五月雨

 

ボーンボーンボーン

薄暗い家の中に古い壁掛け時計の音が鈍く響いた。

(3時・・・)

それまで聞くとも無く縁側で雨音を聞いていたヤンが顔を上げる。

(そういえば、今日は螺子を巻いたっけ?)

茶の間にある年代物の螺子巻時計は毎日螺子を巻かないとすぐに止まるのだ。

と同時に玄関の方で物音が聞こえたような気がした。

(・・・?)

廊下を軋ませながら玄関まで行くと、すり硝子に人影を認めて土間に下りてガラガラと戸を開ける。

そこには彼のよく知るヘテロクロミアの夫婦以上恋人未満の幼馴染が雨の中ずっと歩いてきたのだろう、全身を隈なく濡れそぼたせ立っていた。

「ロイエンタール?よく此処にいるのが解ったね?」

何か拭く物を・・・と三和土に足をかけようとしたところで、腕を引かれ後ろから強く抱きすくめられる。

「ロイエンター」

「ヤン」

疑問の声を投げかけようとしたところで変声期初期の微妙に高くなった声がそれを封じた。

ロイエンタールの額が首筋に押し付けられる。

肩を滴るのは涙ではなく雨水なのだと知ってはいたが、ヤンには咎めることが出来なかった。

濡れた服が体にへばり付くのを気にも留めず、ヤンはロイエンタールのしたいようにさせていた。

先程のロイエンタールの瞳に、いまだかつてありえなかったほどの苦渋を垣間見てしまったが故に。

「ロイエンタール?」

いつもと変わらぬ、冷めた瞳と冷めた声で・・・しかし、これ以上なく相手の事を想って。

自分をきつく抱いたまま離さない濡れた腕を抱きしめ、今度は身を捻ってロイエンタールの頭を抱き、滴の滴り落ちる髪を梳く。

「ロイエンタール?」

言葉の代わりに首筋を強く吸われた。

「っ!」

「ヤン・・・」

先程とは違う、熱く掠れたロイエンタールの声をヤンはどこか遠いもののように聞いていた。

雨音がそれを霞ませたかのごとく。

 

「ロイエンタール、雨戸閉めなきゃ雨が入って来る」

その声を無視してロイエンタールの細く長い指が肌蹴た胸元を手繰る。

熱を持ち、敏感になった肌に畳の感触が伝わる。雨足は更に強くなったようだ。

元よりヤンは雨戸を閉める気などなかった。ロイエンタールが来る前から雨は降っていた。

「ねえ、風邪ひくよ?お前かなり冷えてるし・・・」

「引かない」

ようやっと文節で返事が返ってきたが、その唇はヤンの白い肌を滑る。

喘ぐような湿った息を吐いてヤンは首を捻って開け放たれたままの障子戸の方を向く。

『此処』にこのような天気の日に出歩く人間などいないので別に心配をしていたわけではなかったが。

軒から先の世界は雨で閉ざされている。煙るように跳ねかえる水に縁側が濡れている。

(あとで拭いとかなきゃ・・・)

ロイエンタールの唇が、ヤンの白い肌に鬱血を残していく。

「軒ってさあ、雨を防ぐためでもなくて日を避けるためでもなくって、家に風を入れるためにあるんだって」

まるで明後日を向いたようなヤンの台詞にもロイエンタールは動きを止めない。ヤンの全神経が自分の方を向いていることなど、ロイエンタールには解りきっていたことだった。

「・・・っ」

湿った舌のザラリとした感触にヤンの背が反り返る。

そろそろ意識が白く霞んできた。

潤んだ瞳が現実を手放そうとした瞬間、ロイエンタールが瞼を舐めてヤンを起す。

情愛の篭った、冷めた瞳がまっすぐにヤンを見下ろす。

目を細く開けてそれでも確かにロイエンタールを見つめ返す。

冷めた親友の目じりを指で擦ると、先程までの何かに耐えるような声を忘れたかのように冷たい声を落とした。

「ロイエンタールの家を継ぐ事になった」

その声にまだ掠れた意識のまま、冷たい瞳でヤンが笑った。

「・・・ああ」

(だからか・・)

納得したというのもおかしいかも知れないが、その言葉が確かにヤンから最後の遠慮を取り去った。

さも当然という風にロイエンタールの首に腕を絡ませ唇を押し当ててから、ロイエンタールに張り付いたシャツのボタンを外していく。

その仕草を暫し注視していたが、ヤンの頭を畳に押し付けロイエンタールはおもむろにその唇を重ねた。

 

 

ヤンはぼんやりと日の暮れた暗い室内で眼を開けた。

既にロイエンタールがいた気配すら感じさせないのはこの家の空気のせいだった。

このどこか懐かしさを感じさせる、死んだような生活観のない家は、彼の気に入りだった。

フェザーンに来るたびに、この家で死んだように過ごすのが好きだった。

「そろそろ閉めないとな」

まだ空気が湿っている。もう一降りしそうだ。

ロイエンタールの家を継ぐという事はもう此処には来れないという事だ。

「ロイエンタール。私はこれで終らせる気なんか無いからな」

閉められた障子戸の向こうで水滴が地面を打つ。

一瞬、ストロボをたいたように部屋中が照らされる。

雷光が部屋をさしたのだ。

大音声と供に空気の振動が立て付けの悪い戸を激しく鳴らす。

「絶対に、終らせない」

ヤンの密かな野望は未来へと向かうのである。

 

宇宙暦781年。物語は既に始まっている。

 

 

目指せ!官能小説!!・・・・だったシロモノです。

少し大正浪漫・・・・を目指した。(目指すだけタダだ)

・・・石川県地方、今夜は雷雨。

 

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