眠らない街のなんでもない日の午後
 
『オスカー』
軟らかく温かい体が押し付けられる。随分と幼い頃の思い出だ。おそらく、カールが生まれる前・・・。
首に腕を絡ませ暗闇でもわかるほど至近距離で楽しげにくすくすと黒髪の幼馴染が笑う。
思えばこの頃から2人きりのときはあまり喋らなかった。
お互いに、確かめ合い、与え合ったぬくもりがただ穏やかで、心地よくて・・・。
『お前のためなら、一晩中だって声が出せなくなるまで歌ってあげるよ』
 
その日、ロイエンタールの執務室にはやたらと客が多かった。
一人目はファーレンハイトである。
「珍しい事もあるものだな・・・まぁ、急ぎの用事でもないしな」
などと謎の言葉を残し、すぐに出て行った。
二人目、ミッターマイヤー。
「!?」
それに気付くと思わず彼は両足を地に付けたまま、三歩分後退した。それから、そろりそろりとロイエンタールの机に忍び寄り、非常に珍しいものを観察した。
(はらー、こいつの顔って寝てても崩れないのか・・・)
しげしげと興味深げにミッターマイヤーが見つめるロイエンタールは、つまり爽やかな陽光を顔の半分にうけつつ机に突っ伏して居眠りをしていた。
「ん」
その少しの反応にミッターマイヤーは息すら詰めて、入ってきた扉にへばりつく。
と、その扉が僅かに開いてヌッとレンズが突き出された。
「何をやっているのだ?卿は」
その声と供にミッターマイヤーのよく知る僚友が部屋に入ってきた。
「ふぁ、ファーレンハイト。卿こそ何を・・・」
「ん、俺か?いやなに、さっきロイエンタールに用事が有って来たんだが、あまりにも無防備に寝ているので貴婦人方にでも高く売ろうかと・・・」
家庭用TVカメラをこつこつと叩いてみせる。
もう一度、二人はこの部屋の主の穏やかな寝顔に目をやった。
 
30分後。
「よう!ロイエンタール!!卿は今日暇か?暇だったら酒を・・・」
猪突猛進、音量最大のビッテンフェルトが勢いよくロイエンタールの執務室の扉を開けると、室内にいた全員から思いっきり睨まれた。
「しーーーーーー!!!」×5
ミッターマイヤー、ファーレンハイト、ラインハルト、ベルゲングリューン、メックリンガーらが必死の形相で、口の前に指を立てる。
慄きつつも、ビッテンフェルトはなんとかうなずく事だけは成功した。
 
更に30分後。
「失礼します、ロイエンタール閣下」
ガチャ
さしものカール・クレイマーにも可能だった反応は絶句だけだった。
さっきのメンバーにミュラーとケスラーとビューローとキルヒアイスとワーレンとルッツがアイゼナッハが加わっていると考えてくれればいい。
このうち何人かはミイラ取りがミイラである。
しかし、見事な熟練の技で半瞬で気を取り直すと、今の直接の上司であるラインハルトに清雅な微笑を向けた。
「おや・・・元帥閣下。こんな所で何をしてらっしゃいます?確か、一時間ほど前に散歩に行くとおっしゃられていたような?」
ラインハルトは汗を滝のように流しながら助けを求めるように左右を見渡す。
(マズイ、殺される。少なくとも明日は机から離してもらえない・・・)
ラインハルトは自分が無理矢理引き抜いた主席副官の有能さを嫌というほど知っている。
「そうそう、キルヒアイス上級大将閣下はその元帥閣下を探しにいかれたんでしたよねーーーえ?」
オーベルシュタインと唯一真っ向から張り合える面の皮の厚さと、激情を持った天才画家が、赤毛の友人に優しく語り掛ける。
事実、ウェスターラントの核攻撃を止めたのはカールだといってもよい。
「他の方々は、何してらっしゃるんでしょうかねーえ?」
しかも、その晩にオーベルシュタインを酒に誘う神経を持つというのは帝国の人間からしてみれば既に人間の範疇を超えている。
「いや、俺は今晩のみに行かないかと誘いに・・・」
「書類の決裁が・・・」
「用事が・・・」
「あまりにも、気持ちよさそうに寝ているので起こすのが忍びなくてなぁ・・・」
口々に言い訳をする面々にこっそり舌打ちしてから、この状況下においてなお、グースカ寝こけている実の兄を睨む。
「とっとと、たたき起こせばいいでしょう!ほら、あんたもいい加減・・・」
肩を揺さぶろうとしたカールが、思わず火にでも触れたように反射的に身を逸らす。
「!?姉様?」
白い霧のようなものがロイエンタールの体を取り巻くようにでてきた。
「姉様?来てたんですか?」
畏敬の念を込めてぼんやりとした相手に微笑む。
カールはその霧のようなものが微笑んで指を口に当てたのを確かにみた。
『内緒だよ』
カールが軽く頭を下げると、それは陽光に溶けるように姿を消した。
 
