フェザーン宇宙港の人魚
 
 
コポ・・・コポコポコポ・・・・クスクス
クスクスクスクス
 
「フェザーン宙港か・・・あまりかわらないな」
ロイエンタールは降り立った場所をくるりと見わたした。
「出てったときのまんまだ・・・」
普段人でごったがえしている入国ゲートは、経済封鎖もろもろの関係で人影もまばら、それも深海魚のようにしずかな帝国軍人たち。
有史以来、フェザーン宇宙港からこれほど活気が落ちたことはないだろう。
まるで、シャッターが閉まった深夜の街のようだった。
そばにたつミッターマイヤーとエマイユが、恐る恐るロイエンタールを見る。
「ロイエンタール・・・?」
「おとうさま・・・?」
懐かしい・・・といっているにしては、淡々とした声だった。
「お父様、そのときは私も一緒だった?」
「ああ、確か、お前は俺が持ってたんじゃないかな」
「エマは手荷物じゃありません!!」
むーーん!
「むこうが軌道エレベーターだ。行こう」
むくれた一人娘をこれっぽっちも気にせず、初めての場所に多少きょろきょろする連れ二人を残し、大股に足をすすめたが、唐突にそのロイエンタールの足が止まる。
「どうやら・・・、ロイエンタール閣下に案内は必要ないようですが・・・」
入国ゲートを出たところに、初老の、管理職らしいスーツの男が穏やかに立っていた。
「ご案内にまいりました。宙港管理局の職員でございます」
コンシェルジュのような丁寧な所作だが、間違いなく、平社員だったのは大分昔だ。
「お互い仕事だろう。気にしなくていい」
何を思ったか、一瞬目をすがめたロイエンタールだが、切り離すようにそっけなく答える。
「ありがとうございます。どうぞこちらへ・・・」
趣味の良いスーツを着た男は、優雅な仕草で前に立って歩きだした。
コツーーン カツーーン
音がひびく。あんまり空虚なその音に、なにやらうそ寒くなってくる、
閉館後の美術館や博物館に、間違えて残ってしまった・・・そんな気まずさだ。
「なんだか、幽霊でもでそうだな」
首をすくめたミッターマイヤーに、
「ああ、フェザーン宙港には怪談話はたくさんありますよ。船乗りは昔から迷信深いものです」
それまで煩くない程度に説明していた案内人が、さらっと肯定したので、ミッターマイヤーは棒を飲んだような顔になった。
エマイユが楽しそうにクスクスと笑う。怖い話は好きな方だ。
呆れてみていたロイエンタールだが、唐突にハッと前を向く。
「とうさま?」
「いや、今、前から声が・・・聞こえた気がした」
「ええ、そう。前方に見えます円形の柱が、フェザーン宙港怪談名物、展示物『海』です」
「・・・ッ!」
思わずエマイユが父の服の裾を掴む。
「これは・・・」
エマイユが遠目に思ったことはわかった。
死体が、浮いているのかと、思った。
コポ コポコポコポコポ
「アクアリウム・・・か?」
「いえ、彫像・・・になるのでしょう」
「き、きれーーい?」
恐る恐る、確かめるように、エマが父の後ろから顔をだす。
落ち着いて見てみると、それは、夢のように美しい彫像だった。
「わぁ、綺麗! 人魚なんですねえ」
 
微笑むように、まどろむように、まぶたを伏せ、
口元は、吐息でもこぼれるのか、うすく開いている。
水かきのついた白い両の手は、優しく旅人を抱くようにのばされ、
けれどヒトではないように、耳はヒラヒラした透ける皮膜、
足のかわりに宝石を貼り付けたような輝く尾びれ。
桃色から、パープル、水色に変化するように、不思議な色彩を放つ鱗。
ヒレのように、ゆらゆらとたゆたう、ドレスと髪。
コポコポとあふれ出る水泡が、真珠のように長い髪に取り巻いていた。
その像は、長い旅路を癒すように、また人々を送り出すように、
ただ穏やかに、優しく、美しく、夢のように水の中に浮いていた。
 
「はあああ、人魚姫だなあ」
深く感銘を受けた声で、ミッターマイヤーが何度も頷く。
美しい。ただそれだけで人の心を癒せるのだ。
長く星の海をとんできたものにさえ、生命のふるさとである太古の海を思い出させるような。
「製作者の方は、ホログラムで、まったく同じものを再現できる、といっていました。けれど、本物の水を使ったときだけ、人を癒す効果が出来るのだとも、云っていました」
 
