HappyLovelyな日々  第一話「怒らせちゃいけない人」


彼女、ヤン・ウェンリーは過去を捨てた女だ。
過去は振り向かない主義で今日まで颯爽と生きてきた。
というかぶっちゃけ彼女の過去は振り向いちゃいけない過去だ。
何しろ自分が産んだ娘とその父親が敵国の人間だからだ。
生後三ヶ月で手放した娘のことなど思い出せば、その気になれば5分で寝込める。
当然写真も映像もこの同盟に持ち込むわけにはいかない。
しかし愛する家族だ。特に娘は可愛い可愛い娘だ。
誰にも云えなくとも思い出すよすがは欲しい。

ここは彼女、ヤン・ウェンリー大将の城(要塞)イゼルローン。
この直径60キロの銀色の球体はまさしく彼女の城だった。
同盟軍史上最年少。そして女性初の大将。
理知的で思慮深く、静かな眼差しの穏やかな司令官。軍内部では奇跡の女神とあがめられる。
若い女性で平均並みの容姿。ということは、つまり絶世の美女にハナシが膨らむものである。
その頼りなげな眼差しからか、実際彼女の幕僚は、そのまま=彼女の親衛隊。である。
しかし、彼らはなぜかラブイベントが発生しそうな彼女のフラットへ行くことを拒む。
なぜなら。

「これがおやすみエマキュン、これがパラソルエマキュン、これが夏の妖精エマキュン。あとこれがこれが・・・」
その日の被害者はフレデリカだった。
あたり一面青いくまのぬいぐるみだらけである。
しかも一体一体表情も違えば衣装も違う。
実は全部、この司令官のハンドメイドだ。

「だぁってぇ、夜エマキュン抱っこしなきゃ寝れないんですものーー」
寝室はエマキュンパラダイス。

 


彼女の名前はヤン・ウェンリー。
同盟軍史上最強の軍師であり、不破の神話とともに勝利の女神ともあがめられる、雷神の槌を奮う者。
彼女は、理知的で思慮深く、静かな眼差しの穏やかな司令官。
ということになっている。史実では。

 

 

HappyLovelyな日々  第二話「作戦会議は今日も」


「んっでぇ、こっちのミッターマイヤー艦隊がこうくるとーー、ローエングラム公の本隊がこーーんなカンジでーーー」

今日は今後ローエングラム公のイゼルローン方面の侵攻のあるを予想して、フォーメーションの研究をしていた。
副司令官のフィッシャー、アッテンボローをはじめとする分艦隊司令官、ムライやパトリチェフもいる、フレデリカは資料を捌いている。皆、真剣な顔でイゼルローン周辺の平面図を見ている。が、しかし。
いかんせんイマイチ空気が抜ける雰囲気がいかんともしがたい。
なぜなら。
「んでここのビッテンフェルト艦隊がこーくるとしてーー」
ズズズズズ。コケっ
「あっ、ビッテンエマキュンが落ちた」
ビッテンの「王虎」(のぬいぐるみ)にのった、オレンジの髪をつけた青いくまのぬいぐるみが「王虎」から落ちたのである。
「ココダココダミヤガレ指示棒エマキュン」で各艦隊を動かしていたヤンが机に手をかけ、腕を伸ばしてよいしょよいしょとエマキュンを戻す。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
(エマキュン・・・)
心から敬愛する上司で水気の多い黒い瞳がちょっと頼りなさ気なオトナ可愛い司令官だが、作戦会議にそこら中にくまのぬいぐるみを配置するのはどうにかならんもんなんだろうか。
人々は力なく肩を落とした。

彼女の名前はヤン・ウェンリー。
同盟軍史上最強の軍師であり、不破の神話とともに勝利の女神ともあがめられる、雷神の槌を奮う者。
彼女は、理知的で思慮深く、静かな眼差しの穏やかな司令官。
ということになっている。史実では。

 

 

