赤く咲いた華を踏む
初夏の風薫りはじめる五月。ミッターマイヤーが辞表を出した。
それを意外に思うものは誰も居はしなかった。
「ミッターマイヤー・・・」
「どうか、御許しください。元帥閣下・・・」
「奥方のことは・・・」
「・・・・・・・・・」
疾風ウォルフの妻、エヴァンゼリン・ミッターマイヤーが不運な事故により死亡したのは春が盛りの四月の始めだった。
愛妻家で通っていた彼だけにその衝撃は誰の想像をも超えるものであっただろうというのが大方の見方だ。
何しろ双璧と名高い親友のロイエンタールの言すらも受け付けなかったのだから。
「ミッターマイヤー・・・!」
「・・・ロイエンタール、か。すまないな、俺の分の仕事まで押し付けるような形になってしまって」
「・・・・・・・・・」
常日頃、結婚する奴の気が知れない。と公言して憚らないロイエンタールだったが、憔悴した親友の姿には素直に心を痛めていた。
「シュナイフから更に五キロほど行ったところにムアがあるのは知っているか?そこにある貴族の元別邸だという所が安く買えてな。引っ込むことにした。今の家には・・・とてもな。仕事を増やした人間の分際で言える台詞ではないが、遊びにでもきてくれ。ロイエンタール」
「一人で、大丈夫なのか?」
「さあな・・・」
かつての精彩を著しく欠いた背中を見送り、ロイエンタールはその足でただ一人の上司に休暇を申請しに行った。
「やあ、ロイエンタール。遠路はるばる悪いな」
ロイエンタールがミッターマイヤーの館につくと、彼の親友は日の沈みかけた花園で薔薇を摘んでいた。
「卿が育てているのか・・・?」
軽く目を見張ってロイエンタールが問うた。
「ああ、一応知識だけはあるんでな。今のところ枯れていない。疲れただろう?夕食にしよう」
「・・・・・、美味いな。意外だ」
「元々独身だった頃は自分でやっていたんだ。あまり手の込んだものは作れないがな」
摘んだ薔薇を飾ったテーブル越しの二人の夕食は、和やかなものだった。
しかし・・・、自室に引き上げてアルコールが入るととたんにミッターマイヤーの口は重くなった。
煌々とてる月明かりだけを頼りにグラスを傾けるミッターマイヤーに合わせて、ロイエンタールも黙したまま杯を重ねる。
長いような、短いような沈黙の末、口を開いたのは押し殺した声のミッターマイヤーだった。
「怖いんだ。毎晩同じ夢を見る」
「ミッターマイヤー・・・」
「いや、夜だけじゃあない。朝も、昼も、今が現実かどうか判断のつかない毎日だった。自分はもう壊れているのかと何度も思った・・・」
震えながらすがり付いてくる友人をロイエンタールは不器用に抱きしめた。
女相手ならば慣れていることだが、相手が親友では勝手が違う。
「助けてくれ・・・ロイエンタール」
「あ、ああ・・・おれに出来ることならば・・・なんだって」
「なんだって?」
「ああ、なんだって。お前にはなんど戦場で助けられたかわからない。おれも、お前が居なかったらとうに死んでいただろうからな」
「そう、夢を見るんだ。毎晩毎晩・・・」
そう云って面を上げたミッターマイヤーを見た瞬間、ロイエンタールの背中を本能的な恐怖が駆け上る。
「お前を陵辱する夢だよ」
いっそ優しいと言っていいほどの顔でミッターマイヤーはそういった。
チャラ・・・
心地よくない音がしてロイエンタールは薄目を開けた。
「ああ、起きたのかロイエンタール、おはよう」
薄暗い中、親友が微笑んでいる。
「ん、ミッターマイ・・・・・・・・・っ!」
身を起こそうとして自分の四肢が鎖で寝台の上に拘束されていると気づく。
「ミッターマイヤー、何を!?」
わけがわからない。見ればこの部屋はどうやら窓がないらしい。地下室かもしれない。
「しかも、何で俺が・・・」
自分の衣装が変わっている。眼をみはるような、美しいプルシャンブルーのドレス・・・・
「似合っているよ、ろい・・・いや、オスカー」
ふふふ、と笑ってミッターマイヤーの指がロイエンタールの白い頬をすべる。
膝を乗せたミッターマイヤーの重みで寝台がキシリと鳴る音が耳に障った。
「なかなか赴きがあるだろう? 売ったほうはこの隠し部屋をしらなかったようだが、いろいろと面白いものがある。この屋敷の前の主人と気が合うかな? そのドレス、サイズもデザインもお前にぴったりだし、ほら、ブルネットのウィッグ。ソバージュとストレート、さっきからどちらにしようか悩んでたんだ」
