オーベルシュタインの午後三時
人にはそれぞれ、興味の対象というものがあろう。
それは、人の数だけあり、また、対象も多岐にわたる。
自分にとってなんの利益があるわけでもなく、またその対象にとっても、有益であるとは思いがたい・・・、はっきり云ってしまえば、時間の無駄。という類のものも「興味」という言葉に入れて差し支えあるまい。
私、パウル・フォン・オーベルシュタインにとって、オスカー・フォン・ロイエンタールという一人の同僚がそれに当てはまる。
平均より上、や、平均より遙か上の資産家に生まれ、平均より遙か上の美貌をもち、平均より遙か上の身体能力を誇り、平均より遙か上の頭脳を有する彼は、・・・・・
(改めて考えると、非常識なプロフィールだな)
常識で考えると、「恵まれすぎた男」なのだろう。
ここまで常識からはずれた境遇は、人によっては不幸だというものもいるかもしれない。
仕事には忠実で、奇妙に見えるほど出世をする姿も、うがった見方をするものは、何らかの逃避と分析するかもしれない。
だが、私からみた彼は、好も不幸もなく、ただただ、自然体であるように見えた。
ソファに深く腰掛け、足を組み、軽く頬杖をついて、窓の外を見ている。
その秀麗な横顔をみるのは、不愉快ではない。
寧ろ、全体的に高次にある彼だからこそ、まるで人とは違うものをみるかのように、ながめてしまうのかもしれない。
何らかの静感をそのうちに見出すように、例えば、秋風にしばし感じ入るように、僅かのあいだ、現実を忘れる。
透明な空気につつまれていると感じた。
彼は猫のような遠くを見る眼差しで、そこがどこであるかを気にしていなかった。優雅にくつろぎ、思索にふけっているように見えた。
・・・・・・私の執務室で。
なぜだ?
「俺は、お前が気に食わないからな。ただのイヤガラセだ。気にするな」
「気にしなかったら、嫌がらせにはならないのではないか?」
「・・・・。それもそうだな。まあ、気にするな」
彼は非常に静かなので、気にせずにいれば、まったく仕事の邪魔になるものではない。
普段より集中して仕事に取り組めたか、と。ひと段落して顔をあげると、
彼は、僅かに翳った午後三時の中、昼過ぎと同じ姿でそこにいた。まったく自然体で。
「卿は・・・ヒマなのか?」
「どうかな。仕事がないわけじゃないが、今執務室に戻ると部下が迷惑だろうな」
そういうものか。これはロイエンタールの処理能力もあろうが、艦隊司令官という性質もあるのだろう。自分の部署では発生しない問題だ。
とうとつに、ある思いが去来した。聞かずにはいられなかった。
「退屈では、ないのか?」
「退屈? 別に」
今、この瞬間だけでなく、退屈には思わないのだろうか? 自分が人とは違いすぎると思わないのだろうか? 何を思い、何を目指し、何を夢見て、生きているのだろうか?
「では、今は、何を考えていたんだ?」
雑談は嫌がらせの範疇に含まれるのだろうか? と、思いつつも、明確な意思をもって話しかけてみる。
「『満月に龍は哭く 月光は白く 彼を死に近づける』」
「あまり、巧い詩だとは思わんが?」
「俺も、そう思う。ただ、中身は気になる。最初に聞いたときから思っていたが、これは孤独を嘆く歌かもしれない」
「その「龍」に、心当たりが?」
「そうだな。あいつの雰囲気には合っていた、と思う。ユニークな考え方をするやつで、現実から遊離した雰囲気を持っていた。それがまた自然体でもあった」
おや、それは随分、「誰か」に似ているものもいたものだな。
「おれの幼なじみだ。当時は気づかなかったが、もし、あいつが15年前からずっと、孤独の中にあるとしたら、俺は後悔するだろう」
「・・・・・・、どうやら、気になるのは句の中身ではなく、卿にそれを云った本人のようだな」
「・・・、それも、そうだな。大切な、ああ、大切なんだろうな」
「そんな短い句を、15年も覚えていたのだろう? 大事にするといい・・・」
「大事に・・・といわれても、幼なじみは男なんだが・・・」
「それに、何か問題でも?」
「・・・・・・・・・・・・・・」
暫し、無防備な仕草で考えていた。
「べつに、ないな・・・」
今はじめて気づいた。という顔だ。
「もし、その「龍」が卿だとしたら、それは卿の孤独を憂う、愛の歌ではないのか?」
カタン
ずっと座っていた男が、優美な仕草で立ちあがる。
「どうした、ロイエンタール?」
「行く」
笑みすら浮かべてロイエンタールは断言した。
私は、自分でも珍しいことに、部屋の外まで彼を見送った。
猫の瞳を持ち、鳥の翼を心に生やし、魚のように歩く男の背を見送る。
いいや、彼もまた龍なのだ。
機械の瞳を、生身のまぶたで休ませ、彼の姿を記憶に焼付け、私は我知らず微笑んでいた。