それが母に捨てられたと知った時の衝撃を思い出す。 今にして思えば、あれを亡くしたことよりも、 母と自分は別の人間だと、 思い知らされたことが、ショックだったのじゃないか。 見えずに繋がっていたへその緒が切れた時、自分という1人のはじまり。 気づかないほど深く甘えていたのだと思い知らされて。 ここにいると、そんな想いを思い出す。 漏斗 「コーネフ、俺は恐い。恐いんだ」 ああ、そうだな。ポプラン。 「恐いんだ、コーネフ。俺はあの人が、ヤン提督が」 ああ。 「だけど、あの人は、いや俺は・・・」 わかるよ。だから泣くな。ポプラン・・・。 ひんやりとした指がやさしく額を滑り、薄く目を開いた。 ぼんやりとした視線の先に、仏像が座っている。 昔、父の蔵書にあった。その中の・・・なんだっけ? 『ハンカシユイゾー』? なんだかそんな感じだ。 「司令官閣下・・・」 汗にへばりついていた髪を梳かれる。 「起きたかい? コーネフ」 真夜中には大分はやい時間だと、わかるようになっていた。 果てた後、そのまま眠ってしまったらしい。 そんなに疲れていたっけ? 「ヤン提督・・・」 「なんだい?」 この性欲も何もない涼しげな笑みから、ベッドの中での貪欲な嬌態と艶笑を想像することは不可能だ。 自分は一体、この人の長い情人リストのどのあたりに居るんだろう。 知っているかぎり、自分とポプランがそうで。 多分、フィッシャー提督とリンツ中佐とシェーンコップ准将とバグダッシュ中佐は確実で。 キャゼルヌ少将やアッテンボロー提督だって、過去に何もなかったとは考えにくくて。 イゼルローン幹部の中で、絶対に司令官が手を出していないと断言できるのは、唯一異性のフレデリカ・グリーンヒル女史だけだってのが寒い現実で。 この最前線という土地で、自分がどれだけ危うい空間を造っているかわかっているんだろうか? いや、わかっているに決まっている。わかっていてやっている。 退屈しのぎ。そういうだろう、この人なら。 「あなたが特定の人のものだったら、イゼルローンももっと平和でしょうね」 精一杯の、子供じみた皮肉。 「お前はそういうけれどねぇ。私も昔は・・・誰かのもんだったこともあるんだよ」 押さえきれない嫉妬に瞳が刹那燃えた。 「まさか・・・」 「昔のことだよ。もう、思い出せないくらい昔さ。顔も忘れちまったよ」 司令官の顔が甘くゆがむ。本気と嘘を感じた。 「お前にとってのポプランのような男だったんだ」 「俺とポプランは・・・!」 「関係のあるなしじゃないよ。あいつがいたから、本当の自分になれた。そんな相手さ。あいつと居るときが、一番自由な、私らしくいられた」 「その男、殺してやりたい」 思わずうめいてしまった。なぜ、こんな酷い相手に、こんな想いをしなくてはいけないのだ。 その「こんな相手」は、いつものトラブルを楽しむ嗤いでありながら、不意に目を伏せる。 「今日はお帰り。ポプランが寂しそうな目をしていたから」 だから誘ったんだろうが。 乗せられて火を飲み込んだようににらんだ。 弄ばれている。嗤われている。 「お前たちの本気は不思議だね。本命でもないのに、本気になれる」 喉の奥で笑われる。 この人はわかっている。俺たち全員がムキにならずにはいられないことに。 わかっていて、見えない糸でなぶっている。 震えが・・・。 「あんたに、本気にならずに居られないこっちの身にもなれ!」 「知ったことか。本気になるのはお前たちの自由さ」 その残酷さは、不思議に母のようで。 恐ろしい人だとわかっていながら、こんな拍子に甘えていたのだと目を覚まされる。 錯覚するのだ、このイゼルローンという生ぬるい羊水の中では。 ヤン・ウェンリーの無慈悲という慈悲の知略に守られたこの、流体金属の中では。 珍しく玄関まで送ってくれた。 「お前たちが、少し哀れに思えたから」 ヤン・ウェンリーは困ったような微笑をうかべる。 「いつも思ってください。俺たちはいつも貴方のトラブルの玩具だ」 「お前たちは私を買いかぶりすぎなんだよ。私だって愁嘆場ぐらい演じるさ。そのうち見せてやるとも」 「・・・・・・・?」 「安心しなさい。私はあの男の・・・自分のためだったら、どこまでもみっともなくなれるんだよ」 「・・・・・・・・・」 「うん? どうしたんだい、コーネフ」 こうやって尋ねてくれる貴方の優しさを、信じてはいけないのに。 いつもの残酷さの上乗せなのに。 哀しくて、自分があわれで、つい、云うつもりのなかったことを云ってしまった。 「愛してます、お母さん」 残酷な真実。 酷薄な笑み。 「だからお前は馬鹿だというんだよ、コーネフ」 |