HappyLovelyな日々  第三話 「帝国に飛び火」


「ご苦労だったキルヒアイス」
「はい、ラインハルト様」
捕虜交換式の大任を果たし帝星に帰還した親友の報告に、ラインハルトは目を細めてねぎらう。
「と、こ、ろ。でだ、キルヒアイス」
「はい、ラインハルト様?」
「はじめから気になってたんだが、そのくまのぬいぐるみはなんだ?」
「えっ、あ、その。ヤン元帥から頂いたお土産で「キルヒエマキュン」だそうです」
キルヒが持っている青いくまのぬいぐるみの頭部に赤い毛糸で髪が作られているものだ。
「なんでもぬいぐるみ作りはヤン元帥のご趣味なのだそうですよ」
「ぬいぐるみ作りが趣味・・・」
(なんって可愛らしい方なんだ!日々ちくちくとぬいぐるみを縫ったり、ぬいぐるみとおままごとしたり、ぬいぐるみ抱っこして寝たりしてるんだろうか・・・)
ただいまハルチの脳内ピンクとレースのヤンパラダイス。
そんな同盟元帥言語道断だが、実際の同盟元帥はそんなモンだった。ただし、それほどファンシーでもない。
キルヒはキルヒでヤンの可憐さに心を奪われ、『実物のキルヒアイス提督がこんな男前だなんてしりませんでしたわ。次はもっと素敵に作りますから、これお土産にどうぞv』
なーんて笑顔でいわれちゃったりしたことをほのぼのと思い出している。
そして、運悪く報告書を持ってきて一部始終を見てしまった男がいた。
妄想に浸っていた金髪と赤毛の青年が同時にハッと気づく。
「「ロイエンタール」提督」
「・・・・・・・・・・・・・・・・」
ヘテロクロミアが据わっている。これはもしや、ちょっとヤバい?
「ゴカイなのだ、ロイエンタール!」
「え、ええそうです、そうなんですよ!」
「出直してまいります」
綺麗に一礼して立ち去った扉を、呆然と青年二人は見つめるのであった。

(ふざっけんなよ、エマキュンだと? あの馬鹿あの馬鹿あのクソボケナス!)
執務室へ戻る道すがら、手に持った報告書で脳内の娘の頭をぽかぽか殴り、八つ当たりしていたロイエンタールだ。ヒドイ
(でも、あのぬいぐるみ・・・)
母親だからだろうか? 10何年も会ってないのにあのぬいぐるみ。
(エマイユに似てたな)
それはともかく、今度会ったらあの馬鹿ぶっ飛ばす。

と、そのころロイエンタールの心情も知らず、その「あの馬鹿」こと、同盟軍元帥ヤン・ウェンリーは。
私室のベットの上で、2985gのハッピーエマキュンのほっぺたにチューしていた。
「おやすみなさい、エマキュン」
そしてヤンは今日も安らかな眠りにつくのである。

 


彼女の名前はヤン・ウェンリー。
同盟軍史上最強の軍師であり、不破の神話とともに勝利の女神ともあがめられる、雷神の槌を奮う者。
彼女は、理知的で思慮深く、静かな眼差しの穏やかな司令官。
ということになっている。史実では。

(なにはともあれ、あの馬鹿ぶっ殺す)
遠く離れたオーディンでは、なぜかロイエンタールの報復レベルがアップしていた。

 

 

HappyLovelyな日々  第四話 「イゼルローンの市長、敗北」


「ヤン!どこだ、ヤンーーー!
基本的にイゼルローンの司令官ヤン・ウェンリーはサボり魔である。
可能なら息すらしたくないほどのめんどくさがりやで、今日もこっそりと昼寝をしていた。
んで見つかった。
「仕事しろ、ヤン」
「えーーーっ、いいじゃないですか。かわりにハンコおしててくださいよ。キャゼルヌ先輩。小学校の子供がやったってバレませんよ」
「あいにくと、誰かさんが丸投げした仕事に追われて、たかが小学生のガキにだって出来る仕事ごときに割く時間なんぞないんだよ、こっちは!」
額の青筋は本気の証拠。キャゼルヌが過労死したら夫人と子供二人に言い訳が出来ない。
「大体、民主主義を守る立場のお前さんが税金ドロボーしてどうする!」
さらに言い訳が出来ない。
だがしかし、ウチのヤン・ウェンリーは常識も良識も通用しない、ただのワガママものだった。

