倖せはこんなかたちでやってくる

友愛 〜なりそこねの恋



−ロイエンタール元帥に不穏の気配あり−
 はるばるオーディンから届いた知らせに、再度征服したばかりのハイネセンにいた帝国軍人のうち何人が舌打ちしただろうか。そしてロイエンタール元帥が大本営に拘禁されたと聞いて、知らせが事実であると思った者は、さて何人いたのだろう。
 拘禁されたその午後に審問を受けたロイエンタールは、皇帝から近日中に処分を決すると申し渡された。審問のなか、子供を持つことにきっぱりと拒絶を見せたロイエンタールの暗い声に、感じるものがあったのはミッターマイヤーばかりではない。
「私には人の親となる資格がないからです」
『それほどまで、悪い奴になれたのか?』
 痛む胸をこらえていたバイエルラインは、罪人の位置に置かれる美貌の男へ内心語りかけた。
 ミッターマイヤーの部下だが艦隊司令官であった彼は陪席を許され、そして胸が張り裂けそうになる数々をおとなしく聞いていた。聞かされたことは知っているものもあれば、知らぬものもあり、ロイエンタールの状況をつぶさに知らなかった事実にむかつく。むかつくのは、ある感情をロイエンタールへもっているからだった。
 リヒテンラーデ公の姪の娘を私邸に置いているのは知っていた。ロイエンタールも娘も、互い愛情ではなく憎悪で結ばれているのも解っていた。娘を妊娠させるような行動も、強姦だったとロイエンタール本人から聞かされていた。
 だが、生命をおびやかされていたなど、知らなかった。一番大事なことを、聞かされもせず、気づきもしなかった。
 これほど愛しているのに。とても大切にしているのに。
 察しの悪い自分を憎むバイエルラインは、その何倍もに娘を憎んだ。
 そして、自分の知らぬことを知っている上官、ミッターマイヤーに嫉妬した。娘の何倍もに憎んだ。
『どうして貴様なのだっ』
 今朝、ロイエンタールが拘禁されたと聞いて飛び出そうとした足を、部下に止められ、数分の会話で親友の元に駆けつけるのをやめた男だった。自分があちらが悪いといえ部下を射殺したおり、助けようと奔走した親友を、反対の立場となって面会に行かなかったのだ。
 ラインハルト皇帝の最初の部下となったなれそめを、ミッターマイヤーは笑いながら、ノロケるかに、どれだけロイエンタールの友愛が強いか自慢して、バイエルラインに語ったものである。そのときも激しい嫉妬に身を焼いた。
『どうしてこの男なんだ。こいつを選んだんだ』
 はね除けられる自分と違う、唯一許された男を、憎まずにはいられない。初めから憎んでいた。ミッターマイヤーが彼の親友となったときからの感情だから、皮肉にも部下に配属されたおりに思いを隠す心構えはしっかりできた。なので現在、ミッターマイヤーのもっとも信頼する部下、片腕的存在となった。
 身が焼き滅びそうな感情を、幼き日から磨き上げた外面で覆ったバイエルラインは、どうにか終わった審問の後、上官がロイエンタールが寛大な処置を受けるよう全面協力すると口にしたのを利用した。寛大な処置どころか、言いがかりだと訴える為の材料を、彼は求める。
「午前のうちにロイエンタールの面会に行ったそうだな」
 静かに、しかし勝手に動いている途中、ミッターマイヤーに捕まってそう言われた。非難の言葉が飛び出しそうで、制御を強いるとどうしても口数少なくなるバイエルラインは、「閣下が行かれるよりは、口さがない連中も少ないかと」と適当に濁す。
「前から思っていたが、卿はロイエンタールに優しいな」
 言われ、ぎくりとする。彼との関係を隠して、その想いも人前に出さないようしていたが、この男に気づかれたかと思った。のだが。
「いや、優しいというよりは配慮している、かな?」
