クリスマス・ギフト
 
「・・・・・・」
緊張で喉がカラカラ。足はすくむ、歯は鳴る、胃はしこる。
暴走する心臓のせいで頭に血がのぼって仕方ない。
泣きそうなほど顔をこわばらせて、初夏のはずがむき出しの腕に鳥肌がたっていた。
恨めしそうに、彼女、ヤン・ウェンリーは、ロイエンタールを見た。
手に四角い箱をかかえている。
そんなただ事ではない彼女を前に、ロイエンタールは平然と発言を待っていた。
「あの。ロイエンタールげんすい・・・」
重苦しい沈黙のあと、ヤンがやっと口を開いた。
「アップルパイを、作ってきたんです。わたしの、一番の得意料理なんです。食べませんか?」
この発言に、思わずロイエンタールの顔を見てしまったのが、ミッターマイヤーとエマイユだ。
二人だけが、ロイエンタールにアップルパイを勧めてはいけないということを知っていた。
好き嫌いのないロイエンタールだが、なぜだか、アップルパイだけは、どんな時でも食べないのだ。
ミッターマイヤーが招待した晩餐で、唯一ロイエンタールがエヴァに謝罪して口にしなかった料理がアップルパイだった。
「とても美味しいんです。自信作なんです。一緒に、食べてください」
たとえ同盟の元帥がたまらなく愛らしく、小鳥のようにふるえていても、ロイエンタールは拒絶する。その声まで幻聴で届くほどだったが、ロイエンタールの返事は、ミッターマイヤーとエマイユの予想通りではなかった。
「・・・、いいんじゃないですか?」
腕を組んだままのあっけない許諾に、ヤンが軽く息を吐く。
だが、次の一言が、ヤンの最大の難関だった。
「っ・・・・わたしのために、紅茶を淹れてくれませんか!?」
一気に最後まで言い切ったせいで、叩きつけるような口調になった。
ロイエンタールは、静かに反応を吟味しているようだった。
かわりに、その場にいた数人のフェザーン人たちがピュイと高く口笛を鳴らす。
その言葉は、フェザーンでは他の地域と違う意味を持っていた。
云うだけ云ったぞ。という必死きわまりない顔で、ヤンはまだ固唾をのんで死刑を待つように、ロイエンタールの答えを待つ。
その答えも意外といえば意外。
「いいですよ。オーブンとティーセットのあるところに行きましょうか」
その非人間じみたヘテロクロミアが、かすかに優しかった気がした。
「いったい今日は、いつのクリスマスなんだか」
付け加えられた、ロイエンタールの意味不明の一言に、やっとヤンが小さく笑った。
 