コポコポ コポ
 
水泡の湧き出すおとから、まどろみと、やすらぎが広がる、
青く、美しい人が住む、青く、美しい世界。
 
陶然と見惚れる人々の中、ロイエンタールは視線を落としてプレートを見た。
僅か3行の、見落としてしまいそうな。
「やっぱり」
『・・・年次卒業制作  『LA MER』 ・・・Χ』
「・・・カイ」
その言葉を宙港職員が拾った。
「ええ、そうです。けれど、よくお読みですね。このフェザーンでは製作者ミスター・X(エックス)で通っているんですよ」

コポコポコポ クスクス コポコポコポ・・・・
 
「!!!!?」
「どうした、エマイユ?」
「い、今、人魚が笑った!」
「おや、聞こえましたか?」
「な、は、え、うわぁ!?」
あっさり同意されて、驚くエマイユに、職員の男は楽しそうに苦笑する。
「ええ、実はそうなんです。人魚が喋った、人魚が笑った、動いた、目が開いた、髪が伸びた・・・などなどなど、彼女にまつわる噂は、絶えることがなくて」
TVで特番が組まれたこともあったんですよ。
「この水音と、光の屈曲による錯覚というのが一番の定説なんですが・・・それでも不思議です。ここは、普段とても人通りが多い場所なんです。けれどいつも、この人魚が動いたという人は、一人なんですよ。隣に立っていた人でも、そんなのは、見ていない、と。入国ゲートと出国ゲートの合流地点で、多くの人がこの人魚になじみを持っていますし、長いこと立ちどまっていかれる方も多く、観光名所のひとつなんですが」
「昔っから、混雑が酷くて、使いにくいと不満が多い場所だな。ボトルネックだと。まだ改善してないんだな」
「耳が痛いです。設計時の問題なのでしょうか? まるで人がすべてここにたどりつくようになっています。最後に改装計画が持ち上がったのは約10年前ですが、結局その計画も実用化されずに、かわりに、この展示物が置かれました」
職員は不思議そうにロイエンタールを見た。
「それいらい、混雑はかわりませんが、一切の不満がでていません。私も疑問に思っていました。それは、解決したことになるのか。と」
「だれか、改装したくない人間がいるんだろう? ここを混雑させて、すべてのフェザーンの出入国者が、ここと通らないと困るヤツが・・・。軌道エレベーターがここ一つである必要なんて、どこにもない。なぁ。そうだな、カイの「盆栽」?」
コポ・・・クス、クスクスクスクス、クスクスクスクス
ミッターマイヤー、エマ、案内人の男が一番身をこわばらせていた。
これは、錯覚でも、誤解のしようもなく、
人魚は、水の中で、楽しげに、声をあげて笑っていた。
「久しぶりだな、盆栽」
キーーーイイーーーンン
静けさに、耳が鳴った。
「普段、コイツが発するのは、人間の可聴領域を超えた音域。視力でいうところの紫外線や赤外線だ。コイツに声帯はないし、肺もない。だから、喋らないが、音は鳴る。スピーカーからな」
そう、音が、鳴った。
『 O KA   E  RINA SA   I 』
人魚の声。
『おか、えり、さ、・・・なさ、い』
「俺が知ってるのは、完成前。製作途中のコイツだ。少なくともカイはそう設計してた。あと、俺の記憶が確かなら・・・コイツ」
ヘテロクロミアが、人魚の伏せたまぶたをみた。
「動くぞ」
人魚の、美しい瞳が微笑みを浮かべ答える。
『お、かえり、なさい』
パシャン
人魚が狭い水の中で、くるりと上から下へと楽しそうに回ってみせた。
 