 配慮せざるをえないのだ。同性愛禁止法のある軍隊に入った時点で、他人に知られるわけにはいかなくなったのだから。3才の春に一目ぼれしたロイエンタールへの、年重ねるほど深くなる愛情は、現状では罪となる。
 ミッターマイヤーの言った配慮は、関係ないフリしていてもこぼれてしまう愛情、彼を少しでも守ろうとの動きだった。積もり積もった配慮の、とどめのような今回の行動に、バイエルラインは明らかな敵ができていた。拘禁された親友の元へ行こうとしたミッターマイヤーを止めた人物ビューローは、ロイエンタールを救おうとする彼の動きに何かを感づいたのか、それともミッターマイヤーの立場を考えず面会に行ったからか、警戒の気配を見せてきた。
 ビューローは、ミッターマイヤーと同じ言葉をぶつけていた。もっと鋭さをもって。上官を止めたのに、腹心の部下が拘禁されたばかりの人物に会いに行っては何にもならないと、バイエルラインの軽率さを責めた。だからなんだ、とばかりに平然と跳ね返したバイエルラインは、行かずにおれるかとの内心を隠す。
 たとえ、ロイエンタール本人に冷たくされても。邪険にされても、バイエルラインは彼の傍に行く。それは、彼が変わってしまったこの20年、めげずに続けた行為であった。拘禁されたロイエンタールを心配して、ごり押しに面会するのは当然の行為だ。
「ミッターマイヤーの代役、ご苦労」
 冷ややかにロイエンタールは言ったものだ。奴はこないと言いたくなったバイエルラインだが、傷つけたくないと言葉を飲み込んでいた。
「毎日、来る。必ず、助けだす」
 ロイエンタールがどれほど変わろうと、愛する恋心はびくともしない。彼が存在する限り、バイエルラインは愛するのだ。中身が変わろうが、外見が変わろうが、ロイエンタールが生きている限り愛するだろう。その存在をあがめるだろう。バイエルラインはそんなふうな愛をしているのだ。
「君の為なら、何でもできる」
 壁でもあるかに、ロイエンタールに届かない告白。だがバイエルラインは平気だった。3才でほれてから、ずっと何でもしてきたのだから。彼には息をするかの自然さで、その思いを実行していた。
 どんな犠牲でも払う。何でも捧げる。本当の自分も隠し続ける。
 誰を巻き込もうとも助けると、彼は行動した。すべての情報をフェザーンにいるある人物に送る。たとえ相手がまずい立場になろうとも、少しでも早くとバイエルラインは配慮をなくした。
 相手はそんな心理を読んで、にや、とばかりに笑ったのであるが。
 官舎で謹慎するロイエンタールへ日参するバイエルラインに、ビューローは眉をひそめるどころではなくなり、二人の仲は険悪になった。この件が終わる頃には犬猿の仲が決定的となり、永続するのである。








 ロイエンタールの不穏の噂が広がったのは、フェザーンだった。残存していた上官に同じくフェザーンにいたフェルナーは、ちゃくちゃくと噂と周囲の動きを書き留めていた。
 フェルナーにはこの件について権限はなく、捜査にもタッチできないでいたが、情報には近くにおれたのがラッキーだった。動き回るラングが何かしていると解っていても、中断させる理由がない。どうしようかと情報だけは蓄えていくフェルナーは、遠くハイネセンでロイエンタールが拘禁されたと聞き、瞳が刃物の危険さを輝かす。
 動くタイミングを彼は待つ。きっかけを待ち構える。
 上官のオーベルシュタインはラングの暗躍に目をつぶっている。皇帝の権威にさえかかわらなければいいと。かけがえのない臣下などいない、との彼の態度は自分自身も入っていると、フェルナーは感じていた。嬉しいことではなかった。
 自分がラングの邪魔をしたら上官がどう思うか、少し心もとなく、いらぬことをしたと言われるかもと考えもした。