「はぁ!? 決済印をエマキュンにしたらいくらでも仕事するだと!?」
キャゼルヌの声が大気を震わす。
「ふざけるのもいい加減にしろ!これ以上エマキュン尽くしにするつもりかっ!」
と怒鳴ったはいいが、さらにバトること小一時間。

「わかった。イゼルローン内部のものだけな」
「わーーーい!」
ヤン・ウェンリーは、くどいようだが不敗の名将である。

「で、ヤン元帥。五つほどデザインを用意しましたが、どれがよろしいですか」
ヘンな仕事が回ってきたリンツがヤンの前にバラっと紙を並べた。
「きゃーー。リンツ中佐どれも可愛い! 素敵〜」

と、ヤンはその中の一つを選び、それを決済印に決めたのだが、
このことが後にイゼルローンの基盤を揺るがす一大集団ノイローゼに繋がるとは思ってもいないキャゼルヌ以下幹部一同でした。

「は? トゥール・ハンマーをエマキュン・パンチに改名したい!?」

こくこく

期待にきらきら目を輝かせた司令官は、

「きっとエマキュン・パンチなら帝国軍を蹴散らせるって」

「ダメ!!!」


彼女の名前はヤン・ウェンリー。
同盟軍史上最強の軍師であり、不破の神話とともに勝利の女神ともあがめられる、雷神の槌を奮う者。
彼女は、理知的で思慮深く、静かな眼差しの穏やかな司令官。
ということになっている。史実では。

 

 

HappyLovelyな日々  第五話 「イゼルローン陥落」

 

イゼルローンの最高権力者、ヤン・ウェンリーは今日「も」その職責に相応しく精力的に仕事をこなしていた。
そんな馬鹿な!!
幕僚らの顔は頭痛なんてものを通り越して集団食中毒になりつつあった。

「はーい、エマキュンこっちにぺったん」
ぺったん
「はい、こっちにもぺったん」
ぺったん
「うん、おりこーさんw」
ぺったん
ぺったん
ぺったん
イゼルローン内部だけのはずが、ヤンはいつの間にか、ホンモノの決済印の柄の部分をエマキュンに改造し、今じゃあ四六時中エマキュンフルコースである。

「朝っから晩までエマキュンエマキュン・・・」
「夕べ書類提出しにいったらヤン提督の席に子供くらいでっかい青いぬいぐるみがいてしかもその書類が三個ミスってて「お仕置きエマキュン」とかゆってメガトンパンチ食らわされるという悪夢を・・・」
「てゆーか一昨日おれが執務室行ったらヤン提督のジャケットとベレーつけたエマキュンが「ただ今脱走中」とかってプレートつけて執務机座ってたぜ」
「ありゃあ実はトウヨウのラッキーアイテムで、ヤン閣下がひそかに朝晩拝んでるらしいぜ」
というネタに発展し、
しまいには
「ぎゃーーーー! エマキュンに殺されるーーー!」
「逃げちゃダメだ逃げちゃダメだ逃げちゃ・・・・・うわあああ! エマキュンがっ!」
という悪夢をみるものから。
「ふふっ、今日も可愛いねエマキュン、天使さんの羽だねエマキュン」
なんて白昼夢を見るものまで。