揺らぐ蝋燭のささやかな光に浮かび上がる、台詞の内容以外はまったく普段のままのミッターマイヤー。
らしくなく歯が鳴っていることにロイエンタールは気づいた。
「目を醒ませ! ミッターマイヤー」
「目? 覚めているだろう?」
「いつものお前に戻れと言っている!」
「いや、いつも通りだとも。ずっと、ずっと見ていた。この白いうなじも、顎からのラインも、引き締まった躯も」
ミッターマイヤーの指がロイエンタールの体をすべり落ちていく。
「やめ・・・」
ろと本気で怒鳴ろうとすればクラリと首の後ろに鈍い不快感を覚える。
「大丈夫か?」
真剣に案じるミッターマイヤーを見れば、これが何かの悪い夢ではないかと思う。
「ミッター、マイヤー・・・」
情けない声が漏れた。
「薬が合わなかったのか・・・・・?」
一言で脳髄に直接冷水をあびたかのような衝撃が走る。
「大丈夫だ、すぐに気持ちよくしてやるから」
ミッターマイヤーの笑顔はどこまでも優しく、本気で恐ろしくなった。
一瞬気が遠くなりかけたがくるぶしに指を感じて、本能的な嫌悪に気絶もできない。
「ああ、夢のようだ。ずっとこんな風に触れたいと思っていた。ずっとずっとずっとずっとだ」
陶然とつむがれる言葉に、だんだんと余裕が失われていくのがわかる。
「綺麗だ。ああ、オスカー・・・」
指はふくらはぎを撫ぜ、内股をつたい上っていこうとする。
抵抗らしい抵抗もできないロイエンタールはまくれあがっていくドレスの裾にこの上ない吐き気を感じながらクスリで快感を増幅され、霞んでいく理性を・・・
パタン
無表情のまま、ロイエンタールは持っていた冊子を両手で閉じた。
「我ながらよくここまで読んだものだな」
はぁ、とあきらめのため息を吐く。
今日、フェザーンのはとこから届いた郵便がこれだった。
『やっほーんオスカー、元気してますか? 最近できたオーディンのお友達がくれたのw
なかなかいい出来だと思わない? 特に後半の(読み飛ばし)
で、挿絵つけてあげたいんだけど、どうよ?』
変わらない。
最近会ってもいないがあの又従姉は本当に変わらない。
これが遠まわしに帰って来いという催促だということはわかっているが、はっきりいってそれがどうした、だ。
覚えている又従姉のアドレスにチャラチャラと返事を打ち込む。
『死ね』
自分も相変わらず、いつもどおりの反応だがこうして文字にしてみるといかにもひどい。
「ウチのコミュニケーションも大概アレだな・・・」
まともぶってそういうが、ためらいもせず送信する。
ふとサイドボードの時計を見ればミッターマイヤーとの約束の時間である。
今日の奥方への花束は何にしよう・・・などと思いつつ部屋を後にした。
「まぁ、いつもありがとうございます、ロイエンタール提督」
エヴァンゼリンが楚々と微笑んでオレンジのカーネーションとバラが華やかにまとめられた花束を受け取る。
うれしそうなエヴァの、つむじを見ながらふとロイエンタールは聞いてみた。
「時に奥方、『薔薇の密室』という本をご存知ですか?」
エヴァンゼリンは完全に油断していた。そこに不意をつかれて思わず顔がこわばる。
「やはりあなたでしたか。「竪琴師」は」
エヴァンゼリンは本気で殺されるかと体を硬くしたが、ロイエンタールは軽くため息をつくとそのままミッターマイヤーのいる書斎へと歩いていった。
『薔薇の密室』と「竪琴師」。さっきロイエンタールの見ていた冊子の書名と作者名である。
書斎に酒肴を運んできたエヴァはしみじみと深いため息をついた。
「ロイエンタール閣下にフェザーンに係累がおありとは存じませんでしたわ・・・」
「ええ、親戚が何人かあります。祖母もその孫娘もいますし。曽祖父も存命ですから」
ミッターマイヤーが初耳〜という雰囲気で目を見開く。
エヴァの方はその答えをきいて、頭痛をこらえていた。
オーディンの友人(腐女子仲間)にはデータしか送っていない。製本して送ったのはフェザーンへだ。絶対ウケるから。と友人に断言されて委託した。本当に完売したらしい。
これなら残り3冊分も製本してよさそうだ、と思っていたのだが。
落とし穴だった。