 が、わずかな心の揺れも、待っていたきっかけがきて、消える。
 ロイエンタールの表情の数々が脳裏に浮かぶ。冷たく取り澄ました大人の顔、すがやかに笑む少年の顔、涙ぐんでる幼い顔。
 初恋におちいった、ロイエンタールの幼い泣きべそ顔がまぶたの裏にいっぱいになる。もう恋ではなくなったが、大切に愛する気持ちに変化しただけだ。誰よりも大切な幼なじみだ。
 ハイネセンからストレートに送られてきたバイエルラインからの情報に、フェルナーは行動を開始した。表立ってではなく、裏でこっそりと。
「つ・ま・り・は・犯人が必要と」
 独り言を漏らした人当たりよいハンサムな顔は、ほがらかに笑うのだがにじみ出る雰囲気が反して物騒だった。そして、不気味だった。
 フェザーンでできる限りのことをファイルにまとめると、バイエルラインにならって堂々とオーディンへと送信する。自分へ送られてきたのが明らかなものを混ぜているのだから、隠しても仕方ないと開き直っていたし、誰がしたのか知らせたいとの衝動も少なからずあった。
『どうしてオスカーは、あんな男がいいのだろう』
 かわいかった幼なじみが選んだ親友は、一般の風評とは違ってフェルナーは気にいらないでいた。やきもちかも知れない。いや、やきもちも混じっているが、元から好きになれない人物なのだろう。
 自分の目がロイエンタールに関しては甘いフィルターがかかっていると自覚はある。溺愛している。
 だから、ミッターマイヤーを許せない。
 拘禁された彼の元へ駆けつけなかったのは許し難い。
 すべてに背を向けたような彼に隣にいるのを許された唯一であるのに、保身を考えて特権を投げ捨てたのは、最大の罪、もっとも重い悪徳とフェルナーに断じさせる。
 怒りをもって知らせてきたバイエルラインが、よく殴らなかったものだと不思議なくらいの悪行だ。
 自分を傍に寄せてさえくれたら、拘禁などさせなかったのに。噂なぞまとわりつかせなかった。自分を拒絶しなかったら、もっとはっきりと守るのに。
 エルフリーデ・フォン・コールラウシュなど私邸に居座らせなかった。命を狙ったときに当局へ突き出して・・・・いや、その場で射殺してただろう。
 なにより、反逆を疑われた彼に、信じていると言い、強く抱き締めた。一人ぼっちになど絶対しない。
「いいかげん、拒絶するのをやめてくれたらいいのに」
 したら笑ってくれるまでジョークを飛ばして、寂しくないよう一緒にいるのに。いなくなった父親の代わりをいくらでもつとめてあげるのに。
「解ってるかい? 俺は今でも君が好きだよ」
 私立校に入学したばかりのある日に、急いで校舎を飛び出した綺麗な子に目を奪われた。急ぐあまりか転んだその子に慌てて寄って、助け起こそうとして泣きべそ顔に心を奪われた。
 6才の、初恋。恋から友情に移り変わっても未だ続く愛。
 遠くから見守ることしかできなくなっても、オスカー・フォン・ロイエンタールへの想いは薄れない。
「いいかげん、知れよ。誰が君を愛しているか」
 知らせたい。ロイエンタールを大事に想っているのは誰かを。双璧に。








 国務尚書から連絡を受けたケスラーはすぐさま向かった。互いオーディンに残る身だが、まったく違う役目を担うのに、どうして公式に呼ばれるのかと考える。
 公式に呼ばれながら密室にこもるかに二人きりとなった点に、重大な事柄と感じた。
「アントン・フェルナーから手紙がきてね」
 穏やかに言い出されて、ケスラーは心構えがあったのに重大な事だととっさ思えなかった。温和で、ヒルデガルド嬢の父親と言われるくらい目立たないと評価されるマリーンドルフ伯が、とんだタヌキと知らなければ、そのままびっくりさせられただろう。が、ケスラーは国務尚書の本性を見知っていた。
