修羅場  



  孤立無援と四面楚歌。
 どちらも危うい状況には違いないが、自国の政治屋よりも、敵国の軍人の方が 信頼できるヤンにとっては、四面楚歌の方が気が楽だ。
 大きな姿見に写る己の姿に溜息を吐きかけて、ヤンは慌てて止めた。口にくわ えた銀のカンザシは、見かけの繊細さに比例するようにひどく高価な代物である 。落として壊したりしたら、洒落にならない処か、死んだ父親が化けて出そうだ 。
 片手でサラサラとした髪を纏め、もう片方で結いつつピンをさす。
 勤務時のキーボードを打つ手は凄まじく不器用だが、髪を結う手は存外器用に 動くものだ。
 あぁ、口紅も塗らなきゃ。
 鏡の中の自分は白い着物で、青白い顔をしていて。黒い睫毛に縁取られた瞳だ けが、色を持っているようだ。
 まるで、死装束。
 刑場に引き出される前の罪人のような、そんな気分になるのは感傷では決して ない。
 銀河帝国と自由惑星同盟の和平条約締結祝賀会。
 超巨大な戦勝国と、最早立ち上がる気力も体力もない敗戦国の間で結ばれる条 約等たかが知れている。
 それでも相手の機嫌を損ねる訳には行かないから、誰か看板を出席させなけれ ばいけない。かと言って自分が看板になりたくない政治屋共が、白羽の矢を立て たのは、敗軍の将たるヤンだった。
 ヤンを衆目の晒し者にする事で、恭順と友好ムードを演出し、ついでに帝国民 の憎悪や嘲りをヤン一人に被らせようと言う魂胆か。
 つまりは程のいいスケープゴートと言う訳で。
 そこまで解っていながら利権屋共の思惑に乗ってやるのも何だ。しかし、命令 を無視する訳にはいかない。
 口に挟んでいたカンザシを引き抜いて、ゆっくりと長い髪の根元に差し込むと 、シャランと音がする。銀の音色は涼やかでいい。
 結わなかった残りの髪を片方に寄せて、近くに置いた布にヤンは手を伸ばし、 バサリと背中にかける。  ふぁさぁ、するする、と静かな衣擦れの音をさせて滑る布の感触が心地よい。
 夜の闇を染み込ませたような、最上級の黒い綾絹に、これまた最高級の絹に銀 を混ぜ込んだ銀糸で刺繍された流水紋がよく栄える。
 知る人ぞ知る、『お万好み』の大振り袖。
 見るものが見れば、意匠を凝らした素晴らしい大振り袖に袖を通し、ヤンは背 中に残りの髪をふわりと広げた。  ぐっと伸ばした背筋は、普段よりずっと伸びている気がする。
 思惑に乗ってやりはしない。けれど命令無視もしない。私は与えられた条件で 、負けない戦いをするだけ。
 政治屋の手の平で踊る事も、御しやすい属国の軍人だとも侮らせやしない。ま して私の懐に飛び込んだ人達を、好きにはさせない。
 着物の合わせ目をぐっと締める。
 黒い大振り袖に併せて作られた帯を結び、口に今度は銀の帯紐をくわえて、も う一度ヤンは鏡を見た。  不細工、ではないわね。

 『貴女はもう少し、ご自分の魅力を知られた方がいい。』

 常々囁く部下の言葉を真に受ける訳ではない。けれど利用できる事は利用する のが、ヤンの戦い方でもある。
 するする、ふぁさぁ、きゅっきゅっ。
 締められていく帯や帯紐とともに、ヤンの集中力も高まっていく。
 まるで戦場に立つみたい。
 姿見に写る自分は、何時もとは全くの別人だ。己でさえ思うのだから、他人は いったいどうだろう?
 例えばあの華麗な、けれど世間を、女と言う生き物を知らなそうな天才は…?
 女という生き物を恐れるだろうか?それとも物珍しさに戸惑うだろうか?
 どちらでもかまわない、とヤンは思う。
 弄絡するつもり等、ヤンにはサラサラない。ただ、シャーウッドの森から目を 逸らすことが出来ればイイのだ。
 その為には、少し派手なおとりが必要だから。
 太鼓に結ばれた帯に、銀の帯紐と帯留と。
 『粋』の髄を集めたような衣裳は、ヤンの父親が、骨董品に紛れて買っておい たものらしい。余りにも珍品過ぎて売るに売れなかった代物が、こんな形で役に 立つとは。人生は解らないものだが、これを買っておいた父の真意はもう一つ不 明だ。
 けれどヤンの為に誂えられたような衣裳を、買っておいてくれた父の慧眼には 感謝してもしたりない。
 これのお陰で一生一度の大勝負に、負けなくて済みそうだもの。
 戦いは戦場だけでするものじゃないし、権謀術枢を駆使するだけが戦い方じゃ ない。
 男には男の、女には女の戦い方があり、そして『美しさ』は十分武器になる。  鏡に向かい最後の仕上げとばかりに、紅筆に綺麗に紅をのせて、唇へと向かわ せる。
 姿見に写る唇が、艶やかに濡れ光り、紅い弧を描いた。
 修羅場はこれからだ。




りほコメント
 相互記念に社様からいただきましたw オホホ。めちゃめちゃ嬉しいです。
 姫提督のオシャレはこんなカンジらしいです。
 ホホホホホ(笑いがとまらないヤツ)

 というワケで無敵に美しい姫提督を堪能なさりたい方は、どうぞ社さんの『神月』へ。
 ゼヒともオススメですわよww

 つーか、だれかこの姫提督描いてくださいませな。絵で。
 みーーたーーいーー


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