眠らない街の神の誤算

 

 

ヤン・ルーシェンの768年の12月1日。

彼の最愛の妻がにっこり笑ったので、思いも寄らぬ12月がはじまった。

 

「か、カトリーヌ、マジで?」

「ええ! だって、私の住んでいたところにはそんな習慣なかったんですもの。ルーさんやらないの?」

一歳八ヵ月の息子ウェンリーを抱いてにっこり笑う妻に、うっかり引きつり笑いしか返せなかったヤン・ルーシェン。14歳(笑)。

さあ、ルーシェン。あなたも14歳なんですから、アレを、はじめますよ!

 

倒れるような勢いで頭を抱えてテーブルに突っ伏し、うんうん唸りだした夫にカトリーヌは焦る。

「え?え?」

出会ったときから、年相応の生意気で不敵で魅力的な笑顔を絶やさず、年不相応の包容力と決断力と実行力で、カトリーヌを想像もしなかった世界へ連れて来て、いつも守ってくれた夫だ。

同盟の戸籍上は兄の妻だが、別にそんなことはいい。カトリーヌがみるかぎり、夫が重視しているのは、月下の、実家の戸籍だけだった。彼がいいなら、カトリーヌはそれでいい。

不敵で、大胆で、自信満々な美しいルーシェン。子供が出来たと云った時だってこんな壮絶な顔はしなかったのに。むしろ喜色満面で喜んだのに。

なんでこんなダメージ食らってるの?

「ど、どうしたの。ルーシェン」

「カトリーヌ、見たい?」

「ええ、見たいわ。みんなやるものなんでしょう?」

「ああ。うん。やらないほうが珍しい。珍しいよ・・・」

さっき本家の女官さんたちに聞いた月下の風習だ。

月下街は不思議な習慣がいっぱいで、嫁として慣れようと彼女は一生懸命だった。

さて、(とても珍しいことに)焦る彼女をほったらかして、独り腹をくくったルーシェンはスッと短く息を吸う。気配が変わったのがカトリーヌにもわかった。

夫は、いつもの五倍増しに艶やかな笑顔でカトリーヌに微笑み、妻は、いつも一緒にいるというのに思わず見とれて頬を染めてしまった。なんて綺麗な男なんだろう。

刻々と少年から大人の男になっていくルーシェンの側にいるのは、至福だ。

「カトリーヌ、神無に帰るよ」

「え? 今年は街のお正月をウェンリーに見せるって・・・」

「それ、来年にまわす! てか、ごめんな。時間ない!!」

帰るから支度して!

そういってルーシェンは部屋を飛び出していった。

 

大観園の大廊下を爆走する甥っ子を見つけたのは孫を抱いた柏の宮だった。

「あら、ルーシェン?」

「ああ、おばちゃん! 俺ら船帰るわ! あと、布貰ってく! 黄色と黒!」

「あらあら? あなたやらないんじゃなかったの?」

「そのつもりだったんだけどねぇ」

息子と遊ぶのに忙しくて、スッカリ忘れていた。というか、今さら古臭い因習なんかやらなくていいか。と思っていたのだ。

別にルーシェンだって月下の子だから、元ネタがキライなわけではないが。

「嫁さんが見たいってんだから、しゃーないじゃんねぇ」

しかし、その藍の瞳は星のように強く輝いている。

「そうね、よかったわね、ルーシェン。上手くいったら私たちにも見せてちょうだいな」

出航するということは、家族だけで過ごすつもりなのだろう。

「ねぇ、真沙輝。ルーお兄ちゃんにバイバイしなさい」

「んーー、まさきぃごめんなーー。またお土産もって帰ってくるからな。良いお年を」

「うー、うー!」

「また来年な。ウェンリーと仲良ししてくれよなv」

くるんとした髪がかわいいちびっこの額に笑ってキスすると、また弾丸のように飛び出していった。

「ほんとうに、いいお嫁さんが来てくれてよかったわ。ねー、真沙輝」

「んむっ! いー いー!」

「ルーシェンが幸せそうだこと」

 

