宇宙暦八百年六月一日

 

 

暗闇の中オスカー・フォン・ロイエンタールはいきなり覚醒した。

時計に目をやれば三時五分前。

元々眠りが浅い方ではあるが、このような事は初めてだった。

夢など見ていた覚えもないし、それに全身を侵食している飢餓感の説明がつかない。

考えついた事はただ一つ。

「逝った・・・のか?」

そう暗闇に問うてみればしみじみと体中に染み渡った。

既に主語をぼかすのが習い性になった彼の幼馴染だ。

いまだ明け方は遠い中、両手をゆっくりと握る。

「逝った・・・のか」

わかっていたはずの事だった。お互い、この戦時に10年以上軍籍にあって死ななかった事の方が不思議だとも云える。

それでも

深い、深いため息が洩れる。

彼のヘテロクロミアは不気味に乾いていた。

 

帝国元帥ミッターマイヤーの執務室にロイエンタール家の執事からウィジホンが入ったのは11時過ぎのことだった。その内容をきくやいなや山済みの仕事をほっぽりだして、彼が親友の家に着いたのは実に15分後のことである。

「ロイエンタール?」

閉めきったままのカーテンと篭ったアルコールの匂いに眉を顰めながら、薄暗がりの中にいるはずの友人の名を呼ぶ。

「ミッターマイヤーか」

その静かな声は頭から冷水をぶっ掛けられたような不吉な印象をミッターマイヤーに与えた。

床に累々と転がっている酒瓶の銘柄の一つを見て顔色を変えて怒鳴る。

「ロイエンタールッ、お前何をやっている!」

ロイエンタール家の執事の沈鬱とした表情が頭の中に甦った。

『どうか、主人を止めていただきたい』

それがロイエンタール家に忠実な老人の台詞だった。

「何・・・とは?弔いだが?」

あくまで淡々とした声が答える。

『誰のだ』とは訊けなかった。答えが返ってこないことは明白だった。

なんとなくそれ以上言葉を見つけられずにしぶしぶ引き下がろうとしたミッターマイヤーに、ふいに言葉が掛けられた。

「ミッターマイヤー、お前の所の副官に伝えろ「お前の兄が死んだ」とな」

声をかけられたことを意外に思いながら、その言葉の内容に更に首をかしげる。

「副官?クレイマーのことか?」

「ああ、そう伝えろ。多分わかるはずだ」

切り捨てるように云った後、気まずくなって出て行こうとしたミッターマイヤーの背中が暫くためらっていたらしいロイエンタールの声を弾いた。

「俺が死んだらカイザーにお伝えしてくれ。ロイエンタールがもう少しお仕えしたかったと云っていたと」

「それはどういうことだ!」とばかりに勢いよく振り向いたミッターマイヤーの疑問は、己自身の手で閉めたドアに無言で阻まれた。

ミッターマイヤーは気付いただろうか?彼の親友が一度も薄暗がりの中、振り向かなかった事を。

扉が閉まる音を聞きながら、既に魂を死神に手渡したヘテロクロミアをもつ男は既に何杯目かすら数えていない酒杯を傾けながら、独語した。

「半年待たせるつもりは無い。遅くとも年内にはカタをつける」

それはいっそ、閨の睦言めいて甘やかだった。

彼の数多い情人たちが切望して、ついに手に入らなかったものである。

 

「は?ロイエンタール元帥が?」

「ああ、お前に兄がいたとは初耳だが?」

「あの、それロイエンタール元帥がおっしゃったんですよね?」

死んだらという不吉な言葉がミッターマイヤーの心中で不安と不思議となって渦巻いていたが、伝言を伝えられたカール・クレイマーも、ただ事ではなかった。

(は?何事だよ。兄ちゃんが死んだって?何で兄ちゃんの口から聞かせられるわけ?)

勿論彼の問いにロイエンタールが答えるはずも無く、6歳までカール・フォン・ロイエンタールと名乗っていた青年が黒髪の魔術師の死と兄の言葉の意味を知ることになるのは五日後の事である。

 

 

「遅いじゃないか、ミッタ―マイヤー」

グラスを置いたロイエンタールの意識の中に不意に成層圏の色が割り込んできた。

(何を言いたい?別におれに悔いなど無いぞ。おれの望みは叶わなかったが、その「望み」がおれを待っているからな)

壁際のソファーにちょこんと置かれた乳児は恐ろしいほど大きな瞳でじっとロイエンタールを凝視していた。

(なんだ?お前はおれの血だけでなく、想いまで受け継ぐ気か?いらん世話だぞ)

霞む意識の中で、確かにロイエンタールは乳児に笑いかけた。

 

 

『閣下、ロイエンタール閣下!』

足早にヴァルハラへの階段を昇っていく上官にベルゲングリューンはやっとの思いで追いつく。

『なんだ、ベルゲングリューンお前も来たのか?』

上官に追いつくため半ば駆け足で上ってきた男は息を軽くきらせながら云う。

『恐れ多い事ながら、お供いたします』

息を整えながら不思議そうに問う。

『何をそんなに急いでおいでだったのですか?』

ある程度彼の息が整ったのをみると、ロイエンタールはまた足早に階段を昇りはじめた。そして歩きながら査閲総監の問いに答える。

『人を待たせているからな』

ヴァルハラの門が見えてきた。その手前に座り込んでいたらしい人物がこちらを見咎めて笑顔で立ち上がる。

あの人が待たせている人なのか?と訊こうとしてベルゲングリューンは上官の顔をみて絶句する。

これほど幸せそうなこの男の表情を彼は見たことが無かった。

今まで、どの帝国人が見てきたよりもはるかに魅力的な笑顔を浮かべて彼はこういうのである。

   

『待たせたか?』


うふふ、めっちゃ懐かしいくらい久々に見ました。
何時書いたかも覚えてません。
・・・、2001年12月25日・・・・・・?いったいクリスマスに何やってるんでしょう?自分。
多分、オノレ作の話で一番か二番ぐらいに気に入ってます。


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