「う、げ?今の幽・・・・」
「クレイマー、今姉様といっていたようだが、お前の知り合いか?」
ビッテンフェルトが思わずうめき、カールの以前の上司であるミッターマイヤーが戸惑ったように問うた。
「ええ、小官の姉代わりかつ母親代わりのイトコで・・・・オスカー・フォン・ロイエンタールの恋人「だった」人です」
当人たちが、お互い百万光年のかなたで現在進行形だと言い張っているのは勿論秘密である。
その表情に、高級軍人たちは「彼女」が死者であり、「彼女」が死んだためロイエンタールが今のようにすさんだのだろうと誤解する事は、カールの知ったこっちゃない。
 
「・・・・・っ」
ようやっとロイエンタールが身を起こす。よくもまぁ寝ていられたものだ・・・と言うその場にいた全員からの無言の突っ込みを、ついに人々は発する事が出来なかった。
部屋にいた男たちはそれこそ微動だに出来ないほど全身を緊張させて、ロイエンタールを凝視した。
全員が、背筋に走る寒気を感じた。これほど美しく、胸を締め付けるものは見た事が無いと。
彼の軍服や髪や元々の腹黒さとはまったく違った静謐な夜のような黒さがそこにあった。
どのような力を手に入れても、手出しの出来ない領域が確かにそこにあった。
人々は己の無力に唇をかみ締めながら呆然とそれを見つめた。
まだ意識のはっきりしないロイエンタールの両頬を滴り落ちる涙を。
そこには些少のか弱さも惨めさも読み取る事が出来なかった。
ただ、完全なる無心のうちに涙が流れていた。
 
誰が一番先に声をかけるか無言で押し付け合いがあり、最終的に全員の視線がカールの方を向く。
カールは軽くため息をつくと、それを受け入れた。他の人間では荷がかちすぎるだろうから。
「あーー、ロイエンタール閣下?もしかしなくても寝ぼけてらっしゃいますね?」
他の誰にわからなくとも、カールにはわかっていた。さっきは思わず見とれてしまったが、明らかに寝ぼけている。自己嫌悪でくらくらしながら猫騙しをかける。
「おはよーございます、ロイエンタールかっか・・・」
ロイエンタールが、ようやっと目を覚まして出くわしたのはあまりの精神的打撃に死にかけている、上司、同僚、部下だった。
「おそろいだな?」
片方だけ眉をあげてロイエンタールが発した台詞がそれだった。
 