んで亡命してきたメルカッツ提督が見たものとは。
「ふふ、なにやらイゼルローンも雰囲気が変わりましたな」
活気があるのは前線のかわらない逆説かもしれないが、誰もが或は笑い、或は怒鳴り、或は一心不乱にゲーセンのリズムゲームに熱狂し、或はベンチでぐーすかと昼寝を・・・・なんだかイマイチおかしいが、メルカッツは目を細めて穏やかに見守る。
「ところであの青いくまは何者ですかな? 先ほどから各所で見られるようだが」
アーケードに連なっているくまの旗を指差し、メルカッツがイゼルローンを案内してくれていたアッテンボローに問う。
「ああ、あれはエマキュンといって我が13艦隊のマスコットです。同時にイゼルローンのマスコットでもありまして、広報の片隅に花をそえたり、交通安全ビデオの案内人をやったりと。オリジナルグッズなども沢山ありまして・・・・・・あ、いかですか?イゼルローン銘菓「エマキュン饅頭」」
アッテンボローが美味しそうな熊の形の饅頭を進めてくれた。
ようようあたりの声に耳を澄ますと。

「やったぜ! 今日はエマキュンがツいてる!」
「ハハッ! 今日はエマキュン日和だぜっ」意味不明
「お隣の奥様ご存知? 今日四時から○×スーパーでマグロが特売ですってv」
「あらぁ、それはまたエマキュンですねぇ。是非いかなきゃ」さらに意味不明

大丈夫なのだろうか、この要塞は。
てゆーか、同盟は。
帝国語でシュナイダーが不安の声をもらす。
そんな部下をメルカッツは穏やかに諭した。
「いいやシュナイダー。まだ若い貴官にはわかりづらいかもしれんが、集団をまとめるというのは大変なものだ。ましてや常に死と隣り合わせの最前線。担げる縁起は担げるだけ担ぎたいのが人の心だ。それに、ハハッ、愛らしいではないか」
孫を見るように道端のくまのぬいぐるみを見ていたメルカッツが、その首に掛かっているプレートを読む。
『戦災孤児にバースデイプレゼントを贈りませんか?』
下に団体名が書かれていて、なるほど募金らしい。メルカッツも財布を取り出して募金箱に募金をしてみた。
ぺこり。
ただのくまのぬいぐるみかと思いきや、やたら愛らしい仕草で丁寧に頭をさげる。
「・・・・・・・・・・・」
さぁどうする、メルカッツ。どうする、アイル!
「もう一回・・・」
「閣下!」
副官に止められ照れながらまだ直接合見えぬこの要塞の主の姿を思い浮かべた。

彼女の名前はヤン・ウェンリー。
同盟軍史上最強の軍師であり、不破の神話とともに勝利の女神ともあがめられる、雷神の槌を奮う者。
彼女は、理知的で思慮深く、静かな眼差しの穏やかな司令官。
ということになっている。史実では。

 

 

HappyLovelyな日々  最終話 「不機嫌なレディ」

 

この日、和平のために同盟元帥ヤン・ウェンリーは、フェザーンの地に降り立った。

手に、青いくまのぬいぐるみを抱いて。

「よく、いらしてくださった、ヤン・ウェンリー」

にこやかに云ったラインハルトの前に立ち。

ちまーーーーん

「(・・・、そういえば、キルヒアイスは背が低いといっていたな・・・)」

くま一つを手荷物に、ヤン・ウェンリーは無防備にラインハルトを見上げる。

大きな瞳は、貪欲な好奇心ですべてを吸い込もうとするかのよう。

つまり、150センチない同盟元帥は、その幼い表情と相まって、とっても子供ぽかった。

「(・・・・・・・か、かわいいっ!)」←ダメ人間ハルチ

 

