青の物語

 

10数年ぶりにフェザーンの風を受けたロイエンタールは、首筋にチリチリとする懐かしい感覚を覚える。

首をめぐらすと、ふとターミナルの外の露店に一人の物売りを見かける。

ひなたぼっこをして、そのまま寝てしまった風情の老婆の姿にロイエンタールは足を向けた。

「お、おい、ロイエンタール?」

隣に立っていたミッターマイヤーが戸惑った声をあげたが、ロイエンタールは老婆の前にしゃがみこむと、並べてある売り物の丸い色石を一つつまみあげた。

目の高さにあげて光にすかしてみる、その姿のまましばらくみつめていたが、

また、一つ、一つとひょいひょいつまんでいく。

帝国元帥のいきなりの行動と、起きる気配の無い老婆に、ミッターマイヤーだけでなくまわりの露店も戸惑った顔で伺うようだ。

当のロイエンタールは意にも介さず、これまた売り物の美しい綾紐を一本、シュッと引き抜いて、器用に石を編んでいく頃には、まわりのフェザーン人たちの顔は戸惑いから警戒にかわっていた。

売り物を勝手に。という顔ではない。

この男は、フェザーン人ではないのに、なぜ?

という顔だ。

「あ、あんた、帝国元帥じゃないのかい?」

みやげ物を商っている、髭の中年が訊く。

ロイエンタールは顔もあげずに答えた。

「ああ、そうだ。けど、昔、青金館に通っていた」

「はああ!??」

周囲の露天商たちがいっせいに声をあげた。どんな経歴だ、それは。

「じゃあ、あんた星海師なのかい?」

派手な色の服の年配の女は呆れた声をだした。

「見習いだった。けど、目指してた」

「そ、そりゃあ、フェザーンの子ならだれだって目指すだろうけど・・・」

腕に大きく、うずまきのような刺青を入れた若い男が困ったように云った。

試験を受けるだけならただなので、フェザーンの子なら、特に男の子なら金持ちの子も、スラムの子も、9割以上がうける。

そして、その9割以上が落ちるのだ。

毎年選ばれるのは200人ほど。その中で星海師になれるのはさらに一握りだ。

フェザーン仔、永遠の憧れである。

「できた」

ロイエンタールがそういったそれを、隣の露店の老爺が、ほぅと溜息をついて見つめた。

「おや、なんと。お姫さまが使うようだねえ」

満足したように一つ頷くと、後ろのミッターマイヤーにホイと見せた。

「はぁーー。綺麗なモンだなーー」

黒と青を基調に、大小の丸い色石を、金糸を混ぜた黒い紐で編みこんである。紐の両端には、同色の房がついていた。

「こうやって使うんですよ」

風変わりなサングラスをかけた男が、にこにことミッターマイヤーに左手を差し出して見せた。どうやらリボン結びでとめる腕輪のような装身具らしい。日常生活には少し邪魔かと思う長い紐とタッセルが優雅に見えた。

確かに老爺の云ったとおり、ロイエンタールが作ったものの方が豪華なようだった。男のものは、同じ大きさの色石の連なりだったし、ただ通してあるだけで、ロイエンタールのようにところどころ飾り編みが入っているわけでもない。なによりロイエンタールが今作ったものは、内側からきらきらと光っているような不思議なふぜいだった。