 
ある年のクリスマス・イブ
場所はフェザーンのロイエンタール邸。
今日の物語の主役は、マリア・トルテという若い女性だった。
 
がたがたがたがた
ぶるぶるぶるぶる
若く美しいマリア・トルテだが、今日ばかりはぶっ壊れた機械のような顔で両手をわななかせて動揺で震えていた。
「どどどどどどどっどどど、ど、ど、どうし・・・」
大きく窓の切られた明るいキッチンの、朝食のテーブルも兼ねたぶあつい木の作業台、の、マリアの対面では、二人の子供が頬杖をつき、興味深々で動揺しまくるマリアを眺めている。
キリスト教のあまり流行っていない宇宙時代、クリスマスは、ごちそうを食べて、親しいもの同士がささやかな贈り物を交わす日。ということになっている。
テーブルの上には、張り切って出された材料たちが、暇そうに出番を待っていた。
「プロポーズ? ハンス・リーベルトが私にプロポーズ???」
動揺しまくりのマリア・トルテは、さっきから「どうしよう」と、「なんでプロポーズ?」をひたすら繰り返していた。かれこれ30分ほど。
眺め続けるのに飽きたのか、黒髪の少女が口を開く。
「マリア、プロポーズの返事って、「はい」か「いいえ」じゃないの?」
「それぐらいマリアだって知っています!」
少年も口を開いた。
「だったら、何をやってんだよ? ハンスが嫌いなわけじゃないだろう?」
「あたりまえです! 勿論好きですし、尊敬してます。この状況に何年も協力しあってきたんですわ。かけがえの無い、信頼の出来る仲間です」
「「何が問題??」」
「だって、あのひと、いままで一度だってそんなそぶりも見せたことないんですよ? なんで一足飛びにプロポーズなんですか!?」
「マリアと結婚したくなったからじゃないの〜」
「結婚しようと思って、決闘申し込むほど、間違った事態でもないと思う」
すっとぼけた子供二人の対応に、長時間の緊張に耐えたマリアはいよいよ、ぺしゃ〜とテーブルに潰れた。
どうやら、子供二人は、マリア・トルテほど、このプロポーズを奇妙だと捕らえてはいないらしい。
「もちろん、ハンスさんのことは大好きです。お互いに助け合ってきましたもの」
この仕事は強制ではなかった。帝国人の子供と同盟人の子供を、フェザーンで帝国人が育てるのだ。強靭な神経と、誠実さが求められる。長い時間のかかる仕事だ。強制ではやってられない。
天涯孤独だったハンスがどういう理由でやってきたかはしらないが、若さにあふれたマリア・トルテは、見知らぬ土地にもあこがれたし、なんだか、楽しそうだと思ったのだ。
実際楽な仕事ではなかったが、ハンスとロベルト、子供ふたりの生活は、充実してやりがいもあり、そして、思っていたよりはるかに楽しかった。
オーディンの家族には、同盟人だとは告げていないので、愛情あふれる母親からは、母を亡くしよその家に預けられている女の子を、どこに出しても恥ずかしくない女性に育ててあげなさい。と手紙が送られてくる。
未だに戦争が終わらないことも考えて、これから先どうなるか、暗い気持にもなる。
けれど、このフェザーンの家に住んでいる五人は、優しさと信頼で結ばれた、すばらしい家族だ。
「それが、急にプロポーズ!!!?」
人生の嵐に翻弄されるマリアに、子供二人が顔を見合わせる。また、振り出しに戻った。
「ハンスさんのことは、大好きで尊敬もしておりますけれど、そこに愛はあるのでしょうか?」
家族愛はある、間違いなくある。けれど、結婚に必要なのは、家族愛ではないだろう。
普段、誰よりも(時にロベルトよりも)頼りになるマリアの必死の同様に、子供二人も悩み始める。
少女のほうが、「いいことおもいついた」と、手をパンと叩いた。
「ハンスがマリアに紅茶をいれればいいと思う!」
「え?」
「はぁ?」
マリアと少年が顔をあげた。
「オスカーに淹れてもらうお茶は本当おいしいの。それは、私がオスカーを大好きで、オスカーが私を大好きだからじゃないかな?」
期待に目を輝かせて、少女が言う。
「残念ですけど、ウェンリーお嬢様。坊ちゃまの淹れるお茶は本当においしいんです」
子供の砂場遊びのように、ざばーっと茶葉をいれ、どばーっと湯を注ぎ、しばらく待ったら、この世のものとは思えないほど美味しい紅茶が出来あがるのだ。
ロイエンタール家の住民は、宇宙七不思議に入れたいと常々考えていた。
「でも、でもでも、マリアを愛してるハンスが、マリアのために、頑張って紅茶をいれるんだよ? きっと凄く美味しいはずだよ! 別に特別美味しくもなかったら、断ればいいじゃん、プロポーズ。そんなに美味しくなかったとしても、マリアがハンスを愛してるなら、きっと特別な味がするはずだよ!」
熱心に主張する少女に、少年もいいんじゃないか? とマリアに目を向ける。
「のた打ち回ってるだけ、時間のムダだろ?」
少年少女に両方から言われ、マリアは目をしばたかせる。その瞳に、だんだんと光が戻ってきた。
「ケーキを、ケーキを焼きます」
カタン、と、立ち上がる。
「祖母から教わった、美味しいレモンケーキのレシピがあるんです」
少年と少女は、クリスマスのご馳走のために並べられた材料を、すばやく元の場所に戻していく。
ふらふらとケーキの用意をはじめたマリアを残し、手を繋いで寒風吹きすさぶ外に飛び出していった。
「「がんばれ、マリア〜」」
今日は街で様々なイベントがあるし、屋台やゲームの出店もある。
マリアのご馳走が食べられないのは残念だが、クリスマスの楽しみはまだ色々あるのだ。
 