そんで、夜会。

「それ」を見つけたのはポプランだった。

「お、エマキュンだ」

「はい?」

「うっわーー、かあっわいーーv そっくりーーぃv」

「あの、えっ、は、はいいい!?」

「馬鹿ポプラン。何やってやがる。ビビッてるじゃないか」

「だぁってよぅ、コーネフ、みてみろよ。そっくりだぜ! 本物みたい!」

「だからなにが・・・・、あ、エマキュン」

ポプランをパコンと殴ったコーネフだったが、その相手をみて目を丸くする。

「失礼しました。けれど、握手していただいてよろしいですか? 運がよくなりそうなきがする・・・」

「え、あの、えと」

「あ! コーネフ俺、ヤン提督呼んでくるよ。会ったらきっと喜ぶぞーーv」

「あ、あのーーーー!」

「いえ、本当に失礼しました。ついはしゃいでしまいまして。私は同盟軍13艦隊の第2空戦隊隊長のコーネフといいます。お名前をお伺いしても?」

「あ、はい。アーダルベルト・フォン・ファーレンハイトの妻のエマイユと申します」

「エマイユ! じゃああなたは本当にエマキュンなんですね・・・」

「あの、そのエマキュンてなんなのですか??」

「イゼルローンの幸運のお守りです」

真顔でビシっと云ったコーネフに、しばしエマイユはあっけにとられた。

「あの、イゼルローンって、ヤン提督って・・・?」

「ええ。同盟軍奇跡の女神ですよ。帝国の方ですからお嫌いですか? けれど会ってくださると嬉しいです」

コーネフは・・・ポプランも、バーミリオン以来めっきり笑わなくなった司令官を心配していたのだ。エマキュンに似た彼女に会って、少しでも元気になってくれたら嬉しい。

「いいえ、そんな滅相もない。お会いできるなんて光栄です。けど、ちょっと気後れしてしまいます。どんな方ですか?」

愛想よく笑っていたコーネフの外面がこわばる。

「外見は・・・たいそう可愛らしい方です」

「え?」

聞き間違いかしら? とエマイユが聞き返そうとする間に、もうポプランの声が戻ってきた。

「ほら、元帥。エマキュンにそっくりでしょう!?」

「ヤン・・・ウェンリーげんすい?」

(・・・かっ、かわ・・・・!)

そのときエマイユが受けた衝撃はタダゴトではなかった。

まっすぐに伸びた手足。長い黒髪。大きな黒い瞳。抱きしめた青いくまのぬいぐるみ。

(お、お人形みたい〜〜!!!)

