Butterfly  Kiss
 
白いシーツの上で死んだようにうつぶせに潰れていた男が、シャワーの音が消えた事に気付いてバスルームの方をむいた。
先程までの痴態をさっぱり忘れたような顔をして濡れた髪に指を絡ませ物慣れた様子でバスローブを引っ掛けた男が出てくる。
男が起きている事に気付くとにこりと笑って声をかけた。
「煙草吸わないのかい?ポプラン」
ポプランは何とか身を捻らせて上半身だけを起こすと、ポプランのベットの脇に腰掛け天使のように微笑む男を心底恨めしげに睨んだ。
「そんな気力も残ってませんよ。誰のせいですか、ヤン元帥」
 
何時の頃からだろう、この同盟軍奇跡の魔術師と肌を重ねるようになったのは。
そう、確かはじまりはまだハイネセンに居る時だった。
あれは、アムリッツァだったかアスターテだったか、とにかく大きな大戦のあとで理由は忘れたがなんとなくむしゃくしゃしていた自分は、繁華街に出てその辺でにわかに湧き上がった喧嘩に便乗した。
その渦中に居たのがおよそこのようなネオンの下はとても似合いそうも無いと先入観で思っていた、このヤン・ウェンリーである。
台風の目のように喧嘩の中心に立っていた彼を、一瞬別人を見たのかと自分は思った。
まるで彫像のように冷めた瞳で男たちを眺めていた。いや、それ以上にその姿が女神のように美しかったのだ。
幸いにも次の瞬間旧知の人物だと思い直して、無理矢理引きずりだしてとんずらした。
「なっにやってんですか、ヤン提督。確か今日は祝勝会のはずでしょう!」
「ああ、そうそう、今日は祝勝会なんだ。だから、夜更かししても私はユリアンに怒られないんだよ」
「だから、その祝勝会をどうしたんですか」
「さぼった」
一瞬自分は迷った。明らかに目が据わっているこの人をさっさと家に送り届けるべきか、まだやっているだろう祝勝会の会場へ送り届けるべきか。その一瞬が自分の敗因だったとポプランは今でも後悔する。
「それよりも、お前は今日の私の獲物を逃がしてくれたね?と、言う事は勿論今晩の私の相手はポプランがしてくれるんだろうねえ」
昨今のアゲハ蝶は自分から巣を張って蜘蛛が引っかかるのを待っているのかという、錯覚に襲われた。
 
「さっき獲物って言ってましたけど、何時もあんな事やってるんですか?」
白い首筋に紅い痕を残していきながらポプランが尋ねる。
「んー、いやあ?別に。ただねえ、時々とんでもなく人肌が欲しくなる時って無いかい?私には特定の恋人も手の届く範囲には居ないし、あの変ぶらぶらしてると適当に引っかかってくるから、都合がよくって」
「へー、そんなもんですか」
「それよりポプラン、お前恐くないのかい?」
「何がです?」
「一度、シェーンコップを誘ってみたら、私の相手は恐いから断るってアッサリ逃げられちゃったよ」
それを聞いたポプランが心底楽しそうにクククと笑った。
「そりゃあ、あのおっさんには無理でしょうね。貴方の相手は確かに恐いですよ。冒険心の無い年寄りには酷な話っすね」
「へえ、そんなもんかい」
そこまでだった。ヤンがまともな会話を続けていられたのは。ポプランの大きな手がヤンのわき腹を一なでするととたんにヤンの体が沸騰し、そこから先は正気を失ったように繰り返し繰り返しポプランを執拗に煽ったのである。
それからだった、ヤンが時折ふらりとポプランの帰り道に立つようになったのは。
 
何時も何時も肌を重ねてから思い出すのだが、もう一つの理由でもシェーンコップはヤンの相手に不適だった。
あのおっさんにはヤンの果ての無いような欲望を満足させる事は不可能だろう。幾らテクがあろうと。
「そんなに無理させたかねえ」
「ええ、貴方のもともとの恋人はどんな化け物だったんです?」
「・・・・・その話は無しだといったはずじゃあなかったかい?」
「別に相手の名前が知りたいわけじゃないですよ。貴方のような化け物と真っ向から向き合った相手に興味があるだけです」
「前にいっただろう。私が唯一愛した男で、今も唯一大切に思っている相手だ。認めたくないけどまだ愛してると思う。多分、あいつもね」
「ユリアン坊やが泣きますね」
「そうかい」
そうしてヤンの瞳に再び冷たい火が灯る。
ポプランは明日が非番で本当によかったと思った。
 
賽は既に地上高く投げられているのだ。これは、その賽が地上に落ちる間の、ほんの末節の話。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「ああーーーーー!ママ!それはママの元帥昇進記念にフェザーンのヤン・ウェンリー至上主義祭に送った原稿!」
「えらく説明的な台詞をどうもありがとう。真雪」
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