「ロイエンタール元帥がはめられたそうだ」
「反逆の噂、ですか」
「それの他に彼が拘禁された理由があったかな?」
 オーディンにまで届いているロイエンタールの反逆の噂に、オーディンに置かれるケスラーがどれほど無力を感じていたか、同じ思いを持つ彼なら解るだろうに、穏やかに言う彼の人の悪さ。
「ロイエンタール家に行って、エルフリーデ・フォン・コールラウシュの調査をしてきてはもらえないか」
「送ってきた内容を教えてください」
「私たちにできるのは、その程度だよ」
「いいですから」
「君に読ませたら、フェザーンでも調査したがるだろう? とすると、ハイネセンへ送るのが遅くなる」
「いいですから」
 声が怒りで震えてしまう。ケスラーはいらいらした。だが何をしようが言おうがマリーンドルフ伯はびくともしないと知っていた。だから素直に口に出す。
「オーディンで裏付けとるだけにしますから。誓いますから、読ませてください」
「誓うね」
「はい、必ず誓いを守ります」
 フェルナーの送ってきたファイルを渡すマリーンドルフ伯は、ロイエンタールが家に女を置いているとの昨年6月からあった話を、どれくらい深く知っていたか、いや、どの程度調べようとしたかを尋ねた。反逆の噂に私邸に住まわす女がかかわっているのと知って、何もしなかったのを後悔していると素直にケスラーは述べる。
「カールが寄りつけなくなったとぼやいたのを、聞き流したくらいですから」
「彼はがんばり屋だったね」
 溜め息のようにマリーンドルフ伯はもらす。カール・エドワルド・バイエルライン大将が唯一、グレたロイエンタールを遠くから見守る事をせず、以前と変わらぬままにアタックを続けているとは、関係者一同尊敬すらしていた。オスカー・フォン・ロイエンタール元帥の父親と親友だったマリーンドルフ伯も、赤ん坊の頃から知っているロイエンタールのグレぶりに、とても心を痛めて、あまりの痛々しさに近寄れないでいる一同の一人だ。
 ロイエンタールの最初の幼なじみであるケスラーは、近寄らせてくれないのが悲しくて、でもグレる理由が不憫で遠巻きにしてしまう一人である。
 どんなにはね除けられても邪険にされても寄っていくバイエルラインの、ぽろぽろと漏らすグチだけが、ロイエンタールの近状を知る手がかりだった。互いに軍人となってからは法のせいでひっそりとしたアタックになっていたが、定期的にロイエンタールの私邸に訪問するのを彼はやめなかった。ロイエンタール家公認のアタックで、秘密にするもの、ロイエンタールがいつ家にいるか教えるのも使用人が進んでしてくれたから、噂ひとつ流れず長く続けられたのである。
 表立てず、拒絶されてるバイエルラインの、唯一と言って過言でない逢瀬の場は、ロイエンタールの私邸だった。外や職場でめぐり合えても、軍法によってアタックできない彼であったのに、唯一の場を住み着いた女のせいで奪われたときの荒れぶりは、なかなかすさまじかった。捨てられるのが解っていながら贈り物を山と送りつけた、反動のものすごさもあった。
 ふとケスラーは考える。バイエルラインはどこまで知っていたのだろうか。彼女が流刑地から来ていると、解っていたのか。
「彼を責めるんじゃないよ。彼は、審問を聞いて知ったのだから」
 びくっと震え上がったケスラーは、相手の洞察力の鋭さをあらためて思い出した。少しばかり逃げ腰となる憲兵総監に、国務尚書はどうしようかとの迷いを振りきった。バイエルラインが送りつけてきた文書をそのまま見せるのは、とても問題があるとやはり考える。自分ですら腹立たしかったのに、幼なじみの彼ならば、どれほど逆上することか。逆上のあまりハイネセンへ飛ばれでもしてはかなわないと、見せるのは後回しだと決める。