二人はマリアの心配はしたが、ハンスの心配はしていなかった。
「なんでマリアは、ハンスのプロポーズ受けないんだろうね?」
シシカバブを頬張りながら、少女が言う。
「あんなに受けたがってたのになぁ」
ダシのしみたおでんの大根に箸を伸ばした少年も不思議そうだった。
「なんで、気づかないんだろうね〜?」
「けど、いい提案だったんじゃないか? マリアならハンスが何作っても美味いと思うだろうさ」
「ハンスも同じ〜」
フェザーンには珍しく雪がちらついているが、ちっとも寒くない。
「たこ焼き食べたら、射的いくか?」
にっこりと同意した少女だったが、少年の隣にならんで、悪戯っぽく笑う。
「わたし、大人になったらアップルパイ焼くね。食べてくれる?」
「茶葉はロベルトのアップルパイ専用ブレンドでいいか?」
キャラキャラ笑う子供二人だったが、ふと少女が心配そうに聞く。
「わたしにも半分わけてよ? アップルパイ」
「えーーーー」
心底嫌そうな少年に、少女は心から笑った。
 
 
そしてクリスマスの朝。
夜通し遊んできた少年少女は、部屋にへばりついてハンスとマリアの様子を覗いていた。
ケーキの皿を手にせまるマリア。戸惑いながらも真剣にお茶をいれるハンス。一口ふくんで、涙をこぼしたマリア、照れながらケーキを食べるハンス。
幸せな光景に、少年と少女は、大成功の悪戯のように親指を立てた。
 
クリスマスの理由は忘れられても、クリスマスでもっとも大切なのは、理由ではなく愛でを贈ることであり、
愛のあるところに、クリスマスの天使は今もやってくるのである。
 
 
 
「っていうのが人伝に伝わって、今じゃ得意料理と飲み物ってのは、フェザーンの定番プロポーズになった。というオハナシなのよ」
ロイエンタールの淹れた紅茶を一口飲んで「生きててよかった!!」と悶絶したヤンが、エマイユに語った。
「色々、突っ込みどころが多すぎて困ってるんですけど、とりあえず父様! なんでこんな紅茶が美味しいんですか!? こんな美味しい紅茶飲んだことないんですけど!」
「やかましいわ、小娘。アップルパイわけてやらんぞ」
「そもそも父様、アップルパイ嫌いなんじゃ」
「そうそう、このハナシ。当のハンスがレモンケーキ完食したから、それ以降男はどんな嫌いな食べ物出されても、全部食わなきゃいけないのが伝統になったらしい」
「失礼ですが旦那様、レモンケーキは今でも私の大好物ですよ。あれほど美味い食べ物はしりません。ただ・・・マリアさんが食べさせてくれないだけで」
普段無口なハンスだが、これだけははっきりと主張する。
場所はいつかと同じ朝食テーブルだ。
「あたりまえです! パイが焼きあがりましたよ」
マリアが、美味しそうに焼きあがったアップルパイをオーブンから出してきた。
顔に火傷を負った弟を持つマリアは、料理は教えたが、未だにヤンを鉄板に近づけるのは極力避ける。
「なんで? マリア」
マリアがイジワルじゃないと知っているエマイユは驚いて問う。
「アレルギーだからですよ! 子供の時のトラウマで、柑橘類の中でも、特にレモンだけがダメなんです。最後の一口までにこにこ食べて、ハンスさんが倒れたとき、マリアは本当に一瞬心臓が止まりましたよ」
ヤンとロイエンタールが、とりわけたアップルパイの皿を手にうんうんと頷く。
「もう一度食べたいんですけどねぇ」
「あなたもこりないですね、ハンス」
ハンスが倒れたタイミングで颯爽と現れ、救急車を呼んだロベルトが、穏やかに笑う。
↑つまり、ロベも覗いてた。
「そうだ、エマイユ。一つ訂正するが、リンゴのパイはおれの好物だ」
足を組んだロイエンタールがサクッとパイにフォークを入れる。
一口食べて、ヤンを見直した。
「生きててよかった」

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