ただ、男は嬉しそうにしているし、淡い色合いを選って作られたらしいそれは、目つきの悪い男の印象を和らげていたし、どことなく優しい光で男を守っているように見えた。

それがなんとなく好ましく感じたミッターマイヤーは、男に晴れ晴れと笑い返した。

「橋婆、いくらだ?」

露店の者たちはいっせいに納得した。なんだ、知り合いだったのか。心配してそんした。

そして、眠っていると思われた老婆は、ロイエンタールがその手に腕飾りを落とすと、にっこりと答えたのだ。

「おやおや。これは良いお品だねえ、良い。良い」

一つ一つの石を確かめていくように、丁寧に老婆の手が触れる。

「見合う代は払う」

しゃがんだままのロイエンタールは、褒められたのが不満なように、愛想の無い声だ。

「はて? お前さまはどなたかのう? ずいぶんと立派な代物じゃが。よいお選びによい細工じゃ。しばらくこのような手は見なかったが・・・」

首をかしげた老婆に、ロイエンタールは彼には珍しく丁寧に説明した。

「暫くぶりだから、わからないかもしれないが、昔、星海師のところに通っていた。右と左で目の色が違う、あんたは薄暮の子とか薄闇の子とか呼んでいたが」

ロイエンタールは、老婆の目がほとんど利かないことを承知のようだ。

が、云った途端老婆の声がでかくなった。

「なんじゃお前、夜の前の子かえ!? 声もかわったし気づかなんだわ。すまんことしたのう。あの雪のような子の相手の子じゃろう? たしか、春雷の子とも仲がよかった。長いことおわなんだが、どこにおった」