部下が持ってきた書類を裁いたり、僚友たちの用事を聞いている合間にロイエンタールは思い出したように傍らに立ってそれを眺めている弟に声をかけた。
「そういえば、お前はなんで此処にいるんだ?」
「俺は今勤務時間外だからいいんだよ」
「用もなく来る性質でもないだろう?」
「お届物です、ロイエンタール閣下」
おどけたように、少し大きめの包みを渡す。反応を待っているようだ。
「で?これがどうしたって?」
ちゃかちゃかと手は動く。思わず、カールが変な顔になる。
「???今日が10月26日だって解ってるよね?」
「ああ、カレンダーをみる限りそうだろうな」
ますますヘンな顔になる。
「???????姉様の誕生日覚えてる?」
「4月4日だろう?」
当然のように即答。
「じゃあ、俺の誕生日は?」
「9月の・・・・・20日だったか?」
「だったら、真沙輝姉ちゃんのは?」
「7月7日だ」
よほど嫌な思い出があるのだろう。思いっきり顔を顰めて断言する。
「だったら、自分の誕生日は・・・?」
「・・・・・・・・・・(考え中、長いので中略)・・・・・・・・・・・・・・ああ、なるほど」
「俺、言っても思い出さない人間はじめて見たわ・・・・・」
(もしかしてウチの兄ちゃんってとんでもなくスットボケなんじゃないだろうか・・・・)
「姉様が言ってくれないなら俺が言うよ。誕生日おめでとう。あんたが生まれた事と、1年の無事をあんたに代わって先祖に感謝するよ」
その言葉に、密かに顔を赤らめながらそそくさと用事を片付けて逃げ去ろうとしていた名だたる帝国軍人たちが反射的にロイエンタールを指差した。
「あーーーーーー!!!」
その、悲鳴のような声を聴きながらカールは背を向けて部屋を出て行った。
友人を職務にかこつけていたぶるためには努力は惜しまない男である。
 
結局何だかんだでしたたかに呑んできたロイエンタールは、自分の屋敷にもどってくると改めて弟がよこした包みを開けた。
思ったとおり相変わらず性別不詳な幽玄美漂うヤン・ウェンリーの絵である。
「別人度200パ−セント、でも、本物はこれよりもっと美人!兄ちゃん誕生日おめでとう!」
これが二十歳過ぎた男の書く文章だろうか?
(育て方間違えたな・・・・)
などと頭の隅で思いつつ、ロイエンタールは絵の中の幼馴染に苦笑する。
「来てたのか、お前。そんな芸当やらかす位ならもっと、マシな使い方も出来るだろうに」
この黒髪の魔術師が起こす奇跡の一つをロイエンタールはよく覚えていた。
ロイエンタールにまったく疲労を与えない眠りを提供するのである。
(そういえば、おれは幾つになったんだったか?)
やっぱりボケボケである。
 
「かあさーん、なに深酒してるのさ・・・」
「べっつにぃ・・・」
「提督どうしたの?」
ユリアンが横の真雪に聞く。
「あ、今日パパの誕生日だわ」
「その割には昼過ぎまで寝てたよね、ずっと・・・」
「うるさいよ、美時。でもさぁ、なんかいい夢見たような気がするよ」
そう、なんだかとてもいい夢を見た気がするのだ。楽しくて、幸せな・・・。
霞がかかったような記憶をたどる事をヤンは諦め、最後の一杯・・・とグラスを傾けた。
「予知夢だといいね」
 
生きてあの街まで還れたら・・・・今度こそ・・・
 

 

 
ごめんなさい、今回嘘っぱちです。ロイエンタールの誕生日にこの面子がラインハルトの元帥府にいるかどうかすら怪しいです。気にしないでくれると涙流して喜びます。
ちょっと気が向いたので、おたおたしている帝国軍人さんたちを書きたかっただけなんです・・・。
 
あ、ヤンの生霊(?)がロイのところ行ったのは完全な無意識です。そんな芸当されたらたまりません。

 

おまけ
「それにしても、クレイマーとロイエンタールが知りあいだとは思わなかった。驚いたぞ」
ラインハルトのところに来たミッタ−マイヤーに愛想のいい笑顔で答える。
「ええ、ちぃさいころは姉様といつも一緒でしたからよく構ってもらいましたよ」
「・・・・・・・・・」
書類に埋もれているラインハルトの胡散臭そうな目を微笑みで封じておいて、カールは自分の仕事に戻った。
ご機嫌にセンチメンタルなヒットソングを口笛で軽快にワンフレーズだけ吹いてみせる。
(なんで兄ちゃんと兄弟だってこと黙ってるかって?ハルト。だってそっちの方が姉様に会った時面白そうじゃないか?)
と、生きてあの街に帰れることを微塵も疑っていないカールだった。


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