「う、うご、うごい・・・た」
この展示が置かれる前から、宙港につとめていた男は、ありえない光景にただ指をさして驚くだけである。
「どうしても、プールをなめらかに泳ぐ人魚が作れないとぼやいてたが・・・、なるほど。活動領域を狭めて、限定的行動の精度を上げたんだな。いい案だ」
ロイエンタールは、円柱の水槽をコンコンと叩く。
人魚は、水槽の壁に手をそえて、ロイエンタールに親しげに笑いかけた。
『おかえり、なさい』
「ああ、帰ってきたぞ。俺が、な。お前はなんでここにいる?」
『あなたのかえりを、まって、いたの、よ』
優しく、やわらかい声が、水を通して、さらに優しく聞こえる。
これが合成音声だと?
『それとね』
くるぅり、と人間でない仕草で、けれど泣きそうなほど優美な、
人魚がエマイユに向き直って、両手を広げた。
とても、嬉しそうな顔で。
世界中の喜びを身に受けたような
そして、微かだが、声の質が変わった。よく似た、けれど、少し違う、なめらかな。
『あなたにおかえりなさいを云うためよ。おかえりなさい、プリンセス・フェザーン』
「はっ!?」
『ようこそ帰ってきたわ。あなたのフェザーンへ。かわいいエマイユ』
「わたしっ!?」
突然名指しで呼ばれたエマがびっくりする。
「・・・・・・」
「父様?」
『くすくす、そんな、かお、しなくても、いいじゃない』
「・・・今のは、お前の声じゃないだろう? 盆栽」
ロイエンタールは、かすかに、落ち込んだ声だった。
『さいせい、した、だけだもの。せってい、されていたもの』
ちッ
苦々しい顔で舌打ちすると、仕返しのようにボソっと云った。
「老けたな、お前」
『ひぃぃいどーーーおおいいーーー』
声が多重に重なるように発生する。ロイエンタールにひどいひどいと豆鉄砲のように声がとんできた。狭い水槽の中をぐるぐる泳いで不満を訴える。
「さっきの怪談のうち、髪が伸びた・・・は、そうなんだろう? 俺が最後にみたコイツは、もっと見た目が子供だった」
職員にむけて問いかける。
「え、ああ、そうです。それだけはタネが・・・いえ、これが機械人形でしたら全部なんですが・・・タネがあったんです」
「だってねえ、その空前絶後のゆらゆらヒラヒラ感を出すために、服地もヒレの素材も、髪の素材も、全部お手製なのよ!? 俺のカワイコちゃんの髪が固まったり、尾びれが溶けたり、うろこがはがれたり、水槽にコケ生えたり、ドレスが切れたりしたら、俺泣いちゃうから!!」
「素材こだわりすぎなんだよ、お前は・・・カイラ」
突然現れて口を挟んだ男に、ロイエンタールは素で返す。疑問に思わないらしい。
「ダメよ! 人魚の美しさは、声と、その優雅さが命なんだから! ひらひら、ゆらゆら、綺麗でなくちゃだめなの!!」
「叫んでたもんな、お前」
「だから、定期的に取り替えてんのよ」
 
『人魚って、どこから声だしてたんだと思う?』
人魚姫のビデオみながら、真剣な声で少年が言う。
『しらねーよ。確か人魚姫って陸に上がったら声がでなくなったんじゃないか?』
『あれは魔女のバーサンにとられたんだろ? けど、やっぱり人魚の声は人の声じゃないんだろうなあ』
『そこ真剣に考えてどーすんだ、お前』
『お・れ・は! 真剣に! リアリティーを追求して! 人魚の美しさを再現したいの! 力学的に!』
再現もなにも、そもそも架空だし。
『力学的に真剣に考えて、人魚に目と鼻と口はいらねーだろ』
いや、口はいるか。けど、まぶたはなんのためにある?
『理想はのっぺらぼーなんじゃねえの?』
と少年の日のロイエンタールがのたまう。
『そ、そ、そ、そんな人魚イヤーーーーー!』
正直、ロイエンタールは人魚と舟幽霊の違いもわからなかったが、それでも確かにイヤだと思った。
ロイエンタールは、泣き崩れる少年を無視し、自分の卒制に戻っていった。
 