カトリーヌが仕度をしてる間に、ダッシュで大観園内を走り回り、夢幻に連絡して出港準備をすませ、必要なものを引っつかんで、宇宙へ飛び出していった。

そして、カトリーヌとウェンリーを残し、展望室に籠もって、延々でてこない。

「あ、あの、ルーシェン?」

夕食の時間を過ぎても出てこない夫に、恐る恐るカトリーヌが声をかける。

彼は展望室のお昼寝セットにくるまって、気が狂いそうな満天の星空を相手にブツブツと何やら呟いている。

「ごはん、食べてください」

「うぇっ!? あ、カトリーヌサン!?」

ルーシェンはあまりにも美人なせいで、マジな顔になれば恐ろしいほどだ。14でこれだから先も恐ろしい。その美貌にビビってカトリーヌが胡乱な声を出せば、それにさらにビビったルーシェンがキョドる。

そんな微笑ましい?やりとりをこえて、ルーシェンを展望室からひっぱりだすことに成功したカトリーヌは、遅くなった夕食を食べながら、半日で人相が変わったような夫に恐る恐る問う。

「ルーシェン、私、もしかして、云っちゃいけないこと云った?」

「ん? ああ、カトリーヌごめん、違うんだよ。時間ぎりぎり目一杯つかって、一番いいものを作りたいって、焦っちゃってさ」

ご飯茶碗を置いて、ぐわっと唸る。

「だって俺、大きくなったウェンリーに「パパ、かっこわるぅ」とか云われたら泣いちゃうよ!!」

「そ、そういうものなの・・・?」

「そーだよ! だってやるからには、パパすげぇって云われたいじゃん! 一月しかないとはいえ、納得行くもの作りたいし!!」

痛いほど集中したルーシェンの背中を思い出して、カトリーヌが呟く。

「私たちがいると、集中が途切れるわね・・・」

「うん、ゴメン。だからあんまり部屋から出てこれないと・・・」

「ダメ」

カトリーヌは、難しい顔をして遮る。真剣な目でルーシェンに訴えた。

「私たちがいることで、支障があるかもしれない。何年も準備に費やすものなのかもしれない。けど、今、それがルーシェンなの。私がいて、ウェンリーがいる。それがあなたなの。それは、理想通りじゃないかもしれないけど、そんなあなただから作れるものがあるって、私は思う」

「カトリーヌ・・・」

「だから・・・そう! 一緒にご飯食べましょう! 一日一食でいいから。私と、ウェンリーと一緒に食べましょう。約束して、ね? お願い」

今にも泣きそうに訴える妻に、ルーは目からウロコが落ちた気分だった。

「・・・カトリーヌ」

名前を呼ぶその笑顔の美しさ、声の甘さにカトリーヌは思わず涙がこぼれそうだった。ありとあらゆる意味で反則だ。この夫は。

「ルー・・・」

「二人を重荷に思うなら、死んだほうがマシだ」

カトリーヌが云えなかった台詞も夫が受け止めてくれたのを知って、抱きしめられた腕の中で微笑む。幸せだ。

「ゴメン、俺いっこ大事なこと忘れてたよ。コレは、楽しんでやるものだった」

「あなた」

「愛してる、カトリーヌ」

「私も・・・」

「二人のために、とびっきりの演技を見せるよ」

 

そして、768年12月30日。

ヤン・ルーシェン。14歳最後の日だ。(笑)

長い黒髪を高い位置で涼やかに結い、右と左で大きくデザインの違う黒と黄色の艶やかな衣裳を身につけ、反りのない美しい剣を手にしたルーシェンは嫁と息子とカメラに向かって笑った。

「それじゃあ、愛する妻と息子に捧げます(笑)」

「きゃーー、パパかっこいいーーv」

カトリーヌはカメラを構えながら(じゃないと、カメラ目線が嫁からズレるから)、膝に乗せた息子の手をとって振る。ウェンリーも心なしか楽しそうだ。

この日のために、ルーシェンが展望室に籠もってる間、カトリーヌは夢幻に頼んで月下街のアーカイブにアクセスし、数々のこの作品を見て、歌詞の意味も予習もバッチリだ。

前奏がはじまる。

ルーシェンが鞘ごと赤い宝剣をふると、その場の空気が変わった。

鮮やかに身体を捌くと、右と左、半身ずつでくるくると少年と少女を演じ分ける。

華やかな王女と、影を負う召使。

剣舞と、不思議に尾を引く歌声。

油断すると魂すら持っていかれそうな心揺さぶられる不思議な世界。

ルーは、体の全てを限界まで使ってそれを現していた。

小刻みに揺らぐ世界。

呼吸すら奪われて、カトリーヌはそれに魅入られた。

 