笑わない小さな唇が、そう感じさせるのだろうか? まっすぐに覗き込む瞳がそう感じさせるのだろうか。まるで少女の人形のようだった。

が、エマイユは真っ当な教育を受けたいいトコのお嬢さんだったので、理性の限りを尽くして感想を飲み込み、礼儀ただしく挨拶を・・・

「はじめまして、ヤン・ウェンリー元帥閣下、私は・・・」

「にてる?」

しようとした。が、眼の前に突き出された、くまのぬいぐるみにしばし困る。

少女は・・・いや、違った、30すぎの元帥は、エマイユの顔とぬいぐるみの顔を、かわるがわる見つめて首をかしげて困っている。

「ほんとににてる?」

「えーー。似てるじゃないですか。そっくりですよーー」

「俺も、パッと見、エマキュンだと思いましたよ。似てるんじゃないですか?」

「にてる・・・」

じーーーーーー

あまりにもまっすぐに見上げてくる彼女の可愛らしさに、エマイユはドキドキしてきた。

ああ、もう、敵国の元帥じゃなきゃ攫って帰りたい! でも、それって誘拐って云うんだわ・・・。

「ヤン提督、そんな見ては相手の方に失礼ですわ」

「そうですよ・・・、困ってるじゃないですか」

ヤンのうしろから来た同盟軍の男女が、ためらいがちに彼女をとめる・・・、とまってないが。

確かに、くまのぬいぐるみに似ているといわれたエマイユだって困る。が、この少女・・・モドキに一目ぼれでメロメロだったエマイユは、彼女を傷つけたくない。

「とっても可愛らしいぬいぐるみですね。似てるといわれて、嬉しいです」

にっこり笑ったエマイユに、照れたのか、ぬいぐるみをぎゅーっと抱いて、ぼそぼそ答える。

「わたしが、つくったの」

「そうなんですか、お上手ですね」

「ありがとう・・・」

が、言葉に反し、みあげてくる彼女の瞳が哀しそうで、寂しそうで、エマイユは胸がつまる。笑ってくれたら、きっと嬉しいのに・・・。

「あの・・・」

「あげる」

「え?」

「エマキュン、あげる。もらって。いらないなら、すてていいから」

「でも、大事なものなんじゃ・・・」

「元帥。だって、他の子はみんなハイネセンにおいてきたじゃありませんか!」

ヤン・ウェンリー。イゼルローンから夜逃げするときにも持ってきてたのかよ・・・

まぁ、大部分は持っていけなかったので、イゼルローンに残した分はやってきた帝国軍の司令官に焼却炉放り込まれたラシキ。

「だいじ・・・」

「・・・・、げん。すい・・・」

子どもほどに細い腕で抱きしめられて、エマイユは戸惑う。

たよりない、小さな身体なのに、切なくなるほど温かい。

「だいじなの」

くまのぬいぐるみも、慈しむように抱きしめて、そっとエマイユに差し出す。

「うけとって。おねがい」

そんな大事なもの・・・、と、周りをみまわすが、彼女の部下たちも固唾を飲んで司令官を見守っている。どうしよう・・・。

強い決意を秘めた瞳で、まっすぐに見上げてくる同盟の女神に・・・。

「わかりました、ありがとうございます」

笑顔で、云えば、ほっと息をはく。手を伸ばして・・・

「え、ちょっとこれ、見た目より重い!?」

手にかかった重量に思わず驚く。中身が綿じゃない。

でも、これ、ふつーにだっこして持ち歩いてたよね!?

「2985グラムぴったり。これもあげる」

首からちゃらりとゴールドのプレートのネックレスをはずし、くまの首にかける。

「え?え?」

『782/12/29/2985』

782年12月29日。帝国歴に直すと473年。

「私の・・・誕生日」

「その日はねえ。わたしにすっごくいいことがあった日なの」

「ヤン、ていとく?」

「エマイユ、あなたに会えてよかった」

にっこり

「ばいばい」

「提督!」

きびすを返して走っていったが・・・

バフッ

「おや、どうなさいました同盟元帥。走ると危ないですよ」

「はなうった・・・」

「打つほどの鼻がおありでしたか?」

真正面からぶつかったヤンは、青い元帥マントの中。

「お、とうさま・・・」

が、ロイエンタールは一人娘なんぞ見ちゃいなかった。

「これでいいんでしょ」

「なーーにが?」

ぶつかったついでにしがみついてくる敵国の元帥相手にニヤニヤする帝国元帥・・・。

「わたしが、何もかも手放したら、わたしのものになってくれるんでしょ」

「だって、あの青いくまと俺を一緒に抱きしめるには、お前の腕は短いだろう?」

「妬いてるの?」

「それぐらいの男心はわかれよ」

「だーーれが男心だって」

「今日はなんの話がいい? ケンジ・ミヤザワの注文の多い料理店?」

「アルフ・ライラ・ワ・ライラ」

「千話も喋れるか!」

「お前の話はたとえ白雪姫でも最後は「いただきます」じゃないか」

「しあわせにくらしましたってのは、つまりそういうことだろう」

「んじゃあ、あえて今日は「青ひげ」で」

「猟奇かよ」

「ホラーなら、寝物語にぴったりデショ」

ロイの声はエロいので、なんでもよく寝れます。

「もう、どこにもいかない」

「お前にどこに行くとこがあるってんだ」

 


彼女の名前はヤン・ウェンリー。
同盟軍史上最強の軍師であり、不破の神話とともに勝利の女神ともあがめられる、雷神の槌を奮う者。
彼女は、理知的で思慮深く、静かな眼差しの穏やかな司令官。
ということになっている。史実では。

この日を境に、彼女の名前が正史にでてくることはなかった。


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