「はじめまして、カイラ・ジェンキンスです。ミッターマイヤー閣下。 あと、またあえて嬉しいよ。エマイユ」
口調をガラリとかえて、紳士的に挨拶をかける。
「カイラ・ジェンキンスって、たしか、ジェンキンス造船の・・・」
「はい、代表取締役です。ごぞんじとは嬉しい限りです」
「あ、あの、私のことをご存知で?」
「うん、俺、君のパパとママの小学校の時の同級生なんだv」
「ママ・・・お母様ですか!?」
「ねえ、お前、それって一番真っ先に説明しない?」
「別に。話さなくても、話は通じる」
「え? 何? なんのハナシですか?」
「この、オネエサン。俺の大事なカワイコちゃんで。このバカのいうところの俺の盆栽。フェザーン宙港の人魚の、モデルが、だよ」
にまりんv
「お前の、母親だってハナシだ」
ロイエンタールが、心底イヤそうに吐き出した。とたんエマは叫んだ。
「ウソーーーーーーーー! 母様ってこんな綺麗なの!?美人なの!? 夢みたいに天女様なの!? 欲しい! 今すぐ欲しい!」
「いや、そうでもな・・・」
「まさか、本物のほうが、よっぽど綺麗だよ。なんたってむこうには中身があるしね」
「あの、凶悪な中身がないぶん。こっちの人形のほうが可愛いだろうが」
「お前が凶悪だって言う、あの中身が、なによりも彼女の魅力だと思うけど? ま、人形には人形の可愛さがあるよね」
ハッ、とロイエンタールは
『ねえ、ところで、つうほうしていいの?』
「ん?」
「うん?」
『ついほうれいは、とかれてないと、おもうの。とうきょくに、つうほう、するわね?』
「え? とうきょくに、つうほう? ・・・・当局に、通報!!?」
「追放令ってなんだよ、ロイエンタール!」
「ああ、やってくれ、盆栽」
にっこり笑って頷く人魚に、ロイエンタールも頷いて、友人と娘を振り向く。
「この盆栽が、ここにおいてある理由で、このボトルネックが未だに健在な理由で、俺がフェザーン行きの旅券を買えない理由だ」
「まったく、だからって、軍艦に乗って帰ってくるかね、お前は」
「他に、方法なかっただろう?」
人魚が、息をすう動作をして、歌いだした。
本当に声を震わせて歌っているように見えるのは、カイの死力を尽くしたプログラミングのお陰だ。
流れてきた歌声は・・・
・・・アメイジング・グレース
「マジかよ・・・」
「それは、あーた、俺の趣味ですヨ」
ニコ
けれど、水の中から聞こえてくる歌声は、本当に夢のように神秘的で、
透き通って、美しく。
「ラ・ノビアでも歌わせとけよ」
「それ、お前の趣味でしょー」
カイラ・・・カイが苦笑する。
「いいデショ? これはお前の嫁さんじゃなくて、俺の盆栽なんだから?」
「って、なんでコレ成長してんだよ?」
「うん、設置当時の写真と比べたら明らかに違うんだけど、意外と誰も突っ込まないのよねえ。アハハ」
「アハハじゃなくて」
「だって、カワイソーじゃない。あの時の姿のまま、ずっと水槽のサカナなんて。思い出閉じ込めとくみたいで、好きじゃなかった。まぁ、これ以上老けないとは思うけどね☆」
「まぁ、カイの盆栽だしなあ・・・ってか、この歌、結構長いな」
「うん、おしまいの歌だって設定してあるから、ちょっと名残惜しんじゃった」
「おしまい?」
「うん、マジで当局に通報してるのよ。まあ、お前は逃げないでしょうけど」
「軌道エレベーターとまるかな?」
「止まるでしょうね。でも、止めとけないわよ。帝国元帥のってんだから」
「ま、そーだな」
なんだかお寒い会話をしている。開業以来一度も故障したことのないのが自慢な軌道エレベーターが止まる?
「洒落じゃないんですよ? ほんと、コイツの足をフェザーンにつけさせないためなら、乗客の次に大事な積み荷燃やしてもいいって言われてるんですから。本当に、コイツ元帥でもなければ、軌道エレベーター爆破してますよ?」
農業とは縁のないフェザーン。軌道エレベーター壊そうモンなら、即生死に関わる。
それを壊す? その意味が誰よりもわかる宙港職員がゆっくりと首を振る。
そこまでして足止めしたい相手なんて、・・・あの女性以外にいないだろう?
「てか、別に通報しなくても、俺が来るなんてわかりきってるだろ?」
「ああ、これねぇ。当局プラス、ウチのクラス全員にも送ってるから」
「!?」
「あと、校長先生にもね」
「じゃーな、カイ。元気で」
といってるうちに既にロイエンタールの背中が遠い。
「おーーーい。逃げ場所ないよーーー! どこいくのさーーー!」
ったく、クラスの人間なんて知らないやついないってのにィ・・・
あっけにとられたエマとミッターマイヤーに振り向いて、カイラは綺麗に笑う。
「けど、本当に、感謝してるんですよ。帝国の方には。よくあの男を戻してくださいました。それと、この人魚のオリジナルもね。どちらか、片方じゃ、ダメだったんですよ」
「えっと」
「よく、わからないんですけど・・・」
「心から歓迎しますよ。楽しい時間へようこそ」
 
ミッターマイヤーとエマイユの背中を見送ったカイと職員の男は、
人魚の前にたっていた。
歌い終えた人魚が、水の中で優雅にシャラシャラと泳いでいる。
「うん、お疲れ様。よく頑張ったね」
カイが優しく人魚をねぎらう。
「・・・・・・・知りませんでした」
「ん?」
「この人魚のモデルが、あの、方だとは・・・」
「ほんっと、フェザーンじゃ、あの時の彼女は、妖怪か悪魔みたいに云われてるもんね」
「バケモノです」
「けど、ホントは可愛いバケモノなんですよ」
コポコポコポコポ
くるくる泳いでいた人魚が、ふわりと元の位置に戻り、カイに微笑んだ。
『おや、すみ、なさい』
「うん、おやすみ。また起こしてあげるよ」
『ありがとう』
もう一回転、くるりと回ってから、まどろむように、小さく、丸くなって
「お前の役目もオシマイ。あいつらのこと、待っててくれてありがとね?」
あどけない寝顔。こんなのプログラミングしたっけ?
 
人魚は、青い水の中、優しい夢をみている。
 
コポコポ コポコポコポコポ


端切れシリーズその2
これも番外編ですが、実際にはカイくんがつくったのは、
エマのママがモデルの妖精の像です。
この人魚と同じ場所においてあります。

これをごらんになった方が、暑い夏に少しでも涼んでくださいますように。

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