しかし、エヴァの予想に反してロイエンタールはあまり怒っていないようだ。どちらかというと諦めているというか、慣れているというか・・・。
「その孫娘がいろいろと送りつけてくるんですよ。嫌がらせにね。まぁ跳梁跋扈する魔都フェザーンではわりあいよくあることですが」
「祖母の孫娘・・・とは従姉妹ではございませんの?」
「むこうの事情がありましてね、はとこになります。こちらも仕事がありますし、向こうも忙しそうなので最近顔を合わせていません。それも相手の機嫌を損ねている原因なのですが」
「確かにこちらから向こうへはなかなかいけませんわよね・・・」
「ソリヴィジョンをつければ何かしら出てくるようなヤツですから、心配はしていないのですが」
「!!!!!! まさか藤波様!?」
「藤・・・ああ、今はアレが藤波でしたかね。私がいたころはまだ先代でしたが」
「藤波さまのご親戚・・・・」
「お気になさらず、夫人。フェザーンで地下茎の会に正面切って喧嘩を売るものはいませんから。大体、地下茎の会が栄えるのは、男が不甲斐ないからです。私も正直奥方にミッターマイヤーを借りっぱなしで悪いと思っているのです」
話についていけないミッターマイヤーはひたすらハテナマークを飛ばしていた。
そして帰りしな、ミッターマイヤー夫妻が見送りに出てくる。
エヴァンゼリンはためらいがちに口を開いた。
「どこまでお読みになりました?」
「はじめのほうだけ。好んで読むものではないので。結局ソバージュとストレートどちらになさったんです?」
「あら、ほんとうにはじめだけですのね」
エヴァンゼリンはなんとなくホッとする。
「結局無難なストレートにしました。ソバージュにも心惹かれるものがあったんですが・・・」
心から残念そうに語るエヴァにロイエンタールは胡乱な目になる。
「ところで。奥方はプルシャンブルーの例のアレが本当に似合うと思っているんですか?」
「ええ、似合いますわよ」
ロイエンタールをじーーーっと見ながらさも当たり前のように答える。
きっと彼女の脳内ではドレスを着たバージョンでのロイエンタールがとってもクリアリーに像を結んでいるのだろう。
ロイエンタールは、やっぱり彼女たちの考えは理解不能だ・・・と思った。
けどロイエンタールだってヤン・ウェンリーが女装したら似合うと思うんだろうに・・・。
続かない
(書いた当時のあとがき)←今は2010年です。
ビバ! 逆双璧!!(かなり語弊アリ)
というわけで、眠らない街シリーズの番外編です。
ちなみにこの話、最初の1ページだけ書いて、2002年9月23日からほったらかしでした。
いつの間に三年近くたっていたのかしら?
ちなみに、ロイエンタールのフェザーンでの身分は、宮の孫です。
現実世界で言う養子のような制度が月下にはあって、血縁じゃなく個人対個人の契約で年齢とかを踏まえてそういう風にできるんです。死後に契約は無効になるので、相続とかはできませんが、本物の親族の合意の下、生前分与はできるらしいです。
あくまで個人対個人なので、他の親戚はなんも関係ないですが、関係が良好だと自然親しくもなります。
当然法律ではなく慣習なのですが、月下的には常識です。家出した子供にコレ使われると、どーしょーもないです。元の親戚関係が消えるわけではないですが、年上のほうは親としての権利、祖父母としての権利を主張できるらしいです。
月下は当然の如くフェザーンの法よりも月下の法を優先します。
ロイエンタールの場合、家系図上ヤンさんの旦那なので、真沙輝ははとこ、栄じーさまは曽祖父になるんですねー。ヨソモンには理解されない月下の常識でした。
ちなみに、地下茎でロイ受けはメジャージャンルです。むしろ総受けです。地下茎ではロイとヤンは絡ませません。あくまで虚構を楽しむモンなので。王道カプはルーロイ。万歳。
ロイがエヴァだと思ったのは、さすがに設定が飛んでるから。エヴァの事故死は筆者がエヴァだから許される設定でしょう。しかし、自分とこの旦那とロイをくっつけるために自分殺すかね。話だとはいえ。
まぁミッタとロイくっつけようと思ったら、エヴァを殺すか、エヴァが男作って逃げるか、エヴァがはじめっから生まれなかったことにするしかないよなぁ・・・とか思ってみたり。
あと、まさきとロイは意外と仲がいいんですよ。友達として。