 決して、見せないでおくつもりはない。必ず教えようと、マリーンドルフ伯は思っていた。この話は、関係者一同に知らせずにはおけないと感じている。拒絶ばかりするロイエンタールが、唯一受け入れた人物だったのに、相手はそれに応えなかったのだから、許せるはずがない。拒絶されている一同が、知っておかなければならない重大事である。
「この問題は、綺麗に収めないとね」
 溜め息を吐くようにマリーンドルフ伯は同意を求める言葉を口にした。疲れているかの様子に、おや、と不思議になるケスラー。思い至らなかったのかいとばかりにマリーンドルフ伯は目をやる。
「オスカーが反逆するなら賛同すると、申し出たのが何人いるか、予想できないかな。ただの噂でなにがしらとがめを受ければ、どれだけが怒り狂うか」
 やれやれとばかりに首を振るマリーンドルフ伯に、やっと想像ついたケスラーは同調した。マリーンドルフ伯だけでなく、父親の友人たちは一人息子のオスカー・フォン・ロイエンタールをとてもかわいがっているのだ。彼の恩義にむくいる為に、と燃え上がる人物がいるのも、ケスラーの記憶にある。誰もが資産なり人脈なりを持っている、たいそうな人だ。時代の激変を乗り越えて、失う物はなかった彼らは、地位から転げ落ちた貴族たちの代わりにのし上がっていたりして、とってもやばかったりする。
「ははは・・・・」
 ケスラーは笑うしかない。自分の胸の痛みに頭がいって、そっちに気が回らなかったうかつさを苦る。
「オスカーの汚名を必ず晴らします」
「それは私の仕事だよ」
「取らないでくださいよ。俺の名も書き加えてください」
「仕事ぶり次第で考えよう」
 そう言われて、ケスラーが頑張らないはずがない。が、頑張ろうにも、やる事はそうなかった。仕方ないので、マリーンドルフ伯にいったん報告しながらも、エルフリーデが流刑地からオーディンまで来れた経過を掘り進めたり彼女の性格分析までした。本人を対面せずに集めた情報だけで性格分析させた精神科医に、彼女がロイエンタールの命を狙い、失敗して家に居座った精神状況まで分析させた。
 どうにか連名で皇帝に無罪を訴える文書を提出してもらえたケスラーは、続行した捜査結果を待つさなか、マリーンドルフ伯の自宅に呼ばれたので、考えたのは続行分の件だと思った。だが、渡されたのは、例のバイエルラインの送りつけた文書。
「さっさと読んでしまいなさい」
 年長者の促しに、素直に従ったケスラーは、どうしてこの場で読まされたのかすぐに悟った。
「で、俺は、この怒りを外に出すな、と」
 腹が煮えくり返る激情に食い縛る歯の間から、唸るように吐き出す言葉。
「彼は双璧だ。帝国でもっとも高く評価される『双璧』だ」
「高く評価されながらも、内情はこんなものだ」
 文書を思いきり床に叩きつけたケスラーは、どうしても許せなかった。ミッターマイヤーだけでない、『双璧』との言葉が。なにが双璧なのだろう。疑われてもかばわない親友。疑いがかかっても信じない君主。疑いに評価を揺らがす帝国。
 ケスラーはたまらなかった。拘禁されても駆けつけなかった奴を受け入れる、冷たい幼なじみが。自分を選ばず、友情に応えない男を親友としたロイエンタールを、憎いとすら感じる。激しい嫉妬に狂いそうだった。
「どうして、オスカー」
 食い縛る歯の間から漏れるうめきは、手負いの獣の苦悶のようで。
「どうして」
 自分をはね除けるのか、どうしても納得いかなくなったケスラーは、体がバラバラになりそうな痛みを心に受けた。自分が最初だったのだ。大人にばかり囲まれていたロイエンタールの、最初の友達。
