、トーマ君が引いてるからそれぐらいにしときな」
「てか、お母様、何でこの人相手に片思いしてるのか理解できません」
「わたしも段々理解できなくなるんだけど、まぁ、小さいころから好きだったからね」
「俺だって、小さい頃は、お前のこと好きだったぞ。小さい頃はな」
「お母様、お父様やめてどっかの男前と再婚しません?」
「そうね、こんなろくでなし、離婚よ、離婚!」
「結婚してないのに、離婚できるかっ!」
「それもそうだわ。ほいじゃ、婚姻届。名前書きなさいな」
「あー、ハイハイ」
と羽ペンでサラサラと書こうとしたロイエンタールだったが、ふと気づく。
「その前に離婚届よこせ。お前が先に書いたら署名してやる」
「チッ、引っかからなかったか」
「え??? えーっと、お母様、お父様?」
「はい?」
「どうした?」
「結婚したくございませんの? てゆーか、結婚なさってませんでしたの?」
「人質生活の人が結婚したらマズイでしょ?」
「コイツが俺の許嫁なことは認めるが、だからって結婚しなきゃいけないわけでもない」
「えええ! 結婚しましょうよ! 子どもも生まれるのですし! 私生児になっちゃいますよ!?」
「私生児・・・ねぇ」
「実際に私生児だったお前の意見は?」
「・・・、私なんかは誰かさんのせいで嫡出子でもないと思ってたんですから、数に入りませんわ。実際には・・・不都合はなかったですけど」
「でも、まぁいまさらだしねぇ。別に籍入れるくらいたいしたことじゃないと思うし」
「別に、そうだな。籍入れるだけなら今でも別にいいんじゃないか? やっぱり書くか、その婚姻届」
「受理されるかはわかんないけど、一応書いてみる?」
そのとき、エマイユの脳に落雷のごとく天からの啓示が降ってきた。
「お父様、お母様、結婚式は?」
「「げっ!!」」
「げってなぁなんです、お二人とも!! 大体ヤン元帥、いいえ、お母様! あなたエマの結婚式になんておっしゃいました!」
「そりゃ、もちろん自分の結婚式じゃないからいったわけで、ちょ、マジでイヤ!!!」
「そこまで言いますか!?」
「イマサラこいつ相手に永遠の愛とか誓えない! 白々しい!」
「結婚式なんぞするぐらいなら宇宙の果てまで逃げるぞ。ウェンリーつれて」
「そーね、マジでムリ。それぐらいならカケオチするわよ。オスカーと」
「自分たちの結婚嫌さに駆落ちしないでください! そんなことする人間どこの世界にいるんですか!!」
「エマイユ、お前この期に及んでウェンリーが人間だと思ってるのか? おめでたいやつ」
(どーしてくれよう、この両親・・・)
↑段々この二人が両親だということを理解してきたエマ。
(ここは素直に直接お願いしてみよう)
「けれどお母様、お母様は本当に私の憧れの人なんです。そのローブ・ド・マリエが見たいと思うのは、そんなに我がままですか?」
エマが泣き落としに掛かったらヤンには抵抗するすべはない。
けれど、今回は逆にホッとしたように余裕の笑顔でにっこりと笑った。
「あら、マリエでいいの? それなら見せてあげられるわ。今すぐ」
「ん? ああ。 あるな。 山ほど」
「オスカー。わたしの端末にアルバムを呼び出せる?」
「少し待ってろ」
「え?」
「そうよね。今ならアルバム見せてあげられるわ。エマイユが生まれたばかりのも沢山あるし、わたしたちが若いときのもあるの。一緒に見ましょう」
「でも、マリエですよ? マリエ!」
「ええ、そうよ」
ロイエンタールとヤンの若かりしころの・・・てか幼いころの写真。
帝国軍人たちは素直に身を乗り出した。
「繋がったぞ」
立体用の映写装置は本のような形をしていて、広げれば目の前に任意の縮尺で呼び出すことが出来る。
「けど、オスカー、膨大すぎて、どれがどれだかわかんないわ」
「一日百枚単位で撮ってたのにわざわざタイトルなんかつけてるかよ。動画と静止画の区別ならつくが、だからどうした?」
「無茶いいなさんな。全部見てたら半年かかる」
「大まかなジャンルわけはしてあるから、一応この辺じゃねぇ?」
「それじゃあ、シュテファン・コレクション・ザ・メモリー。大・鑑賞会のはじまりーーー♪」
「シュテファンコレクション?」
「シュテファン・フォン・ロイエンタール。あなたのお祖父様のコレクションよ。お祖父様がフェザーンにいるときは毎日家で、撮影会ごっこで衣装とっかえひっかえしてたもの」
「ちなみに、お前の祖父は俺とはなんの関係もない」
「ないわけあるか、ボケ。マリエだけでも沢山着たわよ。ファンシーなのから、クールなのから、白以外でも沢山。ドレス以外でも結構着たし・・・とりあえず、一枚見てみましょうか」
ぴよん
「ああ! これは覚えてるわよ! さらわれた天使!」
「お父様、かわっ!!!!」
髪をくるくるにして両脇ふたつ結びにし、真っ白のシフォンっぽい膝上バルーンスカートのヤンを抱き上げて、黒いジャケット、黒い帽子、黒いパンツ、の上に背中に小さな黒い羽根までつけたロイエンタールがカメラに向かって舌を出している。
「オスカーーわっかーーいv わたしもだけど」
楽しそうにヤンが次から次へと画像を変えていく。
ミッターマイヤーやラインハルトたちも細かいことを抜きにして楽しんでいたが、そのうち気づいた。ロイエンタールがフォーマル着てるのは5枚に1枚ほどで、後はフェザーンの少年のような格好だったり、コスプレっぽく写っている。
不良少年と良家のお嬢の駆落ち。っぽい構図が多いのが笑える。
「オスカー、フォーマルよりこっちのが似合ったもの。目つき悪いし」
「撮影者がどっかの変態じゃなけりゃ愛想笑いでもしたかもな」
「いや、だから、どっかの変態はやめなさいって。実の父親なんだから」
「少なくともあいつじゃなかったら睨まなかったと思うぞ」
「あら? 何やってるの? オスカー」
「ん・・探し物」
ロイエンタールは写される画像を無視して、ひたすらデータを漁っている。
「どっかに、残ってないかと思って。な。カトリーヌ小母上が亡くなる前のは、ほとんど残ってないから」
「そうね、わたしがロイエンタール邸で暮らし始めてからだもの。それが?」
「結納の時の写真、残ってないかと思ってな」
「結納・・・・ああ、あの時! どうかした?」
「山吹の地色に緑や紫の蝶の古典色の四つ身だった。帯までは忘れたが、確か赤と朱色と金糸で」
「良く覚えてるわねえ。そんな昔のこと忘れたわよ」
「あれが一番好きだった」
「・・・そう」
「あの当時は、本当にお前のことかわいいと思ってた」
「ごめんなさいね、いつまでも可愛くていてあげられなくて」
「一生許さん」
「けど、ま、沢山あるでしょう? マリエ」
「ヤン提督ぅ〜〜〜〜、イジワルぅ〜〜〜」