眠らない街のいつか帰る場所
 
「敵将オスカー・フォン・ロイエンタール・・・かあ」
ヤンは誰もいない司令官室で独り足を組んで呟いた。
暫しその「敵将」がいるであろう艦隊を映し出したスクリーンを見上げていたが、デスクの傍らにある宇宙艦隊司令長官からの命令書をいまいましそうに指で弾き、諦めるように首を振ると面白くも無い会議に出席するために身を起こした。
彼の部下たちにイゼルローンを放棄する事を伝えるために。
 
『ロイエンタール提督!爆発物撤去終わりました!』
「ご苦労」
『あの・・・それと、なんと言いますか・・・』
「どうした?」
横からベルゲングリューンが通信画面に問う。
『なんと言ったらよろしいか・・・』
 
「あの、こちらです。司令官室の机の上に乗せられておりました」
後ろから軽いざわめきが聞こえる。ロイエンタールは片眉をあげた。
「テディベアル」
そう、ソレは正真正銘の熊のぬいぐるみであった。メッセージカードを抱えているワインレッドの愛らしい手のひらサイズのものである。
(見覚えのある熊だな)
持ち上げてロイエンタールが読み下した。目が据わっている。
『親愛なるロイエンタール提督へ
再びお会いできる日を一日千秋の思いで待っております
ええ、できるだけ早く
     貴方のヤン・ウェンリーより』
人を食った文章である。一見して恋文のようにも見える。
勿論ロイエンタールの部下たちはこの文章に「戦場で」という言葉を補っていた。
ロイエンタールはいきり立つ幕僚たちに聞こえるように軽く嘆息して見せる。
まともな良識のある人間なら憎々しい挑発と見るこの文章は、実は一見したとおりの恋文であった。
とても挑発を受け取ったというに程遠い冴え冴えとした微笑はロイエンタールの幕僚たちを不審がらせるに充分だったが、ロイエンタールは構わなかった。
「見事だ。ヤン・ウェンリー」
 
「お褒めに預かり光栄の至り」
爆発の刻限を過ぎても亀裂の一つも入らなかった難攻不落「だった」要塞にアルカイックスマイルを見せる。
勿論、同盟軍不敗の魔術師である。
実は彼はビュコックからの命令が来た時、沈黙したまま本気で切れたのだ。
(あの命令さえなけりゃあ、私は今頃オスカーと全知全能の限りを尽くしていちゃついてられたのに)
どうやら、ロイエンタールがからむと数十万の将兵の必死の戦闘は、至福の時。という言葉に変換されるらしい。
その、ささやかなしっぺ返しとしてあれくらいは許されるだろう。
ただスクリーンを見つめていたヤンは、白銀の女王に一礼すると私室へと引き上げていった。
 
 
「ママ!」
「なんだい、真雪。フェザーンに帰る仕度は出来たのかい?」
「友蔵知らない?」
「友・・・蔵?」
ヤンは駆け込んできた娘に首をかしげて、ゆっくりティーカップを置く。
「昔パパに買ってもらった紅い熊のぬいぐるみ!」
「あー、はいはい。「パパにヘンな名前つけられたーーー!」って散々文句喚き散らしてたやつね」
何時の間にか、その「ヘンな名前」に慣れきっていたことに気付いた真雪は少し紅くなった顔を顰めて続けた。
「イゼルローン攻防戦の時に絶対に荷物の中に入れたんだよ!でも、全然見付かんないの」
「ホントに入れたのかよ、雪」
さっさと支度を済ませて母親とティータイムをしていた美時が突っ込む。
「入れたもん!ママ見てない?」
「さあ、私は知らないよ」
首を少し傾けて黒髪の魔術師は艶やかに微笑した。


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