 ピンクのウサギのぬいぐるみを片耳掴んで引きずるロイエンタールのあどけない姿に、すごくかわいい女の子だと思って恋をしたケスラーは、かんしゃく玉のように怒り狂う顔にうっとりとしたものだ。まだ5才の誕生日を迎えていなかったロイエンタールは、それでもたぐいまれな美貌をしていたし、どこの女の子よりかわいかった。
 病的なまでに父親に依存していた彼を学校に引っ張れたのもケスラーなら、父親に次いでだが頼られたのも彼であった。幼なじみの中で最初に話を打ち明けられたし、誰かを選ばなければならない場面では必ず指名を受けた。
 他の友達よりも少しだけ、先に出会った時間の分だけ (まさ )っていた。勝っているとの気持ちが、幼い恋心を兄のような心境にしたのだろうが、恋から愛に移った方が大切に想うのが強くなった。
 それなのに。
 グレたロイエンタールに捨てられたのだ。すべてと一緒くたに。
 愛した分だけ、痛みは激しい。
 心の痛みにもがき苦しんだ一晩を、マリーンドルフ伯はただ静かに見ていた。何も言わない。何もしない。ただ座ったままに、苦しむ青年を見る。
「解ってますよ」
 疲れ果てているのが顔に出るケスラーは、朝日を受けながらに言った。20年前に浮かべたよりはるかに哀しみを深める諦めきった表情をして。
「近寄らずに見守ると、自分で決めたんです。それを守りますよ。いまさらミッターマイヤーとの事に口を出しません」
 マリーンドルフ伯の温和げな顔が少し笑んだ。明るくない、悲しげな笑みは、自分もそうだと伝えてくる。
 怒り狂っても、20年前に遠巻きに見守る方を選んだ自分たちに糾弾に出る権利はない。ただ見守るだけだ。守る為だけに、行動するのみだ。
 ロイエンタールがグレるのをやめるまで。
 その日がくるのを願いながら、望みは薄いと感じていたが。








 マリーンドルフ伯とケスラー連名の無実の訴えに、ハイネセンはまたも揺れた。オーディンとフェザーンで捜査された結果の報告書に目を通したラインハルトは、すぐさまラングを逮捕させ、ロイエンタールを無罪放免した。フェルナーの密告にラングは蹴落としたなとわめき散らし、彼の行動理由をオーベルシュタインの側近は自分だけだとの思いからだと周囲に信じ込ませる。ケスラーはマリーンドルフ伯と共に、無闇に帝国を揺るがす事を断じる為に、ロイエンタールをはめようとしたラングを訴え、無罪を主張したのだとされた。
 バイエルラインはもちろん、上官の為にロイエンタールを救おうと、ラングの対抗馬であるフェルナーに捜査を依頼したのだとされ、誰も彼らがひとつの想いの元に動いたとは思わなかった。
 誰も、一人を除いては。
「卿はロイエンタール元帥と同じ私立学校の出のようだな」
 軍務尚書の執務室で二人きり向かい合うフェルナーは、上官の義眼をまともに見つめ返す。この態度からしてワイヤーロープの神経だと言われるのである。
「そうです。今まで御存じじゃなかったのですか」
 しれっとして答えるフェルナーだ。
「ロイエンタール元帥は我が校きっての有名人でしたから。どの女の子より綺麗でかわいかったですからね」
「そうか」
「はい」
 はっきりと返事をしながら、にっこりと満面に笑う。思った通りに上官はそれ以上尋ねはしなかった。スムーズに次の話を持ち出したフェルナーは、ラングが逮捕される直前にやすやすとかっさらった女性の健康状態を報告する。
「エルフリーデ・フォン・コールラウシュの身柄は私の管轄に置くままでよろしいですね。皇帝陛下のご意志は、生まれてすぐ養子に出すようにとのことですから」
「ロイエンタール元帥はわが子の存在を喜んではいないらしいからな」
「ですか」