「ちょっと帝国にな」

「なるほど、遊学かえ。なんぞ新しい星海の道は見えたかや」

「なんっでそうなるんだ。その星海師を諦めて帝国にいったんだよ」

「導師様はお前を後継者に望んでおったに」

「それは、ありがたいが・・・。器じゃない」

星海師の束ね役になるのは、遊びでも冗談でもない。

「いや、それこそまだ諦めてはおらなんだようだよ」

「まて、何年離れてたと思ってるんだ。導師のじい様も冗談にしても悪い」

「さてさて、ふぁふぁ」

「まあ、いいから、さっさと代を云えって。払うから」

苦ったロイエンタールが先をうながす。無駄に時間をとられた。

老婆はまた確かめるように石に触れて笑う。

「ほ、ほ、良い石ばかりお選びじゃのう。石が喜んでおるぞえ・・・・・はて?」

「なんだよ」

まだ何かあるのかと、ロイエンタールは顔をしかめる。

「たしかお前さま、子どもがおったよな、あの星の飾られた娘ごが」

「ああ。あいつには気休めにもならないが、一応風習だし、一つくらいは作るものだろう?」

「そうじゃな、あの子に守は必要ない。フェザーンの聖も邪も、あのものには祝福しか与えぬからな。それはさておき」

老婆は陽の光にゆるうりと身体を揺らす。それを見てロイエンタールは更に眉を寄せた。

聖と邪、老から若、走馬灯のようにくるくるとその纏いを変える老婆。

まるで、このフェザーンのように。

「昼前、じゃったかのう。お前とこのあの愛らしい嫁様がきて行ったぞえ」

まったくの朴訥な老婆のような笑みと声に、ロイエンタールのこめかみがぴくりと反応した。

「よう似た守をこしらえていったのう。喜んできゃあきゃあと楽しそうにのう。よい石ばかり選びで、いや、青と黒の比が逆じゃったかのう。紐も青じゃったわ」

まるではっきりと見えているように老婆が思い出す。

よそ者のようにはしゃぎながら、けれどもあの雪のように淡く降り注ぐ娘はにっこり笑った。

『おひさしぶりです、おばあさま』

っハァーーーーーーー

ロイエンタールは一つ大きな溜息をつき

「作ってから云うなよ!!!」

「おぉお心外じゃ、婆が起きたらもう出来上がっておったではないかえ。しかしこれを崩すのはようないのう」

石たちは、まるでそこがはじめからあるべき場所のように収まっている。それはそうだ。そういう風に作った。

といってもこの守は相手を想定して作るので、今さら他の者にはやれない。相性が合わないので用を成さないのだ。ただの飾りにしかならない。

もちろん2つつけても良いのだが、

「こんなん2つもつけたら、重いだけだしな」

1つでもけっこう重い。それに大して効果もあがらない。

「ちっ、時間を無駄にしたな」

「これ、そうフェザーンらしくないことをいうのではないよ。他所は知らぬが、このフェザーンでは無駄などは存在せぬ」

すべてに意味があり、良くも悪くもすべてが戻ってくるのがこのフェザーンだ。

「ほ、ほ、それに、子にやれぬのであれば母にやるしかなかろう? あの嫁様に黒は合う」

「それこそ冗談だ。あいつに守なんぞいるか。何がとんできても打ち返すぞ。うちっ放しと勘違いしてやがる」

「けれど、他のものでは波長が合わぬよ」

さっきから意味はさっぱりわからないが、興味深く訊いていたミッターマイヤーは、ちょっと口を入れてみた。

「親子だったら、お前が使ったらダメなのか?」

「だから、俺も波長が合わないんだよ。そう作ってないからな。そもそも、自分に作るもんじゃない」

「そうじゃな、お前さまには、もう少し青を多くしないとな」

「うるさいっ」

「ホッホッホッ」

老婆は愉快げに笑う。相手を想って作るものなのだ。

「まあいい。引き取るから代を云え。あいつが作った分も入れていい」

ロイエンタールは「嫁」が「立場上」そうそう現金を持っていないのは知っていたし、

基本、良い石・・・強い石は高い。

けれど金持ちなら強い石が合い、貧乏人なら弱い石が合うわけではない。

合わない石を無理に買っても、効果があがらないのだ。

石が人を選ぶともいう。

老婆は払えない代は云わないし、金持ちだからと取りすぎることもしない。

慈善というわけでもなく、それが先にも云った無駄がない、のが婆の商いだった。

「お前さま、ずいぶん羽振りがよさそうだね?」

「出世したからな」

ロイエンタールは悪びれない。

「ではよ、お前さまの一月の稼ぎじゃな」

「それは軍でのか? 不動産も含めてか?」

「おや、ほほ。なら月給でけっこうじゃよ。計算が面倒なのじゃろ?」

「ありがとう、だな」

「おや、皮肉か?」

「いや、いつだってあんたの云った値が適価だ」

それを受け入れられないものは、フェザーンを受け入れられない。

「あんたにとっても、俺にとっても」

取りすぎても、取らなさすぎても、お互いに災いを招く。商いの大小に関わらず、値を付け損ねないのがこの街の一流の証だ。その点で老婆との取引は安心しておこなえる。

ロイエンタールはうすく笑ってカードを差し出し、皺だらけの細い腕で老婆がそれを受け取った。

このやり取りがフェザーンマルクなところが少し笑える。とロイエンタールは思った。こうもりの羽10枚。とか云われたほうがよほど似合う。

「ああ、婆。それと、暦もくれないか? 今日帰ってきたばかりなんだ。大潮あたりだろう?」

この暦は無料だ。フェザーンでしか使えないが、フェザーンではないと不便だ。空から飴が降ってきても笑えない。

そもそもロイエンタール(とその嫁も)が足を向けたのは、この暦を求めてだった。大潮の日がわからないなんて、自殺行為に近い。

「・・・・・・・・・・・・・・・・、ああ、そうか」

「うん?」

老婆の目が洞のようになり、ロイエンタールは不穏な気配につい身構える。

「いいや、お前さまよ。今日じゃ。今日が大潮じゃよ」

ロイエンタールの背を嫌な予感が走り抜ける。何か、不味いこと。大潮より、さらに。

老婆は昼前を思い出して、顔中で笑みを浮かべた。あの黒髪の娘は親しげな笑みをみせ云ったものだ。

『ねえ、おばあさま、今日は重ねの大潮ですか?』

「23年ぶりの、重ねの大潮じゃ」

さらに・・・不味いにもほどがあるわ!