「すごい、綺麗だったわルーシェン」

「ありがとう」

曲が終わったルーシェンは、流石に肩で息をしていたが、それでも妻の賞賛に笑顔で応えた。

「けど・・・、あの、曲の歌詞と、違うのじゃないの?」

恐る恐る問うた妻に、破顔する。

「そーーなんだよねーーー。俺がこの歌でやりたかったことと、ちょっとだけ違ったんだよ」

一生に一度の機会だったはずだ。それをふいにして、それでもルーシェンは晴れ晴れと笑う。

「ねえ、カトリーヌ、面白かった?」

「え? ええ。素晴らしかったわ。感動した」

「なら。それで十分だよ!・・・よか・・った」

ばたりと倒れて、ルーシェンの意識は途切れた。

 

 

暖かさにつつまれて、ルーシェンは目をこすった。

起きようか、起きるまいか。

とても、幸せで、温かで、光に優しく身体を包まれているような。

「んっ」

「あら、おはよう。あなた」

「今、何時?」

気がつくとルーシェンは衣裳のまま、展望室の昼寝セットの中で、妻に抱きしめられ眠っていた。

「朝の五時よ。けれど、あけましておめでとう。一月一日だわ」

「・・・・・・・・・・、俺、丸々24時間以上寝てたの?」

「ええ。ちっとも起きなくて」

この一月の集中力は、それほどルーシェンの精も根も奪っていったのだ。

「うわぁ、俺の誕生日どこ消えたの」

「私が一日あなたの寝顔を満喫したわv」

「喜んでもらえて、ヨカッタよ・・・てか、あれ? 腹があったか? 重い?」

俺って妊娠してたっけ? なんてくだらないことを考えながら、

「あれ? ウェンリー?」

「ウェンリーも、よっぽど集中して見てたのね。気がついたらお座りしたまま眠ってて、そのままパパにへばりついたと思ったらちっとも離れないの。まだ寝てるのかしら? お腹減ったでしょうに」

ためしにルーも引っ張ってみたが、たしかにちっとも離れない。しかもなんか気持ちよさそうで、無理やり起こすのも気が引ける。

「カトリーヌ。一緒に寝よう? そんで朝になったらお正月のご馳走作って食べよう。うん、それがいい」

「ええ、いいかも」

にこっと笑った妻だったが、何がおかしいのか、くすくす笑い出した。

「どうかした? カトリーヌ」

「いいえ、あなた、去年もおととしも、大晦日の晩に騒ぐだけ騒いで、お正月はずっと寝ていたでしょう? 一緒にお正月のご馳走たべるのも、今日がはじめてだなぁと思って」

「あーー、そうだったかも、俺、自分の誕生日大好き人間だしなーー」

大晦日が一月一日に負けるようで悔しいので、つい、目一杯楽しんでしまう。

その自分の誕生日を、今年ほど来て欲しくないと思ったことはなかった。一分一秒でも惜しいのは、思えばはじめての体験だ。

「来年も、再来年も、あなたと一緒に、ずっと、おばあちゃんになるまで、いられたら、幸せね」

「うん、俺も。けど・・・」

「けど?」

「あと、一人くらい、子供がいてもいいかも(テレテレ)」

「そ、そうね。ウェンリーも弟か妹がいると・・・いいかも(テレテレ)」

 

お互いの体が、泣きたいほど、温かくて、幸せなある日のこと。

 

 

ちなみに、この日の動画は、アーカイブの14歳の項ではなく、ホームビデオの項に収まっている。

ゆえに、この映像の存在を知る者は少ない。

 

 

なにはさておき、

明けましておめでとうございます。

今年もよろしく、お願いします。

 

 

 

なんと、まさかの、親世代の方がバカップルだったオチ。

親の背を見て子供は育ってるので、ヤンさんは自分が変だと思ってないとか(笑)



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