 万人受けする上質の顔は好感度の高い柔らかな表情をし、鮮やかなエメラルド色の瞳も感情の動きはなかった。だがしばし、オーベルシュタインは部下と見つめあう。何が嬉しいのか、唐突に笑ったフェルナーに、思わず彼は目をそらしてしまった。
『なぜ?』
 オーベルシュタイン自身、にこぱと笑うフェルナーから目をそらし、顔を背けるとっさの衝動が謎である。頭が動く前に体が動いているのだから、やめようとしてもできないのだ。
 気を悪くするどころか、妙に勝利の気分を感じるフェルナーは、にっこりと笑ったまま退出する。だが自分の執務室に戻ったとたんに笑顔はかき消え、物騒な雰囲気を上質の顔に広げた。
「殺せるものなら、殺したいんだけどね」
 殺人の罪となる、という理由より、ただ腹にいるロイエンタールの血を引く子供ゆえに、娘に危害をくわえられないでいるフェルナーは、何もできないのがもっともむかつく。
 ロイエンタールをはめようと、偽りばかりを口にし、頑固に事実を認めないエルフリーデの、歪んだ恋心をハタで見つめるしかない立場が悔しい。大伯父を逮捕し、一族を破滅させた男が片思いの相手だったのは、本人には悲劇だろうし想いが歪んでもおかしくはなかろう。彼女に肩入れするならば、だが。
 しかし、どうして相手がロイエンタールでなければならなかったのか。悪い男ぶりたい彼の前に、まるで応えるかに現われて、互いに悪意をぶつけあった。
「まったく、ね」
 運命のいたずらも困ったもんだ、と重苦しい響き。
 彼女に悪意を持ったまま、フェルナーは大事に扱った。のちの結果がウソのように、エルフリーデ自身も好意があるのだろうと感じていたくらいに、大切に身重の身をいたわった。
 フェルナーの優しさに少なからず後ろ髪を引かれながら、産まれた双子の片方を連れて消えたエルフリーデは、発見されて勘違いを痛感するのである。人当たりいい笑顔のなかのエメラルドの瞳の恐怖を受けて。
「これ以上オスカーを傷つけさせはしないよ」
 落ち着いた柔らかい口調は、死神の言葉。
「地獄に落ちなさい、フロイライン。死後もオスカーに会わぬように」








 オーディンはケスラー、フェザーンをフェルナーが捜査した結果、第三者による帝国への陰謀が明らかになった。ロイエンタールの反逆の噂を最初にフェザーンにばらまいたオーデッツが、フェザーンの黒狐と二つ名を持つルビンスキーとつながっていたのが露見したのである。
 疑惑の晴れたロイエンタールは、誰が助けてくれたか解っても彼らを拒絶し続け、彼らも変わらず見守る立場を貫く。
 変化のないまま今年も過ぎるのかと思われていた。子供が双子で産まれたと知らされても、かたくなに拒絶したロイエンタールは、7月の半ばに人生の転機に出くわし、すべてを変えるのである。
 彼を見守っていた一同が願い、だが望むのもやめていたことが、叶ったからであった。
 すべては逆転し、時が巻き戻される。拒絶されたものが求められ、受け入れられていたものが見捨てられる。
 その変化は、まさしく魔法のようだった。

END



※チェシャ様よりのメッセージ
幼馴染み三人組の初恋は皆オスカー。
君たち、間違ってますから。相手男なのに。
うち二人は愛に昇華して、兄の気分で。片方は年下なんですが兄です、気分は。
で、一番危ない友愛はフランツ様・・・・あなたが一番危ないですからーーー


実は、こっそりフェルオベ(全然こっそりじゃないですよ)

 

てなわけで、チェシャ様のすんばらしぃ〜文章に感動した方は、チェシャ様の家「夜の迷いの森」に感動を伝えに行こう!                                     Byりほ

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