「はああ!? 何考えてる! いくらフェザーンが占領されたとはいえ、夜会の日付くらい動かせるだろうが!!」

「そこよ。導師様もかわったことをなさると思っておったが、なるほど、お前さまがおったからじゃなあ」

老婆はカラカラと笑う。

「って、夜会どうするんだよ。だれも帰れないぞ。どう説明・・・」

「説明は、できぬよ」

にこにこと老婆は続けた。

「できぬから、実際に見てもらおうというのではないか? 宇宙の地図が変わればフェザーンも無関係ではおられぬよ。フェザーンに新しいものがくるのであれば、知ってもらわねばの」

「だからって・・・」

ロイエンタールは23年前のその大潮を覚えている。

一般に云う大潮は月齢による潮の満ち干のことだが、このフェザーンの潮は海のものではない。

月によるのは同じだが、フェザーンのそれは、ある意味大嵐だ。ただの大潮でも面倒なのに。

ロイエンタールの顔色が更に悪くなった。

そこに「あの女」がいる。

ロイエンタールは老婆が「雪のような」と「嫁」を呼ぶ由縁を知っていた。

「月のように」、淡く、白く、美しい、雪のような。だ。

潮は月に曳かれるのだ。

「ミッターマイヤー、俺、今日、腹痛と頭痛と腰痛が」

「ウソはもっと慎ましくつけ、ロイエンタール」

反射で突っ込んだ。話を理解していなくても、突っ込みは入れられるのである。

「さて、いかぬでもよいが、もしか、人死にがでるやもぞ?」

「って、今の星海師はそんなあてにならないのかよ・・・」

「う、むう、悪くはないのじゃ。努力がないわけでもない。総じて真面目で、勉強と研鑽に熱心じゃが、なにやら、行き詰っておるようでな。壁一枚越えれば、飛躍的に伸びそうなのじゃが・・・」

はて、と困ったように首を傾げる。

「音楽で云うリズム感のようなものかの? 昔からお前さまの上得意じゃ。ここいらで若い者にパパパーーーンと見せ付けてやればよかろう」

「・・・景気よく云ってくれるな」

「おお、そうじゃ。このフェザーン、シケたものは嫌われる」

「けど、俺だってアテにされても困るぞ。本当に長いこと離れてたんだ」

「なに、そこはそれ。あれらも本職じゃ。さけて通れぬ道じゃもの。プライドと命を懸けてどうにかするじゃろうさ」

確かに帝国人がフェザーンを理解しなければ、のちのち人死にが増えるだけだ。

「夜会にゆくフェザーン人の心配はせぬでよいぞ。無論だれも重ねの大潮と承知だ。幼い子どもでもないのだから、覚悟と用意はしてゆくわ」

あくまで老婆は面白そうな顔だ。

「って、あんたらも何露店出してんだよ。帰って支度しろよ」

「だって、橋の婆さま一人おいとくわけにはいかないだろ!!」

「あっちに持ってかれるのは困るが、こっちにこられても困るんだ!!」

それはそうだ。

猛然と抗議する露天商にロイエンタールは納得した。

「確かに婆さまには「橋」にいてもらわないと困る」

一人でここにいて、馬鹿な帝国人に殺されでもしたら、それこそ困る。

「悪い、助かった。婆」

「よいよい。婆のわがままにみな付き合ってくれたのじゃ。客がお前さまとはおもわんだが・・・・、それに、それなりに面白かったぞ。帝国人も何人やら石を買うていった」

「そりゃ、帝国人とはいえ、同じ人間には違いない」

どこにでも、相性のいいもの、悪いものはいる。

フェザーン人とは違い、大潮に慣れていないだけで、何かを感じたものもいたのだろう。

自分で買ったのなら、悪いことにはならない。

「さて、そろそろ店じまいじゃ。みな、帰って備えておくれ」

一斉に露店たちが、それこそ潮が引くように速やかに消えていく。

「さて、お前さまも今日は気をつけて」

「本当に、アテにされても困るんだが」

「なに、最低限、嫁様には対抗できるじゃろう?」

「なるほど、確かにそればっかりはな」

 

「ではの、また大潮のあとに」

「大潮のあとに」

伝統的な大潮の挨拶を交わし、別れる。

ロイエンタールはあらためて目を閉じて、感じる。

確かに、間違いなく大潮だ。

人以外の動く気配がない。

生きるものは微生物にいたるまで息を潜めているような。

人さえいなければ、星ごと停止したと間違いそうな。

 

 

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